Awaara

5.0
Awaara
「Awaara」

 1951年12月14日公開の「Awaara(放浪者)」は、インド映画史上最高傑作に数えられることも多いラージ・カプール製作・監督・主演のドラマ映画である。題名は「Awara」と綴られることも多いが、実際には「Awāra」となっており、どちらでもよい。本ブログでは「Awaara」としている。映画が公開されたのはインドが独立を果たして間もない頃だったが、この映画の人気はインド国内のみならず世界中に広がり、ソビエト連邦や中国、それに中東やアフリカ諸国などで大ヒットして、インド映画の国際的な普及に貢献した。1953年のカンヌ映画祭で最高賞にノミネートされる快挙も果たしたが、受賞は逃している。

 音楽はシャンカル=ジャイキシャン、作詞はシャイレーンドラとハスラト・ジャイプリー。

 ラージ・カプールの相手役はナルギス。1950年代から60年代の大女優だ。また、ラージの父親でベテラン俳優のプリトヴィーラージ・カプールも重要な役で出演している。さらに、ラージの祖父ディーワーン・バシェーシュワルナート・スィン・カプールも端役で出演している。とはいえ、彼が俳優として出演したのは本作のみである。現在のランビール・カプールなどまで連なる名門映画一家であるカプール家は、バシェーシュワルナートではなくプリトヴィーラージから始まると考えていい。そして、ラージの弟シャシ・カプールが子役で出演している。つまり、カプール家3代がそろい踏みの映画だ。

 他に、リーラー・チトニス、KNスィン、クックー、BMヴャースなどが出演している。

 ジャガー(KNスィン)は、盗賊の祖父と父を持つが、自身は盗賊ではなかった。だが、ラクナウー在住の裁判官ラグナート(プリトヴィーラージ・カプール)は「高貴な人間の子は高貴に生まれ、盗賊の子は盗賊に生まれる」という信念を持っており、ジャッガーに有罪判決を下した。それを恨みに持っていたジャッガーは、ラグナートの妻リーラー(リーラー・チトニス)を誘拐する。だが、ジャッガーはリーラーが妊娠しているのを知ると、彼女を解放する。

 ジャッガーの元に4日間留め置かれ解放されたリーラーの妊娠は世間の噂になった。ラグナートはリーラーをかばい続けたが、とうとう世間の悪評に耐えかね、リーラーを家から追い出す。リーラーは道端で男児を出産し、その子と共にボンベイに移住した。リーラーは子供にラージと名付けたが、父親のことは伏せていた。彼女はスラム街に住みながらも、子供を弁護士に育て上げようと教育に力を注いだ。学校でラージは、弁護士ドゥベー(BMヴャース)の娘リターと仲良くなる。ヴャースはラグナートの友人であり、リターの誕生日パーティーでラージはラグナートと出会うが、もちろん親子関係は分からなかった。

 ラージは靴磨きをして生計を立てながら学校に通おうとするが、学費を払いきれず退学を余儀なくされる。リターもいつの間にか転校させられていた。家では金が底を突き、リーラーは飢えていた。そこへジャッガーが現れる。ラージはジャッガーにそそのかされ、泥棒をして母親の飢えを満たそうとするが捕まり、少年院に入れられてしまう。

 それから12年後、ラージ(ラージ・カプール)はジャッガーの下で泥棒をして生きており、何度も刑務所を往復していた。だが、泥棒稼業のおかげで羽振りは悪くなく、母親にいい暮らしをさせられていた。母親にはビジネスをしていると嘘を付いており、刑務所に入っている期間は出張だと言っていた。ラージは今でもリターの写真を家に飾り、彼女に一途な思いを寄せていた。

 あるとき、ラージはリターと偶然の再会を果たす。リターの父親は亡くなり、ボンベイに引っ越したラグナートの家に住んでいた。リターは弁護士になっていた。ラージは生業をはぐらかしながら、リターとの愛を育む。リターに嫌われないため、ラージは泥棒稼業から足を洗うことを決意し、工場で働き出す。だが、工場長に素性が知れるとあっけなく解雇されてしまう。

 ラージはリターから誕生日パーティーに招待される。ラージは彼女への贈り物を買うため、ジャッガーに借金を申し出るが、泥棒に戻ることを条件にされたため、願い下げる。それでも他の方法を思い付かなかったラージは、宝石店からネックレスを買って出て来る紳士からネックレスを盗んでしまう。ラージはそれをリターにプレゼントするが、実はその紳士はラグナートであった。この出来事により、リターはラージが泥棒であることを知ってしまう。

 それでもリターはラージとの関係を切ろうとはしなかった。リターはラージをラグナートと会わせる。ラグナートは、父親の名前も分からず、定職にも就いていないラージがリターと結婚できるはずがないと突っぱねる。一方、ジャッガーは銀行強盗をして警察から逃げる途中にリーラーの家に転がり込む。そしてリーラーを殺そうとするが、そこへやって来たラージはジャッガーを殺す。

