ヒンディー語映画は舞台の上でも裏でも基本的に男中心の世界であり、主人公も悪役も男性であることがほとんどだ。その中で女性もしくは女優は、たとえ肩書きが「ヒロイン」であったとしても、添え物に過ぎない扱いを受けて来た。しかしながら、21世紀に入り、ヒンディー語映画は劇的に変化し、型にはまらない映画作りが行われるようになった。女性(スクリーン内外)を取り巻く環境は、もっとも変化した分野のひとつと言っていいだろう。一昔前までは敬遠されていた女性が主人公の映画は既に市民権を得ており、興行的に成功する作品も多数出ている。それと関連する動きと言っていいだろう、女性が悪役になることも厭わなくなって来ている。
2015年7月31日公開のヒンディー語映画「Drishyam」も、演技力に定評のある女優タブーが悪役を務めたことで話題になった。この映画は2013年に公開された同名のマラヤーラム語映画のリメイクである。監督はニシカーント・カーマト。今まで「Mumbai Meri Jaan」(2008年)や「Force」(2011年)を撮っている。作曲はヴィシャール・バールドワージ、作詞はグルザール。キャストは、アジャイ・デーヴガン、シュリヤー・サラン、タブー、ラジャト・カプール、イシター・ダッター、カムレーシュ・サーワント、プラタメーシュ・パラブ、ムリナール・ジャーダヴ(子役)など。
題名の「Drishyam」とは、「見えるもの」「光景」などという意味である。映画冒頭のタイトル画面やDVDのパッケージなどにヒンディー語で「दृष्यम」と表記されているが、これは誤りで、正しくは「दृश्यम्」である。周囲の人々で誰もこの間違いに気付く人がいなかったのであろうか・・・。
舞台はゴア州のポンドレム。孤児として生まれ、4年生を卒業できなかったヴィジャイ・サールガーオンカル(アジャイ・デーヴガン)は、様々な仕事を転々とした末に、ミラージュ・ケーブルというTVケーブル会社を起業する。彼は、アンジュ(イシター・ダッター)という捨て子の女の子を拾って育てるほど心優しく実直な性格で、町の人々からは一目置かれていた。また、妻のナンディニー(シュリヤー・サラン)との間にはアヌ(ムリナール・ジャーダヴ)という女の子が生まれた。ヴィジャイは夜遅くまで職場にいたり、職場で夜を明かしたりすることが多かったが、家族を愛し、家族に愛されていた。ただ、ポンドレム警察署の悪徳警官ラクシュミーカーント・ガーイトーンデー警部補(カムレーシュ・サーワント)とはそりが合わなかった。 ある日、アンジュはサマーキャンプに参加し、そこでサム(リシャブ・チャッダー)という青年につきまとわれる。サムはアンジュがシャワーを浴びているところを携帯電話で盗撮し、それを使ってアンジュを脅す。サムはヴィジャイの留守中にアンジュの家まで押しかけて来るが、アンジュは彼の携帯電話を鉄パイプで壊そうとして誤ってサムの頭を殴ってしまう。サムはそのまま死亡する。ナンディニーとアンジュはサムの遺体を庭に埋める。さらに悪いことに、サムは警視総監ミーラー・デーシュムク(タブー)の一人息子であった。 翌朝、帰宅したヴィジャイは事情を聞き、すぐに行動に移す。彼は、サムの携帯電話に入っていたSIMカードを持ち、サムの乗って来た自動車に乗って、パナジまで行く。そこで中古の携帯電話を購入してSIMカードを挿入し、タミル・ナードゥ州行きのトラックに放り込む。その後、自動車を石切場に捨てる。ポンドレムに戻ると、ヴィジャイはアリバイを作るために、家族を連れてバスで再びパナジへ行き、1泊し、ポンドレムに帰って来る。 ミーラーとその夫マヘーシュ(ラジャト・カプール)は、サムが行方不明になり、捜索を始める。手掛かりがほとんどなかったが、サムが消息を絶ってから数週間後、パナジの石切場からサムの自動車が見つかり、捜査が本格化する。ガーイトーンデー警部補は、偶然にヴィジャイがサムの自動車に乗っているところを目撃し、当初からヴィジャイを怪しむ。警察はヴィジャイとその家族に事情聴取を行う。しかし、ヴィジャイは予め家族と口裏を合わせおり、アリバイとなる証拠も作り出していた。そのため、なかなかヴィジャイは容疑者扱いされなかった。 サムが死んだのは10月2日であり、ヴィジャイと家族がパナジへ行ったのは10月4・5日だった。しかし、ヴィジャイは10月3日にもパナジへ行っており、そこで証拠となるレシートなどを集めていた。