Tikdam

4.0
Tikdam
「Tikdam」

 2024年8月23日からJioCinemaで配信開始された「Tikdam(策略)」は、農村から都市への出稼ぎ問題を子供の視点から描いた心温まる作品である。地球温暖化、気候変動、汚染問題など、環境問題にも触れられており、子供向けの環境学習映画にもなっている。

 監督はヴィヴェーク・アーンチャリヤー。「Rajma Chawal」(2018年/邦題:ラジマライス 父の秘密作戦)の脚本を務めた人物である。

 キャストは、アミト・スィヤール、ナヤン・バット、アジート・サルウォータム・ケールカル、アリシュト・ジャイン、アーローヒー・サウド、ディヴィヤーンシュ・ドイヴェーディーなどである。この中でもっとも名の売れている俳優はアミト・スィヤールであるが、子役中心の映画ということもあり、スターパワーはほぼゼロである。

 山間にあるスクタール村に住むプラカーシュ(アミト・スィヤール)は、父親(アジート・サルウォータム・ケールカル)、母親(ナヤン・バット)、亡き妻との間にできた2人の子供サマイ(アリシュト・ジャイン)とチーニー(アーローヒー・サウド)と住んでいた。プラカーシュは村にある外資系ホテルで真面目に働いていたが、ある日、ロンドンからローズがやって来て、財政的な問題からホテルを閉めると言い出す。もちろん、支配人以下、全員解雇だった。ただし、ローズはプラカーシュの誠実な勤務振りを知っており、彼にムンバイーのホテルへ転勤することを提案する。プラカーシュは一旦それを断る。

 サマイとチーニーの通う学校でピクニックが催されることになった。しかし、彼らの家は貧しく、ピクニックの代金が払えなかったこともあって、許可を出してくれなかった。サマイとチーニーは親友のバーヌ(ディヴィヤーンシュ・ドイヴェーディー)に助言を求めながら何とかピクニックに行かせてもらえるように頼む。家で一番権力を持っていたのは祖母で、彼女はプラカーシュに、月給3万ルピーの仕事を見つけたら子供たちをピクニックに行かせてもいいと言う。プラカーシュはローズに連絡し、ムンバイーでの仕事を受け入れる。月給は3万5千ルピーだった。

 サマイとチーニーはピクニックに行けることを喜ぶが、その代わりに大好きな父親がムンバイーへ出稼ぎに行ってしまうことを悲しむ。スクタール村の男性たちはほとんど皆、都会に出稼ぎに出ており、これは多くの子供たちが抱える問題だった。彼らは、スクタール村に雪が降らなくなり、観光の目玉がなくなったことで、観光客が減り、父親の働くホテルが潰れると考えた。雪が降らなくなった原因は地球温暖化と気候変動であった。彼らは環境問題を解決し、スクタール村に昔のように雪を降らせ、観光客を呼び戻そうとする。そうすれば父親もムンバイーへ行く必要はなくなるはずだった。

 サマイ、チーニー、バーヌは学校の友人たちを集め、木の伐採やプラスチックの使用などを止めさせる。さらに、環境を守るためにディーワーリー祭に花火で遊ばないというキャンペーンを始める。代わりに彼らはランタンを飛ばすことを提案した。おかげでその年のディーワーリー祭には誰も花火で遊ばなかった。

 だが、彼らの必死の努力も虚しく、気温は下がらず、雪は降りそうもなかった。彼らは、自分たちの行動とは関係なく気温が変化していたことにも気付く。ディーワーリー祭が終わった後、プラカーシュは子供たちが寝ている間にムンバイーに旅立つ。目を覚ましたサマイとチーニーは必死で父親を追いかけるが、彼の乗った列車は既に出た後だった。だが、プラカーシュは列車の中で考えを変え、列車を止めて引き返してくる。彼はスクタール村に留まることを決めた。

 その後、ローズから電話があり、スクタール村のホテルを再開すること、その支配人になることを提案された。サマイたちの活躍のおかげでスクタール村がSNS上でバズり、観光客が押し寄せてきたのだった。

 ヒンディー語映画は基本的にムンバイーなどの都市を舞台にしていることが多く、そこには故郷の村を出て出稼ぎにやってきたと思われる人々の姿が時々見られる。そもそも、ヒンディー語映画産業自体がそのような出稼ぎ労働者たちによって下支えされているといっても過言ではない。だが、「Tikdam」では、出稼ぎ労働者を送り出す側である農村を舞台にし、後に残された人々の心情を、特に子供の視点から描き出している。

 現在、インドでは年間約1,500万人の出稼ぎ労働者が都会に流れ込んでいるという。このままのペースで農村から都市への人口移動が続けば、いつか農村が空っぽになってしまうのではないかと思われてくる。

