
2012年のデリー集団強姦事件をきっかけに、インドは世界から「レイプ大国」の貼られてしまった。女性の安全問題は国を挙げて取り組むべき喫緊の課題となり、ヒンディー語映画界でもレイプを題材にしたさまざまな映画が作られるようになった。映画が「娯楽の王様」として君臨し続けるインドでは、映画が社会を変える例がしばしば観察されるのだが、残念ながらレイプ問題は完全に解決されてはおらず、今でも女性に対する暴行事件が起き続けている。
2026年2月20日公開の「Assi(80)」は、またひとつヒンディー語映画界が送り出すレイプを主題とした映画である。監督は、宗教問題を扱った「Mulk」(2018年)、カースト差別問題を扱った「Article 15」(2019年)、男尊女卑問題を扱った「Thappad」(2020年)など、硬派な社会派映画で知られるアヌバヴ・スィナー。主演はフェミニスト活動家的なポリシーある作品選びをする女優タープスィー・パンヌー。
他に、カニ・クスルティ、レーヴァティー、マノージ・パーワー、クムド・ミシュラー、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、サティヤジト・シャルマー、ジャティン・ゴースワーミーなどが出演している。また、ナスィールッディーン・シャー、スィーマー・パーワー、スプリヤー・パータクが特別出演している。多くが高い演技力で知られる実力派俳優たちだ。
題名の「80」とは、インドで1日に起きている強姦事件の数である。また、映画中では20分ごとに20分経ったことを示すテロップが入る。これは、20分ごとに1件の強姦事件が起きていることを示している。
舞台はデリー。ヴィナイ(ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ)の妻パリマー(カニ・クスルティ)は学校の教師をしていた。夜に職場の送別会があり、帰りにメトロ駅を出て夜道を歩いていたところ、自動車に乗った5人組の若い男性に拉致され、自動車の中でレイプされ、線路に捨てられた。幸いパリマーは息がある内に発見され病院に搬送される。ヴィナイは息子のドゥルヴと共に病院を訪れ、妻を見舞う。
5人の容疑者の内、まずは4人が逮捕される。パリマーの友人で弁護士のラーヴィー(タープスィー・パンヌー)は検事として容疑者たちを有罪にしパリマーに正義をもたらそうとする。だが、容疑者の一人ニッカーの父親ディープラージ(マノージ・パーワー)は裕福な実業家であり、大金をばらまいて証拠隠滅や偽のアリバイ作りに奔走する。パリマーの体内から見つかった精液のDNAと容疑者のDNAが合致せず、肝心な監視カメラの映像も「猿がいたずらした」という理由で消去された。裁判官のヴァスダー(レーヴァティー)は容疑者たちに保釈を認める。パリマーは退院するが、トラウマは簡単には消えなかった。
ところで、ヴィナイが働くスーパーの同僚カールティク(クムド・ミシュラー)は、ラーヴィーの知り合いでもあった。カーヴェーリーは交通事故で重傷を負い、カールティクの帰りを待ちわびながら、ラーヴィーに看取られて死んでいった。カールティクは妻を失ったトラウマから回復できていなかった。カールティクは、パリマーの誘拐強姦事件にも深くショックを受ける。
釈放された容疑者の内の2人が何者かに殺された。傘を差した人物によって殺されたため、メディアは彼を「チャトリーマン(傘男)」と呼んだ。ラーヴィーは、カールティクのボスであるバス(ナスィールッディーン・シャー)と会い、チャトリーマンの正体がカールティクであることを知らされる。ラーヴィーはカールティクに詰め寄るが、彼は多くを語らなかった。
ラーヴィーは、行方不明になっている容疑者サミールの家族と面会し、彼の居場所を突き止める。ラーヴィーと親交のある警察官サンジャイ巡査(ジャティン・ゴースワーミー)はサミールを逮捕する。サミールの娘は、容疑者たちの弁護士ナヴラタン(サティヤジト・シャルマー)からの問い掛けに対し、父親が過去に母親をレイプしたと証言する。他にもラーヴィーは断片的な証拠を積み重ねてナヴラタンの理論を論破する。ヴァスダーは、生き残った3人の容疑者に対し有罪を宣告した。
一方、カールティクは警察に自首した。カールティクは裁判所から警察拘留を許可される。だが、裁判所を出た途端、ディープラージから撃たれて倒れる。首から血を流したカールティクは救急車で運ばれる。
2010年代に作られたレイプ主題の映画には、レイプ被害者本人またはその母親などの親族がレイプ犯に復讐するという筋書きのものが多かった。レイプ犯を即刻死刑にすべしという世間の声が強く、その怒りをフィクションの世界で映像化して見せて溜飲を下げるのを目的としたような作品群だった。
