
1981年8月14日公開の「Silsila(連なり)」は、不倫を主題とした大人のロマンス映画である。
監督はヤシュ・チョープラー。アクション映画でキャリアを築き上げたチョープラー監督は、1970年代からロマンス映画も作るようになっており、やがてそれは彼のトレードマークになっていく。本作は「ロマンスの帝王」としての名声を獲得する過程で作られた重要な作品のひとつだ。音楽はシヴ=ハリ。作詞は複数の作詞家の手によるものだが、特筆すべきは脚本家ジャーヴェード・アクタルが初めて歌詞の作詞をしていることだ。
主要キャストは、アミターブ・バッチャン、ジャヤー・バッチャン、レーカー、そしてシャシ・カプール。1970年代にアミターブは「アングリーヤングマン」のキャラで大スターに上り詰めていた。ジャヤーは「Sholay」(1975年/邦題:炎)の撮影の頃にアミターブと結婚し、第一子のシュエーターを生んだ後は銀幕から遠ざかっていたが、「Silsila」では一時的にカムバックし、夫と共演した。非常に物議を醸したのがレーカーのキャスティングだ。当時、アミターブとレーカーのただならぬ関係がメディアを賑わせていた。つまり、メディアの報道を信じるならば、アミターブ、ジャヤー、レーカーは三角関係にあった。この三人を、映画の中で三角関係に配置したことで、非常に話題性のある映画になったのである。しかも、アミターブ演じるアミトが、ジャヤー演じるショーバーと結婚しながら、レーカーと不倫するという筋書きである。ゴシップを映画化したような作品だ。
他に、サンジーヴ・クマール、スダー・チョープラー、スシュマー・セート、クルブーシャン・カルバンダー、デーヴェーン・ヴァルマーなどが出演している。
2025年11月25日に鑑賞し、このレビューを書いている。
シェーカル・マロートラー(シャシ・カプール)はインド空軍の軍人で、カシュミール谷に駐屯していた。彼はショーバー(ジャヤー・バッチャン)と恋仲にあった。シェーカルにはデリーで劇作家として活躍する弟アミト(アミターブ・バッチャン)がいた。シェーカルは、アミトが相手を見つけ結婚を決めたら兄弟一緒に結婚式を挙げようと考えていた。アミトはデリーでチャーンドニー(レーカー)という女性と出会い、恋に落ちる。二人は将来を誓い合っていた。シェーカルとアミトの両親は既になかった。
戦争が勃発し、シェーカルは戦死してしまう。ショーバーの母親から、彼女がシェーカルの子を身籠もっていると知ったアミトは、義務感からショーバーとの結婚を決める。そしてチャーンドニーには絶縁の手紙を送る。アミトはショーバーと結婚し、デリーに住み始める。だが、二人は交通事故に遭う。アミトとショーバーは助かったものの、ショーバーのお腹の子供は死んでしまう。
彼らの手術を担当したのがVKアーナンド(サンジーヴ・クマール)だった。アーナンドはチャーンドニーの結婚相手であり、アミトはチャーンドニーと再会してしまう。アミトのチャーンドニーに対する恋心は燃え上がり、二人は密会を繰り返すようになる。ただ、ショーバーの従兄で警官のカルバンダー(クルブーシャン・カルバンダー)や、アミトの学友ヴィディヤールティー(デーヴェーン・ヴァルマー)はアミトとチャーンドニーが不倫していることを知ってしまうが、静観していた。
ホーリー祭の日、酔っ払ったアミトはチャーンドニーと踊り狂う。アーナンドとショーバーは、二人のただならぬ関係を知ってしまう。アミトはショーバーを捨ててチャーンドニーと逃避行しようとし、家を出る前にショーバーにチャーンドニーとの過去の関係や現在の状況を打ち明ける。ショーバーは彼の帰りを待ち続けることを誓う。
アミトとチャーンドニーはシムラーへ行く。そこで、アーナンドの乗った飛行機が墜落したとのニュースを知らされる。アミトとチャーンドニーはヘリコプターで墜落現場へ向かい、ショーバーもカルバンダーに連れられて現地に到着する。アミトは、燃えさかる飛行機の残骸の中からアーナンドを助け出す。また、ショーバーがアミトの子を身籠もっていることを知る。アミトはショーバーとこれからも暮らすことを決める。
インドのロマンス映画の基本は元鞘系である。一度結婚した夫婦は、離婚の危機を迎えようとも離婚せず、元の鞘に収まる。「Silsila」の筋書きはその典型だ。アミトはショーバーと結婚するが、昔の恋人であるチャーンドニーを忘れられず、彼女との再会を機に密会を繰り返すようになり、不倫関係になる。だが、最後にはショーバーの献身的かつ強固な愛情が勝り、アミトは妻の元に戻ってくる。
