Aakrosh (1980)

3.5
Aakrosh
「Aakrosh」

 「Aakrosh(怒り)」は、パラレルシネマの旗手の一人、ゴーヴィンド・ニハーラーニー監督のデビュー作だ。「Ankur」(1974年)や「Manthan」(1976年)など、シャーム・ベーネーガル監督作品の撮影監督を務めた後、この「Aakrosh」で監督デビューした。1980年公開だが、その日付は不明である。

 キャストは、ナスィールッディーン・シャー、スミター・パーティル、アムリーシュ・プリー、オーム・プリー、モーハン・アーガーシェー、マヘーシュ・エールクンチュワール、ナーナー・パールスィーカル、アチユト・ポートダール、ディーパク・シルケー、バーギヤシュリー・コートニース、リーマー・ラーグー、アルヴィンド・デーシュパーンデーなどである。

 1978年12月24日の深夜、アーディワースィー(先住民)の女性ナーギー・ビークー(スミター・パーティル)が殺害され、彼女の夫ラハーニヤー(オーム・プリー)が逮捕された。駆け出しの弁護士バースカル・クルカルニー(ナスィールッディーン・シャー)は国選弁護人としてラハーニヤーの弁護をすることになる。検察官は、バースカルの師ドゥシャーネー(アムリーシュ・プリー)であった。

 ラハーニヤーは法廷で認否を口にすることもせず、バースカルが話し掛けても無言のままだった。バースカルは、ラーシュトラヒト紙のオフィスを訪ねて編集長のサーマントから情報を得ようとしたり、ラハーニヤーの住む村を訪ねて彼の父親(ナーナー・パールスィーカル)や妹(バーギヤシュリー・コートニース)と話そうとしたりするが何の手掛かりも得られなかった。ただ、彼は村で、極左運動家(マヘーシュ・エールクンチュワール)と出会う。

 ラハーニヤーの口を開くことができないまま公判が始まり、ドゥシャーネーはラハーニヤーの犯罪を立証する証人を喚問し始める。また、公判が始まってからバースカルの身辺では危険を感じる出来事が何度も起こるようになる。あるときには夜中に何者かにナイフで刺され、左腕を負傷した。バースカルは裁判長に対し警察官の護衛を要求し認められる。ただ、ドゥシャーネーの家にも脅迫の電話が掛かってきていた。

 ある晩、バースカルの家を極左活動家が訪ねてきて、事件の真相を明らかにする。彼の情報によれば、ナーギーは、政治家ボーンスレー(モーハン・アーガーシェー)、林業請負業者モーレー(アチユト・ポートダール)、医師ヴァサント・パーティル(アルヴィンド・デーシュパーンデー)などに輪姦され殺害されたという。パーティルは証人の一人であった。バースカルはパーティルに質問を浴びせかけ、彼がまともにナーギーの検死を行っていないことを証明しようとする。

 公判中にラハーニヤーの父親が亡くなる。葬儀に出席するため、ラハーニヤーは裁判長から保釈を認められる。葬儀中にラハーニヤーは急に叫びだし、斧で妹を殺害する。バースカルは、アーディワースィーたちが抑圧され搾取されていることを実感し、どんな脅迫に遭ってもラハーニヤーの弁護を続けることを決意する。

 舞台は、ロケ地などから判断するに、マハーラーシュトラ州沿岸部コーンカン地方だと思われる。妻殺害の容疑で逮捕されたラハーニヤーの一家はインド社会の最底辺に位置づけられるアーディワースィー(先住民)だ。「ビークー」という氏姓であるが、これは「乞食」という意味であり、最底辺のコミュニティーであることは明確に指しているものの、特定のコミュニティーに紐付けられた氏姓ではない。また、この映画の題材になっている事件は実際にマハーラーシュトラ州ビワンディーで起きたものだとされている。そうなるとコーンカン地方とは異なることになる。このような矛盾する事実から、この映画に登場するアーディワースィーを特定することは難しく、その意味もない。社会の権力構造の中で抑圧され搾取されたアーディワースィーの総体と考えた方がいいだろう。

 物語の開始から終了まで、ラハーニヤーはほとんどしゃべらない。妻殺害の認否もせず、国選弁護人バースカルの問いかけにも一切答えない。ただ目に激しい怒りを燃えあがらせているだけだ。バースカルは、弁護士になって初めて請け負った仕事ということもあって張り切って事件の真相を明らかにしようとするが、家族からも協力が得られず、手掛かりはほとんどなかった。所々にラハーニヤーの回想が差し挟まれるため、観客はその断片的な映像から何が起こったのかを推測するしかない。