 ラージは逮捕され、裁判所に引き立てられる。裁判官はラグナートであった。裁判所にはリーラーがやって来て、ラグナートを見て呼びかけようとするが、ラグナートの自動車にひかれて頭部などに重傷を負う。リーラーはラージに、ラグナートが父親であるという秘密を明かし、息を引き取る。ラージは、ラグナートが母親を殺したと早とちりし、復讐するため、脱走してラグナートの家にナイフを持って忍び込む。ラグナートはラージを返り討ちにして捕まえる。ラージにはジャッガー殺人の容疑に加えてラグナート殺人未遂の容疑も加わった。

 裁判所でリターはラージの弁護士に名乗り出る。そして、ラージがラグナートの息子であること、そして彼がたどった数奇の運命を語る。ラグナートはラージを息子だと認める。ラージには有罪判決が下るものの、情状酌量措置が取られ、3年の懲役刑となる。リターは彼に面会に行き、3年間待ち続けると誓う。

 果たして人間の人格を決定するのは「生まれ」なのか「育ち」なのか。裁判官ラグナートの息子として生まれながらスラム街で育つことになり、泥棒になったラージの半生を通してこの命題が考察される。ラージがそのような人生を歩むことになったきっかけを作ったのがジャッガーであった。いうなれば悪役であるが、彼も彼で運命の悪戯に翻弄された張本人だ。盗賊の祖父と父を持ちながら真っ当に生きていこうとした矢先、ラグナートの「盗賊の子は盗賊だ」という決め付けによって牢屋に放り込まれ、犯罪者として生きるしかなくなってしまった。ラグナートの犯したカルマ(業)を息子のラージが負うことになった展開にも注目したい。

 「Awaara」のストーリーには、驚くほど多くの社会問題や神話モチーフが織り込まれている。それほど本筋に影響はしないのだが、まず言及されるのが寡婦再婚問題である。ラグナートの妻リーラーは寡婦であったが、ラグナートは彼女を愛し、世間の反対を押し切って彼女と結婚した。ヒンドゥー教では寡婦は不吉なものと考えられており、伝統的にその再婚は認められてこなかった。本筋に注目するとどうしても頭の固い人間に思われがちなラグナートだが、彼も寡婦と結婚して社会規範に立ち向かった人間であった。

 さて、ラグナートによる一方的な判決によって本当に犯罪者になってしまったジャッガーが復讐の手段としてまず選んだのが、リーラー誘拐であった。だが、このときリーラーは妊娠していた。それを知ったジャッガーはあえて彼女を解放する。彼にはある計算があった。それは、リーラーの生む子供が世間からはラグナートの子供とは認められないだろうという非常に高度な計算であった。

 「ラーマーヤナ」では、羅刹王ラーヴァナに誘拐されたスィーター姫を、夫のラーマ王子が救出する過程が描かれる。最終的にラーマ王子はラーヴァナを打ち倒し、スィーター姫を救い出してアヨーディヤー王国に戻る。普通ならこれでめでたしめでたしとなるところだが、インド社会では誘拐され救出されたスィーター姫に対して冷酷な疑いの目が注がれることになる。ラーヴァナに誘拐されていた期間、純潔を奪われたのではないかという疑念である。それを晴らすため、スィーター姫は「アグニパリークシャー」と呼ばれる炎の試練を受けなければならなかった。その試練に合格し、スィーター姫は身籠もるが、やはりこのときも世間にその子の父親がラーヴァナではないかという噂が飛び交った。このときまでにラーマは王位に就いていたが、それでも国民の不評をはねのけることができず、とうとうスィーターを追放せざるをえなくなる。

 ラグナートも、寡婦と結婚するほど進歩的な人間であったが、リーラーが身籠もった子供の父親に対して世間に疑念の声が上がり、それが日に日に大きくなっていったことで、とうとうリーラーを家から追い出すという冷酷な決断をしてしまう。ジャッガーの計算通りであった。支えを失ったリーラーはスラム街でラージを育てることになる。

 リーラーは教育の重要さを理解しており、貧しくてもラージを学校に通わせた。夢は息子が将来、弁護士になり、行政長官になり、そして父親のように裁判官になることだった。だが、貧困はラージの前に大きな壁となって立ちはだかる。ラージは靴磨きをして生計や学費を稼ごうとするが無駄だった。学費を払いきれず退学となり、泥棒をして飢えをしのごうとして逮捕され、少年院に入れられる。ラージはジャッガーの薫陶を受けて泥棒になってしまう。これもジャッガーの思惑通りであった。

 ここまでの物語は、どんな高貴な血筋を引いていても、育った環境が悪ければ人はどこまでも堕落するという仮説を裏付ける筋書きになっている。それはつまり、その人の職業や人格を決めるのは血筋ではなく環境であるということだ。血筋による決め付けを代表するのはカースト制度である。「Awaara」は直接カースト制度に触れていなかったが、物語全体を見れば、生まれによってその人の職業や身分を決定してしまうカースト制度への批判が込められていることは明らかである。また、環境が変われば、どんな人でも立ち直れる。そのメッセージは、スラム街のような劣悪な環境をインドから一掃し、全ての子供たちに教育を行き渡らせることができれば、悪人はいなくなるという理想にもつながっている。映画の最後にラージが裁判所で独白する場面でもう一度このメッセージに立ち返り、社会環境の改善が訴えられる。

