B.A. Pass

3.0
B.A. Pass
「B.A. Pass」

 長年デリーの映画愛好家から高い評価を受けて来ている国際映画祭、オシアンス・シネファン映画祭(Osians Cinefan Film Festival)が3年振りにデリーのスィーリー・フォート・オーディトリアムなどで開催中で、昨日(2012年7月27日)がオープニングであった。毎回質の高い作品が集まる上に、誰でも無料で鑑賞できるのがありがたい。今年は日本映画の上映本数も多い。本日は手始めに「B.A.Pass」(2012年)というヒンディー語映画を鑑賞した。

 題名となっている「B.A. Pass」とはインドの教育用語のひとつである。まず、「B.A.」は「Bachelor of Arts」の略で、つまりは文学部のことである。次に「Pass」であるが、インドの学部課程は「Pass」と「Honors」に分かれている。後者の方がより専門性の高い教育を受けられ、足切り点も高いし、就職にも有利となる。一方、「Pass」の方は一般教養コース色が強く、複数の科目を広く浅く学ぶコースとなる。インドでは文学部は大学の中でもっとも地位が低く、しかもその「Pass」コースとなると、さらに底辺となる。「B.A. Pass」に込められているのは、「無意味な学問」という揶揄だと考えていいだろう。

監督:アジャイ・ベヘル(新人)
原作:モーハン・スィッカー「Railway Aunty」
音楽:アーローカーナンダ・ダースグプター
出演:シャッダーブ・カマール、シルパー・シュクラー、ギーター・アガルワール、ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ、ラージェーシュ・シャルマーなど
備考:スィーリー・フォート・オーディトリアム1で鑑賞。オシアンス映画祭。

 パンジャーブ地方で暮らしていたムケーシュ(シャッダーブ・カマール)は、両親を交通事故で一気に亡くす。ムケーシュはデリーに住む叔父の夫妻の家に居候することとなり、彼の二人の妹は身寄りのない女性が住む「ガールズホーム」に入れられた。ムケーシュはデリーの大学でB.A.パース課程に入るが、勉強に身が入らず、墓場で一人でチェスをして暇を潰す毎日を送っていた。ムケーシュは墓守のジョニー(ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ)と親友となる。ジョニーもチェス好きで、暇があればムケーシュとチェスをしていた。ジョニーの夢はモーリシャスに移住することであった。

 ムケーシュはある日、サリカー(シルパー・シュクラー)という有閑マダムに呼ばれる。サリカーの夫アショーク(ラージェーシュ・シャルマー)は叔父の上司であった。サリカーはムケーシュを誘惑し、彼を押し倒す。その後、ムケーシュはサリカーの家を頻繁に訪れるようになり、会う度にセックスをするようになる。ムケーシュのセックスの腕は日に日に上達する。

 ところで、妹たちが入所したガールズホームの寮長は、入居している女の子たちに売春をさせて金を稼いでいた。妹たちは全くそこに住むことを気に入っておらず、早く出たいと兄に訴えていた。ムケーシュは妹たちをデリーに呼び寄せるためにまとまった金が必要だった。それを見透かしたようにサリカーはムケーシュにとある収入源を提案する。それはジゴロであった。サリカーはムケーシュを、性的にフラストレーションの溜まったマダムたちに紹介し、斡旋料を受け取る。ムケーシュも最初は抵抗があったものの、ジゴロ業により大金を稼ぐようになる。

 ところが、急にムケーシュの羽振りが良くなったことで、叔母や従兄弟は怪しむようになる。ムケーシュは自分の稼いだ金を居候先に置いておけなくなり、サリカーに保管を頼む。ところがサリカーと情事を繰り広げている間に彼女の夫のアショークが帰って来てしまう。妻の浮気現場を目撃したアショークは憤り、ムケーシュの目の前でサリカーを犯す。我慢できなくなったムケーシュはその場から逃げ出す。アショークはムケーシュの叔母に、起こったことを全て話さなかったものの、彼を二度と家によこさないように注意する。叔母はムケーシュを家から追い出す。行き場を失ったムケーシュはジョニーの家に転がり込むことになる。

 ムケーシュはサリカーに預けた金を何としてでも取り返そうとする。しかし、例の一件以来サリカーとは全く連絡が付かなかった。そこでジョニーに頼んで、サリカーのところへ行ってもらう。しかしジョニーが言うにはサリカーは金を返そうとしなかった。怒ったムケーシュはサリカーの家に侵入し、金を取り返そうとするが、サリカーの箪笥からは金は見つからなかった。しかもサリカーが家に帰って来てしまう。ムケーシュはサリカーに刃物を突き付けて金を返すように強要する。しかしサリカーは、金はジョニーに渡したと言う。ムケーシュはジョニーが自分を裏切るはずがないと考え、それを信じない。その内アショークも家に帰って来てしまう。ムケーシュはサリカーを滅多刺しにして殺し、脱走する。