 田舎の人々が出稼ぎに出る一番の理由はお金であろう。大した産業のない村ではろくに仕事がなく、稼ごうと思ったら都会に出るしかない。ただ、どうもお金だけではない理由も垣間見えた。主人公サマイの父親プラカーシュの弟チャンダンはムンバイーへ出稼ぎに出る前に、「大人物になるためには大都市に行かなければならない」と語る。純朴なプラカーシュは「大人物になってどうするんだ」と冷静に聞くが、チャンダンは「有名になる」など、曖昧な答えしかできない。大してお金に困っていなくても、名誉もしくは見栄のために漠然と都会に吸引されていく村人たちの姿が浮かび上がる。

 ただ、「Tikdam」の舞台になっていたスクタール村では多少状況が異なった。スクタール村には美しい湖など豊かな自然があり、観光地としてのポテンシャルがあった。現に、スクタール村には既にいくつかホテルが建っており、かつては山間の避暑地として栄えただろうことがうかがわれた。スクタール村の観光業が衰退したのは、一番の売りだった雪が降らなくなったためだった。ここで、映画の主題に環境問題が加わることになる。サマイの父親は外資系ホテルで働いており、そのホテルが閉業することが決まる。スクタール村に働き口は容易に見つからなかった。そこでプラカーシュはムンバイーへ出稼ぎに出ることを余儀なくされるのである。逆にいえば、スクタール村に雪が降り、観光業が復活すれば、父親の出稼ぎを止める手立てがあった。何の産業も観光資源もない一般の村とは解決法が異なる。

 ところで、サマイやチーニーの従兄弟プリンスの父親チャンダンは既にムンバイーで出稼ぎをしていた。おかげで、プリンスの家はサマイやチーニーの家よりも経済的に余裕があり、学校で催されたピクニックの料金もすぐに支払うことができた。出稼ぎ者のいる家庭とそうでない家庭の間の経済格差も、農村で出稼ぎが触れるひとつの原因になっているのだろう。ただ、この映画の視座は子供に置かれている。子供にとって、お金のことはよく分からない。欲しいものを何でも買ってもらえるのは羨ましいが、子供たちにとって、父親がそばにいることが一番の幸せだった。サマイとチーニーは何とか父親の出稼ぎを止めさせようと奮闘する。

 子供が親に何とかお願いを聞いて欲しいとき、どんな行動を取るか。「Tikdam」では、誇張もあるものの、インド人の国民性を示す例があった。お手本は、非暴力・不服従により独立運動を率いた「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーだ。急に家のお手伝いをし出すというのは日本でもありそうだが、その効果がないと分かるとハンガーストライキを始めるのはインドならではだ。ガーンディーも独立運動の一環としてよくハンガーストライキをした。だが、サマイやチーニーは子供なので、空腹には長く耐えきれず、夜中にこっそり食事をするのであった。

 雪を降らせるため、サマイたちは森林伐採やプラスチックの使用を止めさせようとする。このあたりは教育映画的である。ディーワーリー祭のときにはインド人は一斉に花火をする。これが深刻な大気汚染を引き起こし、毎年問題になっている。サマイたちは、花火の代わりにランタンを空に放つことを提案し、実際に実行する。ランタンはランタンでゴミになってしまい、完全な環境問題解決にはならないのだが、面白い提案である。映画では、これが環境問題よりも観光業の復興につながったことになっていた。夜空に浮かぶランタンがスクタール村のディーワーリー祭に幻想的な光景を加え、観光客に受けてバズり、プラカーシュの勤めるホテルが再開されることになったのである。

 映画のナレーションはサマイの妹チーニーが行っていた。ただ、チーニーはナレーションはしっかり話すのだが、会話では変な言葉しかしゃべらない。それを解読できるのはサマイだけだった。チーニーがなぜ普通にしゃべらないのか、映画の中で特に説明はなく、それが物語の伏線になっているわけでもなかった。

 セリフがとてもいい映画だった。たとえば、湖に落ちて溺れたサマイに父親は「お前は私の唯一の息子なんだ」と優しく叱りつけるが、サマイはそれに対し、「父さんは僕の唯一の父さんなんだ」と返す。そんな心温まるセリフのやり取りがこの映画にはあふれていた。

 ヒンディー語映画界では時々子供映画が作られるのだが、いい映画が多い。「Tikdam」も、子供が楽しめるシンプルさがありながら、大人が観ても残るものがある、奥の深い映画だ。地方の出稼ぎ問題と環境問題をリンクさせているところも巧みである。有名な俳優はほとんど出て来ないが、子役を含め演技も素晴らしく、最後には感動の涙を流すのは必至だ。必見の映画である。