
2020年7月31日からShemarooMeで配信開始された「My Client’s Wife」は、家庭内暴力事件を担当することになった弁護士を主人公にしたミステリー映画である。
監督はプラバーカル・ミーナー・バースカル・パント。過去にいくつかの短編映画を撮っているが、長編映画の監督はこれが初となる。主演は、「Newton」(2017年)などのアンジャリ・パーティルと「Darbaan」(2020年)などのシャリーブ・ハーシュミー。他に、アビマンニュ・スィン、ギリーシュ・サハデーヴ、ヴィシャール・オーム・プラカーシュ、マズハル・サイヤド、ディーペーシュ・シャーなどが出演している。
チャッティースガル州ラーイプル在住の弁護士マーナス・ヴァルマー(シャリーブ・ハーシュミー)は、妻に暴行して逮捕されたラグラーム・スィン(アビマンニュ・スィン)の弁護をすることになった。ラグラームによると、彼は妻スィンドゥーラー(アンジャリ・パーティル)の誕生日に家に早めに帰ったら別の男がいるのを発見した。ラグラームは確かに彼女を押したが軽く押したにすぎなかった。だが、スィンドゥーラーは自分で壁に額をぶつけて怪我を作り、暴行を受けたと主張した。また、ラグラームは間男を捕まえようとしたところ反撃を受けて手に傷を負った。
マーナスはスィンドゥーラーに会いに行く。スィンドゥーラーは彼に会おうとしなかったが、翌日マーナスが彼女を尾行したところ、彼女の額には怪我がなかった。マーナスはラグラームの保釈を取ろうと努力していたが、スィンドゥーラーはそれを止めていた。ラグラームの保釈が得られると、スィンドゥーラーは彼のところへやって来て詰め寄る。そしてあの日何が起こったのかを語り出す。スィンドゥーラーは朝から頭痛を覚え、家でDVDを観ながらゆっくりしていたところ、ケーブル屋(マズハル・サイヤド)が集金にやって来た。ケーブル屋は隙を見てスィンドゥーラーを襲おうとし、彼女は逃げた。そこにタイミング悪くラグラームが帰ってきてしまい、憤った彼はスィンドゥーラーを強く押して壁にぶつけた後、ケーブル屋に暴行を加えて追い出した。
マーナスは警察と共にケーブル屋の居所を突き止め、彼を捕まえる。尋問したところ、ケーブル屋はスィンドゥーラーから誘惑されたこと、彼女からナイフを手渡され、ラグラームに殺されそうになったために反撃したことなどを明かす。
だが、実はほぼ全てが虚構だった。マーナスの本名はジャーヴェード・シェークであり、本業は医師であった。そして、スィンドゥーラーの本名はアーフリーンだった。ジャーヴェードは「ロールプレイ障害」を抱えており、自身と妻を別のキャラクターにして違う人生を生きていた。マーナス、ラグラーム、スィンドゥーラーなども、仕事上で知り得た人物や出来事をロールプレイしていただけだった。アーフリーンは彼との生活に耐えられなくなり、ジャーヴェードを倉庫に閉じこめて逃げ出す。
序盤では、弁護士マーナスが、夫婦の家庭内暴力事件を担当し、夫ラグラームの弁護士としての立場から妻スィンドゥーラーとも接触して、真実を突き止めようとするスリラー映画の体裁を取っている。ラグラーム、スィンドゥーラー、そして第三の男であるケーブル屋がそれぞれ異なった証言をし、それが映像化される。この手法はいうまでもなく黒澤明監督「羅生門」(1950年)で有名になったものだ。
基本的に低予算映画である。BGMや効果音が大袈裟で、ヒッチコック映画やあの時代のスリラー映画を思わせる古風な作りだった。それに加えて「羅生門」スタイルの映像ギミックである。時代遅れな映画という印象を受けながら鑑賞していた。
だが、終盤で大きなどんでん返しが待っている。実は、それまで映し出されてきた映像のほとんどは実は妄想の産物だったのだ。マーナスと思われていた人物は実はジャーヴェードであり、彼は弁護士マーナスを演じていただけだった。彼には「ロールプレイ障害」という性癖があり、何かになりきらないと気が済まなかった。マーナスは妻のアーフリーンをラグラーム役にしたりスィンドゥーラー役にしたりして、実際に起きた家庭内暴力事件の再現を自宅でしていた。いつか良くなるだろうと思って夫に合わせていたアーフリーンであったが、夫のその性癖は収まるどころかますます深刻化した。とうとう耐えられなくなったアーフリーンは夫を捨てて逃げ出すことにする。
このどんでん返しは「シックス・センス」(1999年)などのMナイト・シャーマーラン監督の作風を思わせるものだ。だが、いかんせん、監督が未熟で、そこまれ重厚な作品を作れていなかった。シャリーブ・ハーシュミーとアンジャリ・パーティルの演技にもいまいち気合が入っていなかったように感じた。
「My Client’s Wife」は、1940年代から60年代にかけて活躍したスリラー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックや、「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した黒澤明を彷彿とさせる古風な導入で始まるミステリー映画である。そのままだったら単なる駄作であったが、終盤になって「シックス・センス」のMナイト・シャーマーラン監督の作風を思わせる大転回があり、少しだけ面白くなる。だが、それでも全体としてチープな印象は拭えず、評価を覆すまでの成功は収めていなかった。無理して観る必要はない映画である。