1999年4月30日公開の「Sarfarosh(命を捧げた)」は、パーキスターンによる越境テロを題材にしたクライムアクション映画である。歌と踊りを交えた娯楽映画のフォーマットながらシリアスな題材を扱っており、21世紀におけるヒンディー語映画の進化を先取りした作りになっている。興行的にも批評家的にも成功したが、公開直後の1999年5月3日に武装勢力に扮したパーキスターン軍がカシュミール地方のインド側に越境し、カールギル紛争が起こったことで、より注目を集めることになった。
監督はジョン・マシュー・マッターン。ケーララ州生まれの映画監督で、リチャード・アッテンボロー監督の「Gandhi」(1982年/邦題:ガンジー)で助監督を務めたことで知られる。主演はアーミル・カーン。撮影時のアーミルは「Raja Hindustani」(1996年)や「Ishq」(1997年)を当てており、押しも押されもしないスーパースターになっていた。ヒロインはソーナーリー・ベーンドレー。1990年代後半に勢いのあった旬の女優であった。
他に、ナスィールッディーン・シャー、ムケーシュ・リシ、アーカーシュ・クラーナー、スミター・ジャイカル、アキレーンドラ・ミシュラー、アハマド・カーン、プラディープ・ラーワト、マクランド・デーシュパーンデー、ヴァッラブ・ヴャース、ラージェーシュ・ジョーシー、マノージ・ジョーシー、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、スレーカー・スィークリー、ナワーズッディーン・シッディーキーなどが出演している。
マハーラーシュトラ州とアーンドラ・プラデーシュ州の州境チャンドラプラーでヴィーラン(ゴーヴィンド・ナームデーヴ)に率いられた先住民たちがAK-47を使って市民を襲撃する事件が起きた。事件への関与が疑われた地元の顔役バーラー・タークル(ラージェーシュ・ジョーシー)はムンバイーに逃亡する。
ムンバイー警察犯罪捜査部のアジャイ・スィン・ラートール警部(アーミル・カーン)はパーキスターン人ガザル歌手グルファーム・ハサン(ナスィールッディーン・シャー)の大ファンで、彼のコンサートにてデリー時代の友人スィーマー(ソーナーリー・ベーンドレー)と再会する。ラートール警部は武器密輸の捜査を担当することになり、強力な情報網を持つサリーム警部補(ムケーシュ・リシ)などの協力を得て捜査を進める。その中でバーラー・タークルがスルターン(プラディープ・ラーワト)と武器の取引をする現場を取り押さえる。武器の押収には成功したものの、スルターンには逃げられ、バーラー・タークルは死んでしまう。
ラートール警部はバーラー・タークルの所持品から、ラージャスターン州の国境近くにあるバーヒドに密輸ルートを見出す。バーヒドにはグルファーム(ナスィールッディーン・シャー)の旧居城もあった。実はグルファームはパーキスターンの諜報機関ISIと密通しており、武器密輸に関与していた。
ヴィーランは武器密輸を取り仕切るハージー・セート(アハマド・カーン)やミルチー・セート(アキレーンドラ・ミシュラー)に対して迅速な武器と弾薬の配達を要求していた。それを満たすため、パーキスターンから多くの密輸品が届く予定になっていた。その情報をキャッチしたラートール警部はバーヒドを赴き、武器密輸の現場を取り押さえる。ハージー・セートは捕らえられ、ミルチー・セートはグルファームのところへ逃げ込む。そこにはパーキスターン人外交官アスラム・ベーグ(ヴァッラブ・ヴャース)もいた。
グルファームを逮捕するためには証拠が不足しており、ベーグは外交官として不逮捕特権を持っていた。ラートール警部はグルファームとベーグの間に仲違いを誘発し、グルファームにベーグを殺させる。逮捕されそうになったグルファームは自殺する。
映画の冒頭では、AK-47で武装したアーディワースィー(先住民)が結婚式に参列途中の乗客が乗ったバスを襲撃し、人々を殺害した上に金品を強奪する。このアーディワースィーから構成された武装集団はヴィーランという指導者に率いられていた。これは、森林地帯を拠点にして反政府活動を行う極左組織ナクサライトを思わせる。「Sarfarosh」では、ナクサライトに武器を供給しているのはパーキスターンの諜報機関ISIということになっていた。ISIは、インド政府に敵対する勢力に片っ端から強力な武器を供給してインドに混乱をもたらそうとしていた。
その手口は非常にユニークだ。インドのラージャスターン州とパーキスターンのスィンド州の間には巨大なタール砂漠が広がっている。この国境地帯を、訓練されたラクダの一団が武器を背負って自分で移動し、インド側に武器を届ける。その受け取り手になっていたのが、表向きはトウガラシ商をするミルチー・セートであった。武器はトウガラシの入った袋に隠されて各地に届けられる。
