Thandel (Telugu)

3.5
Thandel
「Thandel」

 2025年2月7日公開のテルグ語映画「Thandel(棟梁)」は、2018年に実際に印パ間の海域で発生した事件を映画化した作品である。アーンドラ・プラデーシュ州沿岸部の漁村からグジャラート州に出稼ぎに来ていた22名の漁師たちが遭難して誤ってパーキスターン領海に入ってしまい、逮捕されてしまう。彼らは2年ほどの歳月をパーキスターンの刑務所で過ごし、ようやく釈放された。「Thandel」はその事件を狂おしいラブストーリーに仕立て上げている。

 監督は「Karthikeya」(2014年)などのチャンドゥ・モンデーティ。音楽はデーヴィー・シュリー・プラサード。主演はナーガ・チャイタニヤとサーイー・パッラヴィー。他に、アードゥカラム・ナレーン、ディヴィヤー・ピッライ、カルナカラン、カルパー・ラター、バブルー・プリティヴィーラージ、プラカーシュ・ベーラーワーディーなどが出演している。

 ラージュー(ナーガ・チャイタニヤ)はアーンドラ・プラデーシュ州沿岸部の漁村マッチレーサムの漁師であった。1年の内9ヶ月間はグジャラート州のヴェーラーヴァル港で漁業をして1年の稼ぎを得ていた。ラージューの亡き父親は漁村の漁師たちを束ねるタンデール(棟梁)であり、ラージューは父親の素質を受け継いでいた。ラージューはリンガイヤー(アードゥカラム・ナレーン)からタンデールの地位を受け継ぐ。

 ラージューには幼なじみの恋人サティヤー(サーイー・パッラヴィー)がおり、彼が故郷に戻ると3ヶ月間一緒に過ごしていた。サティヤーはいつかラージューが帰って来なくなるのではないかという不安にさいなまれるようになり、あるとき彼に、もう漁業には出ないでほしいと頼む。だが、タンデールとして仕事に出ないわけにはいかなかった。ラージューはサティヤーを置いてグジャラート州に出掛ける。ラージューの態度に腹を立てたサティヤーは父親(バブルー・プリティヴィーラージ)に言って結婚相手を探してもらう。そうして面会したのがムラリー(カルナカラン)であった。サティヤーはムラリーにラージューのことを話し、彼と最後に会ってから彼と結婚すると約束する。

 一方、サティヤーと漁師たちの乗った船はグジャラート州沖で大嵐に遭って遭難し、パーキスターン領海に迷い込んでしまって、逮捕されてしまう。サティヤーを含む22名の漁師たちはカラーチーの刑務所に収容され、釈放を待つことになる。

 マッチレーサム村では稼ぎ頭がパーキスターンから帰って来られなくなったことでその家族は食い詰めていた。サティヤーはグジャラート州まで赴いて彼らの雇い主から未払いの賃金を取り返したり、デリーまで行ってスシーラー・スワラージ内務大臣に直談判したりして、動き回る。そのおかげでラージューたちの釈放が決まり、2019年8月15日に帰国することになった。ところが、同年8月にインド政府が憲法第370条を停止したことでパーキスターンで対印感情が悪化し、漁師たちの釈放も延期となってしまった。しかも、彼らの釈放に尽力してくれたスワラージ内相が急死してしまう。サティヤーの結婚は9月2日に迫っていた。

 サティヤーは再びデリーを赴き、スワラージ元内相の娘と会う。ようやくラージューたちは釈放され、9月1日にインドに戻って来る。ところが一人だけインド国籍を証明できずにパーキスターンに残ってしまった者がいた。ラージューは彼を取り残すことをせず、自分もとどまると言い出す。印パ両政府が急いで手を回したため、全員の帰国が実現した。

 サティヤーはマッチレーサム村に到着する。だが、彼女の心は浮かなかった。ラージューとではなくムラリーと結婚することになっていたからだった。ところが彼女は既にラージューが村に戻っていることに気付く。サティヤーにとってラージューが全てだと悟ったムラリーがラージューに航空券を送り一足早く帰郷させていたのである。サティヤーはラージューと再会し、抱き合う。

 男性が出稼ぎに出て、村に残った女性が彼の帰りを待ち続けるという構図は、インドの恋愛物語でよく見られる。「Thandel」の前半もそれを踏襲していた。主人公ラージューは村の漁師たちのタンデール(棟梁)として、グジャラート州の港まで行って1年の9ヶ月間漁をして過ごし、3ヶ月間だけ故郷に戻って過ごす季節労働者のような生活を送っていた。彼らが村を離れている9ヶ月間、妻や恋人たちはひたすら彼らの帰りを待ちわびるのである。ラージューと恋人サティヤーは携帯電話で頻繁に会話をし愛を確かめ合っていたが、ひとたび海上に出ると電波が届かず、それすらもできなくなる。電波が届くギリギリの範囲まで彼らは会話をして過ごし、会話ができない時間はお互いに恋い焦がれて過ごしていた。ラージューとサティヤーはそんなピュアな恋愛をしていたのだった。

