
「The Fall」は、「落下の王国」という邦題と共に日本で2008年9月6日に劇場一般公開された映画である。プレミア上映は2006年9月9日、トロント国際映画祭(TIFF)においてだった。一般的にこの映画はインド映画としては見なされていないが、監督のタルセーム・スィン(ターセム)はインド人であり、しかもインド各地の世界遺産や景勝地でロケが行われていることから、ここで取り上げることにする。何より、個人的にお気に入りの作品のひとつである。初見はDVDで、何度も観て来た作品だが、2025年11月21日(金)に4Kデジタルリマスター版がリバイバル上映され、公開初日に新宿武蔵野館で鑑賞する機会も得た。以下のレビューは基本的にDVDで鑑賞して書いたものだが、映画館で鑑賞後に若干の修正も加えている。
タルセーム・スィンは、元々ミュージックビデオやCMなどを作ってきた人物であり、長編映画のデビュー作はジェニファー・ロペス主演「The Cell」(2000年/邦題:ザ・セル)になる。「The Fall」は彼の監督2作目にあたる。
キャストは、リー・ペイス、カティンカ・アンタルー、ロビン・スミス、マーカス・ウェズリー、ジートゥー・ヴァルマー、レオ・ビル、ジュリアン・ブリーチ、ジャスティン・ワデル、ダニエル・カルタジローンなどである。また、衣装デザインを日本人デザイナーの石岡瑛子が担当している。
1915年、ロサンゼルスの病院。5歳の少女アレクサンドリア(カティンカ・アンタルー)はオレンジ畑でオレンジの収穫中に落下して左腕を骨折し、入院していた。アレクサンドリアは同じ病院に入院するロイ・ウォーカー(リー・ペイス)と出会う。スタントマンのロイはスタント中に怪我をして半身不随になっていた。しかも恋人を主演男優シンクレア(ダニエル・カルタジローン)に奪われ、失意のどん底にいた。ロイは自殺を考えており、アレクサンドリアと仲良くなったモルヒネを取って来させようとする。そこでロイはアレクサンドリアと仲良くなるために、彼女に物語を聞かせる。
物語の主人公は5人の男たちだった。元奴隷のオッタ・ベンガ(マーカス・ウェズリー)、寡黙なインド人(ジートゥー・ヴァルマー)、爆薬専門家のルイジ(ロビン・スミス)、進化論を唱えたチャールズ・ダーウィン(レオ・ビル)、そして仮面の黒盗賊(リー・ペイス)だった。5人はオウディアス総督(ダニエル・カルタジローン)にそれぞれ恨みがあったが、無人島に島流しになっていた。黒盗賊の弟、青盗賊が処刑されようとしていると知った5人は島から脱出し、青盗賊を救出してオウディアス総督に復讐をしようと誓った。彼らは道中で霊者(ジュリアン・ブリーチ)と出会い、彼を仲間にする。
物語の続きを聞きたかったアレクサンドリアは、ロイに頼まれるままに調剤室からモルヒネの瓶を盗み出し、ロイに渡す。だが、アレクサンドリアの勘違いから、瓶には3錠しか入っていなかった。これでは自殺に足りなかった。
一方、物語の中では6人の男たちはエヴリン姫(ジャスティン・ワデル)を救い出していた。黒盗賊はエヴリン姫と恋に落ちるが、後に彼女がオウディアス総督の許嫁であることが発覚する。彼らはエヴリン姫を殺そうとするが、エヴリン姫は奇跡的に死ななかった。黒盗賊はエヴリン姫と結婚しようとするが、司祭の裏切りに遭い、オウディアス総督の手下たちに囚われてしまう。だが、いつの間にか物語の中にアレクサンドリアが入り込んでいた。彼女は黒盗賊の娘として登場し、彼らの危機を救う。
ロイはアレクサンドリアに言って、同じ病室で入院していた患者の棚から再びモルヒネの瓶を持って来させる。今度こそは自殺できたと思ったが、それは偽の薬だった。またしてもロイは死ねなかった。アレクサンドリアはまた調剤室に忍び込みモルヒネの瓶を盗もうとするが、足を滑らせて頭を打ってしまう。手術の結果、アレクサンドリアは助かるが、ロイは自責の念に駆られる。意識を取り戻したアレクサンドリアにせがまれ、ロイは物語の続きを語り始める。だが、その物語は悲しいものだった。
6人の男たちはオウディアス総督の根城に攻め込むが、一人、また一人と殺されていった。チャールズ・ダーウィン、ルイジ、霊者、オッタ・ベンガ、インド人。最後に残ったのは黒盗賊とその娘であった。黒盗賊はオウディアス総督にあっけなく殺されそうになるが、アレクサンドリアの懇願により息を吹き返し、オウディアス総督に反撃して彼を倒す。そしてオウディアス総督から鞍替えしようとして来たエヴリン姫を拒絶する。
ロイがスタントをした映画が完成し、病院の皆と共に鑑賞した。残念ながらロイのスタントシーンはカットされてしまっていた。アレクサンドリアは退院し、ロイとは会えなくなった。だが、その後アレクサンドリアは映画でスタントシーンを観るたびに、ロイが演じていると考えていた。
タルセーム・スィン監督が私財をつぎ込み、4年の歳月を掛けて、世界中を飛び回り作り上げた執念の作品であり、まずは特殊効果に頼らないその迫真の映像美に圧倒される映画である。インドではラダックのパンゴン・ツォとマグネティック・ヒルとラマユル、ジャイプルのシティー・パレスやジャンタル・マンタル、アーバーネーリーのチャンド・バーオリー、アーグラーのタージマハルとアーグラー城とアクバル廟、ファテープル・スィークリー、ウダイプルのレイクパレス・ホテル、ジョードプルのメヘラーンガル城とウンメード・バヴァン・ホテル、アンダマン・ニコバル諸島のハヴェロック島などでロケが行われている。
