デーヴダース

 ベンガル語作家シャラトチャンドラ・チャットーパーディヤーイ(1876-1938年)の小説。1917年に初版。インドの文学作品でもっとも多く映画化された小説であり、ヒンディー語映画だけでも「Devdas」(1936年)、「Devdas」(1955年)、「Devdas」(2002年)、「Dev. D」(2009年)などがある。原典はベンガル語だが、これはヒンディー語訳からの重訳である。

第1章

 ヴァイシャーク月1の暑い昼下がりだった。日は容赦なく照りつけ、灼熱の暑さだった。ムカルジー家のデーヴダースは、学校の教室の片隅に積まれた土山の上に座っていた。手には石版2を抱えていた。目を開けたり閉じたり、足を伸ばしたり縮めたりしていたが、とうとう我慢できなくなってしまった。こんなに天気のいい日に、あちこち散歩をしたり凧揚げしたりすることもなく教室に閉じこめられていることを無意味に感じた。と、そのとき彼は大変面白いことを思い付き、石版を持って立ち上がった。

 学校は今、昼休みだった。子供たちの一団が、大声を上げながらバニヤン樹の下でグッリー・ダンダー3をして遊んでいた。デーヴダースは表ではしゃぎ回っている子供たちの方を見た。デーヴダースには昼休みがなかった。なぜなら担任のゴーヴィンド先生は、昼休みにもしデーヴダースを学校の外に出してしまったら二度と戻ってこないことを熟知していたからである。その上、デーヴダースの父親の命令により、彼は昼休みに外出を禁止されていた。昼休みになると、学級委員のブーローによる監視の下、学校の中に残らなければならなかったのである。

 教室の中ではゴーヴィンド先生が、疲れているのか、目を閉じて眠っていた。もう一方の隅では、級長のブーローがベンチにドッカリと腰を下ろしており、時々無関心そうに、外で遊んでいる子供たちの方と、デーヴダースとパールヴァティーの方を代わる代わる見ていた。パールヴァティーは1ヶ月前に学校に入ってきた女の子だった。先生はすぐに彼女を気に入り、安心して眠ってしまったのだった。彼女はそのとき教科書の最後のページに、先生の似顔絵を墨で描いていた。まるで熟達した画家のように真剣に観察しており、鏡に映ったかのようにそっくりな似顔絵にしようと努力していた。そこまでそっくりにならなかったとしても、彼女は絵を描くことで十分な喜びと満足感を得ていたのだった。

 石版を持って立ち上がったデーヴダースは、ブーローに聞こえるように独り言を言った。「どうも問題が解けないんだよな~。」

 ブーローがいぶかしげに言った。「何の問題?」

 「マン、セール、チャターンク4の問題なんだけど。」

 「石版を見せて。」

 そんな会話をしながらデーヴダースはブーローに歩み寄っていた。デーヴダースは石版をブーローに手渡すと、近くに立った。ブーローは解説しながら、そこに書き込み始めた。「1マンの油の値段が14ルピー9アーナー3パーイー5だとすると・・・」

 そのとき事件が起こった。手と足が壊れたベンチに、級長のブーローは3年間座り続けていた。その席の裏には石灰の大きな山があった。昔、先生が安く買ってきたもので、いつかそれで新しい部屋を作ろうと思っていたのだった。彼はその白い石灰をとても大事にしていた。世の中のことに無知で、計画性のない乱暴な少年たちに、少しでもその石灰の山を崩されないよう注意しなければならなかった。だからお気に入りの生徒であり、高学年のボーラーナート(ブーロー)がこの警備を仰せつかっていたのだった。彼はベンチに座ってずっとそれを守っていた。

 「1マンの油の値段が14ルピー9アーナー3パーイーだとすると・・・」と書いていたボーラーが突然「うわ~!」と大声を上げた。その瞬間、パールヴァティーは腹を抱えて笑い出した。居眠りしていたゴーヴィンド先生は驚いて目を覚まし、とっさに立ち上がった。眠気で赤くなった目で彼が凝視すると、表の木の下で男の子たちが列になって一緒にホーホー言いながら走っているところだった。と同時に、壊れたベンチの上に2本の足が立っているのが見え、先生の目は火山のように噴火した。先生は大声で叫んだ。「どうした?一体何が起こったんだ?」

 しかし、そこには誰も答えられる者がいなかった。パールヴァティーがいたが、彼女は床の上で笑い転げていた。先生の質問は怒号に変わった。「一体何が起こったんだ?」

 石灰の山の中からボーラーナートの白い姿が現れた。怒りで震えた先生が尋ねた。「何てことだ、お前が中にいたのか?」

 「エ~ン、エ~ン・・・」

 「おい?」

 「デーヴァー(デーヴダース)の奴が僕を押して・・・」

 「それで?」

 しかし、すぐに先生は全てを理解し、座り込んで尋ねた。「デーヴァーがお前を押して石灰の中に突き落とし、逃げたんだな?」

 ブーローはさらに泣き出した。先生が彼の身体に付いた石灰を少しはたくと、白と黒のまだらになり、級長はオバケのようになってしまった。それを知って彼はさらに激しく泣き出した。

 先生は言った。「デーヴァーがお前を突き飛ばして逃げたんだな?」

 ブーローは「エ~ン、エ~ン」と泣くだけだった。

 先生は言った。「もう許さん。」

 ブーローは「エ~ン、エ~ン」と泣き続けた。

 先生は尋ねた。「他の子供たちはどこだ?」

 子供たちが赤い顔をし、息せき切って入ってきて言った。「デーヴァーを逃しました。レンガを投げてきて、捕まえられませんでした。」

 別の子供がさっきと同じことを繰り返した。「レンガを投げてきて・・・」

 「もういい、黙れ。」

 子供たちは黙って隅に座った。怒りで震えていた先生は、まずパールヴァティーを叱りつけた。そしてボーラーナートの手を掴んで言った。「屋敷に行くぞ。地主に伝えなければ。」

 つまり、地主のムカルジーのところで、彼の息子の振る舞いについて文句を言うということだ。

 3時になるところだった。地主のナーラーヤン・ムカルジーは、外に座って水タバコを吸っていた。1人の召使いが手に団扇を持って扇いでいた。先生が子供を連れて突然やってきたことに驚いて彼は言った。「あれ、ゴーヴィンド先生?」

 ゴーヴィンドはカーヤスト6の者で、地面に手を触れて慇懃に挨拶をした。そしてブーローの姿を見せ、全てを詳細に説明した。ムカルジーは肩を落として言った。「もうデーヴダースは手に負えない・・・。」

 「どうしましょうか。おっしゃるとおりにします。」

 地主は水タバコを置いて言った。「あいつは今どこに行った?」

 「全く分かりません。追いかける子供たちにレンガを投げつけて、追い払ったんです。」

 二人はしばらく黙っていた。その沈黙をナーラーヤンが破った。「よし、あいつが戻ってきたら、然るべきことをする。」

 ゴーヴィンド先生はブーローの手を握り、恐ろしい表情をしながら学校に戻ってきて、学校の子供たちの前で声高らかに宣言した。「デーヴダースの父親はこの村の地主だけれども、息子をこの学校から追い出すことを決めた。」

 その日、学校はいつもより早く終わった。家に帰る途中、子供たちはあれこれ話し合いながら歩いた。

 ある男の子が言った。「まったく、デーヴァーはなんて命知らずなんだ。」

 すると別の男の子は言った。「ブーローの奴によく一泡吹かせてやったもんだな。」

 「それにしてもレンガを投げてくるとはな。」

 ある男の子はブーローに味方して言った。「ブーローはこの仕返しをするだろうね、きっと。」

 「ヘッ!仕返しするっていっても、あいつはもう学校には来ないだろうよ。」

 子供たちがこのように話し合って歩いている一方で、パールヴァティーも石版と教科書を抱えながら帰路に就いていた。近くの男の子の手を掴んで質問した。「マニ、本当にデーヴダースは学校に入れさせてもらえないの?」

 マニは答えた。「そうさ、絶対に入ることはできないだろうね。」

 パールヴァティーはそれ以上話さなかった。そんな話など聞きたくなかったからだ。

 パールヴァティーの父親の名前はニールカント・チャクラヴァルティーといった。ムカルジー氏の大邸宅の隣に、彼の小さな古いレンガ造りの家があった。10-12ビーガー7ほどの土地と数人のヤジマーン8を持っており、地主の家族とも親しかった。パールヴァティーは彼の唯一の子供だった。彼の家族は幸せに暮らしていた。

 パールヴァティーは、デーヴダースの家の召使い、ダラムダースに会った。彼は、デーヴダースが1歳のときから12歳になった現在まで、彼の養育係を務めていた。毎日ダラムダースはデーヴダースを学校まで送り迎えしており、今日もそのために学校に向かっていた。パールヴァティーを見て彼は聞いた。「パーロー(パールヴァティー)、デーヴ坊ちゃんはどこ?」

 「逃げちゃった。」

 ダラムダースはびっくりして尋ねた。「逃げた・・・?なぜ?」

 パールヴァティーはボーラーナートの憐れな姿を思い出してまた笑い出した。「あのね、ダラムおじさん、デーヴは、ハハハ、いきなりブーローを石灰の山に、ハハハ、突き落としたの・・・ブーローの頭は石灰の中に、足は上に・・・。」

 ダラムダースは全てを理解し切れなかったが、彼女の笑っている姿を見て、釣られて少し笑ってしまった。その後、すぐに真顔になって聞いた。「何を言ってるんだい?何が起こったんだい?」

 「デーヴダースがブーローを突き飛ばして石灰の山に・・・ハハハ!」

 ダラムダースはやっと理解し、とても心配になった。「パーロー、デーヴ坊ちゃんは今どこにいるんだい?君なら知ってるだろ?」

 「知らない。」

 「知ってるはずだよ、教えてくれないか。そうそう、きっと腹をすかしてるだろうからね。」

 「お腹すかしてるでしょうね、でも教えない。」

 「なんで教えてくれないの?」

 「教えたら私はすっごくぶたれるわ。そうだ、私がデーヴに食べ物を持って行ってあげる。」

 ダラムダースは幾分安心した。「そうかい。じゃあデーヴ坊ちゃんに食べ物を持って行っておくれ、そして暗くなる前に家に帰るように伝えてくれないかい?」

 「分かった。」

 パールヴァティーが自宅に戻ると、今日学校でデーヴダースのしたことが、彼女の母親とデーヴダースの母親両方に知れ渡っていることが分かった。母親にもいろいろ質問された。すると彼女はまた笑い出し、何とか笑いをこらえて起こった出来事を話した。全てを話し終えると、彼女はショールの端にいくつかのムーリー9をくるんで、ムカルジー邸のマンゴー畑へ向かった。この畑は両家の間にあり、その一角に竹林があった。彼女は、デーヴダースが隠れてタバコを吸うために、その中に空間を作って隠れ家にしていたことを知っていた。パールヴァティーの他に誰もこの場所を知らなかった。

 パールヴァティーがその隠れ家に着いて中を覗いてみると、デーヴダースが竹林の中で小さな水タバコを持って座っており、大人のようにタバコを吸っているのを見つけた。表情は厳しく、不機嫌そうな顔をしていた。パールヴァティーを見てデーヴダースは嬉しくなったが、顔には出さなかった。タバコを吸いながら言った。「こっちに来い。」

 パールヴァティーはデーヴダースのそばに座った。デーヴダースはパールヴァティーのショールの端にくるんであるムーリーに目が行った。何も言わずに彼はショールを開いてムーリーを食べ始め、言った。「先生は何て言ってた?」

 「先生はおじさんに全部知らせちゃったわよ。」

 デーヴダースは水タバコを地面に置き、驚いて言った。「父さんに?」

 「うん。」

 「で?それからどうなった?」

 「もう二度とデーヴを学校に行かせないって。」

 「僕だって勉強したくないよ。」

 ムーリーを全て食べ尽くしてしまったデーヴダースは、パールヴァティーの方を見て言った。「サンデーシュ10ちょうだい。」

 「サンデーシュは持ってきてない。」

 「なら水ちょうだい。」

 「水なんてどこにもない。」

 デーヴダースはガッカリして言った。「何にも持ってないんだったら、一体何のために来たのさ?さあ、行って水を持ってこいよ。」

 パールヴァティーはデーヴダースの素っ気ない口調が気に食わなかった。彼女は言った。「今私は行けないわ。デーヴが自分で行って飲んでくれば。」

 「今、僕が外を出歩けるわけないだろ?」

 「じゃあ、ずっとここに隠れてるの?」

 「今のところはここにいるよ。その後どっかに逃げるさ。」

 パールヴァティーは悲しい気持ちになった。デーヴダースが世を捨てて出奔しようとしていると知り、彼女の目には涙があふれてきた。彼女は言った。「デーヴ、私も一緒に行くわ。」

 「どこに行くんだよ?僕と一緒に?そんなことできるわけないだろ?」

 パールヴァティーは頭を横に振って言った。「絶対に行くわ。」

 「駄目だ、お前は来ちゃいけない。とりあえず水を持ってきてくれ。」

 パールヴァティーはまた頭を振って言った。「私も行く!」

 「まずは水を持ってこい。」

 「いやよ。私は行かないわ。デーヴがまた逃げるから。」

 「そんなことないって。僕は逃げないよ。」

 しかし、パールヴァティーは彼の話を信じていなかった。だからそのまま座っていた。デーヴダースは再び指図した。「行けって言ってるだろ!」

 「私は行かないから。」

 デーヴダースは怒ってパールヴァティーの髪の毛を引っ張って脅した。「行けって言ってるんだ。」

 パールヴァティーは何も言わなかった。デーヴダースはパールヴァティーの背中を拳で殴って言った。「行かないのか?」

 パールヴァティーは泣き出して言った。「何が起こっても絶対に行かない。」

 デーヴダースは突然立ち上がって外へ走り出た。パールヴァティーも泣きながら立ち上がり、デーヴダースの父親のところへ行った。ムカルジー氏はパールヴァティーをとても可愛がっていた。優しい声で彼女に尋ねた。「どうした、パーロー?どうして泣いているんだい?」

 「デーヴが私を叩いたの。」

 「デーヴはどこだ?」

 「あそこ、竹林の中で座ってタバコを吸ってたわ。」

 教師が来たときからイライラして座っていたナーヤーヤンは、それを聞いて怒りを爆発させて言った。「デーヴァーはタバコを吸っているのか?」

 「うん。毎日吸ってるわ。竹林の中に水タバコを隠してあるの。」

 「そうか、なぜもっと早くそのことを教えてくれなかったんだ?」

 「教えたらデーヴにひどく殴られるから。」

 しかし、それは本当の理由ではなかった。もしそのことがばれたら、デーヴはこっぴどくお仕置きを受けることを知っていたから、教えなかったのだった。今日はあまりに頭に来たから教えてしまった。このとき彼女の年齢はまだ8歳だった。とても怒ってはいたが、知恵や分別が足りないというわけではなかった。彼女は自分の家に帰り、ベッドに横になった。そして夜遅くまで泣いた後、眠ってしまった。その夜、彼女は何も食べなかった。

第2章

 翌日、デーヴダースはひどくお仕置きされた。一日中部屋に閉じ込められた。母親が泣いて懇願したため、やっとのことで謹慎を解かれた。次の日の早朝、彼は家から抜け出てパールヴァティーの部屋の窓の下に行って叫んだ。「パーロー!おい、パーロー!」

 パールヴァティーは窓を開けて言った。「デーヴ!」

 デーヴダースは手招きして言った。「急いで下に来い!」

 パールヴァティーが下に降りると、デーヴダースは聞いた。「お前、なんでタバコのことばらしたんだ?」

 「どうして私を殴ったりしたの?」

 「なんで水を持ってこなかったんだ?」

 パールヴァティーは黙ってしまった。デーヴダースは言った。「お前はバカだよ、パールヴァティー!よし、いいか、今日から絶対に誰にもばらすなよ。」

 「分かったわ。」パールヴァティーは頭を振って11答えた。

 「よし、行こう。竹を切って、今日は池で魚釣りでもしよう。」

 竹薮の近くにノーナー12の木があった。デーヴダースはその木の上に登り、苦労して一本の竹の先を引っ張って曲げ、パールヴァティーにそれを掴ませた。そして言った。「いいか、それを放すなよ、落ちちゃうから。」

 パールヴァティーは力いっぱい掴んだ。デーヴダースはノーナーの木の枝に足を置き、竹を掴んで切り始めた。下からパールヴァティーは質問した。「デーヴ、学校は行かないの?」

 「行くもんか。」

 「おじさんは学校に行かせると思うわ。」

 「父さんが僕に言ったんだよ、もうあそこには行かないって。先生が家に来て教えてくれるみたいだよ。」

 パールヴァティーは心配になって言った。「デーヴ、暑くなったから、明日から学校は午前中で終わりになるみたいよ。じゃあ私は行くわ。」

 デーヴダースは上から慌てて言った。「駄目だ、行っちゃ駄目だ。」

 このときパールヴァティーは気をそらしてしまった。竹が彼女の手から離れて上に跳ね上がり、デーヴダースはノーナーの枝から下に落ちてしまった。枝はそれほど高くはなかったので大した怪我こそしなかったものの、体のあちこちの皮がむけてしまった。デーヴダースは激怒した。地面に落ちていた棒を拾ってパールヴァティーの腰や頬、腕や足などあちこちをぶって、叫んで言った。「どっかへ行っちまえ!」

 パールヴァティーは自分の不注意を申し訳なく思ったが、デーヴダースにひどくぶたれたことで、怒りと自尊心で目が火のように燃えあがった。彼女は泣きながら言った。「今からおじさんに言いつけてやるから!」

 デーヴダースは怒ってもう一度ひっぱたいて言った。「行けよ、行って言いふらせばいい!僕は何ともないからな。」

 パールヴァティーは歩いて行った。パールヴァティーが遠くに行ってしまうと、デーヴダースは叫んだ。「パーロー!」しかし、パールヴァティーは無視して急ぎ足で歩いて行った。デーヴダースは再び大声で叫んだ。「おい、パーロー!ちょっと聞けよ!」

 パールヴァティーは答えなかった。デーヴダースは諦めて一人でつぶやいた。「死んじまえ!」

 パールヴァティーは去って行ってしまった。その後、デーヴダースは何とかして数本の竿を作った。彼はすっかり機嫌が悪くなってしまった。パールヴァティーは泣きながら家に戻った。庭に立っていた彼女の祖母が、パールヴァティーの頬にできていた青いアザを見て叫んだ。「あれ、誰がこんなひどいことをしたんだい?」

 「先生が・・・!」パールヴァティーが涙を拭いながら答えた。

 祖母は彼女を抱き上げて、怒って言った。「私は今からナーラーヤンのところへお前を連れて行くよ。おやまあ、なんて教師だ!女の子を容赦なく叩くなんて!」

 パールヴァティーは祖母に抱きついて言った。「行こ!」

 ムカルジー氏のところに着くと、祖母はその教師の先祖の悪口を並べ立て、ゴーヴィンド先生自身をも罵りながら言った。「ナーラーヤン!あのムンシー13のしでかしたことを見てみなよ、ナーラーヤン!シュードラ14のようになって、ブラーフマン15の女の子に手を上げたんだよ!しかもこんなにひどく!」祖母はパールヴァティーの頬のアザを指差した。

 そこでナーラーヤン・ムカルジーはパールヴァティーに聞いた。「誰が叩いたんだい、パーロー?」

 パールヴァティーは何も答えなかった。祖母は叫んで言った。「他に誰が叩くっていうんだい?あのヘボ教師の他に!」

 「誰が叩いた?」ナーラーヤンはもう一度聞いた。

 パールヴァティーは黙ったままだった。ムカルジー氏は彼女が何かいけないことをしたからぶたれたのだろうと思ったが、「こんなにひどくぶつのはよくない」と言った。

 それを聞いたパールヴァティーは背中を開けて見せて言った。「ここも殴ったの!」

 背中にはさらに大きなひどいアザがあった。それを見た二人は怒り心頭に達した。ムカルジー氏は、「教師を呼んで、なんでこんなことをしたのか、聞いてみることにする!」と言ったが、その後考え直し、そんな残酷な教師のもとに子供を送るのは適切ではないということになった。

 それを聞いてパールヴァティーは喜んだ。彼女は祖母に抱かれて家に戻った。家に着くと母親が彼女に問いただした。「先生はなんで叩いたの?」

 「理由なしに叩いたの!」パールヴァティーは答えた。

 「理由なく叩くなんてことがあるかい?」パールヴァティーの母親は彼女の耳を引っ張って言った。

 そのとき姑が廊下を通りがかったり、部屋の入口近くで言った。「母親のくせにあんたはそうやって娘を叩いているじゃない。ならあの教師が叩くこともあるでしょうよ。」

 嫁は言った。「わけもなく先生が叩くはずがありません!この子がそんなお行儀いい子ですか?何かしたんでしょう、だから叩かれたんでしょう。」

 姑は残念な気持ちになって言った。「そうかい、まあいいさ、でも、私はこの子を学校には行かせないよ。」

 「読み書きを学ばせないっていうの?」

 「それでどうなるの?手紙が書けて、少し『ラーマーヤナ』16や『マハーバーラタ』17が読めれば十分だよ。パーローが判事や弁護士になるわけでもあるまいし。」

 とうとう嫁は黙ってしまった。

 その日の夕方、デーヴダースは恐る恐る家に戻った。デーヴダースは、絶対に出掛けている間にパールヴァティーが全てをぶちまけたと信じていた。しかし、そんな様子は全く感じられなかった。代わりに母親から、ゴーヴィンド先生がパールヴァティーの頬と背中をひどくぶったという話を聞いた。そして、彼女ももう学校に行かないと知った。それを聞いて彼は嬉しさのあまりろくに食べ物も食べられないほどだった。お腹の中に適当に食べ物を詰め込んで、パールヴァティーのところへすっ飛んで行って尋ねた。「お前はもう学校に行かないのか?」

 「行かないわ。」

 「どうしてそうなった?」

 「先生が私をひどくぶったって言ってやったの。」

 デーヴダースは大笑いした。そして彼女の背中を叩いて、「お前みたいな賢い女はこの世に2人といない」と言った。そしてパールヴァティーの頬のアザに気付き、「あぁ」とため息をついた。

 パールヴァティーは少し微笑んで彼の顔を見て言った。「なに?」

 「ひどい怪我だな・・・。そうだろ、パーロー?」

 パールヴァティーは首を振って答えた。「そうよ!」

 「いいか、もうあんなことするなよ。僕は頭に来てたんだ。だからお前を殴っちまったんだ。」

 パールヴァティーの目に涙があふれ出てきた。心の中で、「あんなことするな」などと言われたことについて何か言おうと思ったが、口には出さなかった。

 彼女の頭に手を置いてデーヴダースは言った。「いいか、これからあんなことはするんじゃないぞ!いいか?」

 「しないわ。」パールヴァティーは首を横に振って答えた。

 デーヴダースは再び彼女を褒めて付け加えた。「僕もこれからお前を殴ったりしないからな!」

第3章

 一日また一日と過ぎて行った。二人の喜びは限りなかった。一日中あちこち遊び回り、夕方になって家に帰ると叱られた。そして翌朝になるとまたすぐに家を飛び出し、夜には再び叱られた。毎晩遊び疲れてぐっすり眠ってしまうのだが、また朝になると外へ飛び出して元気一杯遊び回った。二人には他に友達がいなかったし、その必要もなかった。近所で騒いだり悪さをしたりするのに二人いれば十分だった。

 その日、日の出前に二人は池にいた。昼になるまで必死になって池中を引っ掻き回し、合計15匹の魚を競争して捕まえ、二人で山分けして持ち帰った。ところが、パールヴァティーの母親は彼女をさんざん叱って部屋に閉じ込めてしまった。デーヴダースのことはよく分からなかった。彼はそういうことはあまり話さないからだ。パールヴァティーは部屋に座って泣いていた。ちょうど2時か2時半くらいの頃だった。デーヴダースは窓の下に来て、声をひそめて呼んだ。「パーロー、おいパーロー!」パールヴァティーはその声を聞いたのだが、機嫌が悪かったので無視していた。すると、彼は近くにあったチャンパー18の木の下に座ってずっとパールヴァティーが顔を出すのを待っていた。夕方になってダラムダースがやってきて、彼をどうにかこうにか説得してやっと家に連れ帰った。

 パールヴァティーが部屋に閉じ込められたのはその日だけだった。次の日、パールヴァティーはデーヴダースを待っていたが、彼は来なかった。実は彼は父親と共に隣村に招待されて行っていたのだった。デーヴダースが来なかったので、パールヴァティーはがっかりして一人で外に出た。昨日、池でデーヴダースはパールヴァティーに3ルピーを預けた。忘れないように、ショールの端に3枚の貨幣を結んだ。彼女はそのショールを振ってブラブラ歩きながら時間を潰した。そのときはまだ午前中で、皆学校に行っていたので、誰にも友達に会わなかった。パールヴァティーはマノールマーの家がある地区に足を延ばした。マノールマーは学校に通っている、パールヴァティーよりも少し年上の女の子だった。でも二人はとても仲良しだった。長い間会っていなかったため、今日は久しぶりの訪問だった。パールヴァティーは彼女の家へ行って呼んだ。「マノー、いる~?」

 マロールマーの叔母が出て来た。 

 「パーロー?」

 「うん、マノーはどこ?」

 「あの子は今学校に行ってるよ。お前は行かないのかい?」

 「私は行かないわ。デーヴも行ってないの。」

 マノールマーの叔母は笑って言った。「そうかい、お前もデーヴも学校に行ってないのかい。」

 「うん、私たちのどちらも行ってないの。」

 「そうかいそうかい、でもマノーは学校に行ってるのよ。」

 叔母は座るように言ったが、パールヴァティーはそのまま帰ってしまった。道中、ラスィクパールの店のそばで、カンジュリー19を持ったヴァイシュナヴィー20の女乞食が3人歩いていた。パールヴァティーはその乞食たちに向かって言った。「ねえ、ヴァイシュナヴィー、あなたたちは歌を歌えるの?」

 一人が振り返って言った。「歌えるとも、お嬢ちゃん!」

 「じゃあ歌ってよ!」三人は振り向いて立った。一人が言った。「ただじゃあ歌えないよ、お嬢ちゃん。施しをもらわなきゃ。お前の家へ行って歌おうじゃないか。」

 「駄目、ここで歌って。」

 「パイサー21をくれなきゃ歌わないよ。」

 パールヴァティーはショールの端の結び目を見せて言った。「パイサーじゃなくてルピー22があるわよ。」

 ショールの端にくるまっていたルピー貨幣を見た乞食たちは、店から少し離れた。そして三人はカンジュリーを叩き、声を合わせて歌った。何を歌ったか、どんな意味の歌だったか、パールヴァティーには全く分からなかった。望んだとしても理解できなかっただろう。しかし、そのとき彼女はデーヴを想っていた。

 歌が終わると、乞食たちは言った。「さあ、施しをおくれ。」

 パールヴァティーはショールの結びをほどいて彼女たちに3ルピーを与えた。三人は驚いて彼女の顔をしばらく見つめていた。

 一人が言った。「誰のルピーだい、これは?」

 「デーヴのよ。」

 「こんなことして、お前をぶたないかい?」

 パールヴァティーは少し考えてから言った。「ぶたないわ!」

 一人が言った。「長生きするように!」

 パールヴァティーは笑って言った。「3人でうまく分けられたでしょう?」

 三人は首を振って言った。「そうだね、ちょうど分けられたよ!ラーダー姫のご加護がありますように。」彼女たちはこの気前の良い小さな女の子が誰にもぶたれないように心から祈った。パールヴァティーはその日は早く家に戻った。

 次の日の早朝、パールヴァティーはデーヴダースに会った。彼は、小さなラターイー23は持っていたが凧がなかったので、今から買いに行くところだった。デーヴダースはパールヴァティーを見て言った。「パーロー、この前のルピーを返して!」

 パールヴァティーは焦って言った。「ない。」

 「どうした?」

 「ヴァイシュナヴィーにあげちゃったの。歌を歌ってくれたから。」

 「全部あげちゃったのか?」

 「うん。3ルピーしかなかったし。」

 「バカ野郎!なんで全部あげちゃったんだ?」

 「だって、3人いたのよ。3ルピーあげなきゃ3人でうまく分けられないでしょ?」

 デーヴダースは真剣な表情になって言った。「僕がいたら2ルピーしかあげなかっただろうな!」彼はラターイーで土の上に計算式を書きながら言った。「そうすれば、1人につき10アーナー13ガンダー1カウリー1クラーンティ24の分け前になるな。」

