工科系の単科大学であるインド工科大学(IIT)はインド中の優秀な学生が入学を志望するインド随一の高等教育機関である。その名声は日本にも轟いており、インド人材の優秀さが語られる際に必ず引き合いに出される。映画においても「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)、「Chhichhore」(2019年/きっと、またあえる)、「Super 30」(2019年/邦題:スーパー30)など、度々題材になってきている。
2023年2月4日にロッテルダム国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2024年2月23日に劇場一般公開された「All India Rank(全国順位)」は、IIT入学のため、ラージャスターン州コーターにある学習塾に通う学生の物語である。コーターは塾産業で有名であり、多くの若者たちが下宿をしながら昼夜受験勉強に勤しんでいる。
監督はヴァルン・グローヴァー。作詞家や脚本家として知られた人物であり、過去に「Masaan」(2015年)などの脚本を担当した。長編映画の監督は初である。キャストは、ボーディサットヴァ・シャルマー、サムター・スディークシャー、シーバー・チャッダー、ギーター・アガルワール、シャシ・ブーシャン、ニーラジ、アーユシュ・パーンデーイ、サアーダト・カーンなどである。
ちなみに、映画のプレゼンターとして「Andhadhun」(2018年/邦題:盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲)のシュリーラーム・ラーガヴァン監督の名前が挙がっている。
1997年。ラクナウー在住のヴィヴェーク(ボーディサットヴァ・シャルマー)は、通信局に勤める父親RKスィン(シャシ・ブーシャン)の意向で、IITに入学するためにコーターの塾に通うことになった。母親のマンジュ(ギーター・アガルワール)は一人息子の我が子を送り出すことに賛成ではなかったが、夫に従った。
コーターに着いたヴィヴェークは、カルパナー・ブンデーラー(シーバー・チャッダー)の経営する塾に通うことになる。ヴィヴェークは、同じ寮に住むチャンダン(ニーラジ)やリンクー(アーユシュ・パーンデーイ)と仲良くなり、リンクーと同郷で同じ塾に通うサーリカー(サムター・スディークシャー)ともよく会うようになる。
IIT入学は自分の夢ではなく父親の夢だった。ヴィヴェークはコーターも好きになれず、いまいち勉強に身が入らなかった。模試の結果も良くなかった。
一方、RKは職場でミスをして停職処分になってしまった。マンジュは夫のコネで電話屋をしていたが、それも閉鎖させられてしまう。また、マンジュはモーヒト・ヴァルマー(サアーダト・カーン)というかつての顧客から嫌がらせを受けるようになる。RKはモーヒトの父親に会いに行くが、父親はIIT卒業生で、モーヒトも現役のIIT生だということを知る。
1年後、ヴィヴェークはIITの入学試験を受けるためにラクナウーに戻ってくる。IITに対する考えが変わったRKはヴィヴェークに、IITよりも世界は広いと伝える。ヴィヴェークは入学試験を受けながらコーターでの思い出を振り返る。
インドでは時々、理系的な話題がサラリとストーリーに織り込まれる映画が作られる。俗に「理系映画」と呼んでいるが、この「All India Rank」も理系映画のひとつとみなしていいだろう。何しろ、映画の冒頭に突然「オイラーの等式」が出て来て大いに混乱させられるのである。
eiπ + 1 = 0
オイラーの等式
「e」とはネイピア数。自然対数の底でもあり、およそ2.71828を示す。「i」とは虚数単位である。「π」は円周率であり、およそ3.14159である。また、この式には数字の基本要素である「1」と「0」に加えて、加法、乗法、指数の3つが使われ、シンプルにまとまっている。これらの理由から、この式は「もっとも美しい式」と呼ばれている。
この映画のストーリーは、このオイラーの等式をベースに組み立てられているのだ。といわれてもチンプンカンプンであろう。
主人公ヴィヴェークによれば、オイラーの等式は、2つの物理定数(eとπ)と1つの虚数(i)が簡単に結び付き、美しいまでにシンプルな公式でまとめられることから、この世界はランダムに作られているのではなく、「コントロール」されていることの証明である。誤解を恐れずに解釈するならば、世界は自然にできたのではなく、誰かによって作られたものだ。そして、我々は「コントロール」を探し求めている。