そして、4日と5日にパナジで出会った人々やポンドレムの人々に、自分たちが前回来たのは10月2日だということをさりげなく主張し、彼らの記憶をすり替えていた。その影響もあって、証人喚問された彼らは、ヴィジャイとその家族が10月2日にパナジにいたと答えたのだった。 ミーラーはそのカラクリに気付くが、証拠となるものがないため、攻めあぐねていた。そこでミーラーはヴィジャイとその家族を無理矢理に逮捕し、暴行を加えて、自白を引きだそうとする。ヴィジャイ、ナンディニー、アンジュは決して口を割らなかったが、一番幼いアヌは、とうとうサムの遺体を埋めた場所を教えてしまう。警察はヴィジャイの家の庭を掘り返すが、そこから出て来たのは犬の腐乱死体だった。結局、明確な証拠がないままに市民を逮捕し、暴行を加えたことで、ガーイトーンデー警部補は停職となり、ミーラーも辞職することになった。
事件が起こった後に、事件当日のアリバイを作り出し、警察の追及をかわそうとするという、一見無理に思われるようなことをやってのける犯罪映画。そのアイデア源となったのは、主人公のヴィジャイが毎日毎日観ている映画であった。彼は4年生から進級できなかった落ちこぼれという設定だが、映画から多くのことを学んで実行に移し、頭脳明晰な警察官僚をも出し抜く。
ヴィジャイの立場から見れば、知恵を働かせて、警察という強大な権力者から、何としてでも家族を守ろうとする一人の男の物語だ。しかし、ミーラー側からの見方もできる映画だ。ミーラーは、突然行方不明になった息子を探すため、ほとんど職権乱用と言っていい捜査を行う。ヴィジャイとミーラーは対峙する関係になった訳だが、家族を思う気持ちは共通していた。しかしながら、殺されたサムが、全く同情できない性格だったこともあって、大半の観客はミーラーではなくヴィジャイに感情移入して映画を鑑賞することであろう。
このような犯罪映画では、現実世界では無理に思われることでも、理屈を通して現実的に見せられるかどうかに、映画の質が左右される。果たして、過去に戻ってアリバイを作ることに、こんなに簡単に成功するだろうか。何かほころびが出ないだろうか。この映画の一番のトリックは、ヴィジャイたちが証人となり得る人々に、何度も何度も、犯行の日となった10月2日にポンドレムにいなかったことを主張し、それを信じ込ませる部分だ。それによって人々の記憶は上書きされ、10月2日に実際にはヴィジャイたちがポンドレムにいたにも関わらず、10月2日にはいなかったという証言をするようになる。みんながみんな、そんな曖昧な記憶しか持っていないだろうか。特に10月2日はマハートマー・ガーンディー誕生日で祝日であり、1年の中でも普通の日ではない。そういう特別な日の記憶を、果たして上書きすることに100%成功するか、大きな疑問である。
また、ヴィジャイは家族の口裏を合わせるが、口裏を合わせすぎることでボロが出ることも大いにあり得る。その辺りは警察も慣れたもので、例えばナンディニーが初めて警察からサムのことを聞かれたとき、彼女は日付を聞かされていないにもかかわらず、つい10月2日は留守だったと自分で言い出してしまう。ヴィジャイの機転で何とか取り繕うが、付け焼き刃での口裏合わせだったので、このようなボロはそれ以外にも出て来るはずだ。
細かい部分まで見て行くと、「Drishyam」のプロットには多少無理があるといわざるを得ない。それでも、緊迫感あふれる展開で、スリラー映画として十分に成立していた。
タブーの悪役振りも良かったが、「Drishyam」はアジャイ・デーヴガンのためにあるような映画だ。警察からどんな質問をされても、自分たちが不利にならないように、冷静に言葉を選んで返答するその慎重な受け答え振りには、アジャイの演技力が光るものがあった。コメディー、アクション、そしてこのようなシリアスな演技まで、アジャイの守備範囲はいつの間にかとても広がった。今や、もっとも安定した俳優の一人となっている。
「Drishyam」は、アリバイを後から作り出し、警察を欺く様を、緊迫感あふれる映像で追った作品だ。同名のマラヤーラム語映画のヒンディー語リメイク。主人公のヴィジャイが、どのような手を使ってアリバイを創出したのか、その鮮やかな手口を素直に楽しむのが吉だろう。タブーの悪役振りの他、主演アジャイ・デーヴガンの名演にも注目。興行的にもまずまずだったようで、2015年の佳作と言えよう。