 パールヴァティーは少し考えてから言った。「おばあさんたちに計算ができるわけないでしょう。」

 デーヴダースはマン、セール、チャターンクの計算まで習っていた。パールヴァティーの言葉を聞いて嬉しくなって言った。「そうだな。」

 パールヴァティーはデーヴダースの手を掴んで言った。「よかった、あなたにまたぶたれるんじゃないかって思ってた。」

 デーヴダースは驚いて言った。「ぶつ?どうして?」

 「ヴァイシュナヴィーたちが言ったの。あなたが私をぶつだろうって。」

 それを聞いてデーヴダースは大笑いして、パールヴァティーの肩に寄りかかって言った。「僕がわけもなくお前をぶつとでも思ってたのか?」

 おそらくデーヴダースはこう考えていた――パールヴァティーのこの行為は、インド刑法には抵触しない。なぜなら3ルピーならちょうど3人で分け合うことができるから。特に、学校でマン、セール、チャターンクの計算を習っていないヴァイシュナヴィーたちに2ルピーを与えるのは非常に不当な行為だ。

 デーヴダースはパールヴァティーの手を握ると、小市場の方へ凧を買いに向かった。ラターイーを茂みの中に隠して・・・。

第4章

 そうこうしている内に1年が過ぎてしまった。これ以上息子を無為に過ごさせたくなかった母親は、大声を上げて夫を呼んで言った。「まったくデーヴァーはただの木偶の坊になってしまったわ。早く何とかしてください。」

 ナーラーヤン・ムカルジーは考えて言った。「デーヴァーをカルカッタに行かせよう。ナゲーンの家に住まわせれば、心置きなく勉強できるだろう。」

 ナゲーンはデーヴダースの叔父だった。その話はすぐに皆に広まった。パールヴァティーもそれを聞いて不安になった。デーヴダースが一人でいるのを見つけると、彼の手を握り、揺すりながら尋ねた。「デーヴ、カルカッタに行っちゃうの?」

 「誰が言った?」

 「おじさんが言ってたわ。」

 「いやだよ、絶対に行くもんか。」

 「もし無理矢理行かせられたら?」

 「無理矢理?」

 そのときのデーヴダースの顔を見て、パールヴァティーは誰も彼に何かを強制することはできないことがよく分かった。彼女もそうであって欲しかった。とりあえず安心したパールヴァティーは、もう一度彼の手を力いっぱい揺さぶって彼の顔を見て言った。「ねえ、どこにも行っちゃだめよ、デーヴ!」

 「どこにも行かないさ。」

 しかし、彼の宣言はもろくも崩れ去った。両親は彼をどなり散らし、はたき倒して、ダラムダースと共にカルカッタへ送ることを決めてしまった。出発の日、デーヴダースはとても落ち込んでいた。少しも新しい場所へ行く気にはなれなかった。パールヴァティーはその日、何としてでも彼に行って欲しくなかった。しかし、どんなに泣き喚いても、誰も彼女の言うことに耳を貸さなかった。

 すっかりいじけてしまったパールヴァティーは、ずっとデーヴダースと口を利こうとしなかったのだが、別れの間際にデーヴダースは彼女を呼んで話しかけた。「パーロー、僕はすぐ帰ってくるよ。もし帰してもらえなくても、逃げてくるさ。」そのときパールヴァティーは自分の心に次から次へと沸き起こってくる気持ちを一気にデーヴダースに話した。その後、デーヴダースは馬車に乗って、旅行カバンを持ち、別れを惜しむ母親の祝福を受け、彼女の目から落ちた涙の最後の一滴を額に受けて、去って行ってしまった。

 そのときパールヴァティーはどうしようもなく悲しくなって、目からあふれ出る涙はいつまでも止まらなかった。悲しみで心が裂けてしまいそうだった。当初の数日間は、ずっとそんな状態が続いた。しかし、ある日朝早く起きて彼女は考えた――毎日何もやることがない。学校に行くのをやめてしまって以来、朝から晩まで無駄に遊んで過ごしてしまった。勉強しなければいけなかったのに、時間がなかった。でも今なら他に何もすることがないから、時間が有り余っている。

 ある日、朝からパールヴァティーは手紙を書いていた。10時になると、母親は我慢できなくなり叱った。祖母はそれを聞いて言った。「ほっときなさい。朝からアチコチ走りまわるよりは、勉強してる方がマシじゃない。」

 デーヴダースから手紙が来た日は、パールヴァティーにとってとても幸せな日だった。階段に座って、一日中その手紙を何度も何度も読み返していた。このようにして2ヶ月が過ぎた。手紙の行き来も次第に途絶えがちになり、熱意もなくなっていった。

 ある日の早朝、パールヴァティーは母親に言った。「お母さん、また学校に行きたいわ。」

 「どうして?」母親は驚いた。

 パールヴァティーは首を振って言った。「絶対に行くわ。」

 「なら行きなさい。私はお前が学校に行くのを止めたことは一度もないよ。」

 その日の昼、パールヴァティーは久しぶりに石版と鉛筆を探し出して、召使いと一緒に外に出て学校へ向かった。そして自分の席にそっと座った。

 その召使いは言った。「先生、パーローをもうぶたないでくださいよ。この子は自分からまた勉強しに来たんです。この子が勉強したくなくなったら、また家に帰るでしょう。」

 先生は心の中で「そうなればいい!」とつぶやいたが、実際には「分かりました」と言った。

 先生は、どうしてパールヴァティーもカルカッタに送らないのか聞いてみようと思ったが、聞かなかった。パールヴァティーが見ると、同じ場所の同じベンチに級長のブーローが座っていた。パールヴァティーは彼を見て少し笑いが込み上げたが、すぐに目に涙があふれてきた。そしてブーローに対して怒りがこみ上げた。心の中でパールヴァティーは考えた――こいつがデーヴダースを家から追い出したんだ。

 その後、幾日も過ぎていった。

 久しぶりにデーヴダースが家に戻ってきた。彼はすぐにパールヴァティーのところへ行った。そしていろいろなことをしゃべった。彼は昔はそんなにおしゃべりではなかった。しゃべろうとしても、そんなに一度に話すことができなかった。しかし、デーヴダースは多くの話をした。ほとんど全部カルカッタの話だった。夏休みが終わると、またデーヴダースはカルカッタへ戻った。このときも涙の別れになったが、前ほどひどくはなかった。

 このようにして4年の歳月が流れた。この間にデーヴダースの心は変わってしまった。その変わり様にパールヴァティーは何度も密かに涙を流したほどだった。以前のデーヴダースは田舎のわんぱく坊主だったが、街に住み始めてからというものの、全く遠い存在になってしまった。彼は外国製の靴を履き、上物のコートやパンツ、杖、金の鎖、時計とボタンを身に付けていないと恥ずかしく感じるようになっていた。村の川岸をブラブラするなんてことはしなくなった。その代わり、銃を持って狩りを楽しむようになった。小さい魚を捕まえるよりも、大きな魚を捕まえようとするようになった。社会の動向、政治談義、組織や集会、クリケットやサッカーのことについてばかり考えるようになった。あぁ!パールヴァティー!タールソーナープル村!全く少年時代の思い出を忘れてしまったわけではないが、忙しい毎日を送る中で、それらが思い出されてくる暇はなかったのだ。

 再び夏休みになった。前年の夏休みにデーヴダースは外国旅行へ行ってしまっており、家には戻ってこなかった。今回は両親が戻ってくるように強く催促する手紙を送ったので、デーヴダースはしぶしぶ旅の準備をし、タールソーナープル村へ向かうためハーウラー駅25に降り立ったのだった。

 家に到着した日は気分が悪かったので外には出なかった。次の日、彼はパールヴァティーの家まで来て呼んだ。「おばさん!」

 パールヴァティーの母親が恭しく言った。「いらっしゃい、こっちに来て座りなさい。」

 彼女の母親としばらく話をした後、彼は聞いた。「パーローはどこですか?」

 「2階にいるでしょう。」

 デーヴダースが上に行って見ると、パールヴァティーが祈りを捧げているところだった。デーヴダースは呼んだ。「パーロー!」

 最初パールヴァティーは驚いたが、彼に挨拶をしてすぐに奥に隠れてしまった。

 「どうしたんだよ、パーロー?」

 何も答える必要はなかった。だからパールヴァティーは黙っていた。

 デーヴダースは照れながら言った。「僕はもう行くよ。日も暮れたし、体の調子がよくないんだよ。」

 デーヴダースは立ち去った。

第5章

 女の子というのは13歳になると急に変身を遂げるものだ。家族はある日突然驚く。「あれ、あんなに小さかったのに、いつの間にかこんなに大きくなって!」そして両親は娘の花婿を探し始めるのだ。

 チャクラヴァルティー家はここのところその話題で持ちきりだった。パールヴァティーの母親はとても不安になり、折に触れて夫に言っていた。「パーローをこのままにしておくのはもうよくありません。」

 彼らは決して上流階級ではなかったが、パールヴァティーの美しさには自信があった。世界で美が尊重される限り、パールヴァティーは何も心配をする必要はなかった。もうひとつ、ここで明らかにしておきたいことがある。今までチャクラヴァルティー家では、娘の結婚に関して、息子の結婚ほど心配したことはなかった。彼らは娘の結婚式でダウリー26を受け取り、息子の結婚のときにはダウリーを渡して花嫁を家に連れてきていた。ニールカントの父親も、娘の結婚式で持参金をもらっていた。しかし、ニールカント自身はこの習慣を毛嫌いしていた。彼は、パールヴァティーを売って金を稼ぐようなことは絶対にしたくないと思っていた。

 パールヴァティーの母親はそのことを知っていたから、娘の結婚について夫に折に触れて催促していたのだった。最初からパールヴァティーの母親の心には、何とかデーヴダースと娘を結婚させたいという願望があった。デーヴダースから申し出があることで、何とかその道が拓けると考えていた。

 おそらく同じようなことを考えていたのだろう、ある日パールヴァティーの祖母はデーヴダースの母親にこのように話をした。「それにしても、デーヴダースと私のパーローの仲睦まじさといったら、ちょっと珍しいぐらいだね。」

 デーヴダースの母親は言った。「あの二人は子供の頃からまるで兄妹のように育ってきたんですよ。何の不思議もありませんわ。」

 「そうだね。だから考えることがあるよ、もし二人の・・・。そういえば、デーヴダースがカルカッタに行ってしまったとき、パーローはまだ8歳だったね。あのときはあの子ったらデーヴダースのことを心配しすぎてすっかり元気がなくなってしまって・・・。デーヴダースから手紙が来たときなんかは、大喜びして朝から晩まで何度も何度も読んでいたっけ。懐かしいねぇ。」

 デーヴダースの母親は心の中で全てを理解していた。そして少し微笑んだ。その微笑みの陰には底知れない不快感が隠されていた。彼女はパールヴァティーの家族が何を考えているか、何から何まで分かっていた。彼女はパールヴァティーのことを愛してもいた。しかし、パールヴァティーは女の子を売り買いする家の子供だった。しかも隣人だった。

 「ちょっと待ってください。」彼女は言った。「おばさま、主人はそんなこと全く考えていません。あの子はまだ学生ですし。そうそう、前に主人は私に言ってたわ――長男のドイジダースを若い内に結婚させたら、使い物にならなくなってしまったって。勉強が手つかずになってしまって。」

 パールヴァティーの祖母はそれを聞いてがっかりした。しかし、さらに続けて言った。「それはそうでしょうとも、私の話も聞いておくれな。パーローはもう大きくなったんだよ。あの子は背も高いし、もしナーラーヤンがこの話を・・・」

 デーヴダースの母親は口を挟んで言った。「駄目ですわ、おばさま、そんな話、主人には言えません。今デーヴダースの結婚話を口にしたら、私は主人に叱られてしまいます。」

 そこで話は終わってしまった。しかし、女性の腹の中で噂話はうまく消化されないものだ。主人が夕食を食べているとき、デーヴダースの母親は話し始めた。「パールヴァティーのお祖母さんが、彼女の結婚について話をしていましたよ。」

 主人は顔を上げて言った。「そうか、パールヴァティーももうそんな年になったか。そうだな、今が結婚させるのにちょうどいい時期だろう。」

 「今日はこんなことも言ってましたよ、もしデーヴダースと彼女の・・・」

 ナーラーヤンは顔をしかめて言った。「で、お前は何て答えた?」

 「私ですか?確かに二人は仲良しです。でも、どうして女の子を売り買いするチャクラヴァルティー家の娘を嫁にできましょうか?それに隣に住んでる家族ですよ、まったく・・・。」

 主人は安心して言った。「そのとおりだ。そんなことになったら一族の恥さらしだ。そんな話に耳を貸すなよ。」

 彼女は鼻でせせら笑って言った。「当然でしょう。そんな話、全く興味ないわ。でも、あなたもそれを忘れないでくださいよ。」

 主人は真剣な表情でご飯を手で掴んで言った。「もし私がそんなことをしていたら、我らは地主でいられなくなっていたことだろう。」

 彼らがずっと地主でいることに私は何の異論もない。だが、パールヴァティーの悲しみについても触れなければならない。デーヴダースとパールヴァティーの結婚が拒否されたという話をニールカントが聞いたとき、彼は祖母を呼んで怒って言った。「お母さん、なんでそんなことを話したんだ?」

 パールヴァティーの祖母は黙ってしまった。ニールカントは言った。「娘の結婚のために我々は誰にも媚びへつらったりはしない。むしろ多くの家族が我々に懇願するんです。私の娘は美しい。いいですか、1週間以内に縁談をまとめます。もう結婚について考えなくていいです!」

 そのときパールヴァティーは扉の裏で、父親が大変な決断をしたことを聞いていた。彼女は雷で打たれたようにショックを受けた。彼女は、子供の頃からデーヴダースは自分だけのものだと思っていた。誰がその権利を彼女に与えたのかは問題ではなかった。昔は自分でもそのことをよく分かっていなかった。分からないままに心の中でその気持ちは次第に膨らんでいき、やがてそれが揺るぎないものになってしまっていた。デーヴダースが自分のものにならないと考えただけで、恐れのあまり彼女はどうすることもできなくなって、心の中が荒れ狂ってしまった。

 一方、デーヴダースはそうではなかった。少年時代にはパールヴァティーを自分のものだと考えており、散々利用したものだった。ところが、カルカッタへ行って、都会の雑踏と様々な娯楽に身を埋めている内に、彼はパールヴァティーのことを忘れがちになってしまっていた。彼は、パールヴァティーが田舎の家の寂しい部屋の中で一日も欠かさず彼のことを想っていたことを知らなかった。それだけでなく、彼女は、子供の頃から自分のものだと信じていて、喜びも悲しみも分け合ってきたデーヴダースが、青春時代の入り口で別々の道を歩み始めるとは夢にも思っていなかった。しかし、そのとき誰が結婚について考えただろうか?幼馴染みという関係が自動的に結婚にはつながらないということを誰が知っていただろうか?だから、デーヴダースと結婚できないと聞いた途端、彼女の心にあったあらゆる希望が胸の内で騒ぎ出し、彼女を突き動かし始めた。

 デーヴダースは、早朝は勉強して過ごしていた。昼にはとても暑くなるので、家から外に出るのは難しくなる。夕方になって気が向くと、彼は涼みに外へ出た。

 ある日の夕方、彼は上物の上着を着て、高級な靴を履いて、手には杖を持って散歩に出掛けた。途中で彼はパールヴァティーの家のそばを通った。パールヴァティーは上から涙を流しながら見ていた。彼女はいろいろなことを思い出していた。心の中で彼女は、自分たちがもう大きくなってしまったと実感していた。彼らは長い間離れ離れになっていたことで、お互いにお互いを恥ずかしがるようになってしまっていた。デーヴダースは先日、何も言えずに立ち去ってしまった。恥ずかしがって満足に会話することすらできなかった。それはパールヴァティーも同じだった。

 デーヴダースもほとんど同じことを考えていた。時々彼女と話したり、彼女と会ったりしたいと思っていたが、それと同時にためらいも感じるようになっていた。

 ここにカルカッタの雑踏はないし、娯楽、劇場、演奏会もない。だから彼は少年時代の頃のことを思い出し、パーローはもうパールヴァティーになってしまった、と考えていた。一方で、パールヴァティーも、デーヴはもうデーヴダースになってしまった、と考えていた。

 デーヴダースはよくチャクラヴァルティー家の前を通っていた。玄関で立ち止まって、「おばさん、お元気ですか?」と呼びかけることもあった。

 そんなとき、パールヴァティーの母親は答えるのだった。「こっちにおいで。」

 そうすると、デーヴダースは答えるのだった。「いえ、このままで結構です。僕は散歩してるだけですから。」

 そういうとき、パールヴァティーは2階の自分の部屋にいることもあれば、彼の前にいることもあった。デーヴダースが母親と話をしている間に、パールヴァティーはこっそりとそこから去ってしまうのだった。

 夜になると、デーヴダースの部屋には灯りが灯る。暑い日には、パールヴァティーは窓を開けて長い間そちらを見ていたが、何も見えなかった。

 パールヴァティーは昔から自尊心の強い女の子だった。苦しみを顔にすら表さない子だった。誰かに相談したとしても何の得になろうか?同情されるのは我慢できず、非難されるくらいなら死んだ方がマシだ。

 去年、マノールマーが結婚した。しかし、彼女は花婿の家に行かなかった。だから時々パールヴァティーに会いに来ていた。以前の二人は何の隠し事もなく、そんなことも話し合っていた。今でも話はする。だが、パールヴァティーは以前ほど心を開けなくなっていた。そういう話題になると彼女は黙ってしまうか、話を逸らすようになった。

 昨晩、パールヴァティーの父親が帰宅した。数日に渡って彼はパールヴァティーの花婿を探しに出掛けていたのだった。そして首尾よく縁談をまとめて帰ってきた。相手は20-25コース27離れたバルドマーン県にあるハーティーポーター村の地主だった。裕福な家で、年齢は40歳弱だった。去年妻を亡くしてしまい、再婚相手を探していたのだった。この話を聞いてチャクラヴァルティー家で喜ぶ者は一人もいなかった。むしろ、皆悲しんだ。だが、ブヴァン・チャウダリーから合計2-3千ルピーのダウリーをもらえることから、妻も文句を言わなかった。

 ある日の昼下がり、デーヴダースが食事をとっていると、母親が近くに座って言った。「パーローが結婚するそうよ。」

 デーヴダースは顔を上げて言った。「いつ?」

 「今月中に!昨日、花婿が来て花嫁を見て行ったそうよ。」

 デーヴダースは驚いて言った。「そんな、僕は何も知らないぞ!」

 「なんでお前が知らなきゃいけないの?相手は再婚で、年齢がちょっと上だけど、お金持ちだそうよ。パーローは生活に困らなくていいでしょう。」

 デーヴダースは下を向いて再び食事をし始めた。彼の母親はさらに言葉を続けた。「あの家族は私たちの家と結婚することを望んでたのよ。」

 デーヴダースは顔を上げた。そのとき母親は笑った。

 「まったく、ありえないでしょう!あの一家は女の子を売り買いしている卑しい家柄なのよ。それにすぐ隣に住んでるんだし。」母親は顔をしかめた。デーヴダースもその様子を見た。

 しばらく黙っていた母親は、再び口を開いた。「お前の父さんにも私が言ったんだよ。」

 デーヴダースは質問した。「父さんは何て言ったの?」

 「別に。ただ、伝統ある我が家の栄誉を傷つけるつもりはない、とだけ言ってたわ。」

 デーヴダースはもう何も聞かなかった。

 その日の昼にパールヴァティーはマノールマーに会った。パールヴァティーの目に涙があふれているのを見て、マノールマーはそれをぬぐった。マノールマーは聞いた。「どうするの、パーロー?」

 涙をぬぐいながらパールヴァティーは答えた。「どうするって?マノーは旦那さんを自分で選んで結婚したの?」

 「私の場合は別よ。好きでもなかったけど、嫌いでもなかったわ。だから特に何も感じなかったわ。でも、あなたには意中の人がいたものね。」

 パールヴァティーは何も答えずに心の中で何かを考えていた。

 マノールマーは気を取り直して質問した。「パーロー、相手の年齢はいくつなの?」

 「誰の相手?」

 「パーローの!」

 パールヴァティーは指を数えて言った。「19歳ぐらいよ。」

 マノールマーは驚いて言った。「え、でも私は確か40歳って聞いたわ!」

 このときパールヴァティーは少し笑った。「マノー、40歳なんてそんな人いるわけないわ。私はそんな多く数え切れないもの。私は知ってるの。私の相手の年は19か20よ。」

 マノールマーはパールヴァティーの顔を見て聞いた。「名前は?」

 パールヴァティーは吹き出した。「マノーも知ってるでしょ。長い付き合いなんだし。」

 「知らないわよ!」

 「知らないの?そう、じゃあ教えてあげるわ。」パールヴァティーはちょっと笑った後に真顔になり、マノールマーの耳に口を当てて言った。「知らないの?デーヴダースよ!」

 マノールマーは一瞬目を丸くし、軽く小突いて言った。「冗談はよして。さあ、名前を教えてよ。教えてくれないと・・・。」

 「今言ったでしょ。」

 マノールマーは怒って聞いた。「もしデーヴダースがお婿さんだったら、どうして泣いてるの?」

 急にパールヴァティーは表情を曇らせた。そして何を思ったのか、こう言った。「そうね、そのとおり。もう泣かないわ。」

 「パーロー!」

 「何?」

 「なんで本当のこと教えてくれないの?私には何が何だか分からないわ。」

 パールヴァティーは言った。「言うことは全部言ったわ。」

 「でも全く理解できないわ。」

 「分からないでしょうね。」そう言ってパールヴァティーは顔を逸らした。

 マノールマーは、パールヴァティーは何か秘密を隠していて、それを言いたくないんだと考えた。それに怒りがこみ上げるのと同時に悲しくなり、言った。「パーロー、あなたの悲しみは私の悲しみなのよ。パーローが幸せになることが私の願いなの。もしパーローが誰にも何も言いたくないのなら、言わなくてもいいわ。でもこんな風に冗談を言うのはよくないわ。」

 パールヴァティーも悲しくなって言った。「冗談は言ってない。私が知ってることを話しただけ。私の夫の名前はデーヴダースだし、年は19か20なの。マノーに言ったとおりよ。」

 「でも、私は誰か他の人と結婚が決まったってお祖母ちゃんから聞いたわ。」

 「決まった?お祖母ちゃんと結婚するわけじゃあるまいし。私の結婚なのよ。私は誰からも何も聞いてないから。」

 マノールマーは聞いたことをパールヴァティーに話し始めた。パールヴァティーは遮って言った。「その話は私も聞いたわ。」

 「じゃあデーヴダースはパーローを・・・」

 「私を?」

 マノールマーはふざけて言った。「分かったわ!スワヤンバル28ね!二人でこっそり結婚するつもりでしょう?」

 「そんなつもり、ないわ。」

 マノールマーは困った声で言った。「何言ってるの、パーロー、全く訳が分からないわ!」

 パールヴァティーは言った。「じゃあデーヴダースに聞いてから教えるわ。」

 「何を聞くの?デーヴダースがあなたと結婚するかどうかってことを?」

 パールヴァティーは頭を振って答えた。「そうよ。」

 マノールマーはとても驚いて聞いた。「何言ってるの、パーロー、自分から聞くの?」

 「いけなくはないでしょ。」

 マノールマーは呆れ返って言った。「正気なの?自分から?」

 「そうよ。自分で聞かなかったら、誰が私に聞いてくれるの?」

 「恥ずかしくないの?」

 「全然。ほら、今だって全然恥ずかしくないわ。」

 「私は女の子よ、あなたの友達よ、でもデーヴダースは男の子よ、パーロー!」

 そのときパールヴァティーは笑って言った。「マノーは友達だし、親友よ。でもデーヴだってそうだわ。マノーに言えたならデーヴにだって言えるわ。」

 マノールマーは絶句してしまい、彼女の顔をじっと見つめた。

 パールヴァティーは笑って言った。「マノー、あなたは嘘のスィンドゥール29を付けてるんだわ。誰を夫と呼ぶべきか、あなたは分かっていない。デーヴが私の夫でないのなら、デーヴと話すのに恥じらいを感じるのなら、デーヴのためにこんな苦しい気持ちにはなっていない。いい、マノー、いつかは死ぬなら、やるべきことはしないと。毒も甘く感じるでしょう。デーヴには何も恥じらうことないわ。」

 マノールマーは彼女の顔を見つめ続けた。しばらくして尋ねた。「何て言うつもりなの?あなたの足の間に私のための場所を下さい、とか?」

 パールヴァティーは頭を振って言った。「それいいわね。」

 「もし断られたら?」

 このときパールヴァティーはしばらく黙り込み、そして言った。「そのときのことは考えてない。」

 家に帰るとき、マノールマーは心の中で考えた――なんという勇気!なんという度胸!私は口が裂けてもあんなことを言うことはできない。

 パールヴァティーの言ったことは正しい。世間の女性たちは、意味もなく額にスィンドゥールを、手首にチューリー30を付けているのだ!

第6章

 深夜の1時になろうとしていた。月は夜空に包まれてくぐもった光を放っていた。パールヴァティーはチャーダル31で頭から足までをすっぽり覆い隠し、忍び足で階段を降りた。目を見開いて四方を見渡すと、誰も起きている者はいなかった。彼女はドアを開けて外に出た。村の道はまるで時が止まったかのように物音ひとつしなかった。誰に会う心配もなかった。彼女はそのまま地主の家の前まで行った。入り口には年老いた門番キシャン・スィンがベッドの上でトゥルスィーダースの「ラーマーヤナ」32を朗読していた。パールヴァティーが中に入ろうとしているのに気付き、視線を上げずに聞いた。「誰だ?」

 パールヴァティーは答えた。「私!」

 声を聞いて門番は、それが女性だと分かった。おそらく召使い女だろうと考え、それ以上何の質問もせずに再び『ラーマーヤナ』を朗読し始めた。パールヴァティーは中に入った。酷暑期だったので、庭には何人かの召使いたちが寝ていた。深い眠りに入っていた者もいれば、まだ眠りが浅かった者もいた。寝ぼけながらパールヴァティーの姿を見た者もいただろうが、彼らも召使い女だと考えて彼女を止めなかった。パールヴァティーはいとも簡単に階段を上がって2階の部屋へ行くことができた。彼女はこの家のどこに何があるが、全て知っていた。デーヴダースの部屋を見つけることなど朝飯前だった。ドアは開けっぱなしになっており、中には灯りが灯されていた。パールヴァティーが中に入って見ると、デーヴダースはベッドに横になっていた。頭のそばに一冊の本が開いたまま置かれていたので、彼はもう寝てしまっていることが分かった。彼女は灯りの炎を強くし、静かにデーヴダースの足のそばに座った。壁に掛かった時計がカチカチと音を立てていた他は、全てが静まり返っていた。何の音もしなかった!

