2024年6月25日、映評2,000本を達成した。
1,000本達成が2021年7月14日だったので、あれからおよそ3年で1,000本のインド映画もしくはインド関連映画を鑑賞し、それらのレビューを書いたことになる。
インド留学時代から数えて1,000本達成には20年かかった。その感覚が残っていたので、3年前は、2,000本達成は遥か未来のことに思えたが、意外に早く達成できてしまった。コロナ禍に毎日インド映画を観る習慣が身に付き、コロナ禍明けでもそれが続いてきたからだ。ほぼ毎日映画を観て評論も書くことを3年、つまりおよそ1,000日続ければ、映評も1,000本増えるというのは当然といえば当然だ。それでも半ば信じられない気持ちがする。
いつ頃からかインド映画研究家を名乗っているが、その根拠として映評1,000本というのは、数字のキリが良すぎて、何だか口から出任せかハッタリの類に聞こえるようにも感じていた。これが2,000本となると、なぜかグッと現実味や真剣味のある数字になる。そういう意味で、漠然と目標にしてきたのであった。それが達成できたのは素直に嬉しい。
2021年からの3年間で日本におけるインド映画を巡る状況は劇的に変化した。最大の要因は「RRR」(2022年/邦題:RRR)の大ヒットである。「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)から始まった第三次インド映画ブームがコロナ禍を乗り越えて引き延ばされ、新たなインド映画ファンの獲得にも寄与した。ここのところ、毎月何らかのインド映画新作が劇場一般公開され、常に日本のどこかでインド映画が何らかの形で上映されている状況が作り出されている。数年前に比べたらこれは驚くべき進歩である。
ただし、第三次インド映画ブームの牽引役となったのはテルグ語映画であり、特に映画祭や自主上映会で上映されるインド映画は南インド映画が主流であった。
周知の通り、このFilmsaagarはインド映画の中でもヒンディー語の映画(いわゆる「ボリウッド」)をメインフィールドとしており、南インド映画を中心に盛り上がる世間とは若干のズレを感じながら、細々と運営をしている。日本でここまでインド映画に注目が集まる前からマイペースで続けてきた映評執筆なので、ブームが来たからといってそそくさと方向転換することはない。このまま変わらずマイペースで続けていくだけだ。
そもそも自分自身もインド映画の洗礼はタミル語映画「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)で受けた。そのすぐ後に初のインド旅行に出掛け、40日間でインドを一周したが、ラジニーカーントがカルト的な人気を誇るタミル・ナードゥ州は訪問地として絶対に外せなかった。大学で第三外国語として学べるインドの現代語はヒンディー語だけだったので、帰国後はまずヒンディー語の授業を受講し始めた。だが、ヒンディー語の基礎を学んだ後は、サンスクリット語に加えて古典タミル語も学ぶようになった。当初からタミル語やタミル語映画に強い関心を寄せていた。
しかしながら、日本のインド好きコミュニティーとの接触が増える中で、彼ら(我々?)の極度にアマノジャクな性格にも既に気付いていた。インド好きというだけで日本社会の中でただでさえマイノリティーなのに、そのコミュニティーの中でさらにマイノリティーな分野を目指そうとするのだ。インド映画に関しては、タミル語映画はそれに該当する。インド映画のマジョリティーはインドでも海外でも何の疑いようもなくヒンディー語映画だからだ。
マジョリティーがしっかり一般に浸透した上でマイノリティーへ向かう人がいれば問題ないのだが、インドのメジャーな情報が日本で一定の認知度を得ていない内から蛸壺に入り込んで悦に入っているように見えた。正しい順序として、まずはインドのど真ん中ときちんと向き合う必要性を早い内から感じていた。
タミル語ではなくヒンディー語を学ぶためにインドに留学したのも、そういう信念があったからだ。そして、まずはヒンディー語映画についてちゃんと語れるようになってからタミル語映画にも手を出そうと考えていた。だが、ちょうどその頃(2001年頃)のヒンディー語映画は劇的な進化を遂げている最中で(参照)、それを享受し、観察し、そして記録する楽しさにはまってしまった。そのまま自身のフィールドはヒンディー語映画でほぼ止まってしまっている。
現在、日本のインド映画ファンの中には、南インド映画から入り、南インド映画を中心に観ている人の数の方が多くなってしまっているのかもしれない。だが、まずは王道を把握する大切さに気付けば、自ずとヒンディー語映画にも一定数が流入してくるのではないかと考えている。そんな期待を胸に秘めつつ、これからもマイペースでFilmsaagarを続けていく所存である。
とはいっても、すっかりヒンディー語映画中心になってしまった自分にとっても、「Muthu」が特別な作品であることには変わりない。何しろ自分をインド映画の世界に導いてくれた恩人のような映画なのだ。かなり前から、2,000本目の作品は「Muthu」にしようと心に決めていた。そして計画通り、記念すべき2,000本は「Muthu」の映評でもって達成されることになった。
映評を書くにあたり、自宅に大事に保管してあったDVDで改めて「Muthu」を見直してみたが、非常に感慨深い鑑賞体験になった。初めて渋谷シネマライズで「Muthu」を鑑賞したときのことを思い出しながら、まるであのときの自分を後ろから眺めるような感覚で、この傑作を全身で楽しんだ。
そんなこともあって、「Muthu」の映評では珍しく感傷的になってしまって、ついつい誰にも求められていないような思い出話を長々と書き連ねてしまった。だが、「Muthu」を2,000本目まで取っておいて良かったと感じた。
過去3年間、レビューしてきた1,000本の映画は、ほとんどがNetflixやZee5などのOTTプラットフォーム(動画配信サービス)を通して鑑賞したものだ。そうでなければ3年で1,000本は、時間的にも金銭的にも、およそ不可能であった。
ヒンディー語映画を配信するOTTプラットフォームには過去数年間で若干の勢力図変化があった。2024年6月現在は以下のものを押さえておけば、劇場一般公開の有無に左右されずに、日本からもインド映画新作を楽しめるようになっている。ただし、ヒンディー語ができない人は英語字幕での鑑賞となる。
- Netflix(言語を英語に設定)
- Zee5
- Amazon Prime Video(日本)
- Amazon Prime Video(米国+VPN)
- YouTube
Disney+ HotstarとJioCinemaに関しては、一部または全部の映画が無料で配信されていた時期があり、VPNを使えば鑑賞できたのだが、今年半ばからどちらも完全有料化した。インドの携帯電話番号と銀行口座がなければユーザー登録できないので、事実上、一般の日本人が日本から利用する道は閉ざされた。さらに、日本からもユーザー登録できたEros Nowはずっと閉鎖されたままだ。
次の目標は3,000本となるわけだが、今後はもう少しペースを落とすかもしれない。21世紀のヒンディー語映画はかなり見尽くしてしまい、残っているのは大抵駄作ばかりという状況だ。ヒンディー語映画ばかりで本数を積み上げていくのはだんだん辛くなってきた。
今後は、20世紀のヒンディー語映画旧作により積極的に進出していくか、それとも、南インド映画など、非ヒンディー語映画にも本格的に手を出すか、どちらかになる可能性がある。しかし、どちらもまた壮大な沼である。