I Proud To Be An Indian

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I Proud to Be an Indian
「I Proud To Be An Indian」

 海外に住むインド人移民(NRI)を描いた映画は近年やたらと多くなり、ざっと思い出してみただけでも、「Bend It Like Beckham」(2002年)、「American Desi」(2002年)、「Leela」(2002年)、「The Guru」(2002年)、「Anita And Me」(2003年)、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)などがあった。この他にも、海外在住のインド人がインドに帰って来たり、主人公が帰国子女だったりする筋は、既にインド映画の常套手段となっている。その中には、インド人が海外で味わうカルチャーショックが面白おかしく描かれている映画もあれば、何の説明もなしにインド人が海外で悠々自適の生活を送っていたりする映画もある。

 しかし、海外に住むインド人は、現地で実際にどのような扱いを受けているのだろうか?決して優遇されているわけではないだろう。むしろ差別されていることの方が多い。今までのインド系移民を主人公とした映画(NRI映画と呼ぶことにする)では、そのインド人に対する差別が全くと言っていいほど語られて来なかった。そんな中、遂にインド人差別を真っ向から扱った映画が登場した。2004年2月13日公開の「I Proud To Be An Indian(インド人としての誇り)」である。

 監督はプニート・スィラー。製作・主演はサルマーン・カーンの弟で、「Maine Dil Tujhko Diya」(2002年)の監督ソハイル・カーン。その他のキャストは、クルブーシャン・カルバンダー、ヒーナー・タスリーム、ティム・ローレンス、アースィフ・シェーク、モーナー・アンベーガーオンカルなど。ちなみに主人公の名前は映画中出てこない。

 主人公(ソハイル・カーン)は父親(クルブーシャン・カルバンダー)と共にインドからイギリスの首都ロンドンへ移民してきた。既にロンドンには兄夫婦(アースィフ・シェークとモーナー・アンベーガーオンカル)が住んでおり、彼らの家に厄介になることになった。

  しかしロンドンでは、プロレスラー並みの大男カイン(ティム・ローレンス)率いるスキンヘッド軍団が、白人至上主義を掲げてインド人などの有色人種に暴行を加えていた。主人公が兄嫁や、兄夫婦の娘の友達ヌール(ヒーナー・タスリーム)を襲ったスキンヘッド軍団員を殴り倒したことから、彼の家族はカインらから狙われることになる。

 カインがまず送り込んだのは、パーキスターン人でボクサー、そしてヌールの兄のアスラムだった。アスラムは主人公を闇討ちするが、ヌールを助けたのが彼であることを知ったことから仲直りし、共にカインに立ち向かうことを決める。また、主人公とヌールは恋仲となり、アスラムの承認も得た。

 しかしカインらスキンヘッド軍団の嫌がらせは過激化するばかりで、家族は怯える毎日を送っていた。一人カインに立ち向かっていた主人公も、とうとう父親から「カインに謝って全てを終わりにしなさい」と説得され、カインの前で跪いて許しを請う。プライドをズタズタにされた主人公は、失意のままインドへ帰ることに決める。

 それと時を同じくして、アスラムはカインを裏切ったことによって処刑され、主人公の家族の家も放火された。空港でアスラムが殺されたことを知った主人公は、再びカインの元へ舞い戻り、カインと一騎打ちの決闘をする。一時はダウンするが、父親の激励を受けて力を取り戻し、逆にカインを打ちのめす。こうして主人公は、白人に虐げられていたインド人や有色人種たちの英雄となったのだった。

 まず、この映画はロンドンのみを舞台としていながら、ほとんどの会話はヒンディー語(またはパンジャービー語)で進むヒンディー語であることを明記しておかなければならない。NRI映画はヒングリッシュ映画のことが多いのだが、この映画は珍しく極力ヒンディー語でセリフをしゃべるように配慮されていた。ただし、イギリス人の登場人物は皆イギリス英語を話す。比率はヒンディー語80%以上だった。

 米国や英国に住むインド人に対する差別というのは、映画のテーマとして非常に優れた着眼点だったと思う。今までのインド映画は、あまりに海外在住インド人の環境を楽観視しすぎていた。「Kal Ho Naa Ho」では、いかにもインド人が皆ニューヨークで人生をエンジョイしているかのように描かれていたし、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)では、カリーナー・カプール演じるプージャーが、ロンドンの大学でイギリス人の同級生を部下同然に扱っているという、イギリス人が見たら憤慨するような描写がなされていた。まるで海外への移民を夢見るインド人たちの夢をさらに助長させるような、理想主義の映画が多かった。そういう流れの中で、この映画はインド人の理想主義を打ち砕く役割を果たすであろう。

 しかし、この映画でインド人家族に執拗な嫌がらせをするネオナチみたいなスキンヘッド軍団というのも、かなり非現実的だ。ロンドンで本当にそういうことが起っているなら何も反論できないが、起こっていたとしても、この映画ほどひどくはないだろう。映画の冒頭で、タクシードライバーが、タクシー待ちをしていた主人公の父親を無視して、その先で待っていたイギリス人のところで止まる、というシーンがあったが、そのような一般的なインド人差別を描いて行った方が、社会派映画としてはよかっただろう。この映画ではその後、主人公とカインの力任せの戦いとなっていき、他のインドのアクション映画と大筋が変わらなくなる。ひたすら暴力に耐える主人公の兄や、誇りを捨てて差別に耐えながら校長の座にまで上り詰めたインド系移民など、現実のインド系移民が直面する問題が浮き彫りにされている重要なシーンがちらちらと出てくるのだが、メインがアクションシーンと復讐劇なので、それらはかすんでしまっていた。

 サルマーン・カーンの弟、ソハイル・カーンは、監督もこなす知性派かと思いきや、やっぱり兄と変わらぬ筋肉ナルシストで、やたら上半身裸になるシーンや、血みどろの決闘を繰り広げるシーンが多かった。あまりハンサムではないのだが、演技は確かなものを持っていた。「Lagaan」(2001年)でマハーラージャーの役を演じたクルブーシャン・カルバンダーは、さすがの落ち着いた演技。

 何より怖かったのは、スキンヘッド軍団のボス、カインを演じたティム・ローレンスである。彼のプロフィールはよく分からないのだが、おそらく元プロレスラーか何かだろう。インド人が束になってもかなわなそうな体格をしていた。最後の、瀕死の主人公にやっつけられるシーンは、あまりに予定調和的で白けてしまった。いくら何でも血まみれになった主人公が、ほとんど無傷のカインを数撃で沈めるような奇跡は起りえないだろう・・・。スキンヘッド軍団の雑魚たちは、いかにも弱そうな馬鹿白人という感じだった。

 主人公とアスラムの友情は、インドとパーキスターンの外交関係に対するサジェスチョンの一種だろう。「インドとパーキスターンが互いに争い合って、結局得したのは誰だ?」というセリフもあり、印パが手を取り合えば、現代の白人支配世界に対抗できるようなことを暗示する言葉もあった。だが、いかんせんメッセージが弱すぎる。やはりこれも、アクションシーンの裏に隠れてしまっていた。

 「I Proud To Be An Indian」は、NRIを主人公としながら、またインド系移民に対する差別という面白いテーマを発見しながら、普通のインド映画のテイストになってしまった残念な映画ということができる。主人公の名前がなぜ映画中に出てこないかも、よく分からないのだが・・・。何か深い意味でも込められているのだろうか?


https://www.youtube.com/watch?v=kE3wLycSkYw