 パールヴァティーは彼の足の上に手を置いて、静かに言った。「デーヴ!」

 デーヴダースは深い眠りの中でも誰かが自分を呼んでいることに気が付いた。彼は目を閉じたまま答えた。「うん?」

 「デーヴ!」

 デーヴダースは目を閉じたまま起き上がって座った。パールヴァティーはショールを顔にかけていなかった。灯りが明るくなっていたので、デーヴダースはすぐにそれが誰かを理解した。しかし、それでもまだ信じられなかった。「あれ、お前、パーローか!」

 「ええ、私。」

 デーヴダースは時計の方を見てさらに驚いた。「こんな夜中に!」

 パールヴァティーは何も答えず、うつむいて座っていた。デーヴダースは質問を重ねた。「こんな夜中に一人で来たのか?」

 パールヴァティーは言った。「そうよ。」

 デーヴダースは急に不安になって聞いた。「どうしたんだよ!夜道は怖くなかった?」

 パールヴァティーは軽く笑って言った。「私はそれほどオバケを怖がってないの。」

 「オバケは怖くないとしても、人は怖いだろ。どうやって来たんだ?」

 パールヴァティーは何も答えなかったが、心の中で、今は自分でも分からない、とつぶやいた。

 「どうやって家の中に入ったんだ?誰にも見られなかったのか?」

 「門番に見られたわ。」

 デーヴダースは目を見開いて言った。「門番に見られたのか?他には?」

 「庭で召使いたちが数人寝ていたわ。誰かが私を見たかもしれない。」

 デーヴダースはベッドから飛び降りてドアを閉めた。「誰にも気付かれなかったのか?」

 パールヴァティーは何の感情も表に出さず、静かに答えた。「ここの人はみんな私のことを知ってるわ。誰かが気付いてもおかしくない。」

 「何言ってるんだ?何でこんなことしたんだ、パーロー?」

 パールヴァティーは心の中で、あなたに何が分かるだろう、と思ったが、実際には何も言わなかった。ただうつむいて座っていた。

 「こんな夜中に・・・信じられないよ!明日お前は誰にも合わせる顔がなくなるぞ!」

 パールヴァティーはうつむきながら言った。「そのくらいの覚悟はあるわ。」

 デーヴダースは怒らなかったが、とても困った声で言った。「なんてことだ!お前はもう少女じゃないんだぞ?こんな風にここに来て、何の恥じらいもないのか?」

 パールヴァティーは頭を振って言った。「全然ないわ。」

 「明日、恥に耐えきれずに死んでしまわないか?」

 こう聞かれてパールヴァティーは凛とした、しかし穏やかな表情でデーヴダースの顔をしばらく見て、怖れることなく言った。「もし、デーヴが絶対に私を守ってくれると信じていなかったら、恥に耐えきれずに死ぬでしょうね。」

 デーヴダースは驚嘆し、落胆して言った。「僕が?でも僕だってどんな顔をすればいいんだ?」

 パールヴァティーは同じように静かに言った。「でも、あなたはどうにもならないでしょう、デーヴ?」

 少しの間黙った後、彼女は再び口を開いた。「あなたは男だわ。今日明日の内にあなたの汚名なんてみんな忘れてしまうでしょう。2日後には、いつの夜か自惚れ屋のパールヴァティーが全てを捨ててあなたのところに全てを捧げに来たなんてことは、誰も気にしなくなるわ。」

 「何だって、パーロー?」

 「そして私は・・・」

 呆然としながらデーヴダースは言った。「そしてお前は?」

 「私の汚名のこと?いいえ、私には何の汚名も付かない。もしあなたのところに人目を忍んで来たことで咎められるなら、それは私にとって何ともないわ。」

 「どうした、パーロー、泣いてるのか?」

 「デーヴ、河には水がいっぱいあふれてるわ。私の汚名を洗い流すのに十分じゃない?」

 突然デーヴダースはパールヴァティーの手を掴んで言った。「パールヴァティー!」

 パールヴァティーはデーヴダースの足の上に額を置き、声を詰まらせて言った。「ここに、少しでいいから、場所をちょうだい、デーヴ!」

 その後、二人は黙ってしまった。デーヴダースの足の上から流れ落ちた涙がシーツを濡らし始めた。

 しばらく時間が経った後、デーヴダースはパールヴァティーの顔を持ち上げて言った。「パーロー、僕じゃなきゃ駄目なのか?」

 パールヴァティーは言った。「駄目よ!」彼女はまた彼の足の上に額を置いて伏した。パールヴァティーは何も言わず、しばらく伏したままだった。凍り付いた部屋の中で、涙で濡れた彼女の不安定な呼吸だけが音を立てていた。時計が2時を打った。デーヴダースは言った。「パーロー!」

 パールヴァティーはかすれた声で言った。「何?」

 「父さんも母さんも、その話には賛成しなかったんだ。知ってるだろ?」

 パールヴァティーは頭を振って答えた。「知ってるわ。」

 再び二人は沈黙してしまった。長い沈黙の後、デーヴダースは長いため息と共に言った。「それでどうする?」

 水に落ちた盲人が地面を掴み、なんとしてでも離すまいとするように、パールヴァティーはデーヴダースの両足をしっかりと掴んでいた。彼の顔を見てパールヴァティーは言った。「私は何も知りたくないわ、デーヴ!」

 「パーロー、親に逆らえって言うのか?」

 「何がいけないの、断って!」

 「お前の住む場所がなくなるぞ!」

 パールヴァティーは泣きながら言った。「あなたの足の間に住むわ!」

 また二人は黙ってしまった。時計は4時を打った。酷暑期の夜だった。もうすぐ夜が明けることに気付いたデーヴダースは、パールヴァティーの手を取って言った。「いくぞ、お前の家まで送っていくよ。」

 「一緒に来てくれるの?」

 「もちろんさ!もし汚名になっても、何か解決法はあるさ。さあ、行こう!」

 二人は静かに外に出た。

第7章

 次の日、デーヴダースは父親と少しだけ話をした。

 父親は言った。「お前はいつもワシを困らせてばかりいる!ワシが死ぬまで困らせ続けるつもりだろう?だからお前がそんな話をしても何も驚かんぞ!」

 デーヴダースは黙ってうつむいて座っていた。

 父親は言った。「ワシはそれについて何も言わない。お前と母さんで話し合って、好きにしろ!」

 デーヴダースの母親はそのことを聞き、泣きながら言った。「あぁ、神様、どうしてこんなことに?」

 その日、デーヴダースは荷物をまとめてカルカッタへ去って行ってしまった。

 それを聞くと、パールヴァティーは険しい顔からさらに険しい笑みを漏らし、そして黙ってしまった。昨夜のことは誰も知らなかった。彼女も誰にも言わなかった。そのとき、マノールマーが来て言った。「パーロー、デーヴダースが行っちゃったんだって?」

 「うん。」

 「なら、何か決まったの?」

 何がどうなったのか、パールヴァティー自身も分からなかったのだから、誰かに伝えることなどできるはずもなかった。あれからずっとそのことについて考え続けていた。だが、どのくらい希望が持てるのか、どのくらい絶望すべきなのか、全く分からなかった。人間はこのような希望と絶望の入り混じった状態のときには、どんなに心の中が恐怖で満ちていても、最後まで希望を信じるものだ。パールヴァティーはほんの少しでも自分の中にある幸運を信じていた。自分の願う未来の方向だけを見ていた。パールヴァティーは、昨夜自分が行ったことが実りのないものになることは絶対にないと信じるだけの希望を持っていた。失敗に終わったらどうなるか、そんなことは考えもしなかった。だから、パールヴァティーは、デーヴダースが再び戻ってくると信じていた。彼は私を呼んで言うのだ。「パーロー、お前を他の男に絶対に渡さないからな!」

 しかし、2日後に彼女は一通の手紙を受け取った。

 パールヴァティー、僕は2日間ずっとお前のことを考えていた。僕の両親は、僕たちの結婚を全く望んでいない。お前を幸せにしようとしたら、僕の両親を傷付けることになってしまう。僕にはそんなことはできない。両親に歯向かうなんて、僕にどうしてできようか!これ以上お前に手紙を書くことはないだろうから、この手紙の中に僕の気持ちを全部書こうと思う。

 お前の家系は卑しい。少女を売買する家系の女を、母さんは絶対に家に入れようとしないだろう。お前の家族は僕の家の隣に住んでいる。これも両親にとって気の食わないことだ。父さんが言ったことはお前も全部知ってるだろう。あの夜のことを考えると、僕はとても悲しくなる。なぜなら、お前のような自尊心の高い女が、どんなに辛い思いであんなことをしたか、僕の想像を絶するからだ。

 それともうひとつ。僕がお前をとても愛したなんてことは、今まで一度もなかった。今日もお前のために心を悩ますのようなことはない。ただ、お前が僕のために苦悩していることだけが悲しい。僕を忘れろ。お前が幸せになることを心から祈っている。

デーヴダース

 デーヴダースは手紙を郵便局に出すまで、ただひとつのことを考えていた。しかし、手紙を出した後、他のことを考え出した。石を投げるや否や、石の飛ぶ方向を見つめていた。モヤモヤした恐怖が彼の心をだんだんと覆ってきた。この石は彼女の頭に当たって、どうなるだろうか?強くぶつかってしまうだろうか?もしかして命を奪ってしまわないだろうか?

 郵便局から家に戻る間、彼は一歩進むごとに考え込んだ――あの夜、僕の足に額を乗せて、あんなに泣いていたじゃないか・・・。自分のしたことは正しかっただろうか?

 さらにデーヴダースはこんなことも考えていた――もしパールヴァティー自身に非がないなら、両親はどうして拒否したのだろう?

 デーヴダースは、成長するに従い、またカルカッタで生活する内に、ただ見せ掛けの家名や身分に固執して、意味もなく命を奪うのはよくないと考えられるようになった。もしパールヴァティーが生きるのを諦め、心の中の炎を鎮めるために水の中に身を投げたとしたら、それこそ大きな汚名とならないだろうか?

 寮に着くと、デーヴダースは自分の部屋で横になった。最近彼はとある寮に住んでいた。叔父の家は居心地が悪かったので、ずっと前に引き払っていたのだった。デーヴダースの住む部屋の隣には、チュンニーラールという青年が9年間も住んでいた。文学士課程を卒業するために、これほど長い期間、カルカッタに住んでいたのだった。これまで合格できなかったので、今でもそこに留まらざるをえなかったのだ。チュンニーは毎日夕方になると外出し、夜の明ける頃に帰ってきていた。これまで寮には誰も戻っていなかった。召使い女が火を灯して去って行った。デーヴダースはドアを閉めてベッドに横になった。

 夜になると寮生たちが一人また一人と帰ってきた。夕食の時間になり、デーヴダースは呼ばれたが、彼は起きなかった。チュンニーラールはいつでも夜には帰ってこないが、この日も彼はいなかった。

 夜中の1時になった。寮ではデーヴダース以外に誰も起きていなかった。チュンニーラールが帰ってきて、デーヴダースの部屋の前に立ち、様子を見た。扉は閉まっているが、灯りは点いている。彼は呼び掛けた。「あれ、デーヴダース、起きてるのか?」

 デーヴダースは中から答えた。「ああ、君はもう帰ってきたのか?」

 チュンニーラールは少し笑って言った。「まあな、今日は体調が悪くてな。」そう言って自分の部屋に入って行った。それから間もなく戻ってきて言った。「おい、デーヴダース、ちょっと開けてくれないか?」

 「もちろんだ。」

 「タバコはないか?」

 「あるさ。」そう言ってデーヴダースはドアを開けた。タバコを整えながらチュンニーラールは聞いた。「デーヴダース、こんな遅くまで起きているなんて、何かあったのか?」

 「毎日眠くなるとは限らないだろ?」

 「眠気が来ない?」

 笑いながらチュンニーラールは言った。「オレは今まで、お前のような良家のお坊ちゃんは、夜中まで起きてられないって思ってたよ!でも今日はいい勉強になった。」チュンニーラールはタバコを吸いながら言った。「デーヴダース、実家から帰ってから、お前はずっと晴れない顔してるよな。まるで誰かがお前をひどく傷付けたみたいだ。」

 デーヴダースは顔を曇らせたが、黙ったままだった。

 「体調が悪いのか?」

 とうとうデーヴダースは起き上がって敷物の上に座った。そして、とても落ち着かない表情でチュンニーラールの顔を見て、聞いた。「そうだ、チュンニー、君には何の悩み事もないのか?」

 笑いながらチュンニーラールは答えた。「全然。」

 「人生の中で、全く悩んだことはないのか?」

 「なんでそんなこと聞くんだよ、デーヴダース?」

 「興味があるんだ。」

 「分かった。いつか言うよ。」

 デーヴダースは言った。「それじゃあ、チュンニー、君は一晩中どこに行ってるんだ?」

 チュンニーラールは笑って言った。「何だ、知らないのか?」

 「知ってはいるけど、詳しくは知らない。」

 チュンニーラールの顔が急に輝き出した。彼は自分の行動について何を言われてもどうでもよかった。彼には見せかけの恥じらいだけがあったが、それも、常習化することで少なくなってしまっていた。ふざけながら、目をつむって言った。「デーヴダース、詳しく知りたければお前もオレみたいにならなきゃいけないぜ。明日一緒に来るか?」

 デーヴダースは少し考えてから言った。「聞くところによると、そこは何やらすごく楽しいところらしいな。嫌なことを全部忘れさせてくれるとか。本当なのか?」

 「全くそのとおりさ。」

 「もしそうなら、僕も一緒に連れて行ってくれよ。」

 翌日、夕方になる前に、チュンニーラールはデーヴダースの部屋に来て見た。すると、彼は自分の荷物をまとめているところだった。驚いて言った。「おい、どうしたんだ?行かないのか?」

 デーヴダースは顔を上げずに言った。「ああ、行くさ。」

 「なら、何もしてるんだ?」

 「行く準備さ。」

 チュンニーラールは少し笑いながら、行く準備にしては大がかりだと考えて、言った。「一切合切持って行くつもりなのか?」

 「そうでなければ、誰のところに置けばいいのさ?」

 チュンニーラールは状況が掴めなかった。「オレが行くとき、荷物を誰かに預けてるか?全部寮に置いて行ってるだろ?」

 デーヴダースははっと我に返って、恥ずかしそうに言った。「チュンニー、今日僕は村に帰るよ。」

 「何だって?いつ戻ってくるんだ?」

 デーヴダースは頭を振って言った。「もう戻らないよ。」

 チュンニーラールは驚いてデーヴダースの方をじっと見ていた。デーヴダースは言った。「このお金をもらってくれ。僕に何かの請求が来たら払っておいてくれ。もし残ったら、寮の召使いたちに分け与えてくれ。僕は二度とカルカッタに帰らないだろうから。」

 デーヴダースは心の中で、カルカッタに来たのは大きな過ちだった、とつぶやいた。

 今日、青春の霧で覆われた暗闇を貫いて、彼の目にひとつの真実が浮かび上がっていた。あの厄介で、無礼なほど度胸に満ちて、拒絶され抑圧された宝石と比べて、カルカッタ全体はなんと空虚で安っぽいことか。

 チュンニーラールの顔を見て言った。「チュンニー、勉強も教育も知恵も知識も学歴も、全て人生の幸せを得るためのものだよ。それらを求めてもいいが、そこに幸せがなかったら、何の意味もない。」

 チュンニーラールは言葉を遮って言った。「それじゃあもう勉強を辞めちまうのか?」

 「そうさ、勉強のせいで僕は大きな損をしてしまった。もしこれだけの犠牲を払ってこれだけの勉強しかができないと前もって知っていたら、僕は一生カルカッタに来ることもなかっただろうな。」

 「お前はどうしちまったんだ?」

 デーヴダースはしばらく考えてから言った。「いつか再会できたら、そのときに全部話すよ。」

 夜の9時になるところだった。デーヴダースが全ての荷物をまとめ、寮を引き払って馬車に乗って去っていくのを、チュンニーラールをはじめとする寮生たちは唖然としながら見送った。彼が去った後、チュンニーラールは怒って他の寮生に向かって言った。「あんな気まぐれな奴だとは知らなかったぜ!」 

第8章

 慎重かつ賢い者は、目で見ただけで何かの善し悪しを決めず、あらゆる方向から考察せずに決断を下すこともなく、ひとつやふたつの側面を見て全てを理解した気にもならないものだ。しかし、別の種類の人もいる。彼らは全く正反対だ。何事においてもよく考える力がない。目に入った瞬間にその善し悪しについて決め付けてしまう。注意深く観察する努力を払わずに、思い込みで行動を起こしてしまう。このような人たちがこの世界において何も成し遂げられないかというと、そうでもない。むしろ、しばしば多くのことを成し遂げてしまう。幸運が味方すれば、このような人々はしばしば何かの頂点に立つものだ。だが、幸運が味方しなければ、破滅の穴にはまり込む。再び立ち上がることも、持ち直すこともできない。世間に目を向けることもなく、身動きひとつせずに死体のように横たわり続ける。デーヴダースも後者のような種類の人間だった。

 次の日の早朝、彼は家に到着した。母親は驚いて言った。「なんだい、もう大学は休みかい?」

 デーヴダースは「そうだよ」と言い、心ここにあらずといった感じで家の中に入った。父親が同じことを聞いたが、やはり適当に答えてどこかへ行ってしまった。父親はよく理解できずに妻に聞いた。彼女はよく考えて言った。「きっとまだ暑さが引いてないから、休みになったのでしょう。」

 2日間デーヴダースはあちこち歩き回っていた。しかし、彼は人気のない場所でパールヴァティーと会おうと思ったが、叶わなかった。2日後、パールヴァティーの母親はデーヴダースを見て言った。「もしこっちに帰ってきたなら、パールヴァティーの結婚式が済むまでいなさいな。」

 「分かりました!」デーヴダースは言った。

 昼過ぎ、パールヴァティーは昼食を食べた後、いつも貯水池に水を汲みに行っていた。脇に真鍮の水壺を抱えながら、今日もガート33に来て立った。見ると、近くのナツメの木の陰で、デーヴダースが釣り糸を垂れて座っていた。パールヴァティーは一瞬引き返そうと思ったが、こっそり水を汲んで立ち去ることにした。しかし、うまい具合にはいかなかった。水壺をガートに置いたときに音が出たため、デーヴダースの視線がパールヴァテイーの方へ向いてしまった。彼は手を挙げて呼んだ。「パーロー、聞いてくれ!」

 パールヴァティーはゆっくり彼の近くへ行って立った。デーヴダースは顔を上げ、そしてしばらく河の方をボーッと眺めていた。パールヴァティーは言った。「デーヴ、何か用?」

 デーヴダースはそのまま視線を動かさずに言った。「ああ、座って。」

 パールヴァティーは座らずに、うつむいて立っていた。しかし、しばらくの間沈黙が流れると、パールヴァティーはゆっくりとガートの方向へ引き返そうとした。デーヴダースは一度顔を上げて見てから、また河の方に視線を戻し、言った。「聞けよ!」

 パールヴァティーは戻ってきた。しかし、またデーヴダースは何も言えなかった。それを見て彼女はまた引き返した。デーヴダースは身動きせずに座っていた。少し後に彼はまた顔を上げると、パールヴァティーは水を汲み終わって家に戻ろうとしているところだった。デーヴダースは釣竿を持ってガートの傍に立って言った。「帰ったぞ。」

 パールヴァティーは水壺を下ろして地面に置いたが、何も言わなかった。

 「帰ったぞ、パーロー!」

パールヴァティーはずっと黙っていたが、やがてとても優しい声で聞いた。「なぜ?」

 「手紙は書いたか?」

 「いいえ。」

 「どうしてだ、パーロー!あの夜のことを覚えてないのか?」

 「覚えてるわ。でも今頃それが何?」

 彼女の声には冷めきった響きがあった。デーヴダースは彼女の気持ちを理解して言った。「僕を許してくれ、僕はあのときよく分かっていなかったんだ・・・。」

 「何も言わないで。そんなこと聞きたくないわ。」

 「何とかして父さんと母さんを説得するよ!そしたらお前が・・・」

 パールヴァティーはデーヴダースの顔を鋭い目つきで睨んで言った。「あなたには親がいて、私にはいないの?私のお父さんとお母さんの考えはどうでもいいの?」

 デーヴダースは慌てて言った。「そうだな、パーロー!でも、お前の両親が望んでないことはないんだ、ただパーローが・・・」

 「なんで私の両親の気持ちを決め付けるの?お父さんもお母さんも全然望んでないわ。」

 デーヴダースは無理に笑って言った。「そんなことないさ、お前の両親が望んでいるんだよ。僕はよく知ってるんだ。ただお前が・・・」

 パールヴァティーは言葉を遮って強い口調で言った。「ただ私が!あなたと結婚?フン!」

 一瞬の内にデーヴダースの目が炎のように燃え上がった。彼は強い口調で言った。「パールヴァティー、僕を忘れたのか?」

 最初、パールヴァティーは動揺したが、すぐに落ち着き、静かだが厳しい声で答えた。「いいえ、忘れるはずないわ。子供の頃からあなたを見てきたのよ。物心ついたときからあなたを恐れてきたわ。それだからあなたは私を脅しているんでしょう?でも、私だってあなたのことをよく知ってるわ。」そう言った後、彼女は毅然とした表情で立ち上がった。

 デーヴダースの口からは何の言葉も出て来なかったが、やがて口を開いた。「ずっと僕のことを怖がっていたのか・・・他には何もない?」

 パールヴァティーは厳しい口調で言った。「ないわ。他には何も。」

 「本当のことか?」

 「ええ、本当よ。あなたは私にとってどうでもいい存在よ。私の結婚相手は、お金持ちで、頭もよくて、穏やかな人だわ。信心深くもある。私の両親は私を大事に思ってくれてるから、あなたのような無教養で落ち着きがなくて悪い人に私の手を委ねたくなかったの。さあ、どいてよ。」

 デーヴダースはまごついてしまった。道を譲ろうとしたが、すぐに前に踏み出し、彼女を睨んで言った。「偉そうに!」

 パールヴァティーは言った。「なぜ?あなたはいつも偉そうにしてるくせに、私はしちゃいけないの?あなたは見た目はいいかもしれないけど、内面は醜いわ。私は見た目も内面もいいの。あなたの身分は高いかもしれないけど、私のお父さんだって乞食じゃないわ。それに、私だってあなたたちに見劣りしない身分になるんだから。分かってる?」

 デーヴダースには返す言葉がなかった。

 パールヴァティーはさらに言葉を続けた。「私にものすごい仕返しをしようと考えてるんでしょう。すごくなくても、多少はできるでしょうね。いいわ、そうすれば。さあ、道を開けて。」

 デーヴダースは逆上して言った。「どうやって仕返しするっていうんだ?」

 パールヴァティーは即座に答えた。「私の噂を言いふらせば?さあ、行って。」

 それを聞いてデーヴダースは雷に打たれたようになった。彼の口からはただこれしか言葉が出なかった。「僕が?噂を言いふらす?」

 パールヴァティーは毒々しい冷笑をして言った。「行って、私の悪い噂を言いふらせばいいわ。あの夜、私はあなたを一人で訪ねた。そのことを四方に広めて。そうすればスッキリするでしょう。」自尊心の強いパールヴァティーの憤った唇は震えていた。

 しかし、怒りと恥辱によりデーヴダースの胸は内側から煮えたぎっていた。彼はかすれた声で言った。「嘘の噂を言いふらして腹いせするような男だと思ってるんだな?」そして、太い釣竿を強く振りながら大声で言った。「いいか、パールヴァティー、美人も度が過ぎると困りものだな、自惚れが強くなる。」そう言った後、少し声を和らげて言った。「月はあんなにもきれいだから、黒い斑点が付いたんだ。蓮の花はあんなにもきれいだから、黒いハチが止まるんだ。これでお前の顔に汚名の印を付けてやる。」

 デーヴダースは我慢の限界に来ていた。彼は釣竿を強く握ると、パールヴァティーの額を力いっぱい打った。すぐにパールヴァティーの左睫毛まで頭が切れてしまった。一瞬で彼女の顔は血まみれになった。

 パールヴァティーは地面に突っ伏して言った。「デーヴ、何するの?」

 デーヴダースは釣竿を折って池に捨てると、落ち着いた声で答えた。「どうってことないさ、ちょっと切れただけだ。」

 パールヴァティーは悲痛の声を上げた。「ああ、デーヴ!」

 デーヴダースは自分のシャツの裾を裂いて水につけ、それをパールヴァティーの頭に巻きながら言った。「心配するな、パーロー!こんな傷、すぐによくなるさ。ただ痕が残るだけだ。もし誰かにこの傷について聞かれたら、適当に答えておけ。そうでなかったら、あの夜のことを言うんだな。」

 「ああ、神様!」

 「フン!騒ぐな、パーロー!別れの最後の日を記念するために印を残してやっただけだ。自分のきれいな顔を鏡で時々見るんだろ?」そう言ってデーヴダースは答えを待たずして歩き始めた。

 気が動転したパールヴァティーは泣きながら言った。「ああ、デーヴ!」

 デーヴダースは戻ってきた。彼の目の片隅にも涙が浮かんだ。とても優しい声で言った。「どうした、パーロー?」

 「このことは誰にも言わないで!」

 デーヴダースはすぐにしゃがみ込み、唇でパールヴァティーの髪に触れながら言った。「おい、水くさいじゃないか、パーロー!子供の頃から、お前が間違ったことしたら、僕が何度もお仕置きしてただろ、忘れたのか?」

 「デーヴ、私を許して!」

 「そんなこと言うなよ。本当に何もかも忘れたのか、パーロー?僕はいくら怒っても、最後にはお前を許してきただろう?」

 「デーヴ!」

 「パールヴァティー、知ってのとおり、僕は話すのが苦手なんだ。よく考えて行動することができない。思いついたらすぐに行動してしまう。」そう言った後、パールヴァティーの額に手を置いて祝福を与えながら言った。「お前は正しい選択をした。僕のところに来ても、お前は幸せになれなかっただろう。でもお前のこのデーヴはきっとこの上ない幸せを得られただろうけどな・・・。」

 そのとき池の対岸から誰かが来ていた。パールヴァティーはゆっくりと水辺に下りた。デーヴダースは去って行った。

 パールヴァティーが家に戻ったときには日が沈んでいた。祖母は彼女を見ずに言った。「パーロー、水を汲むのに池でも掘ってたのかい?」

 しかし、その問いの返事を待つこともなく、パールヴァティーの顔を見た途端に叫び声を上げた。「ああ、神様!どうしてこうなったんだい?」

 傷口からはまだ血が流れていた。布の切れ端はほとんど血で赤く染まっていた。祖母は泣きながら言った。「ああ、神様!神様!パーロー、お前の結婚式だっていうのに!」

 パールヴァティーは黙って水壺を地面に置いた。

 母親も泣きながら聞いた。「この傷はどうしたんだい、パーロー!」

 パールヴァティーは平然と答えた。「ガートで足が滑って、頭をレンガにぶつけてしまったの。」

 その後みんなで集まってパールヴァティーの治療をした。デーヴダースの言ったとおり、傷は深くなかった。4、5日の内に傷口が塞がった。このようにして10日ほどが過ぎ去った。

 ある夜、ハーティーポーター村の地主ブヴァン・チャウダリーが花婿姿をし、バーラート34を連れて挙式しにやってきた。式はそれほど盛大には行われなかった。ブヴァンは分別ある人物だった。このような年齢になって、若い花婿のようにはしゃぐのはよくないと考えていた。

 花婿の年齢は40歳弱ではなく、実際はそれより上だった。色白で太った体をしていた。白髪混じりの髭を生やし、頭は前から禿げ上がっていた。花婿を見て、ある者は笑い、ある者は黙ってしまった。ブヴァンは神妙な面持ちで、罪人のように結婚式の壇上に立った。悪ふざけ35は行われなかった。これほど賢く真面目な人間に対して悪ふざけする者はいなかった。そして婚姻の儀式のとき、パールヴァティーはにわかに彼をずっと見ていた。口元には笑いさえかすかに浮かんでいた。ブヴァンは小さな子供のようにうつむいてしまった。近所の女性たちは大声を上げて笑った。チャクラヴァルティー氏はあちこち走り回った。分別ある婿を得て彼は落ち着かなくなった。地主のナーラーヤン・ムカルジーは花嫁側の仕切り役を務めた。彼は全ての手配を完璧にこなし、何の間違いも起こらなかった。結婚式は無事に終わった。

 次の日の早朝、チャウダリー氏は装飾品で満ちた箱を取り出した。身に付けたパールヴァティーの体は輝いた。母親はそれを見てサーリーの端で涙を拭った。そばにいた地主の妻は、優しく叱って言った。「今日、涙を流すのは縁起が悪いわ!」

 日が沈む前、マノールマーはパールヴァティーを誰もいない部屋に連れて行って祝福を与え、言った。「これでよかったのよ。とっても幸せな暮らしになるでしょう。」

 パールヴァティーは少し笑って言った。「そうね、幸せになるわ!昨日は死神にちょっと会えたしね!」

 「何言ってるの?」

 「時が来れば分かるでしょう。」

 マノールマーは話題を変えて言った。「一度デーヴダースを呼んで、この晴れ姿を見せてあげたいわ。」

 パールヴァティーの顔が輝いた。「連れてこれる?本当に一度呼んできてくれたらなぁ!」

 それを聞いてマノールマーは声を震わせた。「なぜ、パーロー?」

 パールヴァティーは手首の腕輪を回しながら、悲しそうに言った。「足の埃を頭に付けたいの36。今日私は行っちゃうからね!」

 マノールマーはパールヴァティーを抱きしめ、二人は長い間泣いていた。日が沈み、辺りを闇が覆った。祖母は扉を叩いて外から声を掛けた。「パーロー、マノー、出ておいで!」

