Nishaanchi

4.5
Nishaanchi
「Nishaanchi」

 ヒンディー語映画界の風雲児、アヌラーグ・カシヤプ監督が最初に高い知名度を獲得したのは「Dev. D」(2009年)であったが、彼の代表作に数えられるのは、ダンバードのアンダーワールド史を見事に描出した2部構成の重厚な大河ギャングドラマ「Gangs of Wasseypur」(Part 1Part 2/2012年)であろう。学問の世界に置き換えれば、「Dev. D」が修士論文、「Gangs of Wasseypur」は博士論文だ。それ以降も彼は積極的に作品を送り出し続けてきたが、さすがに「Gangs of Wasseypur」に比肩するような規模の映画はなかった。ところが、彼の監督作「Nishaanchi(狙撃手)」は、まさに「Gangs of Wasseypur」に勝るとも劣らない重厚さを持った久々の大河ギャングドラマである。2部構成で、第1部は2025年9月19日に公開された。だが、興行的に失敗し、第2部(Part 2)は2025年11月16日からAmazon Prime Videoで直接配信されるという憂き目に遭った。それでも、作品自体は決して失敗作ではなく、むしろカシヤプ監督の持ち味が最大限に発揮された作品となっており、「Gangs of Wasseypur」が好きな人なら絶対に響く映画だ。

 前述の通り、監督はアヌラーグ・カシヤプである。音楽はアヌラーグ・サイキヤー、マナン・バールドワージ、ドゥルヴ・ガーネーカルなど。主演は、アイシュワリヤ・タークレーとヴェーディカー・ピントー。アイシュワリヤは、シヴセーナーの創立者バーラーサーヘブ・タークレーの孫であり、本作がデビュー作である。しかも、いきなり一人二役に挑戦している。ヴェーディカーは「Operation Romeo」(2022年)などに出演していた、まだ駆け出しの女優である。まだ名の売れていない俳優たちを主演に据えた大胆なキャスティングをしている。

 他に、モニカー・パンワル、クムド・ミシュラー、ムハンマド・ズィーシャーン・アイユーブ、ラージェーシュ・クマール、ヴィニート・クマール・スィン、ラーガヴ・ジュヤール、エリカ・ジェイソンなどが出演している。

 本来ならば2本の作品であるが、第1部と第2部を通して鑑賞したため、ひとつのページにレビューをまとめることにする。第1部は1996年から2006年まで、第2部は2016年が時間軸になっており、ウッタル・プラデーシュ州のカーンプルとラクナウーが主な舞台になっている。2006年のカーンプルから物語が始まり、その後、回想シーンになって、1996年から経緯が語られ、以後は原則として時系列に沿った展開になるが、あらすじでは全て時系列に沿って書き出す。

 1996年、カーンプル。デーシュプレーミー道場で鍛練を積むジャバルダスト・ペヘルワーン(ヴィニート・クマール・スィン)は、仲間内では一番の力士であったが、師匠のボーラー・ペヘルワーン(ラージェーシュ・クマール)が甥のスニールをえこひいきしており、不満を抱いていた。ジャバルダストは射撃の名手マンジャリー(モニカー・パンワル)と結婚し、二人の間にはバブルー(アイシュワリヤ・タークレー)とダブルー(アイシュワリヤ・タークレー)という双子の息子ができた。道場仲間のアンビカー・プラサード(クムド・ミシュラー)はマンジャリーに横恋慕し、ジャバルダストの家に入り浸るようになる。マンジャリーはアンビカーの下心を見抜き、彼を冷たくあしらっていた。

 力士に幻滅したジャバルダストは道場に通うのをやめ、地元政治家バーバー・ラサンの下で働くようになる。バーバーのもとには、スニールにだまされ出産した女性が相談にやって来る。それを聞いたジャバルダストは自ら志願してその処理を請け負い、スニールを殺す。ジャバルダストは逮捕され、服役することになる。そして釈放される直前、彼は囚人によって暗殺される。カマル・アジーブ巡査(ムハンマド・ズィーシャーン・アイユーブ)は、ボーラーが黒幕であることをマンジャリーに伝える。それを真に受けたバブルーは、アンビカーから銃を受け取り、ボーラーを殺す。バブルーは少年院に入ることになる。

