人口13億人のインドは世界最大の民主主義国であり、そこで実施される総選挙は年々規模を増し、世界記録を更新し続けている。あまりに有権者の数が多すぎるため、1日では投票は終了せず、1ヶ月以上に渡って地域ごと順番に投票が行われる。不正や障害など、様々な問題も孕んでいるのだが、選挙によってリーダーを決める文化はよく浸透しており、政権交代もスムーズに行われることが普通である。2017年9月22日に公開されたヒンディー語映画「Newton」は、そんな選挙の舞台裏を覗くことができる作品となっている。
監督はアミト・V・マスルカル。ほとんど無名の監督である。プロデューサーは「Masaan」(2015年)などのマニーシュ・ムンドラー。主演は、庶民的な役をやらせたら右に出る者はいないラージクマール・ラーオ。他に、パンカジ・トリパーティー、アンジャリー・パーティル、ラグビール・ヤーダヴなど、演技派が揃っている。
題名の「Newton」とは主人公の名前である。両親から名付けられた名前はヌータン・クマールだったが、これを自分でニュートン・クマールに変えたのだった。ラージクマール・ラーオが演じている。ニュートンはチャッティースガル州の新米役人で、来る選挙において、有権者が76人しかいない森林地帯の投票所の責任者となった。その地域はナクサライト(毛沢東主義者)の影響下にあり、中央武装警察隊(CRPF)の護衛を伴って、焼け落ちた村の校舎にブースを構える。CRPFの隊長が、パンカジ・トリパーティー演じるアートマー・スィンである。他に、ニュートンの下で働く役人ロークナートをラグビール・ヤーダヴが、ブース・レベル・オフィサー(BLO)のアーディワースィー(先住民族)女性教師マルコをアンジャリー・パーティルが演じる。
ニュートンは不正やいい加減な仕事が大嫌いな、バカ正直な人間であった。映画の中では「傲慢な正直さ」と表現されていた。ナクサライト地域の投票所であるし、有権者の数も多くなく、しかもナクサライトによって投票ボイコットが宣言されていた。投票率0の可能性も高く、しかも76人の有権者が選挙結果に大きく影響する訳でもない。わざわざ投票所まで行かなくてもいいと、アートマーは言う。だが、ニュートンは聞かず、ジャングルの中を歩いて投票所に向かう。ジャングルの中で村人に出合ったため、アートマーはここで彼らに投票させればいいと言う。だが、ニュートンは、投票所でちゃんとした手続きを踏まなければ投票させられないと言い張る。投票時間は午後3時までだったが、アートマーはそれより前に切り上げたかった。ニュートンは午後3時きっかりまで投票を続けようとする。
ニュートンもナクサライトも、主義によって動いている。ニュートンは投票所責任者として、ルールに従って投票をキチッと実施しようとし、ナクサライトは反政府の立場から選挙を妨害しようとする。表面上は、この両者が選挙という民主主義国最大の行事を巡ってぶつかり合うのだが、実際には、劇的な衝突はなく、映画は牧歌的とまで言えるほどのんびりと展開する。間に挟まれたCRPFや村人たちが可哀想になって来る。CRPFは、地域の事情をよく知っており、事なかれ主義で物事を進めようとする。村人からしたら、選挙も警察もナクサライトも迷惑な存在であり、放っておいて欲しいというところだ。ニュートンが投票所に連れ来られた村人たちに選挙について説明するシーンがあるが、村人たちは「投票して何の得があるのか」と素朴な問い掛けをする。確かに76人が投票したところで何も変わらない。だが、ニュートンにとっては、選挙を実施すること自体が仕事であり、そこから先のことはあまり考えていない。「傲慢な正直さ」が出てしまっていた。ニュートン、CRPF、村人たちの食い違いが、秀逸なブラック・コメディーとなっていた。
明示されてはいないが、冒頭のいくつかのシーンから、ニュートンは不可触民の出であることが暗示されている。だが、この映画は部族問題に触れてはいるのだが、カースト問題を取り上げた映画ではない。不可触民の主人公が不可触民であることを負い目に感じず、差別にも遭わない映画は、「Newton」が初めてかもしれない。そういう意味でも画期的な映画であった。
「Newton」は、ラージクマール・ラーオ主演の、「世界最大の民主主義国」インドの選挙の裏側を描いた、「何も起こらない」ことを楽しむブラック・コメディーである。2018年にはアカデミー賞外国語映画賞のインド公式エントリー作品にも選ばれたほど高い評価を得た作品だ。傑作である。