 その夜、パールヴァティーは夫の家に去って行った。

第9章

 片や、デーヴダース!その夜、デーヴダースはカルカッタのエデン・ガーデンにあるベンチに一晩中座っていた。彼は激しい苦悩と心の苦痛で苦しんでいたわけではない。彼の心の中には、一種の生気のない虚脱感が次第に生じ始めていた。まるで眠っている間に寝相が悪くて身体のどこかが麻痺し、目が覚めた後もその一部の感覚が感じられないときのようだった。そんなとき、生まれたときから共に生きてきた同志が味方をしてくれないため、心は恐ろしさのあまり一瞬だけうろたえるものだ。そしてだんだんと理解が追いついてくる。身体の一部が切り離されたという勘違いが解けてくる。ちょうどそんな状態で、デーヴダースも一晩中考えていた。運命の悪戯から突然二人の関係に麻痺が走り、それは永遠に別々になってしまった。もはや彼女に意味もなく怒ったり、仕事を押しつけたりできなくなった。彼女を所有物と考えることすら間違いだ。

 ちょうど日が昇りつつあった。デーヴダースは立ち上がり、これからどこへ行こうか考えた。突然、カルカッタのあの寮が思い浮かんだ。チュンニーラールがいる。デーヴダースは歩き始めた。途中で2回も人にぶつかった。つまずいて転び、指が血まみれになってしまった。ぶつかって他人の上に倒れ込んだが、その人は酔っ払いだと思って彼を突き飛ばした。このようにヨロヨロと歩きながら、夕方には寮の玄関に辿り着いた。

 そのときちょうどチュンニーラールは着飾って外出しようとしていたところだった。「おい、どうした、デーヴダース?」

 デーヴダースは黙っていた。

 「いつ来たんだ?顔色悪いな、ちゃんと飯を食ってるか?あれ、どうした?」

 デーヴダースは路上に座り込んだ。チュンニーラールは彼の手を掴んで中に連れ込んだ。自分のベッドに座らせると、慰めながら聞いた。「一体どうしたんだ、デーヴダース?」

 「昨日家から来たんだ。」

 「昨日?一日中どこにいたんだ?夜はどこに泊まった?」

 「エデン・ガーデン。」

 「お前、頭がおかしくなっちまったのか?何が起こったんだ?」

 「聞いてどうする?」

 「なら言わなくてもいい。まずは水浴びして飯を食え。荷物はどこだ?」

 「何も持ってない。」

 「気にするな。何か食べよう。」

 チュンニーラールは無理にデーヴダースに食事をさせ、ベッドに寝かせて、ドアを閉めながら言った。「とりあえず少し眠るように努力しろ。オレは夜になったら帰ってくるから。」彼は行ってしまった。

 夜の10時にチュンニーラールが帰ってきて見ると、デーヴダースは彼のベッドでグッスリ眠っていた。彼は起こさず、毛布を床に敷いて、その上に横になった。一晩中デーヴダースは眠り続け、朝になっても目を覚まさなかった。

 朝の10時にやっとデーヴダースは起き上がり、ベッドの上に座って聞いた。「チュンニー、いつ帰ったんだ?」

 「今来たよ。」

 「迷惑じゃなかったかな?」

 「全然。」

 デーヴダースは彼の顔をしばらくじっと見つめた後、言った。「チュンニー、僕は無一文なんだ。しばらく君のところに厄介になってもいいか?」

 チュンニーラールは笑った。デーヴダースの両親が大金持ちであることを彼は知っていた。だから笑って言った。「厄介になる?いいさ、好きなだけここに住めよ。」

 「チュンニー、君の収入はいくらなんだ?」デーヴダースは聞いた。

 「オレの収入は普通さ。家に少し土地を持っててな、今は兄貴に貸してここに住んでるんだ。毎月兄貴が70ルピーを送ってくれてる。それだけあれば、オレとお前が生活するには十分さ。」

 「なんで家に戻らないんだ?」

 チュンニーラールは少し顔をしかめて言った。「いろいろあってな。」

 デーヴダースはそれ以上聞かなかった。食事時を告げる呼び声がした。二人は水浴びをし、食事をして、再び部屋に戻って座った。チュンニーラールは聞いた。「デーヴダース、親父と喧嘩でもしたのか?」

 「いや。」

 「他の誰かと?」

 デーヴダースは同じ調子で返事をした。「いや。」

 チュンニーラールは突然別の話題を思いついた。「そうだ、結婚したってことはないよな?」

 デーヴダースは別の方向を向いて横たわっていた。少し後にチュンニーラールが見ると、デーヴダースは眠ってしまっていた。

 このようにゴロゴロしている内にさらに2日が経ってしまった。3日目の朝、デーヴダースの体の調子もよくなり、起き上がって座った。彼の顔を覆っていた深い闇は幾分晴れたようだった。チュンニーラールは聞いた。「今日の調子はどうだ?」

 「前よりだいぶよくなったよ。ところでチュンニー、君は夜にどこへ行ってる?」

 この日、チュンニーラールは照れながら言った。「ああ、行ってはいるが、まあいいだろう。そうだ、大学は行かないのか?」

 「いや、もう勉強は辞めたんだ。」

 「おいおい、それはないだろ?2ヵ月後には試験だ。お前、成績は良かっただろ。今年の試験だけでも受けろよ!」

 「辞めたといったら辞めたんだ。」

 チュンニーラールは黙ってしまった。デーヴダースは再び聞いた。「どこに行ってる?教えてくれないのか?君と一緒に行きたい。」

 チュンニーラールはデーヴダースの顔をしばらく見た後に言った。「なぜそんなこと聞く、デーヴダース!そんないいところに行ってるわけじゃないさ。」

 デーヴダースにとってそれがいいところであろうと悪いところであろうと関係なかった。彼は言った。「チュンニー、僕を連れて行ってくれないのか?」

 「連れて行くことはできるけどな、行くべきじゃないぜ。」

 「いや、僕は行くぞ。もし気に入らなかったら、もう二度と行かないだろうしな。でも君は楽しくてしょうがないから毎日通ってるんだろ。どんなところであっても、チュンニー、僕は絶対に行くよ。」

 チュンニーラールは顔を背け、なんてこったと心の中で苦笑しながらも、「よし、じゃあ一緒に行くか」と言った。

 日が沈む少し前、ダラムダースがデーヴダースの荷物を持って寮までやってきた。デーヴダースを見て泣きながら言った。「デーヴ坊ちゃん、今日で3、4日経ちます、奥様が泣いてらっしゃいますよ。」

 「なぜ?」

 「何も言わずにいきなり出て行ってしまうからです。」一通の手紙を取り出しながら言った。「奥様からの手紙です。」

 状況を掴もうとチュンニーラールは食い入るようにやり取りを見ていた。デーヴダースは手紙を読んで、置いた。母親は家に戻ってくるように書いていた。家族の中でただ母親だけが、デーヴダースが突然消えてしまった理由を多少なりとも推測することができた。多額のお金をダラムダースを介してこっそり送ってよこしてくれていた。ダラムダースはそれをデーヴダースに手渡して言った。「デーヴ坊ちゃん、家に帰りましょう。」

 「僕は帰らない。お前は帰ってくれ。」

 夜になった。デーヴダースとチュンニーラールは着飾って外に出た。そういう格好はデーヴダースの趣味ではなかったが、チュンニーラールは普段着を着て外出することをよしとしなかった。

 夜の9時に馬車はチトプルのとある2階建ての建物の前で止まった。チュンニーラールはデーヴダースの手を掴んで中に連れて入った。その館の女主人の名前はチャンドラムキーといった。彼女は二人を歓迎した。そのとき、デーヴダースの全身に怒りが込み上げた。彼はカルカッタに来てからというものの、知らず知らずの内に女性の体に対する嫌悪感を持ち始めていた。チャンドラムキーを見るや否や、心の中の憎悪が野に放たれた火の如く燃え上がった。チュンニーラールの顔を見て、顔をしかめて言った。「チュンニーラール、なんてひどい場所に連れ込んでくれたんだ?」

 デーヴダースの怒った声と目を見て、チャンドラムキーとチュンニーラールは固まってしまった。しかし、すぐにチュンニーラールは気を取り直してデーヴダースの手を取り、優しい声で言った。「まあ、中に入って座れよ。」

 デーヴダースはそれ以上何も言わずに部屋の中に入り、床に敷かれたマットの上に不機嫌そうにうつむいて座った。そばにチャンドラムキーも黙って座った。召使い女が銀製の水キセルを持ってきた。しかし、デーヴダースは触ろうともしなかった。チュンニーラールも険しい顔をして座っていた。召使い女は最初どうしたらいいのか分からず困惑していた。とうとうチャンドラムキーに水キセルを渡して立ち去った。2、3回彼女が水タバコを吸うと、デーヴダースは厳しい目つきで彼女の顔を見た。そして急に激しい憎しみに満ちた声を出した。「なんて無礼で恥知らずな女だ!」

 これまでチャンドラムキーを口論で負かした者はいなかった。彼女に恥をかかすのは簡単なことではなかった。デーヴダースの内面の嫌悪感から発せられたこの短く厳しい言葉は彼女の心に刺さった。少しの間、彼女は固まってしまった。しかし、すぐに彼女は2回水タバコを吸って音を出した。それでも、チャンドラムキーの口から煙は出なかった。彼女はチュンニーラールに水キセルを渡し、もう一度デーヴダースの方を向いて、何もしゃべらずに座っていた。三人の間に沈黙が流れた。ただ時々、水タバコのグルグルという音が、間の悪そうに鳴っていた。友人の間で議論しているときに、突然つまらない口論に発展することがある。そんなとき、お互いに心の中でイライラし、興奮しながら、「さてと!」と言っているものだ。このように、三人は心の中で「さて、どうしたものか?」と言っていた。

 とにかく、三人とも気まずい雰囲気だった。チュンニーラールは水タバコを置くと下に行ってしまった。多分それしかすることがなかったのだ。だから部屋の中には二人だけが残された。デーヴダースはうつむいていた顔を上げて聞いた。「お前は金を取ってるんだよな?」

 チャンドラムキーはすぐには答えられなかった。そのとき彼女の年齢は26歳だった。この9年間で彼女は数え切れないほどの男と深い関係になった。しかし、このような変な男と会ったのは初めてだった。少し当惑しながらも言った。「あなたの足の埃を落としてくだされば・・・」

 彼女が話し終えない内にデーヴダースは立ち上がった。「足の埃の話じゃない、金は取るのか?」

 「いただいています。それをいただきませんことには仕事になりません。」

 「黙ってろ。何も聞きたくない。」彼はポケットから紙幣を取り出してチャンドラムキーに手渡し、出て行こうとした。いくら渡したかも数えずに。

 チャンドラムキーは丁寧な声で言った。「もうお帰りですか?」

 デーヴダースは何も言わず、バルコニーに黙って立った。

 チャンドラムキーはお金を返そうと思ったが、躊躇して返すことができなかった。おそらく少し怖じ気づいたところもあった。そうでなければ、彼女は汚名も罵声も侮蔑も耐え忍ぶのに慣れていた。だから何も言わず、部屋の入口に立っていた。デーヴダースは階段を降りて下へ行った。

 階段の途中でチュンニーラールに会った。彼は驚いて聞いた。「どこ行くんだ、デーヴダース?」

 「寮に帰るよ。」

 「なぜ?」

 デーヴダースはもう2、3段降りた。

 チュンニーラールは言った。「オレも帰るよ。」

 デーヴダースは近づいて彼の手を取り、言った。「行こう。」

 「ちょっと待て、上に行ってすぐ戻ってくる。」

 「いや、僕はもう行く。君は後で来いよ。」そう言ってデーヴダースは行ってしまった。

 チュンニーラールが上へ行って見ると、チャンドラムキーはそのまま部屋の入り口に立っていた。チュンニーラールを見て聞いた。「ご友人はお帰り?」

 「ああ。」

 チャンドラムキーは手に持った紙幣を見せて言った。「これを見て!でも、もしよろしければ、お持ちになって、ご友人にお返しください。」

 チュンニーラールは言った。「あいつが進んで渡したんだろ?オレは返せないよ。」

 やっとチャンドラムキーは少し笑うことができた。だが、その笑みの中に何の喜びもなかった。彼女は言った。「あの方は渡したくて渡したのではないわ。私に怒って渡したの。ところで、チュンニー様、あの方は頭がおかしいの?」

 「全然。でも、近頃あいつは何か心配事でもあるみたいなんだ。」

 「何の心配事ですか?あなたは何か知ってらっしゃるの?」

 「オレは何も知らないよ。多分家庭内の揉め事か何かだろう。」

 「では、どうしてここに連れてこられたのですか?」

 「オレが連れてきたくなかったんだけど、あいつが自分で無理矢理ついてきたんだ。」

 チャンドラムキーは本当に驚いて言った。「無理矢理?自分で来たの?全て知ってるのに?」

 チュンニーラールは少し考えて言った。「知らなかったら来ないだろ?あいつは全部知ってるんだ。もう間違ってもあいつを連れてこないさ。」

 チャンドラムキーはしばらく黙って考えた後、話し出した。「チュンニー様、ひとつ頼まれていただけますか?」

 「何だ?」

 「あなたのお友達はどこにお住まいなのですか?」

 「オレと一緒に住んでるぜ。」

 「いつかあの方をもう一度連れてきてはくださいませんか?」

 「それは無理だと思うな。あいつは今までこんなところに来たことがなかったし、これからも来ることはないだろうよ。しかし、なんでまた?」

 チャンドラムキーは少し悲しみの混じった笑みを浮かべながら言った。「チュンニー様、もしそうなら、尚更もう一度あの方をお連れくださいませ。」

 チュンニーラールは微笑み、目配せして言った。「脅されて恋が芽生えたとか?」

 チャンドラムキーも微笑んで言った。「何も見ずにお金を払って出て行かれてしまわれました。お分かりになりませんか?」

 チャンドラムキーの性格をよく知っていたチュンニーラールは、首を振って言った。「いやいやいや、金の話は言い訳だ、お前はそういう女じゃない。本当のこと言えよ!」

 チャンドラムキーは言った。「本当に、少しだけ執着が生まれてしまいました。」

 チュンニーラールには信じられなかった。笑って言った。「この5分の間で?」

 今度はチャンドラムキーも笑って言った。「そういうことにしておいてくださいな。あの方の気分が晴れたら、もう一度ここに連れてきてください。そのときじっくり見てみましょう。連れてきてくださいますよね?」

 「約束はできないな。」

 「どうかお願いします。」

 「ま、努力はしてみるぜ。」

第10章

 パールヴァティーが夫の家に来て見てみると、その家は非常に大きな邸宅であった。新しい様式の家ではなく、古い伝統的な様式の家だった。本殿、副殿、礼拝用ホール、劇場、ダラムシャーラー37、書斎、倉庫や多くの召使いたちを見て、パールヴァティーは言葉を失ってしまった。彼女は、自分の夫が大地主であることは聞いていたが、これほどまでとは想像だにしていなかった。唯一不足していたものは家族だった。これほど大きなザナーナー38に誰も住む者がいなかった。パールヴァティーは新妻だったが、突然家の女主人になってしまった。彼女を家に迎え入れたのは年老いた叔母だけで、後は召使いたちが全員一列に並んでいただけだった。

 日が沈む少し前、1人の美しい若者が挨拶をしてパールヴァティーの傍に来た。「お母さん、僕が長男です。」

 パールヴァティーは頭を覆ったヴェールの下からチラッと見たが、何も言わなかった。彼はもう一度挨拶をして言った。「お母さん、僕があなたの長男です。よろしくお願いします。」

 パールヴァティーはヴェールを頭の上に上げ、優しい声で言った。「こっちに来て。」

 若者の名前はマヘーンドラといった。彼はしばらくパールヴァティーの顔を驚いた様子で見ていた。その後、彼女のそばに座って礼儀正しい口調で言った。「今日で2年が経ちます、僕のお母さんが亡くなってしまってから。この2年間、僕たちは悲しみと苦しみの中で過ごしてきました。今日、あなたが来てくれました。どうかこれから幸せに過ごせるように祝福をください。」

 パールヴァティーは心を開き、落ち着いた様子で話し始めた。なぜなら一旦女主人となってしまったからには、多くのことを知らなければならないし、多くの人々と話をしなければならないと考えたからだ。これは一見すると不自然だが、パールヴァティーの性格をよく知る者なら、環境の変化によって彼女は年齢の割に物分りのいい女性に様変わりしたことをすぐに理解するだろう。彼女には過度の奥ゆかしさも、無意味な虚脱感も、行き過ぎた恥じらいもなかった。彼女は聞いた。「他の子はどこ?」

 マヘーンドラはちょっとはにかんで言った。「あなたの長女、つまり僕の妹は自分の夫の家にいます。彼女に手紙を書いたんですが、ヤショーダーは何かの用事があって来られませんでした。」

 パールヴァティーは悲しくなって言った。「来られなかったの?それとも来たくなかったのかしら?」

 マヘーンドラは恥ずかしそうに言った。「よく分かりません、お母さん。」

 しかし、彼の口調と表情から、ヤショーダーは怒って来なかったのだと理解した。パールヴァティーは言った。「次男はどこ?」

 マヘーンドラは言った。「あいつはすぐに来ます。カルカッタにいます。試験を受けてから来るようです。」

 チャウダリーは自分で土地を管理していた。その他、彼は毎日豊作のために祈りを捧げ、断食を定期的に行い、ダラムシャーラーに滞在しているサードゥ39たちの世話をしていた。これらの仕事を朝から晩まで行っていた。再婚したことによる喜びの色は彼の顔には見えなかった。夜になっても彼はパールヴァティーのところへ時々来るだけだった。来たとしても、ごく普通の話をするだけだった。ベッドに横になり、枕に頭を乗せ、目を閉じて寝てしまうのだった。

 二人の間で交わされる会話は専らこんな感じだった。ブヴァンは言う。「いいか、お前は家の女主人だ。全てをよく見て、聞いて、その後よく考えてから行動しなさい。」

 パールヴァティーは頭を振って言う。「分かりました!」

 ブヴァンは言う。「それから、あの子供たち・・・そう、子供たちは私たち二人のものだ。」

 夫が恥ずかしがっているのを見て、パールヴァティーは微笑んだ。ブヴァンも少し笑って言う。「そうだ、それと、マヘーンドラはお前の長男だ。先日B.A.コースを卒業してな。あんなにいい子で、あんなにかわいらしい子で、それと・・・!」

 パールヴァティーは笑いをこらえて言う。「ええ、分かってます。あの子は私の長男です。」

 「お前に何が分かる?あんな優れた子はどこにもいないだろう。それとヤショーマティー(ヤショーダー)のことだが、あの子は女の子じゃない。まるでラクシュミー女神の生き写しのようで・・・。あいつは絶対に来てくれるさ。年老いた父親に会いに来ないはずがないだろう?あの子が来たら・・・」

 パールヴァティーはそばに寄り、柔らかい手を彼の剥げた頭に乗せて、優しい声で言う。「あなたは何の心配をする必要もありません。ヤショーダーを呼ぶために私が誰かを送ってよこします。そうでなかったら、マヘーンドラが自分で行くでしょう。」

 「ああ、行くだろう!そうだな、もうしばらく会っていない。お前が誰かを送るのか?」

 「ええ、必ず送ります。私の召使いを送りましょうか?」

 ブヴァンはこのとき興奮していた。夫婦という関係を忘れ、パールヴァティーの頭に手を置いて祝福して言った。「神様がお前を幸せにするように!」

 その後、年老いたブヴァンの頭にどんな考えが浮かんだか分からないが、ベッドの上で目を閉じ、心の中で言った。「ああ!彼女は私をとても愛していた!」

 そのとき、白髪混じりの髭の近くを涙が流れ、枕を濡らしていた。それはパールヴァティーの涙だった。ときどき彼女は心の中で言っていた。「ああ!子供たちが戻ってくれば、この家がもう一度活気付くでしょう!ああ!以前はどんなに騒がしかったでしょう。男の子、女の子、家にはみんないて、毎日がお祭り騒ぎだったでしょう。それがいつの間にか終わってしまったのね。息子はカルカッタへ行き、ヤショーダーは夫の家へ、そして闇が・・・お葬式・・・。」

 このとき髭の両側から涙が流れて枕を濡らし始めた。パールヴァティーは涙を流しながらしゃべり始めた。「マヘーンドラは結婚しないんですか?」

 ブヴァンは言う。「ああ、どうやったらあいつの幸せな姿を見ることができるのか!もちろん考えているさ。しかし、あいつの心を誰が知っていよう?あいつは頑固者で、どうやっても結婚しようとしないんだ。だから家を少しでも明るくするためにお前と結婚したんだ。しかし、うまく行かなかった。お前と私はこんなに年の差があるし・・・。」

 それを聞いてパールヴァティーはとても悲しくなった。同情に満ちた声で、笑いと共に頭を振って言う。「あなたが年を取るよりも早く、私は年を取るでしょう。女は年を取るのが遅いとでもお考えですか?」

 ブヴァン・チャウダリーは起き上がって座った。片手を彼女の頬にあて、黙って彼女の顔の方をずっと見ていた。まるで彫刻家が自分の作品を飾り立て、頭に冠をかぶせ、右に左に回しつつ長い間見つめ、少しの尊厳と多くの愛情が心に沸き起こるように、ブヴァンはパールヴァティーを誇らしく、愛らしく思った。

 ある日、彼は顔を曇らせながら外へ出て言った。「ああ!失敗した!」

 「何が失敗したんですか?」

 「私はお前の美に釣り合う夫でないと考えていたんだ。」

 パールヴァティーは笑って言った。「あなたはハンサムですよ。それに私たちの間で、美しいとか醜いとか、そんな話は意味ありませんよ。」

 ブヴァンは横になって心の中で言った。「分かっている、分かっている。お前に神様のご加護がありますように。」

 このように1ヶ月が過ぎた。その間、一度チャクラヴァルティーが娘を少しだけ連れ帰ろうとして尋ねてきたことがあった。パールヴァティーは帰ろうとせず、父親に言った。「お父さん、まだ家のことでゴタゴタしてるから、それが全部落ち着いてから行くわ。」

 父親は心の中で微笑みつつ考えた――女ってのはいつもこうだ。

 彼は帰ってしまった。パールヴァティーはマヘーンドラを呼んで言った。「お前に、私の長女を呼んできて欲しいんだけど。」

 マヘーンドラはためらった。彼は、ヤショーダーがどうやっても帰らないことを知っていた。彼は言った。「一度お父さんが行った方がいいと思います。」

 「それのどこがいいの?それより母親と息子が一緒に行って連れてくる方がいいでしょう。」

 マヘーンドラは驚いて言った。「お母さんが行くんですか?」

 「別に何の問題もないわ。私は恥ずかしくもないし。私が行くことでもしヤショーダーが来てくれるなら、そして彼女の怒りが収まるなら、私は喜んで行くわ。」

 結局マヘーンドラが次の日にヤショーダーを連れに出掛けた。彼がそこでどんな方法を使ったかは知らないが、4日後にヤショーダーはやってきた。その日、パールヴァティーは全身に真新しくて格別な、非常に高価な装飾品を身に付けていた。数日前にブヴァンがカルカッタから取り寄せたものだった。パールヴァティーはその日その全ての装飾品を身に付けたのだった。道の途中、ヤショーダーの怒りと自惚れは倍増していた。だが、新しい母親を見た瞬間、彼女は全く言葉を失ってしまった。敵愾心は彼女の心に起こらなかった。ただかすれた声だけが出た。「これが?」

 パールヴァティーはヤショーダーの手を取って家の中に迎え入れた。近くに座って団扇を片手に持って言った。「ヤショーダー、お母さんに怒ってるの?」

 ヤショーダーの顔は恥じらいで赤くなった。パールヴァティーは自分の体の装飾品をひとつひとつヤショーダーの体に着け始めた。ヤショーダーは驚いて言った。「これは何?」

 「何でもないわ。ただお母さんがしたいことをしてるだけ。」

 装飾品を身に付けたヤショーダーの体は輝いた。全てを身に付け終わると、彼女の口元に微笑みが浮かんだ。全身の宝石を着せたパールヴァティーは言った。「ヤショーダー、お母さんに腹を立てなきゃいけない?」

 「いいえ。なぜ腹を立てるの?誰に?」

 「いい、ヤショーダー、これはあなたのお父さんの家よ。こんなに大きな家にどれだけ召使いが必要かしら?お母さんも召使いの一人だわ。たった一人の召使いにそんなに怒って嬉しいの?」

 ヤショーダーの年齢はパールヴァティーよりも上だった。しかし、話をするときはまるで年下のようだった。彼女は狼狽してしまった。団扇を扇ぎつつ、パールヴァティーは言った。「可哀想な少女が、あなたたちのお情けのおかげでここに少しばかりの住む場所を与えてもらったの。あなたちのおかげで、憐れな私も安全に毎日暮らすことができているわ。私も召使いの一人なのよ・・・。」

 ヤショーダーはうなだれて全てを聞いてた。そして突然我を忘れて音を立てて足のそばに倒れこみ、足を触れて言った。「あなたの足元にひれ伏します40、お母さん。」

 次の日、マヘーンドラはヤショーダーを呼んで言った。「どうだ?怒りは収まったか?」

 ヤショーダーは兄の足に手を置いて言った。「お兄ちゃん、怒って私が口にしたこと、誰にも言わないでね!」

 マヘーンドラは笑い出した。ヤショーダーは言った。「それにしても、あんな立派な継母っている?」

 2日後、ヤショーダーは父親のところへ来て言った。「お父さん、あっちの家に手紙を書いてくれないかしら。私はもう2ヶ月ここにいるわ。」

 ブヴァンは驚いて言った。「どうしてだ?」

 ヤショーダーは言った。「体の調子がよくないの。だからお母さんのところにいるわ。」

 喜びでブヴァンの目に涙が溢れてきた。夕方、パールヴァティーを呼んで言った。「お前は私を恥辱から解放してくれた。ありがとう、ありがとう!」

 パールヴァティーは言った。「何ですか、いきなり?」

 「お前には理解できないだろう。神様は今日、私をどれだけ救ってくれたことか。」

 日没後の暗闇の中でパールヴァティーは自分の夫の両目から涙が流れているのが見えなかった。さらに嬉しいことに、ブヴァンの次男が試験を終えて家に戻ってきて、しばらく滞在することになったのだった。

第11章

 2、3日の間、デーヴダースは狂人のようにあちこちフラフラしながら過ごした。ダラムダースが注意しに行くと、デーヴダースは目を真っ赤にして怒鳴り散らし、彼を追い払った。彼の変わり果てた姿を見て、チュンニーラールにさえ声を掛ける勇気が起こらなかった。ダラムダースは泣いて言った。「チュンニー様、デーヴ坊ちゃんはどうしてこんな風になってしまったんですか?」

 チュンニーラールは言った。「いったいデーヴダースに何が起こったんだ、ダラムダース?」

 盲人が盲人に道を聞いても何も分からないように、その問いは意味をなしていなかった。ダラムダースは涙を拭いながら言った。「チュンニー様、どんな方法を使ってもいいですから、デーヴ坊ちゃんを母上様のところへ送ってくださいませ。もしもう勉強をしていないのでしたら、ここにいる必要はないはずです。」

 それはそのとおりだった。チュンニーラールは考え始めた。4、5日後の夕方にチュンニーラールは外へ出掛けようとしていた。デーヴダースがどこかから帰ってきて、彼の手を掴んで言った。「チュンニー、あそこへ行くのか?」

 チュンニーラールはおどおどした声で言った。「ああ、行くなと言われれば行かないが。」

 デーヴダースは言った。「いや、僕は止めてないさ。でもこれだけは教えてくれ。君は何を求めてあそこへ行ってるんだ?」

 「別に何も。ただ楽しむためさ。」

 「楽しむため?僕は楽しくなかったぞ。僕も楽しくなりたいな。」

 チュンニーはしばらく彼の顔を見つめていた。おそらく彼の表情から彼の心を理解しようと努力していたのだろう。そして言った。「デーヴダース、お前に何が起こったのか、ちゃんと教えてくれないか?」

 「何も起こってないよ。」

 「言わないつもりか?」

 チュンニーラールはうつむいて言った。「デーヴダース、ひとつオレの頼みを聞いてくれないか?」

 「何だ?」

 「あそこにお前をもう一度連れてくるように言われているんだ。約束しちまってな。」

 「あの日行ったところか?」

 「ああ。」

 「フン!あそこは気に入らなかったよ。」

 「あのときよりはマシだよ。オレが何とかするからさ。」

 デーヴダースは虚ろな表情でしばらくの間考えた後、言った。「よし、行こう。」


 チュンニーラールは階段を降りてどこかへ行ってしまった。デーヴダースは一人チャンドラムキーの家の2階の部屋に座って酒を飲んでいた。そばでチャンドラムキーは悲しい顔をして座って見ていた。彼女は言った。「デーヴダース、もう飲むのはおよしなさい。」

