
「Sadgati」は、「物語の帝王」と呼ばれたヒンディー語作家プレームチャンドの同名短編小説(1930年)を原作とした52分ほどのテレビ映画である。国営放送ドゥールダルシャンで放映された。基本的にベンガル語で映画を撮り続けたサティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)が、生涯にたった2本だけ監督したヒンディー語映画の内のひとつである。もう一本は「Shatranj Ke Khilari」(1977年/邦題:チェスをする人)だ。認証は1981年12月30日だが、初放映は翌年以降の可能性が高い。テレビ放映のみならず、ヴェネツィア国際映画祭などでも上映されたことがある。日本では、サティヤジト・ラーイ人気に乗っかる形で、1985年8月17日に「遠い道」という邦題と共に公開された。
題名「Sadgati」の意味は複数あり、ピッタリとした訳を当てはめるのは難しい。「遠い道」という邦題は映画の主題を曖昧にしかねないように感じる。それよりは「正しい道」や「済度の道」の方が近い。英題は「Deliverance」になっており、「解脱」と訳してもいいだろう。
キャストは、オーム・プリー、スミター・パーティル、モーハン・アーガーシェー、ギーター・スィッダールト、バイヤーラール・ヘーダーオ、リチャー・ミシュラーなどである。
チャマール(不可触民)のドゥキー(オーム・プリー)は、娘ダニヤー(リチャー・ミシュラー)の婚約式の日取りを決めるため、パンディト(モーハン・アーガーシェー)を家に呼ぼうとした。妻のジュリヤー(スミター・パーティル)が葉を使って皿や席などを用意している間、ドゥキーはパンディトの家を訪れた。
パンディトは祭祀で忙しかったが、ドゥキーの願いを聞き、とりあえず彼に仕事をさせる。ドゥキーはパンディトに言われるがままに掃除をしたり物を運んだりした。ドゥキーは病み上がりで、朝から何も食べていなかったが、ダニヤーのために頑張った。
パンディトはドゥキーに大きな幹の薪割りを命じた。ドゥキーは薪割りに長けていなかったが、斧を借りて幹を割ろうとする。だが、幹は大きく、固く、なかなか刃が入って行かなかった。途中でドゥキーは、近くにいたゴーンド(バイヤーラール・ヘーダーオ)から煙管を借りる。火がなかったため、ドゥキーはパンディトの家に行って奥さん(ギーター・スィッダールト)から火をもらう。
一服したドゥキーは再び薪割りを始めるが、それでもなかなか割れなかった。とうとう疲れて寝てしまう。一方、昼食と昼寝を終えたパンディトは目を覚まし、ドゥキーの様子を見に行く。ドゥキーが居眠りしているのを見て一喝し、再び薪割りに取りかからせる。
ドゥキーは全身の力を込めて薪割りを始めるが、疲れ果てており、とうとう倒れてしまう。パンディトは妻に相談するが、何ともならなかった。それを見ていたゴーンドはチャマールの集落へ行って事の顛末を話し、パンディトに協力しないように言う。後からパンディトがやって来てドゥキーの死を知らせ、遺体を引き取るように言うが、誰も協力しなかった。ジュリヤーとダニヤーはドゥキーの訃報を聞いて泣きわめく。
翌朝、パンディトはドゥキーの足に縄を縛り付けて引っ張り、ゴミ捨て場に遺体を捨てる。
プレームチャンドの小説はインド社会の現実を赤裸々に描き出す。「Sadgati」では、農村部におけるカースト制度の実態が提示されている。登場するカーストは、司祭・僧侶階級であるブラーフマン(バラモン)と、不可触民であるチャマールだ。当然、ブラーフマンは最上位カーストであり、チャマールは最底辺カーストとなる。「Sadgati」の村では、ブラーフマンの居住区とチャマールの集落が分かれていた。本来ならチャマールはブラーフマンの視界の中に入ることすら許されない存在であったが、チャマールは冠婚葬祭の際にブラーフマンを必要としており、ブラーフマンもそれを受け入れていたようである。
物語の発端は、チャマールのドゥキーが娘の婚約式の日取りをブラーフマンのパンディトに決めてもらおうとしたことだ。どの親が娘の婚約式を吉日にしたくないと思うだろうか。そして吉日を言い当てられるのはパンディトしかなかった。パンディトの神聖な生活を汚すことは申し訳なかったが、ドゥキーは思い切ってパンディトに会いに行くことにする。だが、手ぶらでは行けないので、飼料を刈って持って行ったのだった。
ドゥキーから用件を聞かされたパンディトは気が乗らず「忙しい」と答えるが、家にはいくつか力の要る仕事があり、ちょうどいいと思ってドゥキーにそれらをやらせる。目下の者に何かと理由を付けて雑用をさせるのはインド社会の慣行である。パンディトは何の疑問もなくドゥキーに仕事をさせ、ドゥキーも何の疑問もなくパンディトから仰せつかった仕事をこなす。
だが、ドゥキーは病み上がりであり、しかも朝から何も食べていなかった。炎天下、慣れない薪割りの仕事を長時間したため、とうとうドゥキーは倒れて死んでしまう。