 2006年、バブルーは少年院から出る。バブルーは「トニー」を名乗るようになり、バーバーの後釜として政治家になっていたアンビカーの子分となって働き出す。アンビカーはカーンプルにショッピングモールを建設しようとしており、そのために住民たちの立ち退きを進めていた。最後まで反対していたのがカッタクダンスの師匠だった。師匠を説得する仕事を任されたバブルーは彼の家へ行き、問答無用で射殺する。だが、師匠の娘リンクー(ヴェーディカー・ピントー)に一目惚れしてしまう。バブルーはリンクーをストーキングするようになるが、リンクーも勝ち気な女性であり、バブルーを恋人にしてしまう。ただ、彼女はバブルーが父親の殺人犯だと疑ってはいたが、バブルーが否定したため、そうではないと信じていた。

 リンクーも父親と同様に立ち退きを拒否していた。アンビカーは部下のハワー・ハワーイーにリンクー暗殺を命じる。それを知ったバブルーはリンクーの家に駆けつけてハワー・ハワーイーを殺し、アンビカーに反旗を翻す。バブルーはリンクーや弟のダブルーと共に自分のギャングを立ち上げようとし、銀行強盗に及ぶが、彼だけ逮捕されてしまう。バブルーは10年間服役することになった。

 バブルーからリンクーの世話を頼まれたダブルーは、リンクーと関係を深めていく。マンジャリーはカーンプルを去ることを決意し、ダブルーとリンクーを連れてラクナウーへ移住する。リンクーは立ち退きに応じた。ラクナウーでダブルーは工場に就職し、リンクーはミュージックビデオで踊りを踊るようになる。

 2016年。ダブルーとリンクーは恋仲にあったが結婚はしていなかった。バブルーが釈放されることになったが、彼はダブルーとリンクーの仲を知らなかった。ダブルーはなかなか兄にリンクーとの関係を言い出せなかったが、とうとうばれてしまう。バブルーは激怒しダブルーに殴りかかるが、ダブルーも反論し、リンクーを譲ろうとしない。また、リンクーは父親の殺人犯がバブルーであることも知ってしまい、彼を嫌悪していた。バブルーは母親からも勘当されてしまっており、全てを失った。バブルーは真面目に生きようと決意するが、警部補に昇進したカマルがそれを邪魔する。とうとうバブルーは再びアンビカーを頼ることになる。

 アンビカーは州政府の大臣にまで出世していたが、スキャンダルを抱えており、所属する政党の党首を暗殺しなければならない状況にあった。党首暗殺のためには腕の良いスナイパーが必要だった。部下のプラーネーはバブルーの射撃の腕を知っており、彼を推薦する。カマル警部補はバブルーを連れてくる役割を引き受け、機会をうかがっていたのだった。バブルーのためにロシア製のライフル銃が用意され、彼は党大会のときに遠くのビルの屋上から党首をライフル銃で暗殺する仕事を請け負うことになった。だが、バブルーはプラーネーからアンビカーの本性を聞く。父親のジャバルダストをはめたのも、バブルーをはめたのも、実はアンビカーであり、その手先となって働いてきたのがカマル警部補であった。バブルーはプラーネーとロシア人武器商人を殺した後、党大会会場に向けて乱射する。そして駆けつけたカマル警部補を射殺する。

 バブルーはカーンプルへ行ってアンビカーの邸宅に忍び込むが、そこでアンビカーに返り討ちされ殺されてしまう。アンビカーに危機を知らせたのは、バブルーに恨みを持つリンクーであった。アンビカーはマンジャリーの家を弔問に訪れるが、マンジャリーは彼の部下たちを毒殺し、逃亡するアンビカーをライフル銃で射殺する。

 「Gangs of Wasseypur」は、男臭いギャング映画ではあったのだが、実は女性キャラが非常に立っていた作品でもあった。「Nishaanchi」では、より強烈な女性キャラに焦点が当てられた作品になっていた。特にバブルーとダブルーの母親マンジャリーは、これまでのヒンディー語映画にはあまりないような強さと賢さを併せ持っている。若い頃は射撃の選手であり、州大会で金メダルを獲得するほどの腕だった。競技において狙った獲物を逃がさず撃ち落とすのはもちろんのこと、彼女の鋭い目は日常生活においても健在で、相手の本性を見抜くことに長けていた。いち早くアンビカーの野心に気付き警戒していたのは彼女だった。題名の「Nishaanchi」とは、母親の才能を受け継いで射撃が上手だったバブルーのことではなく、マンジャリーのことである。