 デーヴダースは酒の入ったグラスを下に置き、顔をしかめつつ言った。「なぜ?」

 「お酒を飲み始めてまだ数日しか経ってないのでしょう?我慢しながら無理して飲むのはよくないですよ。」

 「僕は我慢するために飲んでるんじゃ~ないんだ~!僕は~ここにいるために酒を飲んでるんだ~!」

 その言葉をチャンドラムキーは何度も聞いていた。どこかで壁にぶつかって、彼が血を流して死んでしまうようなことがないだろうか、彼女はとても心配していた。彼女はデーヴダースを愛していた。デーヴダースは酒のグラスを持ち上げて投げた。グラスは粉々に砕け散った。そして枕の上に頭を乗せて寝転ぶと、呂律の回らない口調で言った。「僕は~起き上がる力がない~、だからここに寝てるんだ~、何も知らないんだ~、だからお前の顔を見て話してるんだ~、チャンド・・・ラ・・・いや、全く知らないことはない、少しは知ってるぞ~。僕を触るなよ~、お前のことなんか大嫌いだからな~!」

 チャンドラムキーは涙を拭いつつ静かに言った。「デーヴダース、ここには幾人もの男性が訪れます。でも彼らはお酒に触りもしませんよ。」

 デーヴダースはチャンドラムキーをにらみつつ起き上がった。手をあちこちにブンブン振り回しつつ言った。「触りもしない?僕が銃を持ってたら、そいつらにぶっ放してやる!奴らは僕よりもさらに罪深いな、チャンドラムキー!」

 少しの間黙り込み、何か考えた後、再びしゃべり出した。「もしいつか酒を飲むのをやめたら、いや、やめなくても、もう二度とここには来ないぞ!僕は方法を知ってるんだ、でも奴らはどうなるってんだ?」

 再び黙り込み、またしゃべり始めた。「悲しくて悲しくて、やってられなくなって酒を飲み始めたんだ。不幸と悲運の友よ!もうお前を手放さないぞ!」デーヴダースは枕に顔を押し付けた。チャンドラムキーはすぐに近くに寄って顔を持ち上げた。デーヴダースは顔をしかめて言った。「おい!僕に触るなと言っただろ!チャンドラムキー、お前は知らないだろうが、僕は知ってるんだ。僕だけ知ってるんだ、僕がお前のこと嫌ってるってな!いつまでも嫌い続けるだろう!それでも僕は来るぞ、座るぞ、そして話をするぞ!それしか方法がないんだ。お前には分からないだろうな!ハ、ハ!人は暗闇の中で罪を犯し、僕はここで酒を飲み続ける。こんなに最適な場所は他にない!そしてお前たち・・・」

 デーヴダースは表情を和らげて少しの間彼女の悲しげな顔を見つめ、言った。「ああ!我慢ばかりだ!不名誉、罵詈雑言、犯罪、障害、この全てを女は我慢できるんだ。お前がそのいい例だよ!」

 そして仰向けに横になって、静かにしゃべり始めた。「チャンドラムキーは僕のことをとても愛していると言っている。僕はそんなことは望んでいない。望んでいない、望んでいないんだ。人は演技をしてるんだ。顔の中にライムとススを覆い隠しているんだ。懇願し、王になり、愛し、どれだけ愛の話をしていることか、どれだけ泣いているか、まるで全て本当のことのように!チャンドラムキーは演技をしているんだ、見てやろうじゃないか。でも記憶にある彼女は、一瞬の内に全てになってしまった。彼女はどこへ行ってしまったのか、どの道から僕は来たのか?今、生涯をかけた泥酔劇が始まったんだ、一人のひどい酒飲みと、そしてここにもう一人、放っておいてくれよ!関係ないだろ!希望はないけど信じてるさ、幸せもなく、希望もない、ああ!上出来だ!」

 その後、デーヴダースは寝返りをしてブツクサ言い始めた。チャンドラムキーは何を言っているか聞き取れなかった。すぐにデーヴダースは寝てしまった。チャンドラムキーは彼のそばに座った。毛布を掛け、彼の目の涙を拭った。そして濡れてしまった枕を変えた。団扇を持ってきてしばらく彼に扇ぎながら、うつむいて座っていた。夜の1時になると、彼女は明かりを消して扉を閉め、別の部屋へ行ってしまった。

第12章

 ナーラーヤン・ムカルジーが亡くなった。

 デーヴダースは知らせを聞くや否や村に戻った。大勢の村民が葬式に参列した。長男のドイジダースは大声を上げて子供のように泣き喚いており、5、6人がかかっても取り押さえられないくらいだった。しかし、デーヴダースはいたって平静な様子で、井戸のそばに座っていた。彼の口には何の言葉もなく、彼の目には涙一滴見当たらなかった。彼のもとには誰も弔問に訪れなかった。ただ、マドゥスーダン・ゴーシュだけが、一回彼のそばへ来てこう言った。「こればっかりは、神様の思し召しだからな・・・。それで・・・」

 デーヴダースはドイジダースの方を指差して言った。「あっち・・・。」

 ゴーシュは間が悪そうに言った。「ああ、彼はよっぽど悲しかったんだろう・・・。」そう言いながら行ってしまった。他には誰も彼のところへ来なかった。

 昼になると、デーヴダースは気が抜けてしまっている母親の足のそばに行って座った。そこには多くの女たちが彼女を囲んで座っていた。パールヴァティーの祖母もそこにいた。彼女は寡婦にかすれた声で言った。「あんた、ほら、デーヴーダースが来たよ。デーヴダースが来たんだよ。」

 デーヴダースは言った。「母さん!」

 母親は彼の方を見て言った。「デーヴダース!」すぐに目から涙があふれてきた。周りの女たちも泣き始めた。デーヴダースはしばらくの間、母親の足の間に顔を埋めていたが、やがて立ち上がり、父親の遺体が安置された部屋へ行った。そして、下に敷かれた敷物の上に座った。外からは平静に見えたが、彼の心は悲しみで揺れ動いていた。彼は年がら年中自らの身体を痛めつけ、それと同じくらい周囲に罵声を浴びせかけていた。彼は醜くなっていた。父親の死の悲しみと罪悪感は、彼の顔をさらに変わり果てたものにしてしまっていた。

 しばらくして、彼を探していたパールヴァティーの母親が、扉を開けて中に入ってきた。「デーヴダース!」

 「何ですか、おばさん?」

 「そんなことしても、何にもならないわよ。」

 デーヴダースは彼女の顔を見て言った。「僕が何をしましたか?」

 彼女は彼が何をしているか、全て理解していた。しかし、何も言うことができなかった。デーヴダースの頭を撫でながら言った。「ああ、神様!」

 「え?」

 「神様・・・」

 このときデーヴダースは彼女の胸の中に頭を埋め、目からは熱い熱い涙が流れ落ちた。

 他の遺族たちもこのような感じで一日を過ごした。規則通りに行われ、大声を上げて泣く人は非常に少なかった。ドイジダースは次第に落ち着いてきた。彼の母親も少し気を持ち直していた。目を拭いつつ雑事に追われていた。2日後、ドイジダースはデーヴダースを呼んで言った。「デーヴダース、父親のシュラーッド41のために、いくらぐらい使ったらいいかな?」

 デーヴダースは兄の顔を見て言った。「好きなようにしてください。」

 「いや、私だけの考えでやるのはよくない。もうお前も大きくなったんだから、お前の意見を聞く必要もある。」

 デーヴダースは聞いた。「現金でいくらあるんですか?」

 「父さんの遺産は合計15万ルピーある。私の考えでは、1万ルピー使えば十分だと思うんだ。どう思う?」

 「僕の相続金はいくらですか?」

 ドイジダースは少し考えて言った。「お前も半分もらえるだろう。1万ルピー使えば、お前の分は7万ルピー、私も7万ルピー手に入る。」

 「母さんには何が?」

 「母さんが現金をもらって何するっていうんだ?母さんは家の主人になるんだ。我々が母さんの家計を助けなければな。」

 デーヴダースは考えて言った。「僕の考えでは、父さんのシュラーッドに3万ルピー使うのがいいと思います。まず兄さんと僕で半分ずつ分けて、7万5千ルピーずつ。その中から兄さんがシュラーッドのために5千ルピー出して、僕は2万5千ルピー出します。僕の残金の中から2万5千ルピーは母さんに譲渡します。僕は2万5千ルピーだけもらえればいいです。」

 ドイジダースは狼狽しつつも言った。「それはいい考えだな・・・お前も知ってのとおり、私には妻や子供がいる。彼らの聖紐式や結婚式のために莫大な支出をしなければならない。だからその考えはいい。」そして少し黙ってから言った。「で、一応念のために契約書でも作っておこうか。」

 「契約書なんて必要ないです!それはよくないことです。僕は今、お金の話はしたくありません。今度にしましょう。」

 「お前の言いたいことは分かるが、早いうちにお金の話をしなきゃならんだろう!」

 「それじゃあ僕が書きます。」その日の内にデーヴダースは契約書を作った。

 次の日の昼頃、デーヴダースは階段を降りていた。途中でパールヴァティーを見て足を止めた。パールヴァティーはデーヴダースの方を見た。見てすぐに、彼は今イライラしていると分かった。デーヴダースは厳しい表情で彼女の方へ来て言った。「いつ来た、パールヴァティー?」

 その声を聞いたのは3年振りだった。うつむいてパールヴァティーは言った。「今朝来たの。」

 「久しぶりだな。元気か?」

 パールヴァティーはうつむいたままだった。

 「チャウダリーは元気か?子供たちは?」

 「みんな元気よ。」パールヴァティーは一度彼の顔を見たが、彼に「元気?」と聞くことができなかったし、「何をしてるの?」と聞くこともできなかった。

 デーヴダースは聞いた。「ここに何日かいるんだろ?」

 「ええ。」

 「それじゃ」と言ってデーヴダースは行ってしまった。

 シュラーッドが終わった。その様子を描写するととても長くなってしまうから、その必要はないだろう。シュラーッドの2日目、パールヴァティーはダラムダースを単独で呼び、彼の手に金のネックレスを握らせて言った。「ダラム、娘さんにこれをあげて。」

 ダラムダースは彼女の顔を見て、今にも泣き出しそうな声で言った。「ああ!本当に久しぶりだ、お元気でしたか?」

 「ええ、みんな元気です。あなたの子供たちはどう?」

 「はい、パーロー、みんな元気です。」

 「あなたはどう?」

 ダラムダースは長いため息をして言った。「どうしたもこうしたもないですよ。人生お先真っ暗です。ご主人様が亡くなってしまわれたし・・・私も死んでしまいたいくらいです。」ダラムダースはさらに身の不幸を並べ立てようとしたが、パールヴァティーが止めた。それらの話を聞くためにネックレスをあげたわけではなかった。

 パールヴァティーは言った。「ねえ、ダラムダース、お前が死んでしまったら、デーヴの世話は誰がするの?」

 ダラムダースは言った。「まだ子供だった頃は世話する必要もありましたが、今はそんな必要ありません。」

 パールヴァティーはさらに詰め寄って言った。「ダラム、ひとつ本当のことを教えてくれる?」

 「ええ、もちろんですよ、パーロー。」

 「じゃあ本当のことを言って。デーヴダースは今何してるの?」

 「私を養ってくれてます。」

 「ダラムダース、どうしてはっきり教えてくれないの?」

 ダラムダースは熱を込めて言った。「はっきり言ってどうなるっていうんですか?これだけは言っておきます。ご主人様もいなくなって、デーヴ坊ちゃんに多くのお金が手に入りました。今の坊ちゃんを誰が止められるでしょう?」

 パールヴァティーの顔が突然ゆがんだ。彼女は、嫌な予感が的中した悲しみと共に言った。「何言ってるの、ダラムダース?」彼女はマノールマーからの手紙でいくつかの知らせを聞いていたが、全く信じていなかった。ダラムダースはうつむいてしゃべり始めた。「食べもせず、飲みもせず、寝もせず、ただ酒酒酒の毎日・・・3日、4日、どこかへ行って戻ってこないし、全く訳が分かりません。どれだけのお金を使い果たしたことでしょう。聞くところによると数千ルピーの装飾品を作らせたそうです。」

 パールヴァティーは全身震え立った。「ダラムダース、それは全部本当のことなの?」

 ダラムダースはパールヴァティーの問いに答えずにしゃべり続けた。「お前の他に坊ちゃんを説得することはできない。一度坊ちゃんを説得してくれないか?多分お前の話なら聞くだろう。見てみなよ、坊ちゃんの美しい体がどんな状態になってしまったことか?こんな自暴自棄の生活をして、あと何日生きていられるだろう?自分の体を痛めつけるのを止めさせてくれ。この話は他の誰にもできないから、お前に頼んでいるんだよ。誰にこの話をしよう?奥様、旦那様、お兄様にはこんな話はとてもじゃないができない・・・。」ダラムダースは黙った。彼の目からは涙が流れ落ちた。その後再び口を開いた。「全部本当のことなんだよ、パーロー、ああ、いっそのこと毒を飲んで死んでしまいたいよ、パーロー、もうこの先、生きていく自信がない。」

 パールヴァティーはしばらく呆然と座っていたが、やっとのことで立ち上がって自分の家へ去って行った。彼女はデーヴダースの父親が死んだという知らせを聞き、デーヴダースと彼の母親を慰めるために帰ってきたのだった。しかし、ここに来てダラムダースと話をしてから、彼女の心はバラバラになってしまった。デーヴダースを慰める代わりに、デーヴダースに対して怒りを覚え始めた。そして、それの何千倍もの責苦をパールヴァティーは自分自身に対して感じ始めた。これは全てあれが原因なのだ、彼女は考えた。最初、パールヴァティーは傲慢になって自らの足に斧を振り下ろした。ところがその斧はひるがえって、彼女の頭を直撃したのだった。あれが原因となってデーヴダースは自分の人生を滅茶苦茶にしているのだ。彼は他人の世話ばかりをして、自分のことは何も考えていない。彼を心配し、世話する人がいないから、彼は破滅に向かっている。彼は見知らぬ他人に食物を分け与え、自分自身は腹をすかせている。パールヴァティーは、今日デーヴダースの足元に自分の頭をぶつけて、自分の命を捧げる決心をした。

 夕方になる少し前だった。パールヴァティーはデーヴダースの部屋に入った。デーヴダースはベッドの上に座って遺産の契約書を見ていた。パールヴァティーは静かにドアを閉めて絨毯の上に座った。デーヴダースは顔を上げ、微笑みながら彼女の方を見た。彼の顔は悲しげだったが、穏やかだった。突然デーヴダースは質問した。「もし今日、お前の悪い噂を言いふらしたら?」

 パールヴァティーは恥じらいを浮かべ、黒い両目で一度彼の方を見て、目を伏せた。デーヴダースの言葉は、あの出来事が彼の心に永遠に刻み込まれていることを示していた。パールヴァティーはデーヴダースにいろいろな話をするために来ていたが、全てを忘れてしまい、ひとつも言い出すことができなかった。デーヴダースはもう一度笑って言った。「分かってるよ、分かってるよ!恥ずかしいんだろ?」このときもパールヴァティーは何も言うことができなかった。デーヴダースは言った。「恥ずかしがる必要なんてないさ。僕たちはガキの頃から一緒に過ごしてきたんだ。一緒に目を覚まし、一緒に座り、一緒に遊んで・・・。ただひとつ、間違いが起きてしまったんだ。怒りのあまり、お前は思ったことをそのまま言ってしまった。そして僕はお前の顔に傷跡を付けてしまった。どうなった、あの傷は?」

 デーヴダースの言葉に裏表は少しもなかった。ただ笑いながら過去の悲しい出来事を話していた。パールヴァティーの心も、だんだん打ち解けてきた。口をショールで隠し、深く息を吸って、心の中で言った――デーヴ、この傷跡だけが私の心の支えよ、ただこれだけが私の仲間だわ。あなたは私を愛していたから、思いやってくれて、私たちの思い出をこの形で、この線で、刻んでくれたんだわ。だから私は少しも恥じていないわ。罪悪感もないわ。これは私の栄誉の印だわ。

 「パーロー!」

 口からショールを外さずにパールヴァティーは言った。「何?」

 「僕はお前にすごく怒ってるんだぞ!」

 このときデーヴダースの声は豹変した。「父さんは死んでしまった。今日は僕にとって災難な日だ。でもお前がここにいても何の問題もない!義姉さんのことは知ってるだろ?兄さんの性格も全部分かってるだろう。それに母さんのために何をしたらいいか、何が起こるのか、僕には何も分からないんだ。お前がいてくれれば、僕はお前に全部任せることができる。違うか、パーロー?」

 パールヴァティーは突然泣き出した。デーヴダースは言った。「なんで泣いてるんだ?もう何も言わないよ!」

 パールヴァティーは涙を拭いながら言った。「いいから、言って!」

 デーヴダースは咳払いをして言った。「パーロー、お前はもう立派な女主人になったことだろう?」

 パールヴァティーはショールの中で唇を噛みしめ、心の中で言った――女主人なんてとんでもない!まるで石になってしまったようだわ!

 デーヴダースは笑いながら言った。「おかしい話だな!お前、あんなに貧乏だったのに、もうこんなに大物になっちまって!大きな家、偉い地主、優秀な子供たち、それに一番すごいのはチャウダリーさんだよ。そうだろ?」

 チャウダリーはパールヴァティーにとって笑いの種だった。彼の名前が出てくるだけで彼女は笑いが込み上げてきた。こんな状態のときにすら、笑いが込み上げた。デーヴダースは無理に真面目になって言った。「ひとつ頼み事していいか?」

 パールヴァティーは顔を上げて言った。「何?」

 「お前の村に、誰かいい女の子いないかな?」

 パールヴァティーはむせながら言った。「いい女の子?どうするの?」

 「もしいたら、その娘と結婚するよ。一度家庭を持ってみたいと思ってるんだ。」

 パールヴァティーも真剣になって言った。「とってもきれいな娘がいいんでしょう?」

 「ああ、お前みたいな!」

 「それで、とってもおしとやかで?」

 「いや、おしとやかじゃあ駄目だ。ちょっとお転婆なぐらいがいいな、お前のように。僕と喧嘩するぐらい!」

 パールヴァティーは心の中で、それは無理な話だわ、デーヴ、なぜなら私と同じだけの愛が必要だから・・・、と言ったが、口に出した言葉は違った。「私みたいな女の子だったら何千といるわ。」

 デーヴダースはふざけて笑って言った。「それじゃあその中から1人紹介してくれるかい?」

 「デーヴ、本当に結婚するつもりなの?」

 「ああ、言ったとおりだ。」しかし、デーヴダースはこれだけは正直に言わなかった。パールヴァティーを除いて、他の誰も彼の伴侶になることはできないのだ。

 「デーヴダース、ひとつ教えてくれる?」

 「何だ?」

 パールヴァティーは深呼吸して言った。「あなたはお酒をどこで覚えたの?」

 デーヴダースは笑って言った。「酒を飲むのに、何か学ぶ必要があるのか?」

 「そういうことじゃなくて、どうして始めたの?」

 「誰から聞いた?ダラムダースか?」

 「誰でもいいから、で、その話は本当なの?」

 デーヴダースは隠さずに言った。「まあそのとおりだ。」

 パールヴァティーはしばらく考えた後、質問した。「誰かに何千ルピーの装飾品をあげたの?」

 デーヴダースは真顔になって言った。「あげてないさ。作らせておいただけだ。お前、欲しいか?」

 パールヴァティーは手を広げて言った。「ちょうだい。ほら、私は何の装飾品も着けてないでしょう。」

 「チャウダリーさんからもらえないのか?」

 「くれたわ。でも全部彼の長女にあげてしまったわ。」

 「それじゃあお前には必要ないんだろう。」

 パールヴァティーは頭を振ってうつむいた。デーヴダースの目から涙があふれ出た。デーヴダースは心の中で、普通女は悲しみから自分の装飾品を他人にあげたりしないだろう、と考えた。しかし、目からあふれ出る涙を止めて、静かに言った。「全部嘘だよ。僕はどの女にも恋をしたことがない。誰にも装飾品をあげたことはない。」

 パールヴァティーは長いため息をして、心の中で、私もそう信じてるわ、と言った。

 しばらく二人は黙っていた。そしてパールヴァティーが言った。「とにかく、もうお酒を飲まないって約束して。」

 「それは無理だよ。お前は僕を忘れるって約束できるのか?」

 パールヴァティーは何も言わなかった。そのとき外から夕方を告げる法螺貝の音がした。デーヴダースは窓から外を見て言った。「日が沈んだな。もう家に帰れよ、パーロー!」

 「あなたが約束するまで帰らないわ。」

 「なぜだ?僕はそんなことできないって。」

 「なんでできないの?」

 「みんながみんな、全てのことをできるはずないだろ?」

 「そう願えば絶対にできるはずだわ。」

 「お前は今夜、僕と一緒に逃げることができるのか?」

 パールヴァティーの心臓が急に止まった。無意識に声が口から出た。「そんなこと、どうやって・・・?」

 デーヴダースはベッドの上に座りなおして言った。「パールヴァティー、ドアを開けてくれ。」

 デーヴダースは立ち上がってゆっくりと言った。「パーロー、大声を張り上げて約束を強要するのはよくないぜ。それで何の得になるって言うんだ?今日約束しても、それが守れることはないだろう。僕に嘘つきになって欲しいのか?」

 その後しばらくの間黙っていた。そのときどこかの家から時計を打つ音が聞こえてきた。既に9時になっていた。デーヴダースはせかして言った。「パーロー、扉を開けろ!」

 パールヴァティーは何も言わなかった。

 「行けよ、パーロー!」

 「私は絶対に行かないわ!」パールヴァティーは突然仰向けになって寝転んだ。しばらくの間、パールヴァティーは嗚咽しながら泣いていた。そのとき部屋中を深い闇が覆っており、何も見えなかった。デーヴダースは、パールヴァティーはただ床の上に倒れて泣いているのだと思っていた。彼は静かに彼女を呼んだ。「パーロー!」

 パールヴァティーは泣きながら答えた。「デーヴ、私、とっても苦しいの・・・。」

 デーヴダースは近寄った。彼の目にも涙があふれていた。しかし、何とか声を出した。「どうした、僕には何も分からないぞ、パーロー!」

 「デーヴ、私はあなたのために生きることができなかったわ!それが私の生涯の望みだったのに・・・!私は死んでしまいそうだわ!」

 暗闇の中で涙を拭いつつ、デーヴダースは言った。「しようと思えばできるさ。」

 「じゃあ私と一緒に行こう!誰もあなたの世話をしてないわ。」

 「お前の家に行ったら、ちゃんと僕の世話をしてくれるか?」

 「それが子供のときからの私の望みだったわ。ああ、神様!私のこの望みを叶えてちょうだい!その後たとえ死んでしまったとしても悲しくはないわ!」

 このときデーヴダースの目は涙で一杯になっていた。パールヴァティーは再び言った。「デーヴダース、私のところへ来て!」

 デーヴダースは涙を拭って言った。「分かった、行こう。」

 「私の頭に手を置いて誓って!」

 デーヴダースは手探りでパールヴァティーの足を触って言った。「このことを僕は絶対に忘れないよ。もし僕が行くことでお前の悲しみが和らぐなら、僕は絶対に行くさ。死ぬ前まで僕はこのことを忘れはしないよ。」

第13章

 父の死後、いつの間にか6ヶ月が過ぎてしまった。デーヴダースは家の生活に退屈してしまっていた。楽しくもないし、落ち着きもしない。人生の道からすっかり外れてしまっていた。しかも、パールヴァティーのことが気掛かりで、心はさらに不安定だった。最近では、彼女のひとつひとつの仕草や表情の残像が常に目の前でちらついていた。その上、兄夫婦の冷淡な振る舞いが、デーヴダースの苦悩をさらに増大させていた。

 母親の状態もデーヴダースのようだった。夫の死と共に彼女の全ての幸せは消え去ってしまった。女主人としてこの家に住み続けるのがだんだん苦痛になってきた。ここ数日間、彼女はカーシー42へ移り住むことを考えていた。ただ、デーヴダースがまだ独身だから思いとどまっていたのだった。折に触れて彼女は言っていた。「デーヴダース、そろそろお前も結婚して、私を安心させておくれ。」しかし、それは不可能な話だった!理由のひとつは、父の一周忌が済んでいなかったこと。もうひとつは、結婚したい女性が見つかっていないことだ。だからデーヴダースの母親は、あのときパールヴァティーと結婚させておけばよかったと、最近時々後悔するようになった。

 ある日、彼女はデーヴダースを呼んで言った。「もう私はここに住めないわ。近いうちにカーシーへ行って住むことにするよ。」

 デーヴダースは賛成して言った。「僕は別に反対はしないよ。半年経ったら帰ってきてよ。」

 「それじゃあこうしておくれ。私がまた戻ってきて、父さんの一周忌が済んだ後は、お前を結婚させて、ちゃんと家庭を持たせてから、私はまた家を出てカーシーに住むわ。」

 デーヴダースは首を振って言った。「分かった。僕が手配するよ。」


 2、3日後、デーヴダースは母親と共にカーシーへ旅立った。そこで母親の生活に必要な手はずを整え、1週間後、カルカッタに立ち寄った。寮に行ってみると、チュンニーラールは寮を出てどこかへ行ってしまったことを知った。数日間デーヴダースはチュンニーラールの消息を探し回ったが、彼の行方を知る者はいなかった。

 突然、デーヴダースはチャンドラムキーのことを思い出した。一度彼女に会ってみよう、彼はそう考え出した。カルカッタにいながら、今まで彼女に会いに行かなかったことに後ろめたさすら覚えた。

 その日の夕方、彼は馬車を雇ってチャンドラムキーの家を訪れた。家はしんと静まり返っていた。物音ひとつ、中からしなかった。

 デーヴダースは何度も呼んでみたが、返答はなかった。もう一度大声を上げ、もう帰ろうとしたところ、中から女の声が聞こえた。「彼女はもうここにはいないわよ。」

 向かいにガス燈があった。その柱のそばへ行って、デーヴダースは大声で言った。「彼女がどこへ行ったか知ってるか?」

 窓が開き、一人の女が外を覗いた。しばらくデーヴダースの姿を灯りの中で見た後、その女は質問した。「あなたはデーヴダース?」

 「そうだ、僕がデーヴダースだ。」

 「ちょっと待って!今ドアを開けるから。」

 女は階段を降りて下の階に来た。そしてドアを開けながら言った。「来なさい、中に入りなさい!」

 デーヴダースは、その女の声に聞き覚えがあった。しかし、思い出せなかった。彼女の顔がよく見えないほど、中は真っ暗だった。

 デーヴダースは玄関に立っていた。中には入らなかった。そこから言った。「チャンドラムキーがどこにいるか、教えてくれないか?」

 女は微笑み、言った。「ええ、教えてあげますわ。上に行きましょう!」

 近くに立っている女を注意深く見たデーヴダースは言った。「あれ、チャンドラムキー、お前!」

 「ええ、私よ。」チャンドラムキーは笑って言った。「デーヴダース、あなたは私のことをすっかり忘れてしまったのね。」

 心の中でデーヴダースは、忘れてしまったならどうして会いに来たんだ、と思ったが、何も言わず、ただ「さあ、上へ行こう」と言った。

 デーヴダースはこれらの出来事に非常に驚いてしまったが、それは上の階へ行ったときの驚きの比ではなかった。彼は見た――チャンドラムキーはいたって普通の黒いドーティーを着ており、彼女自身にも輝きがなかった。手にはただ金属製の腕輪しか付けていなかった。それを除いて、彼女の身体にはひとつも装飾品がなかった。髪の毛はボサボサだった。長い間髪の手入れをしていないように思えた。驚き呆れたデーヴダースは言った。「いったいお前はどうなってしまったんだ、チャンドラムキー?お前はどうして自分をこんな風にしてるんだ?しかも痩せてしまったように見えるぞ!病気なのか?」

 チャンドラムキーは笑って言った。「いいえ、身体はいたって健康ですよ。心配しないでください。さあ、座って!」

 ベッドに座りながらデーヴダースは部屋を見回した――部屋中驚くほど変わり果ててしまっていた。部屋の中にも飾りが何もなかった。壁にかかっていた絵や鏡は、全て取り払われてしまっていた。部屋の中にひとつも机、椅子、家具はなかった。ただひとつベッドが置いてあった。隅でチクタクチクタク音を立てていた時計は、今でもそこにあった。だが、針は動いていなかった。もう長い間ぜんまいを巻いていないのだろう。四方では蜘蛛が巣をはっていた。片隅で油灯がか弱い光を発していた。その弱々しい光の中で、部屋の中は余計に寒々しく感じられた。

