
「Bhed Bakri Bhoot(羊、山羊、幽霊)」は、2024年7月27日にケーララ国際ドキュメンタリー・短編映画祭でプレミア上映され、2026年9月24日からYouTubeで配信開始された、30分ほどの短編映画である。
監督は「Kasturi」(2016年)などの短編映画を撮ってきたシヴァム・シャンカル。「Ishqiya」(2010年)などのアビシェーク・チャウベー監督と「Manorama Six Feet Under」(2007年)などのナヴディープ・スィン監督がプレゼンターを務めている。出演しているのは無名の俳優たちばかりだ。
「Bhed Bakri Bhoot」の舞台は最初から最後まで、便所である。それもかなり汚い公衆便所だ。それが男性用なのか女性用なのかは管理が行き届いていなくて分からなくなっており、男女共用になってしまっているようだった。そして、そこに次々とさまざまな事情を抱えていそうな男女が入ってきて、映画の束の間の主役となり、彼ら彼女らの人生の1ページが披露されるという構成になっている。
彼らはただ便所を利用するだけでなく、壁に落書きを書き残していく。それは、最初は失恋した楽団員の悲痛な心の叫びであったが、そこに利用者によってどんどん落書きが書き足されていく。それは基本的にはジョークのようなものなのだが、実のところ、抑圧された欲望の発露であったり、卑猥で猥雑な詩であったり、政府への批判だったりする。瞬く間に壁は落書きで埋まっていき、芸術性や哲学性すら帯びてくる。
最後に、公衆便所を管理する役人と思われる二人組が入ってきて、落書きだらけの壁を見て困り果てる。どうしたら落書きが止まるだろうか。一人は、壁に神様の絵を描けば誰も落書きしなくなるのではないかと提案するが、「暴動が起きるぞ」とすぐに却下される。最終的には漆喰が塗られて落書きはきれいさっぱり消される。そして壁には「落書き禁止」の注意書きが追加される。
落書きの中には革命を扇動するようなものもあったが、作品全体を通して監督からはっきりとしたメッセージが発信されているわけではなかった。だから、視聴者はそれぞれの感性で解釈することになる。
個人的には、これは痛烈な現政権批判だと感じた。序盤から中盤の、利用者が自由に落書きできる汚い便所は、前政権を表しており、漆喰が塗り直されてきれいになった終盤の便所は現政権を表していると考えられないだろうか。確かに落書きだらけの便所は清潔とは程遠かったが、人々は自由に自分を表現することができた。だが、落書きが塗りつぶされ美化されてしまった便所からはどこか堅苦しいものを感じた。便所の壁に神様を描いて落書きを防止するというアイデアが即座に却下されるというやり取りは、ヒンドゥー教至上主義を党是とし権威主義的な政権運営を行う与党インド人民党(BJP)を容易に想起させる。インド全国に急ピッチで公衆便所を作らせたのも「クリーン・インディア」運動を推進したモーディー政権である。
監督の真意をくみ取るためには、冒頭に掲げられていたリーティカール期(17-19世紀)の詩人ジャスラームのドーハー詩を理解する必要もあるだろう。
रैयत सब राजी रहै, मेटन राउत मान।
आमद घटै न राय की, ऐसे करै प्रधान॥国民が皆幸せで、強者を抑え付け
国家の収入が減らない、そんな統治を王はすべきだ
善政とはどういうものかを短くまとめたこの詩からも、政府批判が込められた映画であることが分かる。
また、題名にはあまり意味がない。劇中には羊も山羊も幽霊も出て来ない。ただ、落書きの中に以下のような戯れ歌が見られた。
भेड़ बकरी भूत
सबकी माँ की चूत羊、山羊、幽霊
皆の母ちゃんのおま○こ
ナンセンスな単語の羅列と卑猥な言葉で見る者を罵倒する詩であり、いかにも便所の落書きにありそうなものだ。題名はここから取られている。
使われている言葉はヒンディー語が中心だが、罵詈雑言や卑語を含むスラングのオンパレードであり、標準的なヒンディー語の語学力では太刀打ちできないだろう。
「Bhed Bakri Bhoot」は、端的にいってしまえば便所が主人公という変わり種の短編映画だ。だが、便所だからこそさまざまなドラマの生き証人になっており、それらは壁の落書きの形で「集合知」のように積み重なっていく。こんなヘンテコな構成の映画ながら、婉曲的に現政権批判的なメッセージもしのばせられているように感じられ、監督の類い稀な才能を感じる。是非、長編映画にも挑戦してほしい。