 ラージが泥棒になってしまった原因は、父親のラグナートが世間からの圧力に負けてリーラーを追い出してしまったことだ。ラグナートは大きな罪を犯したが、その罰を一身に受けることになったのは、リーラーを除けば、全く何の罪もないラージであった。父親の犯したカルマ(業)を息子があがなうというモチーフは、インド神話で何度も繰り返されており、インド人が好む主題である。「ラーマーヤナ」においてラーマ王子が森林追放刑になったのも、元を正せば父親がうっかりしてしまった約束に原因があった。「マハーバーラタ」で描かれるマハーバーラタ戦争も、シャーンタヌ王のカルマを息子のビーシュマが受け止めたことで起こったと解釈することも可能である。もちろん、全てを知ったラグナートは自らの過ちを悔いることになるのだが、彼自身はその精神的な打撃の他にそれほど被害を被らなかった。

 このような社会的なメッセージおよび神話モチーフがちりばめられた作品だが、映画としての面白さはそこになく、やはりラージとリターの関係にあるといっていい。泥棒になってしまったラージを善の道に引き戻したのは、幼い頃に育んだ愛情であり、その対象となっていたリターであった。12年ぶりにリターと再会したラージだったが、この12年の間に彼は何度も刑務所に入り、すっかり犯罪者になっていた。もちろん、そんなことをリターに話すわけにはいかない。彼は正体を隠しながら、リターとデートを重ねるようになる。だが、結婚を考えたとき、このまま泥棒を続けられない。そのとき初めて彼は真面目に働くことを思い付くのである。

 それでも、社会はひとたび犯罪の道に走った者に冷たかった。ラージは心を入れ替えて働こうとするのだが、素性がばれると解雇されてしまう。誰も泥棒を雇おうとはしなかった。おかげでまともな定職に就くことができないまま時間だけが無為に過ぎていく。リターへの愛を実現するために堅気の道に戻ろうとしたラージであったが、リターへの愛を形にするために金が必要になり、最終的には泥棒に戻ってしまう。これが致命的となり、リターに正体がばれてしまうのである。これは、自身のカルマを自身で受け止めたと考えられる。

 ラージがなかなか定職に就けずに苦労する場面は、犯罪を犯しても償いを済ませて立ち直ろうとしている人への温かい支援を求めるメッセージにも受け止められる。犯罪者が生まれる要因を血筋や各個人に求めるのではなく、社会に求める視線が「Awaara」には顕著である。

 威厳のあるプリトヴィーラージ・カプールや、チャーリー・チャップリンにも影響を受けた、変幻自在のラージ・カプールも良かったが、特に素晴らしかったのがナルギスだ。美しく、気品があり、それでいてチャーミングで、彼女がこの時代のトップスターに君臨したのもうなずける。彼女の名前はラージ・カプールよりも上にクレジットされているが、それだけ彼女の存在が重視されているということだろう。もちろん彼女の代表作としては「Mother India」(1957年)が筆頭なのだが、「Awaara」も十分にナルギスの魅力が詰まった作品だ。

 「Awaara」を優れた映画にしていたひとつの要素は歌と踊りである。ダンスはどちらかといえば上流階級の遊興を表現するために使われていたが、歌はあらゆる場面で効果的に挿入され、心情や状況をうまく代弁していた。もっとも有名な曲は、ラージが出所して街を歩く際に流れる「Awaara Hoon」で、軽快な音楽と共にラージの紹介がなされている。この曲は映画のヒットと共に世界中に響き渡り、今でも各国の年配映画ファンの脳裏にはこのメロディーがインド映画の代名詞として記憶されているという。

 ちなみに、裁判シーンで陪審員制度が採られていたことが気になった人もいるかもしれない。現在、インドでは陪審員制度は採られておらず、最近の法廷劇映画にも陪審員は登場しない。だが、実は英領時代からインドの裁判所では陪審員制度が導入されており、独立後もしばらくは残存していた。1959年のナーナーヴァティー事件を機に陪審員制度の信頼が揺らぎ、徐々に廃止の方向に動き出して、1973年には完全に廃止された。

 「Awaara」は、いくら語っても語り尽くすことのできない、インド映画が誇る不朽の名作である。社会風刺、新国家への理想、身分を超えた恋愛、父子の再会、カルマ、司法と心、さまざまな切り口から分析することができるし、何より物語が感動的だ。インド映画の道を志す者にとっては必修中の必修といっていい、絶対に外せない作品である。


Awara (1951) (HD) - Raj Kapoor, Nargis, Prithviraj Kapoor -Hindi Full Movie With Eng Subtitles