 だが、ラージューを含む22名の漁師たちが誤ってパーキスターン領海に迷い込み、当局に逮捕されてしまったことで、離れ離れの期間は9ヶ月どころではなくなる。そもそもラージューとサティヤーは別れ際にケンカをしており、まともに口を利かなくなっていた矢先の事件であった。サティヤーは、笑顔で送り出してあげなかったことがこの不幸を招いたと後悔するが、彼女には意地もあった。ラージューではない男性とのお見合い結婚を決めてしまってもいた。

 男性視点から見ると、サティヤーがラージューにもう漁に出るなと懇願する場面は非常に不快であった。ラージューにとって漁は人生そのものであり、サティヤーはそれを愛の名の下に奪い取ろうとしていた。いかに彼の安全のためだとはいえ、非常にセルフィッシュな要求であった。女性が男性に対してもっともしてはいけない要求である。この辺りでサティヤーから気持ちが離れた瞬間があった。

 ただ、サティヤーは単に愛しい人の帰りを待ちわびるだけの女性ではなかった。ラージューがタンデールなら、彼女にもタンデールの妻にふさわしい度胸が備わっていた。サティヤーはインドのあちこちを行脚して村の女性のために尽くした。彼女の活躍がなければ漁師たちの早期帰国は実現しなかったかもしれない。この辺りは近年のインド映画に特徴的な、強く自立した女性像を体現している。

 映画の中にはスシーラー・スワラージという女性政治家が登場する。インド人なら誰でも分かるが、これはインド人民党(BJP)の政治家スシュマー・スワラージをモデルにしたキャラである。この事件が発生した当時、彼女は内務大臣を務めており、漁師たちを帰国させるためパーキスターン政府に働き掛けも行ったとされる。よって、この映画の冒頭では彼女に謝辞が送られている。ただし、彼女は漁師たちの帰国が実現する前に急死してしまう。スシュマー・スワラージを救世主的に描いていることで、親BJP映画だと感じる人もいるかもしれないが、そもそも「Thandel」は実話にもとづいた映画であり、その実話の中で彼女の立ち回りがあったならば、差し引いて考えた方がいいだろう。

 ただ、ヒンドゥー教を持ち上げるような場面がいくつもあったし、愛国心を高揚させるような出来事もあった。パーキスターンの描写は必ずしも一方的なものではなく、悪人もいれば善人もいるという案配であった。モーディー政権が強行した憲法第370条停止が物語の重要な転機になっていたのはしてやられたりだった。ラージューたちは2019年8月15日に釈放予定だったが、同年8月5日に憲法第370条が停止され、ジャンムー&カシュミール州がインドに完全に併合された。カシュミール地方の領有権を主張するパーキスターンはその動きに反発し、二国間関係が急速に悪化して、ラージューたちの釈放が遅れてしまう。ただ、この映画からカシュミール問題について政治的なメッセージやプロパガンダは発信されていなかったといっていいだろう。あくまで純粋なツイストとしてこの歴史的な出来事が使われていた。

 ナーガ・チャイタニヤはテルグ語映画界の並み居るヒーローたちと同じく、野性的でカリスマ的なヒーローを演じた。ヒロインのサーイー・パッラヴィーはここのところ上り調子の女優の一人だ。南インド映画を中心に活躍している。決して誰もが認める美人というわけではないが、演技力はあるし、踊りも相当うまい。ヒンディー語映画への出演も決まっており、汎インド的な女優になって行きそうだ。

 ちなみに、なぜアーンドラ・プラデーシュ州の漁村に暮らす漁師たちが、自分の海域で漁をせず、わざわざグジャラート州まで行っていたのかについては不明である。「Thandel」は実話にもとづくストーリーであり、実際にパーキスターン当局に逮捕されたのもテルグ人漁師たちであった。

 最後に22名の漁師の中で1名だけインドに入れてもらえない者がいた。その理由は、彼がアーダールカードを作っていなかったからだと説明されていた。アーダールまたはアーダールカードとは日本のマイナンバーカードのような国民識別番号制度で、カードの発行は義務ではないが、インドではこれがなければ身分証明ができずとても不便である。

 「Thandel」は、運命の悪戯によってパーキスターン当局に囚われの身となった漁師たちと、彼らを束ねるタンデール(棟梁)の物語であり、また、タンデールの妻になることを運命付けられた女性の物語でもある。前半はいまいち入り込めないが、中盤以降に本調子になってくる。離れ離れの恋愛はインド人の得意とするところであり、また大好物でもある。良作といえるだろう。