![Goldfish](https://filmsaagar.com/wp-content/uploads/2025/01/goldfish-700x917.jpg)
「Goldfish」は、2022年10月7日に釜山国際映画祭でプレミア上映された映画である。英国のインド系移民コミュニティーの物語であり、セリフの9割以上は英語だが、少しだけヒンディー語のセリフが聞こえてくる。認知症になった母とその娘の物語だ。
監督はプーシャン・クリパラーニー。過去に「The Threshold」(2015年)を撮っているが、今まで名前を聞いたことがない監督であった。プレゼンテーターとしてアヌラーグ・カシヤプが関わっている作品で、主演は彼の元妻カルキ・ケクランとディープティー・ナヴァル。他に、ラジト・カプール、バールティー・パテール、シャナーヤー・ラーファトなどが出演している。
新型コロナウイルスのロックダウン中、英国のインド系移民が住むストリート。アナーミカー・フィールズ(カルキ・ケクラン)は、母親サードナー・トリパーティー(ディープティー・ナヴァル)の認知症が悪化したと聞いて久しぶりに実家に戻る。サードナーは数日前に消防車を呼んで一騒動を起こしていた。
サードナーは夫と離婚してアナーミカーを父親から引き離し、このストリートに移住してきた。父の死後、養育費が得られなくなったことで、彼らは経済的に困窮した過去があった。アナーミカーは、彼女が飼っていた金魚を捨てた母親を恨んでおり、サードナーとアナーミカーの仲は悪かった。アナーミカーは若くして実家を出たため、あまり近所の住人と面識がなかった。アナーミカーは母親を老人ホームに入れようと考えていた。
アナーミカーは遺言書に自宅の相続人としてアシュウィン・ラーイナー(ラジト・カプール)という人物を指定していた。アシュウィンは同じストリートでスーパーマーケットを経営する男性であった。アナーミカーはアシュウィンに会いに行く。アシュウィンは、サードナーを老人ホームに入れず、ずっと自宅に住まわせるように頼む。
近所に住む元看護師のラクシュミー(バールティー・パテール)が毎日サードナーの面倒を見てくれることになった。ラクシュミーはサードナーを散歩に連れ出すなどしてくれて、彼女の体調はかなりよくなった。だが、糖尿病の悪化によりラクシュミーは発作を起こし死んでしまう。
老人ホームは高価だったが、求職中だったアナーミカーは職が得られ、資金のめどが立った。また、アナーミカーは母親の認知症がかなり進行していることにも気付く。アナーミカーは母親を老人ホームに移す準備を始める。だが、最後の最後で彼女は思い止まり、老人ホームから来た人々に帰ってもらった。サードナーは、目の前にいるアナーミカーが誰なのか分からないと明かすものの、幸福感を覚えていた。
元フランス領プドゥッチェーリ(ポンディシェリー)でフランス人の両親から生まれたカルキ・ケクランは、フランス人顔したインド人女優というユニークな立ち位置にいる。「Goldfish」で演じたのは、英国人の父親とインド人の母親の間に生まれた女性である。父親は既に死んでいるため全く登場しない。母親のサードナーは古典音楽家であり、かつてはBBCで演奏をして生計を立てていた。
この映画のキーとなるのは母娘の不仲である。象徴的なエピソードとして語られるのがペットに関するやり取りだ。幼いアナーミカーは犬を欲しがったが、経済的に余裕のなかったサードナーはそれを却下し、代わりに金魚をペットとして娘に与えた。犬が欲しかったアナーミカーは不満に感じた。とはいっても、どうもそれなりに彼女は金魚をかわいがっていたことが読み取れる。ところが、ある日アナーミカーが家に帰ると、母親が金魚をトイレに流して捨ててしまった。それはトラウマとなってアナーミカーの脳裏にいつまでも刻み込まれていた。
アナーミカーは母親と不仲だったため、実家を出て以来、全く帰っていなかったことがうかがわれる。今回、彼女は母親が認知症になったことを知って久しぶりに実家に戻った。彼女は母親を老人ホームに入れようと考えていた。彼女の実家が位置するストリートには親切なインド系移民たちが住んでおり、一種のコミュニティーを形成していた。ちょうど新型コロナウイルスのロックダウン時であり、人々は適当にマスクを着用しながら巣ごもり生活をしていた。
もうひとつのキーになるのはサードナーの認知症の進行度合いである。当初、アナーミカーはあまり深刻に考えておらず、むしろ自分が抱える過去のトラウマを母親の口から引き出そうとしていた。だが、最後に彼女は、母親が何も覚えていないことを察知する。母親の部屋のクローゼットにはアナーミカーなどの写真が貼られ、そこに名前が書かれていた。母親は、金魚を捨てたエピソードなどを話してくれたが、もしかしたらアナーミカーに合わせて語っていただけかもしれなかった。
アナーミカーはさっさと母親を老人ホームに入れてしまおうと考えていたが、老人ホームで出会ったかわいそうなお爺さんのことを思い出し、思い止まる。サードナーはついにアナーミカーのことを全く覚えていないと明かすが、それでもそれでいいと語る。確かに母娘の間には多くの遺恨があったかもしれない。だが、母親が全てを忘れてしまった今、アナーミカーには彼女と関係を再構築できるチャンスがあった。アナーミカーは母親を老人ホームに送ることを止め、彼女と一緒に静かにお茶を飲む。そうして映画はゆっくりと幕を下ろしていく。
一方に過去のトラウマを忘れられない娘がおり、一方に過去のことを何も覚えていない母親がいる。この二人を対比し、最後に和解を提示することで、人間関係において過去はもしかしたらそれほど重要ではないかもしれないということがほのめかされていた。
カルキ・ケクランとディープティー・ナヴァルは、世代こそ違うが、どちらも演技力のある女優である。この二人のしっかりとした演技を楽しめるだけでも、この「Goldfish」は見ものだ。「金魚」を題名にしていながら全く金魚を映像で見せていないという点からは監督のセンスを感じた。
「Goldfish」は、コロナ禍を時代背景とし、英国のインド系移民コミュニティーを周辺環境に設定して、認知症を題材にした母娘の静かな感動ストーリーである。セリフはほぼ英語であるが、家族の絆を前面に押し出したことで、インドらしさは失われていない。カルキ・ケクランとディープティー・ナヴァルの競演も見ものである。必見の映画だ。