 デーヴダースはとても悲しくなって言った。「チャンドラムキー、いったいどうしてこんな不幸な生活を送ってるんだ?」

 けだるい笑みを浮かべながらチャンドラムキーは言った。「これのどこが不幸なの?私の人生はバラ色になりました!」

 デーヴダースは全く理解ができなかった。

 彼女の頭からつま先まで眺めながらデーヴダースは質問した。「お前の身体の装飾品はどこに行った?」

 「売ったわ。」

 「家具は?」

 「それも売ったわ。」

 「部屋の飾りは?絵、カーテン、鏡、全部売ったのか?」

 笑いながらチャンドラムキーは向かいの家の方を指差して言った。「いいえ、それは全部向かいの家の人にあげました。」

 デーヴダースは黙って彼女の顔を見ていた。そして、ハッと思い付いて言った。「チュンニーの奴はどこにいる?」

 「知りません。2ヶ月前に私と喧嘩して出て行ってしまったから。その後、来ていませんし。」

 デーヴダースはとても驚いて、質問を続けた。「どうして喧嘩したんだ?」

 チャンドラムキーは黙ってしまった。

 「教えろよ!あいつとどうして喧嘩したんだ?」

 「私を斡旋しようとしたの。だから家から追い出しました。」

 「何の斡旋だ?」

 チャンドラムキーは急に大笑いし出した。「あなたは知らないの?この市場で斡旋といったらひとつしかないでしょう?」しかし、デーヴダースが不可解な顔をしているのを見て、チャンドラムキーは詳しく説明した。「ある大金持ちを連れてきたの。私に、彼の愛人になって住むように・・・1月200ルピーで・・・多くの装飾品と、1人の警備員も付けて・・・もう分かった?それともまだ分からないの?」

 話を理解し、デーヴダースも笑いながら言った。「ああ、やっと分かったよ。でも、ここでそんなことがあるようには見えないけどな。」

 「どうして見えるでしょう?私はあのとき彼らを怒鳴って追い払ったのよ。」

 「でも、その人たちに別に何の罪もないだろう。」

 「ええ、彼らに何の罪もないわ。でも、私は気に入らなかったの。」

 デーヴダースは考え込んで言った。「で、それ以来、誰もここに来なくなったのか?」

 「いいえ。」チャンドラムキーは厳しい口調で言った。そして考えながら話し始めた。「本当は、あなたがここを去ってから、誰もここには来てないの。時々チュンニー様が来てくれたわ、でも2ヶ月前から彼も来なくなったのよ!」

 デーヴダースはベッドに横になった。そして静かに言った。「ということは、お前は自分の店をたたんでしまったわけか。」

 「ええ、破産してしまったわ!」

 「しかし、チャンドラムキー、お前はこれからどうやって生きていくつもりなんだ?家賃、食べ物、衣服!」

 「さっきあなたに言ったように、持っていた装飾品は全部売り払ってしまったわ!」

 「この半年間、かなり金を使っただろう?」

 「ええ、使ったわ。でも今でも少しは残っています。」

 「いくら?」

 「多くはないわ。8、900ルピーぐらいかしら。知り合いのバニヤー43のところに置いてあるわ。毎月彼から20ルピーもらっています。」

 「昔のお前の生活費は20ルピーで足りてなかったんじゃないか?」

 「今でも足りていません。3ヶ月分の家賃を踏み倒してるの。だから考えていたところなの、この両手の腕輪を売って、そのお金で家賃を払って、どこかへ行ってしまおうかって。」

 「どこへ行く気だ?」

 チャンドラムキーは考え込んでしまった。しばらく後に言った。「どこへ行くかは今まで考えてなかったわ。そうね、どこか田舎の方に行こうかしら、1月20ルピーで生活できるところに。」

 「じゃあ、どうしてもっと前に立ち去ってしまわなかったんだ?何を考えてここに住み続けていたんだ?意味もなく無駄遣いしてたことになるぞ!」

 チャンドラムキーはうつむいて考え出した。人生で初めて、彼女は真実を話すことに恥じらいを感じた。

 デーヴダースは言った。「どうした、どうして黙ってるんだ?」

 チャンドラムキーは恥じらいながら、ゆっくりとベッドの隅に腰掛けて、小さな声で言った。「怒らないでください。心の中で希望を持ち続けて暮らしていたんです。ここから永遠に立ち去ってしまう前に、あなたにもう一度会えると思って・・・。どうしてあなたがもう一度必ず来るなんていうことを信じていたか分かりません。今日、あなたが来てくれました。私は明日、ここから立ち去る準備をします。でも教えてください、私はどこへ行ったらいいの?」

 デーヴダースは驚いて立ち上がり、言った。「ただ僕に一度会うためだけにここに留まっていたのか?でもなぜ?」

 「あなたは私をとても嫌っていたわ、多分だから私の心の中に、あなたにもう一度会いたい気持ちがあったんだと思うわ。デーヴダース、人生の中で、あなたほど私を嫌った人はいないわ。あなたが、私たちの初めて会った日のことを覚えているか分からないけれど、私はとてもよく覚えているわ。あなたが初めてここに来た日、私はあなたに魅了されてしまいました。あなたがどこかのお金持ちの家の御曹司であることは分かったけれど、お金に惹かれたわけではない。あなたが来る前にも、どれだけ多くのお金持ちがここへやってきたでしょう、でも、あなたほど魅力を感じた人は他にいませんでした。それに、あなたはここに来た途端、私を罵ったわ!私に対して冷淡なそっけない態度をとったわ!私を嫌って、私の方に顔を向けようともしなかったわ。そして帰るとき、大げさに私に何かをくれたわ・・・あのときのこと覚えてますか?」

 デーヴダースは少し顔を赤らめた。彼は黙ってしまった。

 チャンドラムキーはさらに話し始めた。「そのとき、私の心にあなたが住むようになったの。でも、愛情からではないわ、嫌悪からでもない。何か新しいものを見ると、それが心から離れなくなって、何度も何度も思い出されてくるでしょう、それと同じで、あなたのことが何度も何度も思い出されるようになったの。私はどうしてもあなたを忘れることができませんでした。あなたが来ていたときは、私は他の何も必要ありませんでした。その後、どうしてか知らないけど、困ってしまったわ!私は世界を、この仕事を、多くのことを、他の角度から見るようになったわ。昔の『私』は変わってしまった――昔の『私』が少しも残らないほど変わってしまったわ。そしてあなたはお酒を飲み始めた。本当のこというと、私はお酒は大嫌いよ。誰かがお酒を飲んで酔っ払うと、私はその人に対してすごく怒りを感じるわ。でも、あなたがお酒を飲んで酔っ払っても、怒りは込み上げてきませんでした。ただ、とても悲しかった。私は心の中でこの上なく苦しんでいたわ。」

 チャンドラムキーの目には涙が浮かんでいた。デーヴダースの足に手を置いて彼女は言った。「私はとても下賤で卑しい女です。あなたは私の罪を気にしないで!あなたはどれだけ多くのひどいことを言っていたでしょう。どれほど怒って私を突き飛ばしたでしょう。でも、私はあなたのそばに少しでも近付きたかった。あなたが疲れて眠っていたとき、私は・・・いいえ、忘れてください、でないとまたあなたは怒るでしょうから。」

 デーヴダースは一言もしゃべらなかった。チャンドラムキーのこのような話は、彼の心に深く突き刺さっていた。

 顔を覆い隠して涙を拭って言った。「あなたは一度こんなことを言いました。私たち女は忍耐の生き物だ、って。汚名、軽蔑、傲慢、不正・・・その日から私は自分に誇りを持ちました。その日から私は何もかも辞めてしまいました。」

 しばらく考え込んでいたデーヴダースは質問した。「チャンドラムキー、お前はこれから人生どうするつもりなんだ?」

 「それはもう言ったでしょう。」

 「いいか、もしそのバニヤーがお前を騙して、お前の金全部を・・・」

 チャンドラムキーは笑った。そして穏やかな声で言った。「私は少しも驚かないわ。私はそのことももう考えたわ。」

 「何を考えたんだ?」

 「そんなことが起こったら、私はあなたからお金をいただきます。」

 「ああ、いいさ。さあ、お前はどこか他のところへ行く準備をしろ。」

 「あなたと会うことができたからもう十分。明日この腕輪を売って、バニヤーと話をするわ。」

 デーヴダースはポケットから100ルピー札を5枚取り出して枕の下に置き、チャンドラムキーに言った。「腕輪は売るんじゃない!バニヤーには必ず会って、自分の金を返してもらえ。でも、お前はどこへ行くんだ?どこかの巡礼地か?」

 「私のような運命を背負った者が、どこの巡礼地へ行けばいいのでしょう?」

 「どこかの家で小間使いでもするのか?」

 チャンドラムキーの目には再び涙があふれてきた。チャンドラムキーは言った。「いいえ、そんなことをするつもりはありません。私は自由に暮らします。私は殴られたり叩かれたりするのは我慢できないの。もし体罰を受けたら、多分私の身体はどうかなってしまうでしょう。」

 デーヴダースは味気のない笑みを浮かべて言った。「でも、街のそばに住んでいると、また何かの誘惑に負けてしまうこともありえるぞ。人間の心は信用できないからな。」

 チャンドラムキーも笑って言った。「そうね、人間の心が信用できないのは本当だわ。でも、私は今、誘惑には負けない。なぜなら、他の人が誘惑に負ける原因を、私は希望で遠ざけたのだから。私はよく考えた上でそうしました。一時的な思いつきからではない。だから、私は絶対に何にも誘惑されることはないでしょう。」

 デーヴダースは頭を振りながら言った。「女心と秋の空というだろう!女の心は変わりやすいからな!」

 チャンドラムキーはデーヴダースのそばに座り、彼の手を取って言った。「デーヴダース!」

 デーヴダースは驚いて彼女の顔を見た。彼女は手を離さず、何も口にしなかった。

 愛情に満ちた表情でデーヴダースの方を見ながら、チャンドラムキーは彼の両手を自分の胸に持って来て、震えた声で言った。「今日が最後の日よ。あなたは怒らないで。私はずっと前からひとつ聞きたいことがあったの。聞いていいかしら?」

 「いいぞ。」

 デーヴダースの顔をじっと見つめて、チャンドラムキーは質問した。「パールヴァティーはあなたをひどく傷つけたの?」

 デーヴダースの眉間にしわが寄った。「なんでそんなこと聞くんだ?」

 静かな声でチャンドラムキーは言った。「なぜなら、私にとってそのことはどうしても知らなくてはいけないことだからよ。あなたに言ったでしょう、あなたが悲しいと、私もとても傷つくの。しかも、私はあなたのことをとてもよく知ってるわ。酔っ払っているとき、あなたは自分からその話をしたわ。あなたの言葉を聞いて、私はパールヴァティーがあなたを騙したことを信じていないわ。私はこう思うわ、デーヴダース、あなたは自分で自分を騙したんだわ。デーヴダース、私はあなたより年上よ。私はあなたより多くのことを見てきたし、体験してきた。何度も考えた結果、やっと理解できた。間違いはあなたの方にあるって。女の心が変わりやすいと決め付けるのはよくありません、間違っています。その考えは、あなたたち男が広めたのよ。あなたたちは機嫌の悪いときには女に罵声を浴びせ、機嫌のいいときには女を誉めそやします。女はあなたのように、思ったことをそのまま口に出すようなことはできない。女はそんなことできない。たとえ女が思ったことをしゃべり始めたとしても、誰もそれを理解できないわ。なぜなら、女の考えは曖昧で、あなたたち男によって押さえつけられてしまうから。そしてこの世に残るのは、女の不名誉と、女に対する罵詈雑言だけ。」

 少し呼吸を整えて、再びチャンドラムキーはしゃべり始めた。「私は人生の中で多くの時間を愛の仕事に費やしました、でも実際に私が恋をしたのはただ一度だけ、そしてその愛の価値は計り知れない。私は人生で多くのことを学びました。愛情と肉欲――このふたつは別のもの。あなたたち男はこれらに違いを見出すことができないでしょう。だから何も気にせず生きて行けます。あなたたちには身体的な欲求が強いわ。私たち女にもそれはあるけど、そんなに強くはない。だから、私たちは恋愛で、あなたたちのように愛に狂うことはありません。あなたたち男が自分の愛情を表に出すとき、私たち女はその人を受け入れることができなくても、恥じらいから『私はあなたを愛せない』と言えません。私たちは黙っています。そしてその演技がばれて、数日後に関係が終わってしまうと、あなたたちは怒りに任せて敵意を露にして言います、『あいつはオレを裏切った!』って。周囲の人々はそれを聞いて、それを信じるの。そのときでさえ、私たち女は黙っているわ。心の中で果てしない苦痛を感じているけど、それでも私たちは黙り続けているわ!」

 少しの間黙った後、チャンドラムキーはまた話を続けた。「だから、デーヴダース、本当に誰かを愛している人は、心の中にそういう耐え忍ぶ力があるの。我慢することができるの。愛によってどれだけ幸せが得られるか知っている人は、とても穏やかで、満ち足りているわ。自分の人生や生活の中に、意味のない悲しみや怒りを持ち込むことを望まない。だから、何の疑いもなく言いますが、デーヴダース、パールヴァティーはあなたを騙したりはしてない、あなたを裏切ったりはしてない。あなたが自分で自分を騙したのよ。きっと今日あなたはこのことを理解できないでしょう。でも、いつか、チャンドラムキーがあの夜言っていたことは全く正しかったと思う日が必ず来るでしょう。」

 デーヴダースの目には涙があふれて来た。彼はチャンドラムキーの話は全く本当だと感じた。チャンドラムキーはデーヴダースの涙を見たが、彼女はその涙を拭おうとしなかった。彼女は心の中で言った――私はあなたが何を考えているか知ってるわ。あなたは普通の男のように、自ら愛を打ち明けることはできないでしょう。外見と美は誰をも魅惑できるわけではない!あなたはただ見た目の美しさだけを見て女の価値を決めるような男ではないわ。パールヴァティーは類稀な美人かもしれない、でも、彼女こそが、初めてあなたが愛し、あなたが愛を打ち明けた女性なのでしょう。

 チャンドラムキーは心の中でこれらのことを言っていたが、最後の言葉がつい口に出てしまった。「パールヴァティーはどれだけあなたを愛していたことでしょう!」

 デーヴダースはびっくりして言った。「今何て言った?」

 「何でもないわ。」チャンドラムキーは言った。「私が言ったのは、パールヴァティーはあなたの外見に惹かれたのではないってこと。あなたの顔が器量よしなのは疑いないことだけど、誰もあなたの容姿を見て恋に狂うことはないわ。それに、あなたの美しさは全ての人に見えるわけじゃない。でも、一度見たら、二度と目をそらすことができない。」

 チャンドラムキーは大きく息を吸って言った。「あなたを一度でも愛した人は誰でも知っています、あなたがどんなに魅力的かということを!その魅力を破壊して、この地上に戻ってこられる女なんていないでしょう。」

 デーヴダースの顔をじっと見つめながらチャンドラムキーは話し続けた。「あなたの美しさは目には見えない。心の奥の奥に、その影だけが横たわっているの。一生が終わったとき、それは火と共に燃えて灰となるでしょう。」

 デーヴダースは動揺を浮かべながらチャンドラムキーの顔を見て言った。「今日お前はいったい何を言っているんだ?」

 チャンドラムキーは微笑んで言った。「デーヴダース、愛していない人に愛の話を聞かせられることほど、辛いことはないわ。でも、デーヴダース、本当に私はパールヴァティーをかばっているだけよ、自分のじゃないわ。」

 デーヴダースは立ち上がって言った。「僕はもう行くよ。」

 「もう少し座って行ってくださいな。私は今まで一度もお酒の入っていないあなたとこんな風に話せたことはありませんでした。あなたの両手を掴んで話をすることはできませんでした。ああ、なんて幸せでしょう!」しゃべりながら、彼女は突然笑い出した。

 少し驚いてデーヴダースは聞いた。「どうした、なんで笑っている?」

 「それはね、過去のある出来事を思い出してしまって。10年程前かしら。私はある人との恋に狂って、家族を捨てて彼と一緒にこの街に来たの。そのとき私は、彼をすごく愛していると思っていたわ。彼のためなら命すら捧げられたくらい。でも、ある日、装飾品を買うとか買わないとか、そんな些細なことから大喧嘩して、それ以来彼とは二度と顔を合わせていないの。そのとき私は自分で自分に言い聞かせたわ、彼は私のこと全然愛していなかったんだって。もし愛していたら、私に装飾品ぐらいくれるでしょう?」

 チャンドラムキーは再び笑い出した。そして突然真剣な顔になって話し始めた。「装飾品なんてくだらない。そのときどうして知っていたでしょう、何の変哲もないヘアピンに命まで捧げなければならなかったなんて。そのときの私には、スィーターとダマヤンティー44の苦しみを理解するほどの知恵がありませんでした。『ジャガーイー=マガーイーの物語』45も信じていませんでした。ねえ、デーヴダース、この世で不可能なことなんてないですよね?」

 デーヴダースは彼女の話を少しも理解できなかった。だから彼は言った。「さてと、僕は帰るよ。」

 「どうしたの、何を怖がってるの?もう少し座って行って。私はあなたをここに座らせて誘惑しようなんて思ってないわ。そんな日々はもう終わったの!今はあなたが私を嫌っていたのと同じくらい、私は私自身を嫌っているわ。でも、デーヴダース、あなたはどうして独身のままなの?」

 しばらくの沈黙の後、デーヴダースは息を吸い込んで言った。「多分結婚するだろうな、でもなぜか知らないけど、結婚したいと思わないんだ。」

 「結婚したいと思わなくても結婚してください。子供の顔を見れば、心が落ち着くでしょう。あなたの結婚は私のためにもなります。あなたの家に召使いとして住まわせてもらって、残りの人生を暮らすことができますから。」

 デーヴダースは笑って言った。「そうか、もしそうなったら、お前を呼ぶよ。」

 チャンドラムキーは彼の笑顔を見ずに言った。「あなたにもうひとつだけ聞きたいことがあるわ。」

 「ああ、なんだ?」

 「あなたはこんなに長く私とどうして話をしてくれたのかしら?」

 「なぜ?何かいけないことでも?」

 「それは分からないけど、でも、こんなこと私にとって初めてなの。今まであなたはお酒を飲んで酔っ払ってからじゃないと、私の顔を見もしてくれなかったわ!」

 デーヴダースはチャンドラムキーに何の答えも返すことができなかった。そして彼ははっきりと言った。「もう酒は止めたよ。父さんが死んだんだ。」

 チャンドラムキーは同情に満ちた顔で彼の顔を見て言った。「もうお酒は飲まないの?」

 「う~ん、どうかな。」

 チャンドラムキーは彼の両手を自分の方へさらに強く引いて、心配そうな声で言った。「もしできるなら、これからずっと飲まないでいてください。いい、無闇にあなたのこの美しい心と、美しい体を傷つけないで。」

 デーヴダースは手を引きながら言った。「僕はもう行く。お前がどこへ行っても、僕に手紙を送るんだぞ。それと、何か必要があったら、いつでも僕に知らせてくれ!遠慮しなくていい。」

 チャンドラムキーはプラナーム46をして言った。「私が幸せになれるように祝福をください。もうひとつ、どうか神様、彼にこの召使いが必要になるようなことがありませんように。もし必要になったら、必ず私のこと思い出してください。」

 「分かった」とデーヴダースは言って、階段を降りて行った。

 扉を閉めて、チャンドラムキーは両手を合わせて祈った。「神様、どうか彼にもう一度会えますように!」

第14章

 2年が過ぎ去った。

 パールヴァティーはマヘーンドラをなんとか説得して結婚させ、大分肩の荷が下りた気分だった。マヘーンドラの妻ジャラドバーラーは飲み込みが早く、仕事のできる女だった。以前はパールヴァティーがしていた多くの家事を、今はジャラドバーラーがしていた。パールヴァティーは他のことを考えられるようになった。これだけの歳月が流れたにも関わらず、彼女には子供がいなかった。そのため、彼女の母性愛は、他の、愛情を必要とする子供たちに注がれ始めた。同時に、彼女は小作人たちの世話と経済的支援も始めた。夫に頼んで、宿泊施設を造らせた。そこには家のない者や身寄りのない者も住むことができ、食べ物も支給された。さらに、困窮して彼女の元を訪れた人々を、いろいろな方法で手助けしてあげた。

 パールヴァティーのこの行動によって家の者が困るようなことはなかったが、召使いたちは、こんな無意味な仕事のためにいくらの金が浪費されているのかと影でささやき合った。召使いたちのこの話は、マヘーンドラの妻ジャラドバーラーの耳にも届いた。数日間は黙っていた。とうとう我慢できなくなったとき、ある晩彼女は自分の夫に言った。「聞いてくださいな、あなたはこの家で何をやってるの?」

 マヘーンドラは何のことか理解できずに言った。「何のことだ?」

 「召使いたちまで噂をしているのに、あなたは全く気付いていないわ。お義父様は新妻への愛情にどっぷり浸かってらっしゃるから、何も言えないでしょう。でも、あなたも何も言えないの?」

 「何の話をしてるんだ?」マヘーンドラは、自分の妻が何について話しているのか皆目見当がつかなかった。彼は聞いた。「誰に何を言えばいいんだ?」

 妻は天を仰いで言った。「ほら、あなたの継母はお金を湯水のごとく使って自分の来世を飾り立てているでしょう、そりゃあ義母さんのためにはとってもいいわ、なぜってあの人には子供がいないんだし。でも、あなたに子供ができたとき、その子たちに何を食べさせればいいでしょう?それまでにあなたの継母が全て使い果たしてしまうでしょう。あなたの子供が乞食をする羽目になってもいいの?」

 マヘーンドラはベッドから起き上がり、怒って言った。「お前は母さんの悪口を言っているのか?」

 ジャラドバーラーも怒って言った。「私は誰の悪口も言っていないわ。あなたに家で起こっていることを話しているだけよ。後で私を責めないでよ。」

 マヘーンドラは逆上して言った。「お前の父親の家は、満足に一日2食も食べられないだろう。お前に地主の家のことがどうして分かる?」

 「あらそう!それじゃあ教えてよ、あなたの継母のお父さんの家は、いくつの宿を建てたかしら?」

 マヘーンドラは苛立ってしまった。寝返りを何度も打ちながら何とか夜を過ごした。朝になるとすぐに彼はパールヴァティーのところへ行って言った。「お母さん、あなたはどこの地獄に私を突き落としてくれたんですか?あの女とは一緒に住めません。僕はカルカッタへ行きます。」

 パールヴァティーは絶句してしまった。恐る恐る彼女は質問した。「どうしてそんなこと言うの?」

 「あの女はあなたのひどい悪口を言うんです。僕はそれを聞くに堪えません。」

 パールヴァティーはここ数日間、ジャラドバーラーの異変に気が付いていた。感情を抑えつつ、パールヴァティーは無理に笑って言った。「そんなこと口に出すものじゃないわ!お前のお嫁さんはとてもいい娘よ。」

 そしてジャラドバーラーだけを呼んで彼女に聞いた。「どうしたの、マヘーンドラと喧嘩でもしたの?」

 ジャラドバーラーはマヘーンドラの沈黙と、カルカッタへ行く準備を見て心の中で動揺していた。姑の言葉を聞いて彼女は泣き出して言った。「お義母さん、間違いは私にあるの。でもどうすればいいの?召使いたちは一日中あれこれ話をしてるわ、最近出費が急増したって!」

 パールヴァティーは全ての話を注意深く聞いた。恥ずかしくなって、彼女はジャラドバーラーの涙を拭いながら言った。「あなたは正しいわ。でも、いい?私は賢い女じゃないの。だからお金のことに全く無頓着なの。」

 そして彼女はマヘーンドラを呼んで言った。「マヘーンドラ、お前は怒らないで。ジャラドバーラーに責任はないわ。お前の妻はお前の幸せのことだけを考えて、その話をしたのよ、それはいいことだわ。妻は夫の未来のことを考えなければならないものなのよ。」

 そしてこの事件は一件落着となった。

 しかし、その日以来、パールヴァティーは浪費するのを止めるようになった。

 やがて宿泊所は閉鎖してしまった。多くの身寄りのない人々がそれでもやってきたが、宿泊所が閉まっているのを見て、がっかりして立ち去った。

 チャウダリー氏はその話を聞くと、笑ってパールヴァティーに言った。「どうした、ラクシュミー女神の家はもうおしまいかい?」

 パールヴァティーは笑って言った。「いいえ、そうじゃないわ、でも、与えてばかりじゃうまくいかないわ。お金を貯めることも考えなくては。知らない内に、どれだけ浪費してしまったことでしょう!」

 「好きなだけ使えばいいさ!私に残された日があとどれだけあることか!残った余生、出来る限り善行を積むことができればそれでいい!」

 「まあ、なんて自分勝手な意見でしょう!」パールヴァティーは笑って言った。「あなたは自分のことだけ考えていて、子供たちのことは考えていないんですか?子供たちのために何も残してあげない積もりですか?しばらくはこのままにしておいてください。その後、また新しい計画を立ち上げようと思います。」

 チャウダリーは首を振って黙った。


 パールヴァティーが担当していた仕事が少なくなると、彼女の心配は増大した。以前、彼女にはたくさんの仕事があり、考える暇さえなかった。ところが、今は朝から晩まで休みである。彼女は腰掛けると、多くの忘れかけていた思い出が心に浮かんできた。そして悲しみに満ちた心はあちこちさまよいながら、タールソーナープル村の学校、マンゴー畑、竹林や湖に辿り着くのだった。同時に目から涙がポトポトと落ち、礼拝のために置いてあった灯りの火と混じり合うのだった。このように、パールヴァティーは見た目は穏やかだったが、その穏やかさの中で多くの悲しみが何度も沸き起こってきた。

 2、3日前からパールヴァティーは落ち込んでいた。故郷から彼女の元に、マノールマーの手紙が届いた。そこには家庭内の嬉しい知らせの後にこんなことが書いてあった。

 しばらく私たちはお互いに手紙を書いていませんでした、パーロー!この責任は私たち二人にあります。でも私は年上だから、私の方からあなたに頭を下げて謝ります。あなたも怒らないで、急いで私に手紙を送ってください。1ヶ月前から私はここにいます。村は何も変わっていなくて、全てがあのときのままです。特筆するような出来事は何もありません。それでもこのことだけはあなたに伝えようと思います。最初、このことをあなたに知らせるのはよそうと思っていましたが、どうしても我慢できませんでした。なぜならその知らせはデーヴダースに関係があるからです。私には、これを読んであなたが必ず悲しむだろうことが分かります。でも、同時に、あなたを守った神様にも果てしない感謝の気持ちを持つでしょう。あなたのようなプライドの高い人がもしデーヴダースと結婚していたら、あなたは今頃ガンガー河(ガンジス河)に身を投げていたか、そうでなかったら毒を飲んで死んでいたでしょう。デーヴダースの評判は地の底まで落ちています。彼自身が何も恥じていないなら、人々にどうやって秘密にできるでしょう!しかも世界中が彼のことを知ってしまったら、あなたにどうやって隠せばいいでしょう?私から聞かなくても、2日後に誰かから耳にしてしまうでしょう、そう考えて、私はあなたに書いています。

 デーヴダースが村に帰ってきてから6、7日が経ちました。あなたも知っていると思いますが、彼のお母さんはカーシーへ行ってしまって、デーヴダースはカルカッタに住み始めました。お金がなくなると、彼はお兄さんと喧嘩するために、そしてお金を無心するために村に戻ってきます。お金が手に入るまでは村に滞在しています。お金が手に入るや否やカルカッタに行ってしまいます。

 地主様の逝去から2年から2年半ぐらい過ぎました。その間に、彼は自分の財産の半分を使い果たしたそうです。お兄さんのドイジダースがお金をしっかりと管理しているから、デーヴダースの財産は今でも守られてるみたいです。もしドイジダースが気を遣っていなかったら、とっくに人にお金を絞り取られていたでしょう。でも、デーヴダースは正反対です!彼は財産を守る代わりに、それを使い果たそうとしています。酒と女に溺れる者には、死神さえも手を差し伸べません。彼の破滅は確実です。そう遠くもないでしょう。彼が誰とも結婚していないことだけが、神様の慈悲でしょう。彼は一人で自滅するでしょう。

 パーロー、彼を見て怒りが込み上げてくるけど、でも悲しみも同じくらい込み上げてきます。彼の容姿、男前の顔、全て台無しになってしまいました。頭髪はボサボサで風に揺られているし、目は窪んでしまいました。彼を一目見ただけで嫌悪と恐怖を感じるくらい、彼は醜くなってしまいました。一日中彼は川の堤防に座って、銃で小鳥を撃っています。日中はベールの木の下で、瓶に口を付けて酒を飲んで、うなだれて座っています。夕方になると家に帰ります。夜は一体どうしているのでしょう?寝ているのか寝てないのか、それとも夜通しお酒を飲んでいるのか、神様だけが知っています!

