
1989年9月15日公開の「Chandni(月光)」は、1980年代を通して不振に陥ったヤシュ・チョープラーが起死回生を期して送り出したロマンス映画である。チョープラー監督は元々ロマンス映画に定評があったが、時代がアクション映画を求めるようになり、時代の潮流に乗ったがうまく行かなかった。「Chandni」は大ヒットし、1990年代のヒンディー語映画界に起こったロマンス映画への回帰を決定付けた一本となった。
プロデューサーと監督はヤシュ・チョープラー。作曲はシヴ・ハリ、作詞はアーナンド・バクシー。主演はリシ・カプールとシュリーデーヴィーで、助演にヴィノード・カンナーが入っている。チョープラー監督の映画にシュリーデーヴィーが起用されたのはこれが初である。また、「Qayamat Se Qayamat Tak」(1988年)でスターの仲間入りしたジューヒー・チャーウラーが特別出演している。
他には、ワヒーダー・レヘマーン、スシュマー・セート、ミーター・ヴァシシュト、アナンド・マハーデーヴァン、アヌパム・ケールなどが出演している。
2025年11月18日に鑑賞し、このレビューを書いている。
シャージャハーンプル在住のチャーンドニー・マートゥル(シュリーデーヴィー)は、いとこの結婚式に参列するため、家族と共にデリーを訪れる。そこでデリー在住の大富豪の息子ローヒト・グプター(リシ・カプール)と出会う。二人は恋に落ちるが、グプター家はマートゥル家を下に見ており、彼らの結婚に乗り気ではなかった。だが、ローヒトは意思を押し通し、チャーンドニーと婚約する。ところが、ローヒトの乗ったヘリコプターが墜落し、右半身不随となってしまう。ローヒトはチャーンドニーの幸せを考え、あえて彼女に冷たく接し、彼女を追い出す。
ショックを受けたチャーンドニーはボンベイへ行き、ラリト・カンナー(ヴィノード・カンナー)の経営するハンスラージ旅行代理店で働き出す。ラリトには過去にデーヴィカー・シャーストリー(ジューヒー・チャーウラー)という恋人がいたが、病気で彼女を失っていた。以来、デーヴィカーのことが忘れられずに、母親ラター(ワヒーダー・レヘマーン)と共に暮らしていたが、チャーンドニーと出会い、気持ちが変わる。ラターもチャーンドニーを気に入った。ラリトはチャーンドニーとの結婚を考えるようになる。
一方、ローヒトは義兄ラメーシュ・メヘラー(アヌパム・ケール)の勧めに応じてスイスへ治療に行く。そこで目覚ましい回復をし、右半身の麻痺も完全に治癒して、歩けるようになる。ローヒトは自信を取り戻し、チャーンドニーと再会することを決める。そのとき、ちょうどスイスに出張中だったラリトはローヒトと出会い、親友になる。二人は、同じ女性を好いているとは知らず、お互いの恋愛を語り合う。
ラリトとローヒトは一緒にボンベイ行きの飛行機に乗る。飛行機に乗る前、ラリトは電話でチャーンドニーに愛の告白をしていた。ラリトは彼女に空港まで迎えに来てほしいと伝えるが、ローヒトを忘れられなかったチャーンドニーは空港まで行くことができなかった。空港ではラメーシュがローヒトを迎え、ラターがラリトを迎える。
ラリトはチャーンドニーに会いに行き、彼女に正式にプロポーズする。チャーンドニーはそれを受け入れる。ところがその直後、健康体になったローヒトが彼女を訪ねてきて、彼も彼女にプロポーズする。チャーンドニーはジレンマに陥るが、ローヒトに別の男性ができたことを明かす。ローヒトは失意の内に去って行く。翌日、ラリトはローヒトをチャーンドニーに引き合わせる。ラリトはローヒトとチャーンドニーの過去を知らなかった。ローヒトはデリーに帰ろうとするが、ラリトが引き留め、結婚式まで待つように頼む。
ラリトとチャーンドニーの結婚式でローヒトは酒を飲んで酔っ払い、階段から落ちてしまう。それを見たチャーンドニーが思わず駆け寄ったことで、ラリトはローヒトの元許嫁がチャーンドニーだったことに気付く。そしてラリトはチャーンドニーを彼に譲る。
「Chandni」はロマンス映画の名作に数えられる作品だ。1988年のトップ3に入る興行成績を上げ、ヤシュ・チョープラー監督にとっては文字どおり起死回生の映画になった。ヒンディー語ロマンス映画の王道を行く作品で、後世の作品に多大な影響を与えたことがうかがえる。だが、21世紀の視点からはかなり雑な印象を受ける作品だった。