原作となったプレームチャンドの短編小説「Sadgati」も、サティヤジート・ラーイ監督のテレビ映画「Sadgati」も、このドゥキーの死を「解脱」と呼んでいる。だが、その意味合いは原作と映画の間で違いが見受けられる。
まず、原作ではドゥキーが死によって得た物はより明確に文章化されている。パンディトがドゥキーの遺体を遠くへ運び去った後、小説は以下の2文によって締められている。
उधर दुखी की लाश को खेत में गीदड़ और गिद्ध, कुत्ते और कौए नोच रहे थे। यही जीवन-पर्यंत की भक्ति, सेवा और निष्ठा का पुरस्कार था।
一方、ドゥキーの遺体を畑の中でジャッカルやハゲワシ、犬やカラスが貪り食っていた。これこそが、彼の一生にわたる献身、奉仕、そして忠誠に対する報いであった。
プレームチャンドは、下位カーストによる上位カーストに対する奉仕は何の果報もないことをはっきりと提示しており、人々を啓発しようとしている。いいかえれば、ドゥキーの死は無駄死にであった。
だが、ラーイ監督の「Sadgati」では、当時インドの映画界で盛り上がっていたパラレル映画運動と共通する特徴なのだが、虐げられた者による反逆の兆しが強く感じられる。パンディトもチャマールも伝統的な封建制社会の中で暮らし、この上下関係を自然のものと考えて生きていたが、ドゥキーの死をきっかけに、そこに波紋が投げ掛けられた。その変化の媒介者となっていたのがゴーンド族の老人である。彼はドゥキーに煙管を貸し、彼の死を目撃し、そして訃報をチャマールの村に伝えるメッセンジャーの役割を果たした。ゴーンド族は一般的にヒンドゥー教社会の外に生きている者であり、非人道的な社会通念に疑問を投げ掛けることができた。ゴーンド族の老人は、パンディトを家に呼ぶためにチャマールが彼の家でただ働きをする習慣はおかしいと感じ、その労働中に命を落としたのなら、その責任はパンディトにあると声を上げることができた。彼はチャマールの集落へ行き、遺体回収のボイコットを呼びかける。これはマハートマー・ガーンディーが提唱した不服従運動に通じるものがある。プレームチャンドはガーンディーの熱心な信奉者であった。原作でもこのシーンはあるのだが、ラーイ監督のテレビ映画では、村人たちがパンディトをにらみつける映像が映し出され、ボイコットよりもさらに一歩進んだ反乱の兆しを感じさせるものになっている。
また、テレビ映画では、オーム・プリー演じるドゥキーが肉体を持って労働の苦しさを表現しており、生々しさが強調されている。それと対比されているのがパンディトの暮らしだ。口では「忙しい」と言いながら、彼の実際の行動を見てみると大したことをしていない。祭礼をして、少し講釈を垂れ、食事を食べ、そして昼寝をするくらいだ。ドゥキーが炎天下行っている過酷な肉体労働とは比べるまでもない軽労働である。カースト制度による身分差は、肉体労働を下の身分の者にアウトソーシングすることで成立している。パンディトは全く肉体労働をしないことで自身の地位の高さを誇示しているのである。
だが、ドゥキーの死はそんな秩序にくさびを入れた。チャマールのボイコットによって、パンディトの家の前に横たわっている遺体を片づける者がいなくなってしまい、近所のブラーフマンたちは困ってしまった。苦情を受けたパンディトは仕方なく自らドゥキーの遺体を運び出すことになる。ただし、彼は相当気を遣っていた。ただでさえ不可触民の身体に触れたら穢れてしまうのだが、その遺体となれば穢れは何倍にもなる。縄を遺体の片足に縛り付け、それを引っ張って移動させた。ドゥキーは死にながらもパンディトに肉体労働をさせることができた。これは、カースト制度の崩壊に他ならなかった。ラーイ監督の「Sadgati」の中で、ドゥキーはちょっとした英雄か殉死者の扱いを受けている。決して無駄死にではない。
ラーイ監督の「Sadgati」に出演している俳優たちは、パラレル映画運動の中心人物ばかりだ。ドゥキー役のオーム・プリーは既に「Aakrosh」(1980年)で高く評価されていたし、ジュリヤー役のスミター・パーティルは彼より先に「Manthan」(1976年)や「Bhumika」(1977年)で時代の寵児になっていた。パンディト役のモーハン・アーガーシェーもパラレル映画の常連であった。
「Sadgati」は、プレームチャンドの短編小説を原作にしながらも、インドを代表する映画監督であるサティヤジト・ラーイが、パラレル映画運動の文脈の中で再解釈してテレビ映画化した作品だ。よって、原作との比較分析は実り多いものとなる。「Shatranj Ke Khilari」と並べてみるのも面白いだろう。テレビ映画ではあるが、ラーイ監督の名作のひとつとして記憶されるべきである。