 ほぼ八方塞がりで、しかもバースカルに対する脅迫や暴行が行われるようになり、閉塞感が漂う。だが、ある晩、ラハーニヤーの村でバースカルが出会った極左活動家が彼の家を訪ねてきて、ラハーニヤーの妻ナーギーの身に起こったことを報告する。どうも彼女は、雇い主の林業請負業者モーレーに目を付けられており、彼とその仲間たちから輪姦され殺害されたというのだ。そしてラハーニヤーにはその罪がなすりつけられていた。だが、その証拠はなかった。バースカルは裁判でラハーニヤーの無実を立証しようとするが、決め手に欠いていた。相変わらずラハーニヤーは口を割ろうとしなかった。

 そんなラハーニヤーが最後に大絶叫する。それは死んだ父の葬儀の場であった。ラハーニヤーは長男として喪主を務める義務を果たすため、裁判所から保釈の許可を得て、故郷の村に戻っていた。そこでラハーニヤーは静かに葬儀を済ませ、直後に急に絶叫しながら飛び出し、斧を奪い取って、妹に振り下ろしたのである。父亡き後、妹を守る者は誰もおらず、権力者によって妻と同じ目に遭うことは目に見えていた。妹が生きて苦しまないように、彼女のなけなしの名誉を守るために、彼女を自らの手で殺したと解釈すればいいだろう。ラハーニヤーの絶叫と彼女の極端な行動は、追いつめられた下層民の窮状を激しく描出している。

 ラハーニヤーの怒りはバースカルの良心も刺激し、彼は弁護士生命を賭けて彼の弁護をすることを決意する。彼は師でもある検察官ドゥシャーネーの前で啖呵を切って部屋を出て行き、そこで映画はプツリと終わる。多少尻切れトンボな印象を受けたが、これから本当の戦いが始まることが示唆されており、観客にそれが託されているといえる。

 映画の構造を複雑にしていたのはドゥシャーネーの存在である。彼はアーディワースィー出身の弁護士だった。「Aakrosh」で焦点が当てられていたのはアーディワースィーに対する搾取構造だが、全てのアーディワースィーが最底辺の生活を送っているわけではなかった。中にはドゥシャーネーのように現行の社会システムの中で教育を受け、弁護士資格を取り、社会的な地位を得ている者もいた。ただ、今回のケースでは皮肉にもドゥシャーネーはアーディワースィーの容疑者を有罪にする役割を担っていた。また、ドゥシャーネーはナーギーを殺害した権力者たちとごく近しい関係にあったことも無視できない。ドゥシャーネーは何者かから脅迫を受けていたが、アーディワースィーでありながらアーディワースィーを救おうとしないことに対する脅迫だったと考えていいだろう。

 社会の腐敗が浮き彫りにされた「Aakrosh」の中で、バースカルが出会う極左活動家は好意的に描かれていたといっていい。彼はアーディワースィーの村々を巡り、団結を呼びかけていた。彼はつまりはナクサライトである。彼がいなければバースカルは事件の真相までたどり着けなかった。だが、だからといってバースカルが極左の思想に染まったというわけではなかった。彼はあくまで弁護士としてアーディワースィー救済に尽力しようと決意したのである。

 ラハーニヤー役のオーム・プリーはほとんどしゃべらなかったが、その溜めがあったからこそ、彼が最後で見せた絶叫が映画史に残るインパクトを残すことになった。絶叫までの、言葉に頼らない演技ももちろん素晴らしかった。ラハーニヤーの妻ナーギー役を演じたスミター・パーティルについてはほとんど出番がなかった。しゃべらないオームとほとんど出番のないスミターがいる一方で、バースカル役のナスィールッディーン・シャーはあちこちに動き回り、物語を前に進める原動力になっていた。アムリーシュ・プリーの威厳ある演技にも注目したい。

 「Aakrosh」は、抑圧され搾取されたアーディワースィーの声を絶叫にして提示したパラレルシネマ運動の代表作のひとつだ。尻切れトンボな印象を受けたが、絶叫のインパクトは映画史に名を残すほどである。オーム・プリーやナスィールッディーン・シャーの対照的な演技にもゾクゾクするものがある。観て損はない映画だ。