まず、ローヒトとチャーンドニーの出会いと婚約、そして破局を描いた前半がかなり急ぎ足であった。ローヒトはチャーンドニーに一目惚れし、彼女をストーキングし、その結果チャーンドニーはローヒトに恋してしまう。この流れはインド映画に定番のものだが、恋愛とストーキングを区別しないこの描き方はインドの男性たちを大いに勘違いさせ、女性たちを危険にさらす恐れがあり、好意的に受け止められない。また、婚約後にローヒトとチャーンドニーはスイスへハネムーンに行っているが、この流れもおかしい。インドにおいて、特にこの時代に、結婚前の男女がハネムーンに行くのは変である。スイスのシーンへの移行も唐突すぎた。
また、ローヒトの家族がチャーンドニーを毛嫌いする理由もよく分からなかった。名字から察するに、ローヒトのグプター家はバニヤー(商人)であり、チャーンドニーのマートゥル家はカーヤスト(書記)である。確かにカーヤストは下に見られることもあるが、教養あるコミュニティーであり、バニヤーからこれほど蔑まれるのは不自然である。経済的な理由により下に見られているのかもしれないが、マートゥル家がそれほど貧しい生活を送っているとも思えなかった。
しかも、ローヒトがヘリコプター事故に遭うまでは何の山場もない。ローヒトの家族がかたくなにチャーンドニーを嫁として受け入れることを拒否しており、それが何かのドラマを生むと思いきや、ローヒトが結婚を押し切ってしまうので、これも不発である。ローヒトが事故によって半身不随になってからようやく物語がトラクションを持ってくる。そこまでは正直いって退屈だった。
ボンベイに出たチャーンドニーがラリトと出会い、ジレンマに陥っていくことで、「Chandni」のストーリーはようやく本領を発揮する。インドのロマンス映画の法則では、恋愛は結婚に勝てない。もしローヒトとチャーンドニーが結婚までしていたら、ラリトとの出会いの後でもこの二人が結ばれることは確実であった。だが、ローヒトとチャーンドニーは婚約しただけであり、その法則は発動しない。よって、最後にどちらと結び付くか興味津々だったが、やはり最初の恋の方が尊重されるようで、ラリトが自らチャーンドニーをローヒトに譲る形で丸く収まっていた。ラリトとローヒトがスイスで出会い意気投合する運命的な場面は秀逸である。
前半に不満は残るものの、10曲を超えるバラエティーに富んだ挿入歌とダンスの数々で彩られ、娯楽映画としては十分な魅力を備えている。特にシュリーデーヴィーはダンスの名手として知られており、彼女の踊りを楽しみに映画館に足を運んだ観客も多かったことだろう。ローヒトとラリトがお互いの恋愛を語り合う構成の「Tu Mujhe Suna」、歌詞なしでシュリーデーヴィーが古典舞踊のような踊りを踊る「Dance Music」など、実験的なナンバーもあった。とはいえ、「Chandni」の挿入歌の中でエバーグリーンといえるのはラター・マンゲーシュカルの歌う「Mitwa」であろう。スイスの美しい高原でリシ・カプールとシュリーデーヴィーが踊る姿はとても印象的で、この曲のメロディーは二人の楽しい思い出の象徴としてその後も映画の中で何度もリフレインされる。
ちなみに、「Mehbooba」のシーンはデリー各地で撮影が行われている。インド門、大統領官邸、国会議事堂、ローディー・ガーデンや、かつて存在した遊園地アップーガルなど、1980年代のデリーの風景を映した貴重な映像だ。
セリフも素晴らしく、いかにも映画的なやり取りが目白押しだった。特にラリトがチャーンドニーに過去の恋愛を打ち明けるときに口にしていた、「苦痛の薬が見つからないときは、苦痛が薬になる」というセリフには打たれた。
シュリーデーヴィーは当時トップ女優だった。「Chandni」はまさに彼女のために作られた映画であり、全ては彼女に集約されている。インドの寺院の柱や壁に彫られた女神や天女にそっくりで、インドの伝統的な美をもっとも体現した女優だ。しかも踊りも飛び抜けてうまく、映画女優になるために生まれてきたような人材である。彼女の虜にならない男性はいないだろう。
「Chandni」は、1980年代から90年代の変わり目に、ヒンディー語映画界のトレンドを、アクション映画からロマンス映画に切り替えた作品のひとつであり、しかも興行的に成功しており、歴史的な意義のある映画だ。80年代に不振に陥っていたヤシュ・チョープラー監督を再起させた映画でもある。ただ、21世紀の我々が観ると物足りない部分もあり、「不朽の名作」とはいえないのではないかと感じる。