ヴィヴェークの父親RKはタバコ中毒だったが、自身をコントロールするため、年に3回ある国民の休日だけはタバコを吸っていいことにしていた。ヴィヴェークの母親マンジュは甘い物に目がなく、心疾患を抱えるまでになっていた。つまり、ヴィヴェークの目からは二人とも完全にコントロールができていなかった。ヴィヴェークの家庭にとって、人生を完全にコントロール下に置くことは、家族からIIT生を輩出することとイコールであった。特にRKにとって息子がIIT生であることは尊厳の問題でもあった。こうしてヴィヴェークはIIT入学試験の勉強をするためにコーターに送られたのだった。
興味深いことに、時代は1997年から98年に設定されている。この時代、まだ携帯電話はなく、遠くにいる人同士は固定式電話で会話をしていた。RKは通信局に勤め、マンジュは電話屋をしていた。当時のインドを知る人には、「STD ISD PCO」というアルファベットの羅列は懐かしく感じられるだろう。携帯電話普及前の街角には必ずこの文字が並んでいたものだ。これは順に「Subscriber Trunk Dialling」「International Subscriber Dialling」「Public Call Office」の略で、それぞれ「市外電話」「国際電話」「市内電話」のことである。
おそらく、ヴァルン・グローヴァー監督自身が受験生だった頃の思い出をベースに物語が作られているため、この時代が選ばれたのだと思われる。1980年生まれのグローヴァー監督はバナーラス・ヒンドゥー大学工科大学(IT-BHU)卒である。現在、この大学はIITの傘下に入っており、IIT-BHUと呼ばれている。入学試験はIITと共通だったはずだ。当時、全国のIITの定員は2,500名だったとされていた。現在は17,000名以上あるが、受験生の数も10倍に増えた。
映画の中ではヴィヴェークが入学試験に合格したか否かは描かれず終幕を迎えている。だが、監督自身の自伝的な映画だとしたら、合格したと解釈していいのだろう。ヴィヴェークにとってIITに入ることは父親から押しつけられた夢であり、どうでもいいことだった。コーターでの塾通い生活も決して気が進むものではなかった。だが、コーターから帰ってみると、父親は停職、母親は病気で、家族は困窮していた。しかも父親は、マンジュに嫌がらせをしていたモーヒトがIIT生だと分かったことで、IITで学ぶことだけが人生ではないと考えを変えていた。父親から「IITに入学できなくてもいい」というような言葉を投げ掛けられたヴィヴェークは、生まれて初めて自分の人生を自分でコントロールする権限を与えられた。そのとき、彼はオイラーの等式を思い出し、世の中の全ては偶然ではないと改めて考えた。IITの入学試験を受ける彼の表情は明るくなり、筆もスムーズに進んだ。
「All India Rank」は、ヴィヴェークの人生のほんの一コマを切り取ったような作品だ。登場人物それぞれのバックグラウンドが詳しく説明されていたわけでもないし、ヴィヴェークとサーリカーの仲がその後どうなったかについても分からない。だが、コーターで学ぶIIT受験生たちの心情はとてもよく描かれている。彼はそれぞれの出身校でトップの人材だが、IIT受験生が集うコーターに来ることで、自分が「神童」ではないことを初めて悟り、岐路に立たされるのである。中には自殺をする者もいた。
アニメーションが効果的に使われていたのも特徴のひとつだ。手描きタッチのアニメーションであり、アコースティックな音楽と相まって、青春時代の雰囲気が醸し出されていた。
主演のボーディサットヴァ・シャルマーとサムター・スディークシャーはどちらもまだ無名の俳優だ。ボーディサットヴァの方は初々しさがあったが、今後伸びていくかは未知数である。むしろサムターの方が魅力的で、作品に恵まれれば定着しそうだ。塾講師カルパナー・ブンデーラーを演じたシーバー・チャッダーは貫禄の演技であったし、RKスィンを演じたシャシ・ブーシャンやマンジュを演じたギーター・アガルワールも好演していた。
「All India Rank」は、オイラーの等式にもとづいた「理系映画」のひとつであり、「Super 30」と並ぶIIT受験生の映画でもある。コーターの塾産業の現状や、そこで学ぶ若者の心情などもよく描かれており、アニメーションを活用したユニークな演出も行われている。デビュー監督の作品ではあるが、完成されている。おすすめしたい映画だ。