それ以外でも、ナミビアのナミブ砂漠、フィジーのマナ島、チェコ共和国プラハのカレル橋、トルコのイスタンブールのハギア・ソフィア・グランド・モスク、中国の万里の長城、インドネシアのバリ島など、世界各地で撮影が行われている。主な舞台になっているコロニアル風の病院は南アフリカ共和国ケープタウンにあるものだ。ただ、監督がインド人なだけあって、ロケ地の数はインドがもっとも多い。
興味深いのは、それらのロケーションをうまく継ぎ合わせて撮影されていることだ。たとえば元のロケーションを知っていれば、ファテープル・スィークリーからハギア・ソフィア・グランド・モスクに、ジョードプルのメヘラーンガル城からアーバーネーリーのチャンド・バーオリーに、場所が飛んだことが分かるのだが、そんな目ざとい観客は稀であろう。大部分の観客にはほとんど場所の移動が気付かれないようにシーンとシーンがつなげられており、あたかもそれぞれの景色が連続しているかのように演出されている。
さらに、世界各地の美しい自然や遺跡を背景にして、まるでお伽話かRPGのような衣装を身にまとった登場人物たちがドラマを繰り広げるのも魅力的だ。全くCGを使っていないのに、ロケ地と衣装だけで現実感のない絵柄を出せているのは特筆すべきである。
このようにまずはロケ地や衣装デザインが目を引く映画なのだが、それ以上にストーリーに引き込まれるものがある。下半身不随になり、しかも失恋したスタントマン、ロイが、人生に絶望し自殺を図る。だが、身体が動かないため、自殺すらもできない。そこで彼は病院で出会った無垢な少女アレクサンドリアに頼んでモルヒネを持って来させようとする。彼女の信頼を勝ち取るため、ロイはアレクサンドリアに物語を聞かせるのだが、その物語が二人の絆を深め、逆にロイの生きる力になっていくという流れである。
物語は人によって作られ語られるものだが、物を語る人自身がその物語から影響を受けるという構造は、世界一の物語大国であるインドのエッセンスを十分に感じさせるものだ。映画の中には「インド人」と呼ばれるスィク教徒風の登場人物がいたし、細かい部分に「マハーバーラタ」を含むインドの神話伝承へのオマージュがちりばめられていたが、それらよりもむしろ、物語の持つ力に絶対的な信頼を置いている点に強いインド性を感じさせられた。
また、物語とはいってみれば嘘である。だが、人を騙す悪い嘘もあれば、人を救う良い嘘もある。アレクサンドリアはロイと初めて出会ったとき、嘘を付いた。ロイから「ゲームをしよう」と言われ、足の指を触ってどの指か当てるというゲームだった。ロイは下半身の感覚が残っているか試そうとしたのだと思われるが、彼は全く感覚がないことに気付く。それを感じ取ったアレクサンドリアは嘘を付いて、彼が正しい指を当てたと主張する。5歳の少女アレクサンドリアは、ロイの気持ちを慮って嘘を付くことを知っていたのである。
それに対してロイは、アレクサンドリアを使って自殺をしようとしていた。彼は彼女にモルヒネを持って来させようとしていた。彼が物語を語る動機そのものが、嘘から生じたものだった。それでも、その嘘は少女の想像力をかき立て、ロイをヒーローにする。少女の純粋すぎる憧れはロイ自身にも返って来る。また、アレクサンドリアがモルヒネを取ろうとして落下し頭を打ったことで、ロイは罪悪感にも苛まれる。ロイのその後ははっきりとは描かれていないが、アレクサンドリアとの出会いによって自殺を思いとどまり、新しい道を切り拓いたであろうことが想像される。
参考のために、「The Fall」の細かい演出に見られるインド的なモチーフを抜き出してみる。
- オウディアス総督が、鏡に映ったインド人の妻の顔を見て惚れるという場面は、中世の詩人ムハンマド・ジャーイスィーの叙事詩「パドマーワト」を思わせる。これは「Padmaavat」(2018年)の原作になっている。また、「ラーマーヤナ」においてラーヴァナが変装してスィーター姫に近づき彼女を誘拐するシーンにも通じる。
- インド人が、亡き妻に立てた誓いを守るため、女性を見ないように目隠しをするシーンは、「マハーバーラタ」でガーンダーリー王女が盲目のドゥリタラーシュトラ王に合わせて目隠しをして一生を過ごすようになったエピソードと重なる。
- オッタ・ベンガの最期、背中に刺さった無数の矢をベッドのようにして横たわるシーンは、「マハーバーラタ」でビーシュマが死を待つシーンをモデルにしている。
「The Fall」は、インド人監督がインドを中心に世界中の風光明媚なロケーションで撮影をして作り上げた映画だ。ファンタジー映画ともいえるが、自殺願望のある男性が純粋な少女に語り聞かせる物語という設定であり、それがまた感動を呼ぶ。この枠物語構成はインドの説話が得意とするものであり、そこにもっともインドらしさを感じる。一般的にはインド映画に数えられない映画であろうが、インドのエッセンスは目に見えるところ、目に見えないところ、随所に見出せる。必見の映画である。