アヌバヴ・スィナー監督の「Assi」は、そこからさらに何歩も進み、問題の根本まで明らかにしようとした意欲作である。レイプを単なる犯人と被害者の間に起きた事件ではなく、社会システムのゆがみの現れだと位置づけ、我々にどうすればいいのかを真剣に問うている。レイプ犯を殺したり死刑にしたりしても、一時的に快楽は得られるかもしれないが、問題は根本的には解決していない。レイプ事件が起き、報道され、レイプ撲滅を訴えるシュプレヒコールが挙げられる。事件にもとづいた映画も作られる。だが、何も変わっていない。子供までもがレイプをジョークにしている。この病巣はどこから来て、どう根絶していけばいいのか。「Assi」はその解決まで提示して見せているわけではない。だが、レイプ犯に引導を渡して一件落着とする楽観的な姿勢は痛烈に批判している。この映画を観ても闇しか見えない。光明はない。それでも、闇が闇であるとはっきり示されただけでも意義のある作品だ。
視点という観点でも特異だ。もちろん、レイプに遭った被害者やその家族の視点は描かれる。そしてレイプ加害者やその家族の視点も描かれる。だが、その描かれ方は一面的ではない。被害者がお決まりのトラウマに悩まされ、ひたすら同情を集めて終わるわけでもなく、加害者が根っからの悪人扱いされ、最後に退治されて終わるわけでもない。非常に重層的である。たとえば、被害に遭ったパリマーは教師である。レイプに遭い、回復して退院した後、職場に復帰しようとしたところ、自分の教えた子供たちがレイプ事件についてジョークを飛ばしているのを知って、自分もこの病んだ社会を作り出した一員だったと気付く。今回の事件では彼女は被害者かもしれないが、教師という立場でありながら加害者予備軍が作られるのを止められていない点では彼女も加害者に含まれるのかもしれなかった。
注目されるのは、レイプを題材にした映画としては異例の、子供の視点が入り込んでいることだ。ヴィナイとパリマーの息子ドゥルヴはまだ5歳前後の小さな子供だったが、レイプ被害にあった母親や、容疑者たちの姿をジッと見つめる。その視線からは不安しか感じなかった。この純粋無垢な子供にどのような将来が待っているのだろうか。そして、公判の最後でパリマーの教え子たちが裁判所にやって来て、やり取りを観察する。そう、こうして20分に1回レイプ事件が起きている社会は、子供たちからもジッと見られているのである。彼らにはまだ何も分からないと思ってはならない。彼らもよく理解しているのだ。そして大人には、女性への暴行があってはならないことだと教える義務がある。レイプ犯を必死に無罪にしようと躍起になる大人たちは未来の社会を破壊している。
インドの行政や司法の欠陥も赤裸々に描き出されていた。レイプ犯たちの親には、事件の隠蔽をするだけの影響力を持っていた。彼らの犯行を証明すべき証拠が不可解な形で隠滅・隠蔽され、代わりに彼らの無実を証明するような証拠が捏造されていく。それには警察も加担していた。パリマーの事件は起訴されたが、それだけでも幸運な方だった。パリマーがレイプされた日、80件の強姦事件が起きたが、その内の76件は起訴さえされなかった。
かといって、司法に頼らず私刑に走るのも何の解決にもならない。復讐を体現していたのがカールティクだ。おそらく彼は外国でバスと呼ばれるボスの下、殺し屋をしていた。インドに戻ってきた後、堅気の道を歩んでいたが、妻の死に目に合えなかったトラウマが彼をさいなんでいた。カールティクは、パリマーをレイプした犯人たちを次々に血祭りに上げることで鬱憤を晴らそうとした。その行為はネットからは英雄視された。だが、ラーヴィーは復讐は何の解決にもならないと彼を諭す。パリマーをレイプした犯人たちを皆殺しにしたとしても、この世からレイプはなくならないのだ。カールティクは自首するが、彼も復讐のターゲットになり、血まみれになって倒れるハメになる。
多くの登場人物を効果的に配置し、レイプがなかなか根絶されないインド社会をむしばんでいる深刻な病理の本質まで迫ろうとする構成力にはうならされた。それに加えて俳優たちの演技力も素晴らしかった。筆頭はタープスィー・パンヌーだ。弁護士として、一人の女性として、女性が夜中に安心して出歩けない社会を作ってしまったのは誰なのかと涙ながらに訴える姿は彼女の演技の最高峰だ。「All We Imagine As Light」(2024年/邦題:私たちが光と想うすべて)のカニ・クスルティは、レイプ被害者という難しい役柄を、意外性のある落ち着きと共に演じ切った。タープスィーと対をなす名演技であった。
クムド・ミシュラー、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、マノージ・パーワーなど、男性陣も良かったが、最終的には女性の映画であった。
「Assi」は、インド社会の闇を硬派に描出し続けてきているアヌバヴ・スィナー監督がレイプ問題の本質に迫ろうとした意欲作である。これまでレイプを題材にしていくつもの映画が作られてきたが、インド社会の理解はそれらより数段上だと感じる。レイプ問題を、性を越えて、より広い視野で捉えようとする姿勢にはもしかしたら賛否があるかもしれないが、今のところレイプ映画の最高傑作だと評価できる。A認証(18歳未満閲覧禁止)ということもあってか興行的には伸び悩んだが、OTTプラットフォームを通じて、より多くの観客に届くことを祈る。