お互いに配偶者がありながら不倫をするアミトとチャーンドニーに対して、普通ならば観客から同情は投げ掛けられにくいが、「Silsila」では上手に彼らの関係を正当化できる材料を用意していた。本来ならば彼らは将来を誓い合った仲であった。だが、ショーバーの許嫁であり、アミトの兄でもあるシェーカルが突然戦死したことで、アミトは兄嫁となるべきだったショーバーをそのまま放っておけず、チャーンドニーを捨ててショーバーと結婚したのだった。ショーバーはシェーカルの子を身籠もってもいた。両親を相次いで亡くし、近親者はシェーカルのみだったアミトにとって、彼は兄以上の存在であり、彼が残していった女性と子供を引き受けるのは義務に近かった。彼の苦渋の決断を非難できる人はいないだろう。
だが、理性は必ずしも感情に勝てるわけではない。アミトの責任感は、チャーンドニーに対する愛情を完全に押さえ込むことができなかった。しかも、チャーンドニーが身籠もっていたシェーカルの子供は、不慮の事故によって死んでしまい、アミトの感じていた責任感が幾分軽くもなっていた。チャーンドニーと再会したアミトは、感情の赴くままに彼女との密会を繰り返すようになり、やがて身体関係にもなる。このときチャーンドニーにもアーナンドという夫がいた。完全なる不倫であった。
アミトとチャーンドニーのただならぬ関係はとうとうアーナンドとショーバーにも知られることになる。泥沼化するところだったが、意外にも二人は非常に抑制的な対応を採った。特にショーバーは、夫を責めることをせず、不倫が完全に明らかになった後も、ひたすら彼の帰りを待ち続けた。彼女は、アミトが自分と結婚したのは妥協だったことをよく理解していた。アミトと過ごす内に彼を愛するようになっていたショーバーは、これを機に、妥協ではなく本心から自分を選んでくれるのを待つことにしたのである。この態度は、決して泣き寝入りするか弱い女性のものではなかった。むしろ、神をも動かずほどの強い信念であった。ここに来て、「Silsila」の真の主役は彼女であると感じるようになった。
アミトとチャーンドニーは二人でシムラーまで逃避行に出るが、アミトの脳裏にはショーバーのことがちらつくようになる。そこへ、アーナンドの乗った飛行機が墜落するという突発的な大事件が起きる。シェーカルも戦闘機に搭乗中に撃墜されて死んだが、よく飛行機が出て来る映画だ。また、ショーバーがアミトの子供を妊娠していることも分かる。これらの劇的な変化はアミトの心を180度変え、やはり正式な結婚をしたショーバーと添い遂げる方に正当性を感じるようになるのである。チャーンドニーの方も、事故から奇跡の生還を果たしたアーナンドとよりを戻す方向に向かったと思われるが、その辺りの描写はなかった。
シェーカルの戦死とアーナンドの飛行機事故という非日常的な出来事が登場人物を翻弄するところが多少大袈裟すぎるように感じるのだが、アミトとチャーンドニーの不倫をグレーゾーンに持って行き、観客の分別を揺さぶっている点が非常に優れている。また、ヤシュ・チョープラー監督作品の定番通り、物語の途中には歌と踊りが頻繁に入るが、どれもストーリーとの親和性が高く、歌詞も素晴らしくて、見事であった。特に、ホーリー祭のシーンで流れる「Rang Barse Bhige Chunar Wali」は、公開後何十年にもわたってホーリー祭の定番曲として愛されてきているが、このシーンにはアミトとチャーンドニーの不倫がアーナンドとショーバーに知れるという重要な転機の役割も担わされており、単なるお祭りソングでなかったことは意外な発見であった。
アミターブ・バッチャン、ジャヤー・バッチャン、レーカーの3人は、それぞれベストパフォーマンスと呼んでもいい素晴らしい演技を見せていた。特にジャヤーとレーカーの一騎打ちシーンは、どんな西部劇の決闘にも劣らない。何しろ実生活でアミターブの愛を奪い合う女優同士が、アミトの愛を奪い合う役柄として対峙しているのだ。ジャヤーは妻としての威厳を見せ、レーカーはアミトの愛情を信じる。それぞれの女性の信念がぶつかり合う名シーンであり、インド映画史に永遠に刻み込まれるべき女と女のバトルである。
アミターブ・バッチャン、ジャヤー・バッチャン、レーカーという話題の3人をキャスティングした上に、彼らの役柄を実世界での三角関係に当てはめて話題性を作るという発想や、不倫を完全な悪と見なせないような巧みな状況設定、さらにストーリーとピッタリはまる挿入歌の数々など、「Silsila」はヤシュ・チョープラー監督の数ある作品群の中でももっとも完成度の高いロマンス映画だと感じる。だが、意外なことに公開当時、興行成績は振るわなかったという。不倫をしたカップルが最後には結ばれないという結末を用意したものの、当時は不倫自体が世間に受け入れられなかったのかもしれない。だが、「Silsila」は現代の視点から見れば傑作以外の何物でもない。必見の映画である。
