Main Prem Ki Diwani Hoon

3.0
Main Prem Ki Diwani Hoon
「Main Prem Ki Diwani Hoon」

 2003年6月27日に封切られ、是非観てみたいと思っていたヒンディー語映画「Main Prem Ki Diwani Hoon」が、うれしいことにまだ上映されていた。最近低迷しているヒンディー語映画の中で1ヶ月続く映画はあまりない。けっこうヒットしているようだ。入れ替わってしまわない内に今日観に行くことにした。チャーナキャー・シネマで観た。

 「Main Prem Ki Diwani Hoon」とは「私は恋の虜」という意味。「Prem」とは「愛、恋」という意味の他に登場人物の名前がかけてあり、「私はプレームの虜」と読むこともできる。監督はスーラジ・バルジャーティヤー。リティク・ローシャン、カリーナー・カプール、アビシェーク・バッチャン、映画カースト出身の三人が主演である。他にジョニー・リーヴァル、パンカジ・カプール、ヒマーニー・シヴプリーなど個性俳優が脇を固める。

 風光明媚の地スンダルナガルに住むサンジュナー(カリーナー・カプール)は女子大を卒業したてのイマドキの女の子。お見合い結婚なんて時代遅れ、女も自分の生きたいように生きるのよ、と考えていた。しかし母親(ヒマーニー・シヴプリー)はサンジュナーのいい結婚相手を見つけようと焦っていた。

 そんなときアメリカに住むサンジュナーの姉ルーパーから連絡が入る。なんと大物実業家のプレーム・クマールがスンダルナガルを訪れると言うのだ。プレームは結婚相手を探しており、サンジュナーの写真を見て気に入ったと言う。そこでルーパーはプレームをスンダルナガルの自宅へ滞在するようアレンジしたのだった。思いがけないところからいい縁が転がり込んだ両親は喜び、プレームを迎えるための準備にオオワラワとなる。しかし面白くないのは当の本人のサンジュナーだ。サンジュナーはプレームを追い返すために案を練る。

 空港に現れたプレーム(リティク・ローシャン)は陽気でスポーティーな男だった。サンジュナーはプレームに意地悪をするのだが、プレームは飄々とした性格でどうもうまくいかない。その内にサンジュナーはプレームの前で自然と笑顔を見せている自分に気付くのだった。サンジュナーはプレームに恋をしていた。両親もプレームのことを非常に気に入っていた。

 ところがルーパーから意外なメールが届く。なんとプレームは急用ができてインドではなく日本に行っていたと言うのだ。では、今家に泊まっている男は何者なのか?調べた結果、その男はプレーム・キシャン。プレーム・クマールの会社の会社員で、プレームの代わりにインドに来ていたのだった。だが、既にサンジュナーとプレーム・キシャンは相思相愛になっていた。父親はプレーム・キシャンでもいいじゃないか、と言うが、金にこだわる母親は、何としてでも娘をプレーム・クマールと結婚させることを決める。

 やがて本物のプレーム(アビシェーク・バッチャン)がスンダルナガルにやって来た。プレーム・クマールはプレーム・キシャンとは対照的な物静かで知的な男だった。元からサンジュナーの写真を見て見初めていたプレーム・クマールは、実際にサンジュナーに会って本格的に恋をしてしまう。プレーム・クマールの母親も一緒に来ていたため、縁談はとんとん拍子に進む。しかしサンジュナーはプレーム・キシャンのことを愛しており、父親もサンジュナーの気持ちを尊重したいと思っていた。一方、プレーム・キシャンは自分のボスがサンジュナーに恋をしていることを知って身を引く決意をし、一人デリーへと去ってしまった。

 プレーム・クマールとサンジュナーの婚約式が執り行われていた。サンジュナーはプレーム・キシャンをずっと待ち続けたが彼は現れなかった。失意の中、式は進んでいく。ずっと会場の出入り口を見つめ続けるサンジュナー。そして指輪交換が終わった瞬間、プレーム・キシャンは会場に現れる。サンジュナーは彼に抱きつく。