 ムケーシュがジョニーの家に戻ると、家には誰もいなかった。ジョニーの部屋に貼ってあったモーリシャスの写真が全てなくなっているのを見たムケーシュは、ジョニーが自分の金を猫ばばしてモーリシャスに行ってしまったことを悟る。嘘を付いていたのはサリカーではなくジョニーであった。しかも妹たちがガールズホームを抜け出してデリーに向かっていることが分かる。ムケーシュは駅まで妹を迎えに行くが、その途中で警察に見つかり、逃亡する。とある建物の上階まで逃げるが逃げ場が既になく、ムケーシュは飛び降りて自殺する。

 2009年に「Delhi Noir」と言う、デリーを舞台にした短編サスペンス小説集が出版されたが、その中に収録されていた「Railway Aunty」という作品を原作に作られた映画であった。「デリーノワール」という言葉が示すように、この映画は1940年代から50年代に米国で流行したフィルムノワールのスタイルに影響された、行き場のない閉塞感を描いた作品で、特にメッセージ性のある映画ではない。主人公のムケーシュが両親の突然の死をきっかけに転落して行く様を、影のある描写で追っている。ムケーシュは叔父母の家で使用人のような生活を送るようになり、そこから抜け出そうとしてジゴロとなり、それが突然破綻すると今度は男に身体を売るようになる。最終的には自分をジゴロに仕立て上げたサリカーを殺してしまい、警察に追われて飛び降り自殺をする。その中でももっとも辛かったのが、親友だと思っていた墓守ジョニーの裏切りだ。ジョニーはモーリシャスに移住することを夢見ていたが、墓守稼業ではそんな金は手に入らなかった。だが、ムケーシュがサリカーに預けた金を返してもらいに行く仕事を頼まれ、大金を手にした途端に豹変してしまった。ムケーシュはムケーシュの金を猫ばばしてモーリシャスに渡ってしまったのである。

 この映画のひとつの見所は、インド映画の常識と検閲の限界に挑戦した性描写である。サリカー演じるシルパー・シュクラーは決してブラジャーを外さないが、セックスシーンはインド映画の中ではかなり過激な部類だと言っていいだろう。てっきり学園物だと思って観に行ったので、突然こういう展開になって驚いた。だが、性描写にも才能の差は表れるもので、僕はアジャイ・ベヘル監督からそこまでの才能は感じなかった。もっと性描写を美しく撮ることも自然に撮ることもできたはずである。

 ストーリーがダーク過ぎて救いがなさすぎたことも個人的にはマイナスだった。フィルムノワールとはそういうものであろうが、インドの土壌には合わないのではないかと感じた。特に、兄を頼ってデリーまでやって来た妹2人を残して自殺してしまう最後のシーンには、全く共感できなかった。

 ムケーシュを演じたシャッダーブ・カマールは演劇出身の男優で、映画出演経験もあるようだが、主演は今回が初めて。前半は必要以上に固い演技をしていたように感じたが、後半になると非常に良くなる。おそらく、堕落した後に姿の方が彼の本質に合っているのだろう。悪くない俳優だ。

 サリカーを演じたシルパー・シュクラーは、「Chak De! India」(2007年)で女子ホッケー・チームのキャプテン、ビンディヤーを演じたことで有名な女優だ。公表されている年齢(1983年生まれ)よりも老けて見えるが、「Chak De! India」で見せたドスの利いた演技は健在で、しかも今回はかなり過激なシーンも含まれており、本作ではもっとも賞賛に値するキャストである。もっと活躍の場があっていいはずだ。

 他にジョニーを演じたディビエーンドゥ・バッターチャーリヤがいい脇役振りであった。単なる「親友」役ではなく、最後に裏切るため、非常に重要な役柄であった。

 映画はほとんどがデリーを舞台としており、デリーの安宿街パハールガンジやオールドデリーのジャーマー・マスジドなどが登場する。デリーらしさを表現するのには長けており、デリー映画としてはいい作品だ。

 「B.A.Pass」は、両親を亡くした純朴な若者が転落して行く様を描いたフィルムノワール風作品。インド映画の限界があって性描写を存分に描き切れていなかったり、全体的にダーク過ぎたりして、あまり好きになれなかったが、デリーを舞台にした、新感覚の映画の一本であることには変わりない。