 あなたに伝えたい出来事があります。2、3日前の夕方、水を汲むために池に行きました。そのとき、デーヴダースが片手に銃を持ってやってくるのを見ました。とても不機嫌そうな顔をしていました。私は怖くなりました。デーヴダースは私に気付くと、そばに来て立ちました。私はもう全身の血が凍りついてしまいました。周りに誰もいませんでした。でも、神様が私を助けてくれました。デーヴダースは特に何もしませんでした。とても穏やかな声で、愛情を込めて私に聞きました。「どうした、マノー、元気か?」

 私は恐る恐る頭を振って言いました。「ええ!」

 デーヴダースは大きく息を吸って言いました。「お前が常に幸せでいるように!お前たちが幸せなのを見ると、僕も嬉しくなるよ!」そして空を見上げてゆっくりと去って行きました。

 信じてください、パーロー、そのとき私の全身の力が一気に抜けました。歩こうと思ったら足が動かなかったくらいです。なんとか私はそこから家の方へ走りました!彼が私の手か何かを掴んだりしなくて、本当によかったです!神様が守ってくれたのです!ところで、もうこれ以上デーヴダースについて書くのは止めます。書こうと思ったら、この手紙に書き切れないくらいありますし。

 パーロー、私のこの手紙によって、あなたを悲しませることになったでしょうね!もし今日まで彼のことを忘れることができなかったなら、本当に苦痛でしょう。でも、どうすることもできないことです。もし私のしたことが間違いだったら、あなたの愛するこのマノーを許してください。


 次の日の朝、パールヴァティーはマヘーンドラを呼んだ。マヘーンドラが来ると彼女は言った。「2挺の輿と、数人の担ぎ人を用意して、マヘーンドラ!私はすぐにタールソーナープル村へ行くわ。」

 マヘーンドラは驚いて母親の顔を見て言った。「輿と担ぎ人の用意なら僕がしますけど、お母さん、でも2挺の輿なんて必要ですか?」

 「お前も一緒に来るんですよ、マヘーンドラ!」とパールヴァティーは答えた。「もし道中で私が息絶えるようなことがあったら、私の遺体に火をつけるために長男が必要でしょう!」

 その後、マヘーンドラは一言もしゃべらなかった。準備をするために彼は立ち去った。

 輿と担ぎ人の準備ができると、パールヴァティーはマヘーンドラと一緒にタールソーナープル村へ向けて旅立った。

 チャウダリー氏はその知らせを聞いて困惑してしまった。召使いたちに問いただしたが、彼らは何も知らなかった。熟慮した結果、彼は何人かの召使いたちに後を追わせることに決めた。チャウダリー氏は彼らを送り出すときに言った。「お前たちは私の妻らと同行し、途中で困難がないように取り計らうこと。」

 日が沈んだ後、2挺の輿がタールソーナープル村に到着した。しかし、デーヴダースに会うことはできなかった。彼は村にいなかった。その日の昼にカルカッタに発ってしまっていた。

 パールヴァティーは額に手を当てて言った。「なんてこと!」

 そして彼女はマノールマーに会いに行った。マノールマーは彼女を見て驚いて言った。「デーヴダースに会いに来たの?」

 「違うわ。」パールヴァティーは言った。「デーヴを私と一緒に連れて行くために来たの。ここには彼のためになる人が誰もいないわ。」

 マノールマーは仰天してしまい、焦って言った。「何言ってるの、パーロー?あなたに恥じらいはないの?」

 するとパールヴァティーも驚いて言った。「恥?何の恥?私のものを私が、私のもとへ連れて行くの。何を恥ずかしがる必要があるの?」

 「いい、パーロー、そんなこともう二度と言わないで!あなたと彼の間にはもう何の関わりもないのよ!」

 パールヴァティーは苦笑して言った。「マノー、物心ついたときから私の心の中にあった考えが、時々口から滑り出してしまうの。あなたは私のお姉さんよ、だからあなたはこのことを聞いたんだわ!」

 自分の両親に会った後、翌朝パールヴァティーは輿に乗って帰った。

第15章

 チャンドラムキーがアシャトジューリー村に一軒の小さな庵を構えて2年が経っていた。村のそばには小さな川が流れていた。丘の上に彼女は自分のために2部屋ある土でできた家を造らせて、藁で屋根を覆った。正面には土でならした小ぎれいな庭があり、その隅に牝牛をつないでいた。四方はトウゴマの森だった。庭の片側にはベールの木が、もう片側にはトゥルスィーの木が植えてあった。向かいに流れている川岸は沐浴場になっていた。チャンドラムキーの他にその沐浴場を使う者はいなかった。

 その村の人口はとても少なかった。牛飼いや農夫が大半で、ヤシ酒屋や靴屋が少し住んでいた。

 この家を造るとき、チャンドラムキーはデーヴダースに手紙を送って知らせた。デーヴダースはいくらかのお金を送ってよこした。何か困ったことがあると、村人はチャンドラムキーのところへやってきた。チャンドラムキーは困っている人々にお金を貸してあげた。彼女は決して利子を取らなかった。利子の代わりに、村人たちは自らやってきて、チャンドラムキーに食べ物、バナナ、苗や種などを寄進した。チャンドラムキーはどんなに必要とされていたことか!彼女は満ち足りた生活を送っており、お金を催促したりはしなかった。作物の不作で首が回らなくなり、泣く泣くお金を乞いにやってくる人がいると、彼女は笑いながら、「もうこれが最後よ、これからあなたにお金を貸さないわ」と言ってお金を渡すのだった。心の中で彼女は笑いながら言うのだった。「彼が幸せになりますように。私はお金の心配なんてないのだから。」

 しかし、先月からデーヴダースの手紙が来なくなった。彼女の手紙の返事が来なくなってしまったのだ。書留で手紙を送っても返送されてしまった。チャンドラムキーは心配になった。

 近くにバイラヴという名の牛飼いの家があった。彼のためにチャンドラムキーは田畑と番の牛を買ってあげていた。そして彼の息子の結婚の際には、いくらかお金もあげていた。彼の家族はチャンドラムキーをとても慕っており、彼女の世話をしていた。

 ある日の朝、チャンドラムキーは牛飼いバイラヴを呼んで彼に聞いた。「ちょっと、バイラヴ、タールソーナープル村はここからどのくらい遠いの?」

 バイラヴは考えながら答えた。「2、3の平野を越えれば、そこの地主様の領地になります。」

 チャンドラムキーは聞いた。「誰か地主が住んでいるでしょう?」

 「地主様は2、3年前に亡くなってしまわれました。地主様には2人の息子がおられます。長男が土地の管理を引き継いでいます。」

 「お前、そこまで私を連れて行ってくれる?」

 「おう、もちろんです、奥さん!」とバイラヴは言った。「いつでも行きますよ。」

 子供ように笑いながらチャンドラムキーは言った。「じゃあ、バイラヴ、今日出発しますよ。」

 バイラヴは少し驚いて声を上げた。「今日?」そして言った。「分かりました、奥さん。もうすぐ昼になります。奥さんは台所仕事をしていてください。私はちょっと弁当を用意します。」

 チャンドラムキーは言った。「いいえ、バイラヴ、私は今までお祈りなんてしたことないの。台所仕事もしないわ。お前は自分の食べ物を用意しなさい。」

 すぐにバイラヴは布の切れ端に砂糖やチャンナ豆をくるんで手には一本の棒を持って現れた。「さあ、行きましょう、奥さん。」

 バイラヴは道を指差しながらチャンドラムキーの前に立って歩き始めた。畑の畦道を踏みしめながらチャンドラムキーは彼に続いた。彼女はでこぼこの道を裸足で歩くのに慣れていなかったため、うまく歩けなかった。日光のせいで彼女の顔は赤くなり、全身から汗が噴き出していた。

 チャンドラムキーは端の赤い無地のドーティーを着ていた。顔の半分はサーリーの端で覆っており、身体には厚手の布を身に纏っていた。


 チャンドラムキーたちがタールソーナープル村へ辿り着いたとき、太陽はもう沈みかけていた。チャンドラムキーは笑いながらバイラヴに言った。「バイラヴ、2、3の平野はもう終わったの?」

 バイラヴはチャンドラムキーの冗談を理解できなかった。彼は真っ正直に言った。「やっと到着しました、奥さん!でも、今日中に帰るおつもりですか?」

 心の中でチャンドラムキーは、今日帰るなんて誰が言ったでしょう、私は明日も徒歩でこの道を帰ることはできないでしょう、と言った。そしてバイラヴに答えた。「いいえ、バイラヴ、私はもう歩けないわ。どこかに牛車はないかしら?」

 「ないわけないでしょう、奥さん。私が見つけてきます。」

 「そうして、お願い!徒歩で行くのはとてもつらいわ!」

 頭を振ってバイラヴは牛車を調達するため村へ行った。そしてチャンドラムキーは地主の邸宅へ入った。

 上階のベランダには、今日の地主であるドイジダースの妻が座っていた。ある召使いがチャンドラムキーを彼女の元へ案内した。

 チャンドラムキーは女主人にプラナームした。女主人は装飾品で着飾っていた。顔には尊厳が表れ、口にはキセルをくわえていた。身体は丸々太っており、肌の色は黒かった。とても大きな眼と丸い顔をしていた。黒いサーリーと高価なブラウスを着ていた。

 頭を上げて彼女はチャンドラムキーを見た。そしてじっと見つめていた。彼女より年齢は上だったが、チャンドラムキーの美しさは劣っていなかった。心の中で女主人は、この村でパールヴァティーを除いてこれほど美しい女性はいないことを認めた。

 チャンドラムキーの美しさに眼を奪われながら、妻は聞いた。「あなたは誰ですか?」

 チャンドラムキーは手を合わせて答えた。「あなたの領地の住人です。年貢の払い残しがありましたので、それを払いに来ました。」

 妻はおかしくなって言った。「ならどうしてここに来たの?事務所へ行きなさい。」

 笑ってチャンドラムキーは言った。「奥様、私たちはとても貧しいのです。全ての年貢を払うことができません。村人の話によると、あなたの心はとても慈愛に満ちているとのことです。だからあなたのところへ年貢を免除してくださるよう頼みに来たのです。」

 ドイジダースの妻は、人生で初めて慈悲深いと言われた上に、自分が年貢を免除できると知った。だから急に彼女はチャンドラムキーに好感を持った。いかにも慈悲深いよう装って彼女は言った。「いいかい、私は一日中人々に同情して、一体いくらのお金をあげなければいけないのでしょう。困ったことに私は断ることができない性分なのよ。だから主人は私にとても腹を立てているのよ。まあいいわ、いったいお前はいくらの年貢を納め残しているの?」

 「多くはありません、ご主人様、たった2ルピー残っているだけです。それでも私にとってその額は山のようです。今日一日かけて私はここにやってきたのです。」チャンドラムキーは同情を誘う声で言った。

 「ああ!お前のような貧しい人々には同情せざるをえないでしょう。ビンドゥマティー!ちょっとこっちにおいで!この人を外へ連れて行って、秘書官に伝えなさい、この人の2ルピーを免除するようにって。そうそう、お前の土地はどこだい?」

 「あなたの領地、アシャトジューリー村です。そういえばご主人様、聞きましたところでは、地主が2人いるとか?」

 女主人は嬉しそうに言った。「他の地主なんているもんですか。2日後には全て私たちのものになるでしょう。主人の弟の財産は全て私たちへの担保になっているのですから。」

 「それはまたどうしてですか?弟様の土地がどうしてあなたの担保となっているのですか?」

 彼女は冷笑を浮かべながら言った。「当然でしょう。何の仕事もせずに朝から晩まで酒を飲んで娼館に入り浸っている男などにお金の必要などあって?それにそのお金はどこから出て来たの?自分の土地を私たちに担保にしてお金を借りているのよ。そのお金も10日の内に使い果たしてしまうのよ!」

 チャンドラムキーはうつむいて少し黙った後、言った。「ご主人様、弟様はどうして家に戻ってこないんですか?」

 「なぜ戻ってこないかですって?」ドイジダースの妻は言った。「お金が必要になれば戻ってくるわ。土地を担保に出してお金を借りて、またカルカッタへ行ってしまうわ。2、3ヶ月前に来たわね。そのときも土地を担保にして1万2千ルピー持って行ったわ。彼が助かる見込みは全くないわ。全身何かひどい病気に罹っているみたい。全く!」

 チャンドラムキーの全身の血液が凍り付いてしまった。呆然とした声で言った。「彼はカルカッタのどこに住んでいますか?」

 女主人は全身を揺らして大笑いし出した。笑いながら彼女は言った。「そんな駄目男に家があって?酔っ払って娼館に寝そべっているのでしょう。食べ物ならどこかの食堂で手に入るでしょうし。」

 チャンドラムキーはもうこれ以上その場にいることができなくなった。彼女は立ち上がって言った。「それでは、ご主人様、プラナーム!私はもう行きます。」

 女主人は驚いて言った。「もう行くのかい?なら秘書官と会いなさい。これ、ビンドゥマティーや!」

 「結構です、ご主人様!私は自分で事務所まで行きますから」と言いながらチャンドラムキーは頭を下げて外へ出た。

 邸宅の外ではバイラヴが1台の牛車を用意して待っていた。車に座ると、彼女はその日の夜に自分の家に戻った。

 次の日の朝、彼女はバイラヴを再び呼んで言った。「バイラヴ、私はカルカッタへ行きます。お前は行くことができないでしょうから、お前の息子を連れて行こうと思います。いいですか?」

 「しかし、いったいどうして突然カルカッタなんて行きなさるのですか、奥さん?何か急用でもできたのですか?」バイラヴは驚いた声で質問した。

 「そうです、バイラヴ!ひとつ急用ができました。」

 「それで奥さん、いつ戻ってきますか?」

 「まだ分からないわ、バイラヴ!多分すぐに帰ってくるわ。でも、時間がかかる可能性もあるわ。そしてもし私がいつまでたっても戻らなかったら、この家も家具も全てお前のものです。」

 バイラヴの目から涙が流れてきた。「何を言うんですか、奥さん?もしあなたが戻らなかったら、この村の皆はどうやって暮らして行けばいいんですか?」

 チャンドラムキーも目に涙を溜めながら言った。「バイラヴ、私は2年の間だけここに住んでいました。私が来る前からお前たちはここで暮らしていたでしょう!」

 バイラヴは何も答えられなかった。

 チャンドラムキーがいくつかの荷物を車に乗せてバイラヴの息子ケーヴァルと共にカルカッタへ出立するとき、村人全員が見送りに来た。皆の目には涙があふれていた。チャンドラムキー自身の目も涙で濡れていた。もしデーヴダースがいなかったとしたら、カルカッタで女王になれたとしても彼女はこれらの愛すべき村人たちを後に残して行くことはなかったであろう。


 次の日、彼女はクシェートルマニの家に到着した。その家に彼女は住んでいたのだが、その後別の人が住んでいた。

 チャンドラムキーを目の前にして、クシェートルマニは自分の目を疑った。驚いて彼は言った。「今まで一体どこに住んでいたんだ?」

 「イラーハーバード!」チャンドラムキーは笑って言った。

 クシェートルマニは彼女を頭から足の先まで眺めわたして言った。「それに、お前の装飾品やその他はどこへ行ったんだ?」

 「全部安全なところに置いてあるわ。」チャンドラムキーは笑い続けて言った。

 同じ日、彼女はバニヤーのダヤールと会った。彼に尋ねた。「ねえ、ダヤール、今私のお金はどれだけ残ってる?」

 ダヤールは困って、頭を掻きながら言った。「今6、70ルピーありますが。今日なかったら2、3日後には手渡せますよ。」

 「別にそれを今返してもらう必要はないわ。ただ、あなたに頼みたいことがあるの。」

 「どんなことです?」

 「私たちの地域に私のために家を探してもらいたいの。素敵な家をね。素敵なベッド、素敵な絵、カーテン、枕、シーツ、机、椅子、全部素敵なものをお願い。どうかしら?」

 「ええ、分かりました。」ダヤールは笑って言った。

 「それと、化粧用の鏡もね。」そして少し考えて言った。「2、3着のカラフルなサーリーが欲しいわ。どこで手に入るかしら?」

 ダヤールは場所を教えた。

 考えながらチャンドラムキーは言った。「それと金メッキの装飾品も一式買っておかないと。私はあなたと一緒に行って選ぶわ。」再び笑いながら言った。「私たちのこと、あなたは全部知っているでしょう。1人、召使い女も置かなければならないわ。」

 頭を振りながらダヤールは聞いた。「いつまでですか?」

 「できるだけ早くお願い。2、3日の内に全部準備できたらいいわ。」ダヤールの手に100ルピー札を渡しながらチャンドラムキーは言った。「いい、全部上質のものを選んでね。ケチって安物を買わないようにしてちょうだい!」


 家が見つかると、チャンドラムキーは2、3日の内に新しい家へ引っ越した。

 一日中彼女は化粧をして過ごした。パウダー、アールター、パーン、カラフルなサーリー、そして装飾品。額にビンディーを付けるとき、彼女は鏡で自分の顔を見て心の中で自分自身に笑いかけて言った。「あれまあ、なんてきれいなこと!お前には他に何が必要かしらね!」

 村の純朴な青年ケーヴァルラームは、着飾ったチャンドラムキーを見て驚いてしまった。彼は恐る恐る質問した。「これは・・・何ですか?」

 笑いながらチャンドラムキーは言った。「ケーヴァル!今日私の花婿は来るかしら?」

 ケーヴァルラームは全く理解できずにチャンドラムキーの顔をキョトンと見つめていた。

 夕方、クシェートルマニは彼女に会いに家に来た。ニヤニヤしながら彼は質問した。「これは一体どうしたんですか?」

 微笑みながらチャンドラムキーは答えた。「また必要なのよ。」

 クシェートルマニは硬直して彼女をじっと眺め、言った。「あなたは年を取ったはずなのに、あなたの美しさは前にも増しましたよ・・・!」

 チャンドラムキーは笑い出した。

 久しぶりにチャンドラムキーは以前していたように窓のそばに座った。彼女の視線は常に道へ投げかけられていた。一度、誰かある男が扉をノックしたが、ケーヴァルラームはとても小さな声で「ここじゃありません」と言って彼を帰した。それはチャンドラムキーが指示したことだった。

 2、3度、旧知の人間が訪ねてきたこともあった。チャンドラムキーはその人を歓迎した。笑って上手に彼と話をして、話の中でそれとなくデーヴダースのことについて質問した。デーヴダースの情報が得られないと知ると、彼女は笑顔のままその人を帰した。

 何度か夜に彼女はデーヴダースを探しに外へ出た。その地区の全ての閉まった扉に耳をつけて、デーヴダースの声が聞こえないか、部屋の中の会話に耳を傾けた。しかし、何も手掛かりは掴めなかった。デーヴダースはどの家にもいなかった。

 昼には彼女は旧知の友人を訪ねに行った。話の中で彼女は聞いた。「ねえ、デーヴダースはここに来てない?」

 ほぼ全員この質問を返してきた。「デーヴダースって誰?」

 「あれ!デーヴダースを知らないの!色白で、ちぢれっ毛で・・・」チャンドラムキーはとても熱心にデーヴダースについて話し始める。「頭の左側に何かの傷痕があって、とても金持ちの家の人なのよ。見ればすぐに見分けがつくわ。とてもたくさんのお金を使っているのよ。」

 しかし、そのような人はここには来ていないと、皆口を揃えて言うのだった。

 ガッカリしたチャンドラムキーは家に戻り、夜には例のごとく窓際に座って、道の往来をじっと見つめるのだった。


 日は過ぎて行った。しかし、デーヴダースに会えなかったばかりか、彼の消息の手掛かりすら掴めなかった。ケーヴァルラームはとても退屈していた。チャンドラムキー自身も退屈してしまった。しかし、彼女の心のどこかに、おそらくデーヴダースに会えるだろうという希望があった。だから彼女はいつか幸運の神様が幸福を与えてくれるようにと祈りながら、一日一日地獄の日々を過ごしていたのだった。

 そしてある夜、幸運の神様が彼女に幸福を与えた。

 夜の11時になっていた。デーヴダースをあちこち探した後、気落ちしてチャンドラムキーは家に戻るところだった。と、彼女は道の片側の家の扉の前で、口髭を垂らした1人の男がぶつぶつ言っているのを見た。

 チャンドラムキーの心臓は高鳴った。その声は彼女には一瞬の内に聞き分けられた。そこはちょうど暗がりだった。チャンドラムキーはその方向へ駆けて行った。その男は酒を飲んで酔っ払っていた。仰向けに寝転んでいたその男を抱き起こしながらチャンドラムキーは言った。「ちょっと、あなた、あなたは誰?ここにこんな風に寝ているのはなぜ?」

 その男は何かの歌の歌詞を呟いた。「聞け、友よ、心の海は乾き、心の歌と合わさるだろう・・・」

 もはやチャンドラムキーの心に何の疑いもなかった。高鳴る心臓と共に彼女は言った。「デーヴダース!」

 デーヴダースは彼女の方に寄りかかりながら言った。「ああ。」

 「ここにどうして寝てるの?家に行きましょう!」

 「駄目だ、ここでいい!」

 「少しお酒飲む?」

 「ああ、飲む!」と言ってデーヴダースは真っ直ぐになろうとしたが、再びチャンドラムキーの首に手を置いて言った。「兄ちゃん、我が友よ、お前は誰だ?」

 チャンドラムキーの目に涙があふれてきた。彼女はデーヴダースを助けながら立ち上がらせた。デーヴダースは何とかチャンドラムキーの肩に掴まって立ち、チャンドラムキーの顔の方を見て言った。「あれ、なんて上玉だ、こりゃ!」

 この悲しみの中でもチャンドラムキーは笑いが込み上げてきた。「ええ、上玉でしょ?じゃあ私と一緒に行きましょう!私の肩に掴まって立てるでしょ?そこで馬車をつかまえましょう。」

 よろめきながらデーヴダースは立ち、チャンドラムキーをほとんど振り回しながら前に歩き始めた。歩きながらかすれ声で言った。「おい、可愛い子ちゃん、僕を知ってるのかい?」

 「ええ、知ってるわ。」チャンドラムキーは言った。

 デーヴダースは再び忘れかけていた歌の歌詞を思い出し、口ずさみ出した。「世界の全てを忘れてしまった、幸運はここにある、僕は知ってるさ・・・」

 前に来た馬車を止めて、チャンドラムキーは馬丁の助けを借りてデーヴダースを車の中に寝かせ、何とか彼を家へ連れて行った。扉のそばでデーヴダースは自分のポケットに手を入れ、空の手を外に出して振りながら言った。「僕を道端から拾ったのはいいがな、可愛い子ちゃん、でも僕のポケットには1ルピーもないぜ!」

 彼の手を掴んでチャンドラムキーは彼を部屋の中に引っ張り込んだ。そして彼をベッドの上に寝かせて言った。「さあ、あなたはもう寝て。」

 デーヴダースは彼女の方を向いて、酔っ払った声で言った。「お前は何か訳があって僕を連れてきたんだろうな!でも言ったとおり、ポケットは空っぽなんだぜ。僕から何も取るようなもんはないぜ!」

 「いいですとも。明日くださいな。」チャンドラムキーはデーヴダースを刺激しないように、それ以上話をしなかった。

 「駄目だ、駄目だ。」デーヴダースは饒舌になってきた。「知らない人間をそんなに信用しちゃいけない。よし、何が欲しいんだ?はっきり言え!」

 「明日言うわ。今日はあなたはもう寝てください。」デーヴダースに布団をかけて、チャンドラムキーは他の部屋へ行ってしまった。


 日が高く昇ってからデーヴダースの目は覚めた。部屋には誰もいなかった。

 チャンドラムキーは沐浴と礼拝を済ませた後、台所仕事をしに下へ下りていた。デーヴダースはあちこち見回した。彼は全く見知らぬ部屋にいた。この家のどの部分にも記憶がなかった。昨夜何が起こったか、全く覚えていなかった。じっくりと考えを巡らせた結果、誰かが親切にここに連れてきてくれて、ベッドに寝かせてくれた後、どこかへ行ってしまったことを思い出した。

 そのときチャンドラムキーが部屋の中に入ってきた。家事をし終え、彼女は地味な服を着て、薄化粧をしていた。しかし、装飾品はきちんと身に付けていた。

 彼女を見てデーヴダースは笑って言った。「どこから僕を連れ去ってきたんだ?」

 「連れ去った訳じゃないわ。あなたが道端で寝ていたのを見たのよ。ただ抱きかかえて連れてきただけ。」チャンドラムキーは微笑んで言った。

 デーヴダースは真面目になって言った。「まあ、それはそれでいいとして、しかしお前はまたこの仕事を始めたのか?そんなたくさんの装飾品を付けて!誰からもらった?」

 チャンドラムキーは鋭い視線をデーヴダースに投げかけて言った。「また?」

 「いやいや、そういう意味じゃないんだ。」デーヴダースは笑って言った。「冗談ぐらい分かってくれよ。それで、お前、いつ来たんだ?」

 「1、2ヶ月前よ。」

 デーヴダースは心の中で数えてから言った。「ということは、村の僕の家に来てからすぐにここに来たってわけか。」

 チャンドラムキーは驚いて質問した。「どうしてそのこと知ってるの?」

 「え?」

 「私があなたの村、あなたの家に行ったこと、どうして知ってるの?」

 「お前が村に行った後、すぐに僕も村に行ったんだ。お前を義姉さんのところへ連れて行った召使いが、お前のことを教えてくれたんだ。アシャトジューリー村から1人の美人が訪ねてきたってな。僕はすぐにピンと来たよ、お前以外にいないって。それにしても、お前、そんなたくさんの装飾品、どうして作らせたんだ?」

 「どこにも作らせてないわ。」チャンドラムキーはちょっとした悲しみ、そして怒りと共に言った。「全部金メッキよ。カルカッタに来てから買ったの。全く、あなたのために私は無駄な浪費をしてしまったわ!その上、昨夜あなたは私を私だと気付いてくれなかったわ!」

 デーヴダースは真剣な顔になって考えながら言った。「ああ、気付かなかったな、でもお前がしてくれたことは覚えてるよ。何度も何度も考えたよ、僕のチャンドラムキー以外にこんな心のこもった世話をしてくれる女はいないだろうって。」

 チャンドラムキーの目に涙があふれてきた。涙を拭いながら彼女は言った。「デーヴダース、もうあなたは私を嫌っていないの?」

 デーヴダースは優しい声で言った。「いや、今僕はお前のことを愛しているよ。」

 チャンドラムキーはこれ以上座っていると嬉しさのあまり泣き出してしまうだろうと思った。彼女は立ち上がって下に下りて行った。


 デーヴダースに沐浴用のお湯をあげるときに、チャンドラムキーは彼の腹に厚手の布の切れ端が貼られているのを見つけた。チャンドラムキーは怖くなって言った。「この切れ端、どうして貼っているの?」

 「ここのところずっと腹痛がするんだ。」デーヴダースはケロリとした表情で言った。「でもどうしてそんなこと気にするんだ?」

 チャンドラムキーの顔には不安な表情が浮かんでいた。沈んだ声で言った。「どこか肝臓に異常はない?」

 頭を振りながらデーヴダースは言った。「多分そんなところだろうな。ひどく痛むんだ。」

 チャンドラムキーはすぐに医者を呼んだ。

 精密に検査をした後、医者も肝臓の病気だと言った。いくつかの薬の名前を書いた後、安静にしておかないと最悪の場合もありえると警告した。チャンドラムキーとデーヴダースは二人とも理解した、「最悪の場合」とは何かということを!チャンドラムキーはケーヴァルラームを寮に送って、ダラムダースを呼んだ。彼に状況を説明して、彼に薬を買ってこさせた。

 2、3日そのように過ぎて行った。

 その後、デーヴダースに熱が出た。

 熱にうなされながらデーヴダースはチャンドラムキーに言った。「お前はちょうどいいときに来たよ。そうでなかったらもう二度と会えなかっただろう。」

 チャンドラムキーは泣きながら別の部屋へ行って、神像の前で手を合わせて言った。「彼のこんな大事なときに世話をすることができるなんて、夢にも思っていませんでした。今はただ、彼を健康にしてください、神様!」