 全てを理解したプレーム・クマールは、プレーム・キシャンにサンジュナーを譲る。こうしてプレーム・キシャンとサンジュナーはめでたく結婚することになった。

 日本の時代劇には一定のパターンがあるが、インド映画にも一定のパターンが存在する。この映画はまさにその黄金パターンそのものだった。愛する二人の男女、しかし親の決めた結婚により二人は引き裂かれる。しかし結婚式の土壇場で愛する二人は結ばれる、という何度も何度もインド映画で使い古されたプロットである。しかし批判する気は毛頭ない。この男女の愛と家族の愛の葛藤こそがインド映画の永遠のテーマなのだ。インド映画にこの黄金パターンが見られなくなったら僕は声高らかに叫ぼうと思っている。「インド映画は死んだ」と。

 このパターンのインド映画では、最後の結婚式のシーンでどうどんでん返しが巻き起こるかを楽しむのが通の見方だが、この映画ではちょっとパンチ不足だった。プレーム・キシャンの左腕に彫られた「サンジュナー」というタトゥーをプレーム・クマールが見て、彼の本当の気持ちを知る、というものだった。これがもっとひねってあったら、いい映画だと言うことができるのだが。

 この映画で工夫が見られたのは二人のプレームが登場して、勘違いから事がこんがらがることだ。とはいえこういう筋もインド映画では割と一般的ではあるのだが、この2人のプレームを対比させて「結婚は金じゃない」という主題を浮き彫りにしていたのは特徴だと言うことができるだろう。

 カリーナー・カプールはいつも通り俗に言う「シェヘリー・ラルキー(都会の女の子)」役である。派手好きで、わがままで、西洋化された思考を持ち、男に挑戦的な女の子だ。彼女がもっとも得意とする役であり、ほとんど地でやってると思うので、さすがに非の打ち所がないほど板に付いている。物語が進むにつれてお転婆度が下がっていき、中盤からは悲恋のヒロインに様変わりするのもいつものパターンである。映画中に出てくる、リバー・ラフティング、乗馬、バンジー・ジャンプ、シュノーケルなどいろんなスポーツに対しての体当たりの挑戦や、コミカルな2枚目半の演技は、現在のところカリーナーをおいて他に真似できる女優はいないだろう。僕は彼女は大女優になっていくと思っている。

 リティク・ローシャンもかつてのサルマーン・カーンが得意だったような、リッチでマッチョなお調子者役が定番となっている。無意味に上半身むき出しにして筋肉を見せびらかすのも同じだ。でも踊りが天才的にうまいので、サルマーン・カーンを越えることはたやすいと思う。リティクの右手の親指が2本あるのはインド映画ファンの間では常識だが、彼の映画を観ているとどうもずっとその親指が気になって映画に集中できないことがある。一時期に比べてあまりその親指を隠さないようになってきた。

 相変わらずヒット作に恵まれないスモールBことアビシェーク・バッチャンは、だんだん昔のアジャイ・デーヴガンのような、無口で不器用な男役オンリーになって来た。今回はダンス・シーンもほとんどなし。俳優として崖っぷちに立たされているのではなかろうか。顔はアミターブ・バッチャンにますます似てきたように感じる。

 この映画にはあまり悪役らしき人物は登場しなかったのだが、唯一サンジュナーの母親役のヒマーニー・シヴプリーが憎まれ役だった。娘を何としてでも金持ちと結婚させようと躍起になり、プレーム・キシャンに意地悪する姿は醜い。でも彼女がいなかったらこの映画のストーリーは成立しなかったため、重要な役柄だった。いい演技をしていたと思う。

 人間の他、この映画ではオウムと犬がサブキャラとして登場した。犬などの動物を隠し味として使うのは、最近のインド映画の流行である。おかげで現在デリーでは上流階級の家でペットが大流行中である。犬のジョニーは怒ると顔がアニメになるという変わった演出。オウムのラージャーはインド映画のタイトルで会話をするCGキャラだった。映画のウェブサイトでラージャー君のデスクトップ・マスコットをダウンロードすることができるのは調子に乗りすぎだと思った。確かにペットがいると映画全体に多少ぬくもりが出ていい。頼りすぎるのはよくないが。

 音楽はアヌ・マリク。「Main Prem Ki Diwani Hoon」のCDはけっこう売れているみたいだ。僕はまだ買っていないが、買ってもいいかな、と思うぐらいのレベルだった。テレビなどでよく流れていた「Sanjana I Love You」という曲は結局映画中では使われていなかった。歌詞が安易過ぎてあまり好きではなかったので、賢明な判断だと思った。CDに入っているのに映画では使われなかった曲、プロモに使われただけの幻の曲というのもインド映画ではよくあるのだ。