 映画の中でも言及されていたが、マンジャリーのキャラは不朽の名作「Mother India」(1957年)でナルギスが演じたラーダーを思わせるものだ。ラーダーは映画の最後で、悪の道に走った息子を自らの手で殺し、母性愛に打ち克って正義を果たしたことでロールモデルになっている。「Nishaanchi」のマンジャリーは、殺人や強盗で何度も服役した長男バブルーを自らの手では殺さなかった。むしろ、バブルーの死の原因を作った、次男ダブルーの妻リンクーの行動を許した。彼女が実行したのは、夫ジャバルダストを罠にはめ、自分に邪な視線を投げ掛け続け、そして支援者の顔をして家族を不幸のどん底に突き落としてきたアンビカーの殺害であった。映画の最後、サーリー姿のマンジャリーは、必死に逃亡しようとするアンビカーを遠くから仕留める。こんなに格好いい母親キャラが今までいただろうか。

 もちろん、リンクーも非常に主体的な女性キャラだった。父親を殺されて一人ぼっちになっても動じず、アンビカーから圧力が掛かっていた立ち退きの要求をはねのけ、怖い物知らずだった。しかも自分をストーカーしてきたバブルーを逆に自分の虜にしてしまう。バブルーが逮捕され、服役すると、今度はダブルーに接近する。生き馬の目を抜く輩ひしめくインド社会を生き抜く術を身に付けている女性であった。ただ、マンジャリーのインパクトが強烈すぎて、彼女の存在感は幾分薄れてしまっていた。

 女性キャラに芯があったのとは対照的に、男性キャラには弱さの方が目立った。少年院を経て悪人として娑婆に出て来たバブルーにしても、その実態はかなりナイーブな人間だった。ダブルーに至っては、10分早く生まれた双子の兄に常に従ってきて自分を確立できなかった弱虫であり、バブルーが刑務所に入った後も、リンクーにリードされる形で彼女との関係を構築する。バブルーが釈放されると、リンクーとの仲を兄になかなか打ち明けられない。アンビカーも、臆病かつ卑怯な悪人としての側面が強調されており、決して美学を持った悪人ではなかった。

 映画初出演・初主演ながら、全く性格の異なる双子バブルーとダブルーの演じ分けをしたアイシュワリヤ・タークレーの演技は素晴らしかった。上で述べたとおり、リンクー役のヴェーディカー・ピントー、マンジャリー役のモニカー・パンワルはどちらも映画の軸であり、彼女たちの好演があったから映画が成立した。アンビカー役を演じたクムド・ミシュラーやカマル役を演じたムハンマド・ズィーシャーン・アイユーブも良かった。「Gangs of Wasseypur」と同じく各キャラが個性的であり、それらが自然に動き出してストーリーを生み出しているかのようだった。

 音楽の使い方も絶賛に値する。舞台となっているカーンプルなどの地元色を出した音楽が多く、映画の土臭い雰囲気を盛り上げていた。強い訛りのある英語で歌われる「Dear Country」、英単語の勉強のような「Pigeon Kabootar」、映画の題名を並べて歌詞にした「Raja Hindustani」など、歌詞も面白かった。また、登場人物の大半は、ラクナウーやカーンプルの地元言語であるアワディー方言をしゃべる。

 「Nishaanchi」は、奇才アヌラーグ・カシヤプ監督が自身の代表作「Gangs of Wasseypur」の延長線上に作ったと思われる2部構成のギャング映画である。言語や音楽でもってラクナウーやカーンプルの雰囲気がよく再現されている上に、強烈な女性キャラを軸にしたストーリーになっていて、「現代の『Mother India』」という名がふさわしい傑作である。だが、カシヤプ監督の作品はいまいち大衆に分かってもらえないことが多く、この映画の興行も失敗に終わってしまった。それは残念なことであるが、それでこの映画を観るのをやめてしまったらもったいない。全てを見通すと5時間ほどになるが、それだけの価値はある大作だ。