 デーヴダースは1ヶ月間ベッドに寝たきりだった。次第に快方に向かってきた。幸い病気は進行しなかった。

 ある日、デーヴダースは言った。「チャンドラムキー!お前の名前は長すぎるよ。呼ぶときに面倒だ。だから省略して呼ぼうと思う。」

 「いいですよ!」チャンドラムキーは同意した。

 「それじゃあ、今日から僕はお前を『バフー47』って呼ぶよ。」

 チャンドラムキーは笑って言った。「ええ、是非!でも、何事にも意味が必要だわ。その言葉の意味は何でしょう?」

 「何事にも意味が必要だって?」デーヴダースは質問したが、自分で答えを見つけて言った。「いや、必要ない。ただそう呼びたいだけさ!」

 「もし本当にそうしたいのだったら、是非そうしてください。でも、これだけは教えてくださいな、どうしてそんな考えが浮かんだの?」

 「いや、教えることはできない。そしてお前ももう聞くんじゃない。」

 「分かったわ、もう聞かないことにするわ。」チャンドラムキーは頭を振って言った。

 しばらく二人は黙っていた。デーヴダースは何かを考えていた。そしてとても真剣な表情で彼は質問した。「それじゃあ、バフー、僕は、心から僕の世話をしてくれているお前の何なんだ?」

 チャンドラムキーはデーヴダースをじっと見つめ、静かに、そして愛情に満ちた声で言った。「あなたはまだ分かってないの?あなたは私の全てなのよ。」

 デーヴダースは壁の方に視線を移した。そして優しい声で言った。「それは僕も知ってるさ。でも、なぜか、それだけじゃ僕は満足できないんだ。いいか、僕はパールヴァティーをどんなに愛していることか、彼女も僕を愛しているんだ。でも、僕たちは二人とも不幸だ。この不幸を見て僕は決めたよ。僕はもう絶対に誰とも恋に落ちないってな。自分から誰かを愛すこともしない。でも、お前はどうして僕にこんなことをしたんだ?お前は強引に僕を愛の道に引きずり込んだんだ、バフー。いいか、お前も多分パールヴァティーのように不幸になるだろうよ。」

 チャンドラムキーは自分の顔を布で覆いながら、ベッドの隅に黙って座っていた。

 穏やかな表情で、デーヴダースは優しく話し続けた。「お前とパールヴァティーの間にどれだけ違いがあることか!それでいてどれだけ似ていることか!一人は傲慢で頑固な女、もう一人は静かで傲慢な女!一人は絶対に我慢することができないけど、お前はどれだけ我慢できることか!恥辱に、嫌悪に!あいつの名に汚点のひとつもないが、お前の名には汚名が塗りつけられている!みんなあいつを愛しているが、誰もお前を愛していない・・・それでも僕はお前を愛しているんだ、ああ、愛しているんだ!」

 そして息を吸い込んでデーヴダースは言った。「占い師の連中が何を言うのか僕は知らないけど、これだけは言えるよ。もし死後に出会うことができるとしたら、僕はお前のそばにずっといたい。」

 ショールの中に顔を覆い隠しながら、チャンドラムキーは何もしゃべらずに泣き出した。彼女は心の中で神様に祈っていた。「ああ、神様!もし私が前世の罪の償いを済ますことができたなら、彼の言った祝福を私にください!」


 2ヶ月が過ぎ去った。デーヴダースは回復したが、身体は弱ったままだった。医者は環境を変えるよう助言した。デーヴダースはダラムダースと共に西の方へ行く決意をした。

 チャンドラムキーは言った。「あなたには女の世話人も必要だわ!私も一緒に連れてって!」

 「いや、バフー!他のことはできるが、そんな恥知らずなことはできない。」デーヴダースは言った。

 チャンドラムキーは黙ってしまった。彼と共に住むことで、デーヴダースは幸せになり、平安も得られるだろうが、同時にデーヴダースの名誉にならないことを彼女は理解した。涙を拭いながら彼女は質問した。「じゃあ、いつ会えるの?」

 「何も言えない、バフー!」デーヴダースは考えながら言った。「でも、もし生きている間、僕はお前のことを1秒たりとも忘れないよ。お前に再会したい気持ちは絶対に消えたりしない。」

 足に触れ、プラナームをして、チャンドラムキーは後ろに下がりながら言った。「私にはその言葉だけで十分だわ。私はそれ以上のことを望んでいません。」

 別れ際にデーヴダースは2千ルピーをチャンドラムキーに手渡して言った。「これを持っておけ。人間の身体は、いつ何が起こるか分からない。僕はお前を困らせたくない。」

 チャンドラムキーは彼の話を理解した。彼女はお金を受け取って言った。「分かったわ、身体に気をつけて。あなたの身体は健康じゃないのよ。あまり無理しないでね。」

 デーヴダースは笑った。何もしゃべらなかった。

 チャンドラムキーは再び言った。「あとひとつだけお願いします。もしあなたの身体に少しでも異常が起こったら、すぐに私に知らせてください!」

 「ああ、絶対にそうするよ、バフー!」デーヴダースは彼女の顔を見ながら言った。

 もう一度プラナームしてチャンドラムキーは泣きながら別の部屋に入ってしまった。

第16章

 デーヴダースはカルカッタからイラーハーバードへ行った。しばらくの間そこに滞在した。彼はチャンドラムキーに1通の手紙を出した。「バフー、僕はもう二度と恋をしないと考えていた。愛をすると全てを失ってしまう。それほど有害なものなんだ。それに誰かを自分のものにして愛する努力をすることより辛いことは、この世の中に存在しないからだ。」

 チャンドラムキーはこの手紙にどう返事をしたかは分からない。しかし、これを読んで悲しい気持ちになったのは確かだろう。

 もしチャンドラムキーがもう一度やってきたらどうなるだろうか?ここのところ、デーヴダースは何度もそれを考えていた。

 しかし、すぐに彼はその考えに対して恐怖を覚えるのだった。彼は考え出した。もしパールヴァティーにこのことが知れたら?そして彼は心の中で考えを改めるのだった。チャンドラムキーが来ない方がいいだろう!

 最近デーヴダースの心の中で、パールヴァティーとチャンドラムキーが次第に等しい存在に思えてきていた。何度も二人の姿が彼の心の中で、まるで同一人物であるかのように重なってきたのだった。

 しかし、何度も二人の姿が、まるで彼から遥か遠くへ去って行ってしまったかのように、彼の心から消え去ってしまうのだった。そして彼の心を、彼自身が恐怖を覚えるほどの虚無感が覆うのだった。その虚無感はまるで彼を呑み込むために大きな口を開けて迫ってくるかのようだった。そしてデーヴダースは恐れをなしてそこから逃げようとするのだった。

 この状態にこれ以上耐えられなくなったとき、彼はダラムダースに、荷造りするように言った。風の噂で、チュンニーラールがラホールで何かの仕事をしているという話を聞いた。デーヴダースはチュンニーに会うためにラホールへ向かった。


 数年振りに再会した二人の親友は、再会を喜ぶと共に恥じらいさえ感じた。デーヴダースは酒を止めていた。しかし、チュンニーラールと出会ったことにより、彼は再び酒を飲み始めた。だが、飲んでいる最中でさえ、彼はチャンドラムキーが飲酒を禁止していることを忘れなかった。彼の健康は再び悪化した。再び腹部が痛み出した。2晩をチュンニーラールのところで過ごし、自分の宿に戻った頃には、デーヴダースは発熱していた。帰るや否や、彼はベッドに横になった。

 ダラムダースは額を叩いて動揺し、医者を呼んだ。デーヴダースの治療が行われた。健康状態が少しよくなると、ダラムダースは恐る恐る言った。「坊ちゃん、カーシーの母上様に知らせましょうか?」

 「チッ!」デーヴダースは手でダラムダースの口を覆い、彼の話を遮って言った。「おいおい、僕は母さんに顔向けできないだろう?」

 「坊ちゃん、病気は誰でもなるものです。何を恥じる必要がありましょうか?不幸なときに母上様に顔を隠す必要なんてありましょうか?さあ、カーシーへ行きましょう。」

 デーヴダースは顔を背けて言った。「いや、ダラムダース、僕はこの状態のまま母さんのところには行けない。よくなった後に行くよ。」

 ダラムダースは、チャンドラムキーの名前を出そうか考えた。しかし、ダラムダースは彼女のことを考えただけで黙り込んでしまうくらい、嫌っていた。

 デーヴダース自身、チャンドラムキーのことが頭に浮かんでいた。しかし、彼も自分で病気のことを話す気にはならなかった。だから、チャンドラムキーに何の知らせも届かなかった。

 ゆっくりとデーヴダースの健康は回復してきた。歩けるようになると、彼はチュンニーラールに別れを告げて、ダラムダースと共にイラーハーバードに戻った。彼の健康状態は至って良好だった。デーヴダースは退屈し出すと、ダラムダースに言った。「どこか行ったことのないところへ行ってみたいな。僕はまだボンベイに行ったことがない。ボンベイへ行こう。」

 嫌々ながらも、ダラムダースはデーヴダースの熱意を妨げることができず、荷物をまとめてボンベイへ旅立った。

 デーヴダースはボンベイをとても気に入り、彼の健康も順調に回復した。彼はダラムダースに言った。「ここはいいところだ。しばらくここに住もうじゃないか。」


 1年後、雨季のある朝、デーヴダースはボンベイのある病院から退院し、ダラムダースの肩を借りながら自分の住居に戻った。

 ダラムダースは言った。「坊ちゃん、私の話を聞いてください。今こそ、母上様のところへ行くべきです。」

 デーヴダースの目から涙が流れた。病院に寝ていた間、ただ母親を思い出していたのだった。彼はずっと考えていた――この世に大切な人はたくさんいる――母、兄、妹よりも近い存在のパールヴァティー、チャンドラムキー――みんな彼のものである。しかし、彼は誰のものでもない。

 ダラムダースの目にも涙があふれた。泣きながら彼は言った。「それなら坊ちゃん、母上様のところへ行く準備をしましょうか?」

 デーヴダースは顔を背けて涙を拭った後、言った。「いや、ダラムダース、僕は母さんに会うつもりはない。まだそのときじゃないような気がするんだ。」

 しかし、二人はそのときが来たことを感じ始めていた。デーヴダースの健康は本当に酷い状態になっていた。肝臓が膨れ上がっていた。全身骨と皮だけになっていた。両目は窪み、腹は膨れていた。頭髪は抜け落ちていた。

 駅に着くと、ダラムダースは質問した。「坊ちゃん、どこ行きのチケットを買いましょうか?」

 しばらく考えて、デーヴダースは言った。「じゃあまずは家へ行こう。その後また考えよう。」

 ハーウラー行きのチケットを買って、彼は列車に乗り込んだ。ダラムダースも一緒だった。夕方になる前、デーヴダースにはひどい熱が出た。彼の目は見開いた。彼はダラムダースに言った。「家に帰るのは難しいかもしれない、ダラムダース!」

 恐る恐るダラムダースは聞いた。「どうしてですか、デーヴ坊ちゃん?」

 デーヴダースは作り笑いをしながら言った。「また熱が出て来たんだ。」

 一晩中デーヴダースは高熱のために意識を失っていた。列車はカーシーを通り過ぎてしまった。デーヴダースに意識が戻ったとき、列車はパトナーの近くを走っていた。デーヴダースは言った。「おい、ダラムダース、言ったとおり、母さんのところへ辿り着けなかったぞ。まあいいさ、家に戻ろう。」

 列車がパーンドゥアー駅に着いたとき、ちょうど夜明けだった。一晩中雨が降っていたが、そのときは止んでいた。デーヴダースはやっとのことでベッドから起き上がった。客室の床では、ダラムダースが敷物を敷いて寝ていた。デーヴダースは彼の額を触って起こそうとしたが、溜まった疲労のためダラムダースは深い眠りの中にいた。ショールで身体を覆って、デーヴダースは客室の扉を開けた。そして、ゆっくりと列車からプラットフォームへ降りた。

 列車は眠っているダラムダースを乗せて走り出してしまった。

 デーヴダースは震えながら駅の外へ出た。そして馬車使いに言った。「おい、ハーティーポーター村へ行けるか?」

 馬車使いは頭を振りながら答えた。「道が最悪でね、旦那、こんな雨の日に馬車であそこへ行くことはできませんよ。」

 落胆してデーヴダースは聞いた。「担い籠はあるか?」

 「この時間じゃあ見つからないでしょう。」

 デーヴダースは突然地面に座り込んだ。彼の足にはもう立つ力が残っていなかった。彼は、もうあそこへ行くことはできないのか、と考えた。

 デーヴダースの顔の悲しい表情を見て、馬車使いは憐れに思った。彼は質問した。「旦那、牛車を用意しましょうか?」

 「ハーティーポーター村にはいつ頃着くだろうか?」

 「道がよくないのでね、旦那。多分2日はかかるでしょうよ。」

 デーヴダースは心の中で数え始めた――あと2日も生きていられるだろうか?何があろうとも、パールヴァティーのところへ行かなくてはならない。人生の中で彼はどれだけ嘘を言い、約束を破ってきたことか。デーヴダースには、それらひとつひとつが思い浮かんできた。しかし、人生の最期において、あの約束だけは破ることができなかった。あれだけは必ず守り通すのだ――たとえどんな状態であったとしても。しかし、もう手遅れになってしまった。人生が終わろうとしているときに、その約束を守れないことだけが最大の心残りだった。


 デーヴダースが牛車に乗ったとき、突然母親のことを思い出した。そのとき、もうひとつ愛情に満ちた顔が彼の目の前に浮かんできた。その顔はチャンドラムキーだった。彼女を常に軽蔑し憎んできたが、今日の彼は自分の聖なる母親の隣に彼女の姿を思い浮かべていた。そして、デーヴダースはそれに少しの疑問も感じなかった。現世ではもう彼女に会うことはできないだろう。おそらく長い間、彼女は知らせを受けることができないだろう。少なくとも、パールヴァティーと交わした約束は絶対に果たさなくてはならない。彼女のところへ行かなくてはならない。

 雨のせいで道は最悪の状態だった。道は泥沼と化しており、ところどころ道が水の流れのせいでなくなっていた。牛車は非常にゆっくりと進んでいた。時々牛車使いが下に降りて、自ら車輪を穴から外へ抜け出させないといけなかった。雨のせいで強い風が吹き始めた。

 夕方になると、デーヴダースを再び高熱が襲った。震えながら彼は牛車使いに言った。「おい、バイヤー48、あとどれだけかかる?」

 「あと25-30kmくらいでしょう。」

 「急いでくれ、バイヤー!金は弾むから。」ポケットから100ルピー札を取り出してデーヴダースは言った。「100ルピーやるぞ。だからとにかく急いでくれ!」

 高熱のせいでデーヴダースはどうやって夜を過ごしたのか全く記憶になかった。朝になり意識を取り戻すと彼は聞いた。「あとどれくらいだ?」

 「あと20kmくらいでしょう。」

 デーヴダースは大きく息を吸い込んで言った。「早くしてくれ、バイヤー!時間がないんだ。」

 牛車使いは全く理解できなかった。彼は牛に罵声を浴びせかけて棒で叩き、道を急ぎ始めた。車はガタガタ揺れながら進んでいた。中に座っていたデーヴダースは焦っていた。「到着できるだろうか?会えるだろうか?」彼はただこれだけを考えていた。

 夕方になり、発熱と同時にデーヴダースの鼻から血が滴り落ち始めた。彼は力一杯鼻を押さえた。まるで息が止まってしまうほどだった。息も絶え絶えになりつつ彼は牛車使いに聞いた。「あと・・・あとどのくらいだ?」

 「あと6kmくらいでしょう。夜の11時までには着きますよ。」牛車使いは適当に答えた。

 デーヴダースは力を振り絞って頭を起こし、道を見ながら言った。「ああ、神様!」

 「旦那、どうなさったんです?」牛車使いは聞いた。

 デーヴダースは何も答えることができなかった。

 車は進み続けた。

 夜12時頃、牛車はハーティーポーター村の地主宅前の、ピーパルの木の下に停まった。

 牛車使いはデーヴダースを呼んだ。「旦那、起きて下さい!」

 何の反応もなかった。

 牛車使いは怖くなってしまった。ランタンをデーヴダースの顔に近付けて言った。「旦那、寝てるんですかい?」

 デーヴダースの唇が震えた。しかし、何の言葉も出てこなかった。彼は自分の手を上げようとしたが叶わなかった。デーヴダースは何とかしてポケットの中から100ルピー札を取り出し、牛車使いに手渡した。牛車使いは自分のショールの端にそれをくるんだ。そしてありったけの知恵を振り絞って、ピーパルの木の下に藁のベッドを用意して、そこにデーヴダースを寝かせ、ショールを覆いかぶせた。


 朝になると、地主宅から人々が外に出て来た。彼らはどこかの金持ちが木の下に瀕死の状態で横たわっているのを見つけた。高価なショール、手には指輪、そしてピカピカの靴。

 次第にたくさんの野次馬が集まってきて、お互いに話を始めた。

 ブヴァン氏のところまでその知らせは届いた。彼は使用人に医者を呼びに行かせ、自分で見にやってきた。

 デーヴダースは目の前に立っている人々を見渡した。しかし、彼の喉はもう動かなかった。話す力はもう残されていなかった。彼の目から涙が流れていた。牛車使いは知っていることを全て人々に話したが、この乗客が誰の家に行きたかったのかは分からなかった。

 医者がやってきた。彼は検査をして言った。「もう余命はわずかだろう。」

 全員の口からため息がこぼれた。「はぁ、なんてこと!」

 上の階に座っていたパールヴァティーにもその知らせが届いた。彼女の口からも同じ言葉がこぼれた。「はぁ、可哀想に!」

 1人の男が憐れに思ってデーヴダースの口に少しガンガー水を含ませた。デーヴダースは悲しそうな目つきで彼の方を見て目を閉じ、二度と目を開けなかった。

 ブヴァン氏は近くの警察署に知らせた。

 警察官が調査のためにやってきた。医者は肝臓の病気で死んだと伝えた。死人のポケットから2通の手紙が出て来た。1通の手紙は、タールソーナープル村のドイジダース・ムカルジーが、ボンベイのデーヴダースに送ったもので、「もうこれ以上金は送らない」と書かれていた。

 もうひとつの手紙には、カーシーのハリマティー・デーヴィーがデーヴダース・ムカルジーに送ったもので、「最近のお前の身体の調子はどうですか?」と書かれていた。

 左手に「D」の文字が入れ墨されていた。慎重に調査した後、警察官は言った。「分かったぞ、この死人の名前はデーヴダースに違いない。」

 サファイヤの指輪と現金約150ルピーも警察の調査書に記録された。200ルピーのショールも記録され、警察によって持って行かれた。ブヴァン氏と共にマヘーンドラも立っていた。タールソーナープル村の名前を聞いてマヘーンドラは言った。「これは母さんの家の人でしょう。もし母さんが見れば・・・。」

 非常に不機嫌になってブヴァン氏は言った。「馬鹿なことを言うな!母さんに死人の識別をさせるつもりか?」

 ブラーフマンはいたのだが、村にはデーヴダースの死体を焼いて河に流す準備をしようとする者はいなかった。よって警察がドーム49に命令して、干上がった池のそばで死体を焼かせた。ドームも死体を半焼きにしたまま立ち去ってしまった。

 この話を聞いて悲しい気持ちにならない者はいなかった。召使いたちはお互いに話をし始めた。「あぁ!金持ちの男にどんな不幸が起こったんだろう!とても高価なショールだった。サファイアの指輪も付けていた。警察がそれらを自分のものにしてしまった。少なくとも彼の火葬はキチンとなされるべきだった!」

 パールヴァティーはその悲しい知らせを朝になって聞いた。しかし、それほど気に留めはしなかった。だが、召使いたちが低い声でその話をし始めた途端、彼女は居ても立ってもいられなくなった。彼女は1人の召使い女に質問した。「何が起こったの?誰が死んだって?」

 召使い女は涙ぐみながら言った。「奥様、それは誰も知りません。前世であの男はこの土地の土を買ったんでしょう、だからここにただ死ぬためにやってきたんでしょう。一晩中寒さに震えながらピーパルの木の下で寝ていたんです。今日の朝9時に死んでしまって!」

 パールヴァティーは悲しくなって言った。「なんて可哀想なこと!それが誰だったか全く分からないの?」

 召使い女は言った。「多分、マヘーンドラ様が知っていると思います。」

 パールヴァティーはマヘーンドラを呼んで質問した。マヘーンドラは悲しい声で言った。「母さんの村のデーヴダース・ムカルジーです。」

 パールヴァティーの心臓は急激に高鳴った。マヘーンドラのそばに寄って、真剣な表情で彼を見ながら言った。「何て言ったの?あのデーヴなの?どうやって知ったの?」

 「ポケットの中から2通の手紙が出て来たんです。ひとつはドイジダース・ムカルジーが書いて・・・。」

 「ええ、それは彼のお兄さんだわ!」パールヴァティーは早口で言った。

 「で、もうひとつの手紙はカーシーのハリマティー・デーヴィーの・・・。」

 「ええ、彼のお母さんだわ・・・。」

 「手に『D』の文字が入れ墨されていました。」

 「ええ、初めてカルカッタに行ったときに入れたものだわ。」

 「サファイヤの指輪が・・・。」

 「それはジャネーウー50のときに叔父さんが彼にあげたものよ。」

 混乱したマヘーンドラは母親を追いかけながら言った。「どこへ行くんですか、母さん?」

 「デーヴのところよ!」

 「母さん、もういませんよ!ドームが持って行ってしまいました。」

 「あぁ、なんてこと!」と言いながらパールヴァティーは泣き始め、下の階に走り出した。

 マヘーンドラは急いで彼女の前まで走って行って彼女を止めながら言った。「どうかしたんですか、お母さん?どこへ行くんですか?」

 パールヴァティーはマヘーンドラの方を怒った表情で見て、厳しい口調で言った。「マヘーンドラ、お前は私が本当にどうかなったとでも思ってるの?道を空けなさい!」

 パールヴァティーの強い口調にマヘーンドラはたじろいでしまった。彼は道を空けた。パールヴァティーは急いで下に降り、邸宅の主門の方へ走り出した。マヘーンドラは彼女を追いかけた。

 下ではナーヤブ51とグマーシュター52が仕事をしていた。ブヴァン氏も一緒にいた。彼は彼女の様子を見て聞いた。「誰が出掛けるんだ?」

 「母さんです。」マヘーンドラが言った。

 「どこへ?」ブヴァン氏は驚いて聞いた。

 「デーヴダースを見に!」マヘーンドラは言った。

 ブヴァン氏は叫んだ。「おい!お前たち皆、頭がおかしくなったのか?おい、捕まえろ、止めろ・・・あいつを止めろ!マヘーンドラ、急げ!おい、お前、聞いてるのか、あいつを止めろ!」

 全ての召使いたちや親戚たちが全速力で走ってパールヴァティーを捕まえた。パールヴァティーは意識を失って地面に倒れこんだ。

 召使いたちは意識を失ったパールヴァティーを抱き起こして、ベッドに寝かせた。

 次の日、パールヴァティーの意識が戻った。彼女は何も言わなかった。じっと四方を見つめていた。そして近くに立っていた召使いに言った。「夜に来たんですね?一晩中外に寝ていたんですね?」

 そしてパールヴァティーは口をつぐんだ。


 その後パールヴァティーがどうなったのか、私は知らない。知りたいとも思わない。ただデーヴダースのために心が憐憫の情で満ちてしまう。あなたたち読者も、私と同じく憐憫を感じたことだろう。もしデーヴダースと同じ不運、不幸に見舞われた人を知っているのなら、彼のために祈って欲しい――何があろうとも、デーヴダースのような最期を迎えることがないように。死という不幸は誰にでも訪れるが、しかし、そのとき愛する人の腕の中で、その人の悲しい表情を見ながら人生の最期を迎えられるように。さもなくば、死ぬときに誰かの両目から流れ落ちる涙を見ながら、安らかに眠れるように。

-完-

脚注

  1. ヴァイシャーク月:インド歴の第2月で4-5月にあたる。インドでは酷暑期の真っ只中であり、一年でもっとも暑くなる。 ↩︎
  2. 石版:田舎の学校では石版がノートになる。 ↩︎
  3. グッリー・ダンダー:野球やクリケットに似た遊び。 ↩︎
  4. マン、セール、チャターンク:どれも重さの単位。1マン=約34kg=40セール=640チャターンク。 ↩︎
  5. ルピー、アーナー、パーイー:全て貨幣の単位。1ルピー=16アーナー=192パーイー。 ↩︎
  6. カーヤスト:官僚・書記の家系。 ↩︎
  7. ビーガー:面積単位。1ビーガー=約2,500㎡。 ↩︎
  8. ヤジマーン:顧客。檀家。 ↩︎
  9. ムーリー:炒り米。 ↩︎
  10. サンデーシュ:お菓子の一種。 ↩︎
  11. 頭を振って:Yesの意。 ↩︎
  12. ノーナー:ギュウシンリ。 ↩︎
  13. ムンシー:カーヤストの尊称。ここではゴーヴィンド先生のこと。 ↩︎
  14. シュードラ:カースト制度(四姓)の最下層。肉体労働を主とする。参照 ↩︎
  15. ブラーフマン:バラモン。カースト制度(四姓)の最上層。司祭や頭脳労働を主とする。ムカルジー家もチャクラヴァルティー家もカースト上では同じバラモンである。 ↩︎
  16. 「ラーマーヤナ」:インド二大叙事詩のひとつ。参照 ↩︎
  17. 「マハーバーラタ」:インド二大叙事詩のひとつ。参照 ↩︎
  18. チャンパー:キンコウボク。 ↩︎
  19. カンジュリー:タンバリンの一種。 ↩︎
  20. ヴァイシュナヴィー:ヴィシュヌ派の人。 ↩︎
  21. パイサー:貨幣の単位またはお金の意。 ↩︎
  22. ルピー:貨幣の単位。1ルピー=12アーナー=64パイサー。 ↩︎
  23. ラターイー:凧糸を巻く芯。 ↩︎
  24. 10アーナー、13ガンダー、1カウリー、1クラーンティ:アーナーとカウリーは貨幣単位だが、ガンダーとクラーンティは不明である。2ルピーは32アーナーであり、これを3で割ると、1人あたり10アーナーとなり、2アーナーが余る。 ↩︎
  25. ハーウラー駅:カルカッタの駅。 ↩︎
  26. ダウリー:持参金。参照 ↩︎
  27. コース:距離の単位。20-25コース=約65-80km。 ↩︎
  28. スワヤンヴァル:花嫁が花婿を公衆の面前で選ぶ古代インドの儀式。 ↩︎
  29. スィンドゥール:髪の分け目に付ける赤い印。既婚の女性が付ける。参照 ↩︎
  30. チューリー:腕輪。既婚の女性が付ける。 ↩︎
  31. チャーダル:毛布。身体を覆ったり床に敷いたりする大きな布。 ↩︎
  32. トゥルスィーダースの「ラーマーヤナ」:正確にいえば『ラームチャリトマーナス(ラーマの行状記)』。成立は16世紀。 ↩︎
  33. ガート:沐浴場。 ↩︎
  34. バーラート:花婿側の参列者によるパレード。 ↩︎
  35. 悪ふざけ:インドの結婚式では、親睦を深めるために両家の間でふざけ合いが行われる習慣がある。 ↩︎
  36. 足の埃を頭に付け:尊敬を表す仕草。 ↩︎
  37. ダラムシャーラー:巡礼宿。 ↩︎
  38. ザナーナー:女性居住用の建物。 ↩︎
  39. サードゥ:遊行者。 ↩︎
  40. あなたの足元にひれ伏します:尊敬を表す言葉。 ↩︎
  41. シュラーッド:供養の儀式。 ↩︎
  42. カーシー:ヴァーラーナスィーの古名。 ↩︎
  43. バニヤー:高利貸し。 ↩︎
  44. スィーターとダマヤンティー:共に神話上の女性。スワヤンヴァルで夫を選んだ共通点がある。 ↩︎
  45. 「ジャガーイー=マガーイーの物語」:ヴィシュヌ派の聖人チャイタニヤに会って改心した元乱暴者たちの物語。 ↩︎
  46. プラナーム:相手の足に手を触れて敬意を表する。 ↩︎
  47. バフー:嫁の意。 ↩︎
  48. バイヤー:兄ちゃんの意。 ↩︎
  49. ドーム:火葬屋カースト。 ↩︎
  50. ジャネーウー:入門式。 ↩︎
  51. ナーヤブ:代議士。 ↩︎
  52. グマーシュター:事務官。 ↩︎