2024年6月28日からAmazon Prime Videoで配信開始された「Sharmajee Ki Beti」は、シャルマー姓を持つ複数の女性たちを主人公にしたオムニバス形式の女性応援映画である。題名は「シャルマーさんの娘」という意味で、「娘」を意味する単語「Beti」は単数形であるが、「Betiyaan(娘たち)」と複数形にした方が映画の内容に合致するように思える。
監督はターヒラー・カシヤプ・クラーナー。俳優アーユシュマーン・クラーナーの妻だ。過去にTVドラマや短編映画の監督経験があるが、長編映画の監督は初となる。キャストは、ディヴィヤー・ダッター、サークシー・タンワル、サイヤーミー・ケール、ヴァンシカー・タパーリヤー、アリスター・メヘター、パルヴィーン・ダバス、シャリーブ・ハーシュミー、ラヴジート・スィンなどである。
ジョーティ・シャルマー(サークシー・タンワル)は塾講師をしており、子供の世話は夜勤の夫スディール(シャリーブ・ハーシュミー)に任せ、仕事に精を出していた。ジョーティの娘スワーティ(ヴァンシカー・タパーリヤー)は自分よりも仕事を優先する母親に不満を持っていた。また、スワーティは8年生になっていたがまだ生理が来ないことで悩んでいた。
スワーティの親友グルヴィーン・シャルマー(アリスター・メヘター)は、髪の毛を気にする女の子だった。グルヴィーンの母親キラン(ディヴィヤー・ダッター)は主婦だった。パティヤーラーの下町で生まれ育ったキランはムンバイーでの生活になかなか慣れなかった。夫のヴィノード(パルヴィーン・ダバス)とも最近はまともな会話ができていなかった。
キランと同じアパートに住んでいたのが女性クリケット選手のタンヴィー・シャルマー(サイヤーミー・ケール)であった。タンヴィーの恋人ローハン(ラヴジート・スィン)は俳優の卵で、CMのモデルをしながら、映画のオーディションを受けていた。ローハンは俳優デビューが決まった直後にタンヴィーにプロポーズするが、彼はタンヴィーに早くクリケットを辞めるように何度も言っていた。
スワーティは文化祭で演劇をし、最優秀演技賞を受賞する。だが、ジョーティが迎えに来なかったことで怒り、二人の仲は険悪になってしまう。その後、ジョーティが勤める塾で行われた授賞式でスワーティが最優秀賞を受賞したことで、スワーティは母親を見直す。スワーティには無事に生理が来た。
キランは夫の浮気を知ってしまう。グルヴィーンは自分が同性愛者であることを自覚し、スワーティに伝えた後、母親に打ち明ける。キランは娘のカミングアウトを明るく受け入れる。キランはヴィノードと離婚し、グルヴィーンと共に暮らし始める。自由な時間ができたキランはイベントの運営を始め、軌道に乗せる。
タンヴィーは、ローハンよりもクリケットを選び、彼を振る。
様々な世代の女性たちが登場し、それぞれが直面する問題を乗り越え、よりよい人生を選択する過程が同時並行的に描かれた映画であった。彼女たちに共通するのは、皆シャルマー姓を持っているということくらいだった。シャルマーはブラーフマンになる。
ディヴィヤー・ダッター演じるキランについては、「English Vinglish」(2012年/邦題:マダム・イン・ニューヨーク)や「Tumhari Sulu」(2017年)と同様に、主婦が主題になる。パティヤーラーにいた頃、キランは自身が主婦であることに何の疑問も抱かなかったが、ムンバイーに引っ越すと、途端に主婦であることに引け目を感じるようになる。何か仕事でもしようと思い立つが、夫のヴィノードからは主婦をしていればいいと言われてしまう。キランに決して才能がないわけでなく、むしろ物作りが好きで、それを活かせそうだった。また、キランは夫の不倫を知ってしまう。
サークシー・タンワル演じるジョーティはキランと対照的なキャラだ。ジョーティは家事そっちのけで塾講師の仕事にのめり込む中産階級のワーキングレディーであった。ヒンディー語映画の表象において、外に出て働く女性は既に珍しくなくなっているが、ジョーティがユニークだったのは、娘スワーティの冷たい視線があったことだ。スワーティは母親が子育てや家事よりも仕事を優先することによって自身が最大の被害を被っていると感じており、母親との関係はギクシャクしていた。
ジョーティの娘スワーティとキランの娘グルヴィーンは同じ8年生で親友だった。中学生の女子トークが赤裸々に描写されているインド映画は初めて観たかもしれない。スワーティの目下の悩みは生理が来ないことだった。まだ第二次性徴期を迎えておらず、胸も出て来ていないスワーティは焦り始めていた。最近、グルヴィーンにも生理が来たため、クラスの中で生理が来ていないのはスワーティのみになってしまった。しかも彼女は文化祭でラームーおじさんの役を任されてしまう。そんなこともあって、彼女は男性扱いされることに過敏になっていた。こういう思春期の女子の微妙な心情が発露された作品はインドでは稀だ。
グルヴィーンはグルヴィーンで自分が同性愛者であることを自覚しながらなかなかカミングアウトできずにいた。だが、母親のキランはとても寛容な人物だった。その上、夫の不倫を知って吹っ切れていたところもあった。グルヴィーンが母親に思い切って自分が同性愛者であると打ち明けてみると、キランは意外にも微笑んでそれを受け入れてくれた。LGBTQ映画として観ても、非常に勇気づけられる内容であった。
もう一人の「シャルマーさんの娘」は、サイヤーミー・ケール演じるタンヴィーだ。タンヴィーは州代表のクリケット選手であり、クリケットに人生を捧げていた。タンヴィーの悩みは、恋人および許嫁のローハンからクリケットを辞めるように何度も言われていたことだ。明言はしていなかったが、ローハンはクリケットは女性のするものではないと考えており、彼女には女性らしく振る舞って欲しかった。タンヴィーは、ローハンの希望に合わせようと多少の努力はするものの、やはり自分の夢や自分のアイデンティティーを捨て去ることはできず、最終的にはローハンを捨てることを選ぶ。
キランも夫のヴィノードと離婚もしくは別居を選んでいる。女性中心の映画というと、女性の自由や女性の解放が礼賛され、その実現のために、離婚や別れという手段が採られることが多いが、この「Sharmajee Ki Beti」にもその要素があった。しかしながら、ジョーティと夫スディールは基本的に仲睦まじく、二人は結末までお互いをよく理解し合っている。決して夫婦やカップルを破局させてハッピーエンドを演出するような短絡的な映画ではなかった。
監督の遊び心であろうか、意図的に長回しが使われたシーンがいくつかあった。この映画でもっとも引き込まれたのは、スワーティを演じたヴァンシカー・タパーリヤーの演技だ。生理がなかなか来ず、自己肯定感の低い中学生女子の役を自信を持って演じていた。もちろん、サークシー・タンワル、ディヴィヤー・ダッター、そしてサイヤーミー・ケールの演技も素晴らしかった。特にサイヤーミーは恵まれた体格を持っており、スポーツ選手役が板に付いている。彼女は最近、「Ghoomer」(2023年)で片腕のクリケット選手役を演じたばかりであった。
「Sharmajee Ki Beti」は、年代はバラバラだが同じシャルマー姓を持つ5人の女性たちの物語だ。女性が人生のそれぞれの段階で経験するような悩みをうまく5人に分散してひとつの物語にしているともいえる。特に思春期と第二次性徴期を迎えた女子中学生たちの心情描写が秀逸だった。必見の映画である。