ISIがインド国内のテロ組織を支援していることは公然の秘密だが、本当にこのような手口で武器の密輸が行われているのかどうかは不明である。しかしながら、この映画の公開時期は非常に示唆に富んでいる。1998年にインドとパーキスターンが相次いで核実験を行い、両国の間で核戦争の危機が高まった。それに対して二国間関係改善の努力を払われ、1999年2月21日には印パの首相の間でラホール宣言が締結された。映画が撮影されていたのは、印パ関係が大きく揺れ動いていた時期だと予想される。どちらかといえばパーキスターンを悪役として名指しした作品になっており、印パの急接近に警鐘を鳴らす目的があったのではないかと思われる。そしてこの映画の公開直後にカールギル紛争が始まり、印パ関係は最悪の状態になる。「Sarfarosh」の内容は奇しくも時代を先取りしていた。
映画の中でもっとも注目されるのは、ナスィールッディーン・シャーが演じたパーキスターン人ガザル歌手グルファーム・ハサンである。おそらく「ガザルの帝王」と呼ばれたメヘンディー・ハサン(1927-2012年)をモデルにしている。グルファームは現インド領に生まれながら、1947年のパーティション時にパーキスターンに移住することになった。印パ分離独立時にヒンドゥー教徒やスィク教徒とイスラーム教徒の間で血で血を洗う殺し合いが起こったことは周知の事実である。彼もそんな苦しい体験をしながら、歌手として両国を往き来し、国や宗教の垣根を越えて多数のファンを獲得していた。
グルファームを印パ親善の大使とし、越境テロ問題と対比して、両国間の愛憎入り交じった複雑な関係を浮き彫りにする選択肢もあっただろう。だが、大方の予想通り、終盤になると彼もISIのエージェントであり、テロ組織の一味であることが発覚する。グルファームはテロに加担した動機としてパーティションを持ち出していたが、それに対し主人公のラートール警部は、50年前に起こったことを両国が乗り越えようとするたびにそれを妨害する心ない者がいると厳しい言葉で糾弾する。おそらくこれが映画の伝えたい最大のメッセージであり、パーキスターンを一方的に悪役にして吊し上げるのは本意ではなかっただろうが、印パが親善の道を歩み始めた途端にそれを妨害するかのように起こったカールギル紛争は、皮肉にもパーキスターンを完全な悪役に決定付ける方向に映画のメッセージを持って行ってしまった。
グルファームは、「ムハージル」としてのアイデンティティー・クライシスを象徴する存在でもあった。これはインド映画ではあまり見られない要素だ。ムハージルとは、パーティション時にインド側からパーキスターンに移住したイスラーム教徒のことである。彼らは新生イスラーム国家としてのパーキスターンに夢を抱いて移住したわけだが、元々パーキスターンに住んでいた人々からは余所者扱いされた。いつまで経っても「ムハージル」と呼ばれ続け、パーキスターン国民の一員として認められなかった。グルファームの心には、故郷インドへの慕情、パーティション時の怨念と同時に、「ムハージル」としての劣等感も見出された。非常に複雑なキャラクターであり、名優ナスィールッディーン・シャーにふさわしい役柄であった。
もう一人、興味深いのはムケーシュ・リシが演じるサリーム警部補だ。パーティション時にパーキスターンに移住したグルファームに対し、彼はインドで生まれ育ったイスラーム教徒だ。誰よりも愛国心に燃える優秀な警察官であったが、イスラーム教徒であるが故に時に差別の対象になってきた。
アーミル・カーン演じるラートール警部については、序盤部分で多少の工夫があった。武器密輸の捜査をする「ラートール警部」と、ムンバイーのコラバにあるラージャスターン州物産品店を経営する家族に属する「アジャイ・スィン」が登場し、この2人が果たして同一人物なのか、それとも瓜二つの別人なのか、しばらくもったいぶられることになった。結局、同一人物のアジャイ・スィン・ラートール警部であることが分かる。特に最終局面にてグルファームと対峙する場面が最大の見せ場で、グルファームを明確な言葉でもって論破していた。後の「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン クリケット風雲録)につながる熱演であった。
ヒロインのソーナーリー・ベーンドレーは添え物の域を出ていなかった。一体彼女が何をしている人なのかよく分からない。中身のない美人の役であった。ちなみに一瞬だけナワーズッディーン・シッディーキーが端役で出演している。
越境テロを題材にした、基本的にはシリアスな映画であったが、ダンスシーンも積極的に差し挟まれ、それらが本編の内容を毀損していないところは高く評価できる。名曲も多い。特にラートール警部とスィーマーの再会で流れる「Hoshwalon Ko Khabar Kya」は、彼らの出会いと別れを端的に表現しており、非常に優れた歌の使い方だった。
「Sarfarosh」は、「3カーン」の中でもインテリ派スターとしての地位を確立しつつあったアーミル・カーンが「Lagaan」の前に出演し、熱演した作品である。越境テロを題材にし、カールギル紛争を予見した映画としても注目される。しかしながら白眉はナスィールッディーン・シャーだ。パーティションに翻弄され、アイデンティティー・クライシスに陥ったムハージルを演じている。どちらかといえばパーキスターンの国内問題であるのだが、それをインド映画が取り上げた点が珍しい。同時にインド国内のイスラーム教徒に対する差別にも言及されている。様々な角度から切り込める名作である。