2023年11月24日公開の「Farrey」は、高校生のカンニングをテーマにした変わった映画である。題名の「Farrey」とは「カンニングペーパー」を意味する俗語のようだが、あまり一般には普及していない単語だと思われる。タイ映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(2017年)のリメイクである。
監督は「Budhia Singh: Born to Run」(2016年)のソウメーンドラ・パーディー。プロデューサーにはサルマーン・カーンが名を連ねている。主演は新人のアリーゼー。サルマーン・カーンの妹アルヴィラー・カーンの夫アトゥル・アグニホートリーの娘であり、サルマーンの姪にあたる。他に、サーヒル・メヘター、プラサンナー・ビシュト、ゼーン・シャー、アルバーズ・カーン、ローニト・ロイ、ジューヒー・バッバル・ソーニー、シルパー・シュクラーなどが出演している。
撮影監督は日本人の中原圭子が務めている。
オールドデリーの孤児院でイシュラト・カダー(ローニト・ロイ)とゾーヤー(ジューヒー・バッバル・ソーニー)夫妻に育てられたニヤティ(アリーゼー)は幼少時から頭脳明晰で、10年生テストで高得点を取り、名門校ウィンストン・インターナショナル校に奨学生として入学することになった。ニヤティと共に、同じく貧しい出のアーカーシュ(サーヒル・メヘター)も入学した。
ニヤティは、裕福だが勉強が苦手なチャヴィ(プラサンナー・ビシュト)と仲良くなる。チャヴィは父親(アルバーズ・カーン)からスタンフォード大学留学を求められていたが、テストの成績は上がらなかった。ニヤティは友情からチャヴィのカンニングを手伝う。それが慣例化してしまい、ニヤティは孤児院存続の資金を得るためにチャヴィのカンニングを継続して手助けするようになる。やがてこのカンニング仲間にはチャヴィの友人プラティーク(ゼーン・シャー)なども加わることになる。
アーカーシュとニヤティはヴェーディター・マシュー校長(シルパー・シュクラー)からオックスフォード大学留学のための奨学生試験を受けることを勧められ、勉強をしていた。だが、アーカーシュがカンニングのことを教師に暴露してしまい、ニヤティは退学は免れたものの受験資格を剥奪されてしまう。イシュラトも失望させてしまった。
ニヤティはショックの余りしばらく学校に出て来られなくなるが、チャヴィとプラティークに呼び出される。彼らは留学のためにSTICを受験することになっていたが、ニヤティにカンニングを頼もうとしていたのである。ニヤティも金のためにそれを引き受ける。だが、受験会場がバラバラになってしまった。そこで彼らは知恵を働かせ、オーストラリアのシドニーにある受験会場にニヤティを送り、試験問題をリークさせることにする。ニヤティ一人では解答を記憶できなかったため、アーカーシュを仲間に引き込む。アーカーシュも金欲しさにカンニング仲間に加わった。
ニヤティはイシュラトに修学旅行に行くと嘘を付いてアーカーシュと共にシドニーへ飛ぶ。そして試験会場で問題を解き、それを携帯電話でチャヴィたちに送る。チャヴィたちは答えをバーコードにして鉛筆に貼り付け、それを会場に持ち込んでカンニングをした。だが、途中でアーカーシュは試験官に怪しまれて捕まってしまう。ニヤティは試験終了後に逃げ出し、そのままインドに戻る。
ニヤティが留守の間、イシュラトはマシュー校長と掛け合い、彼女がオックスフォード大学の奨学生試験を再び受けられるようにしてくれた。ニヤティは合格し、無事にオックスフォード大学に留学することになる。だが、その直前にアーカーシュが現れ、一緒にSITのカンニングをして金儲けをしようと持ちかけてくる。ニヤティはそれを拒否し、アーカーシュを追い出すが、罪悪感は消えなかった。ニヤティはイシュラトに自分のしたことを明かし許しを請う。イシュラトに許されたニヤティはもはや何の心の重荷もなく英国に向けて飛び立つことができた。
インドでは10年生(高校1年生)と12年生(高校3年生)のときに全国一斉の共通テストがあり、その点数が将来の進路に大きな影響を及ぼす。主人公ニヤティは10年生テストで高得点を取り、11年生から名門校ウィンストン・インターナショナル校に奨学生として入学することができた。ただ、その高校の生徒たちは裕福な家庭の子供ばかりだった。ニヤティと似た境遇のアーカーシュも11年生から同じ高校に入学したが、彼らは教育を受ける権利(RTE)法で規定された社会的・経済的弱者層枠だと考えられる。同法は全ての私立学校に対し、定員の25%を社会的・経済的弱者層に割り当てることを義務づけている。
富裕層の子供が通う学校に貧困層の子供が入学するという導入部からは、貧困層の子供がいじめに遭う展開しか思い付かなかったが、意外にもニヤティはチャヴィなどの裕福なクラスメイトたちに受け入れられた。なぜならニヤティはチャヴィの勉強を助けたからである。ウィンストン・インターナショナル校の高額な学費を支払える家庭の子供たちは概して勉強が苦手であった。しかも、何事も金で解決するという悪習が身に付いてしまっていた。チャヴィは金品で貧しいチャヴィを懐柔し、やがてカンニングに協力をさせるようになる。
終盤、オーストラリアのシドニーでニヤティとアーカーシュが受験したのはSTIC(Scholastic Test for International Colleges)とされていた。マークシート式のテストであったが、そのような名前の国際テストは存在しない。米国留学に必要なSATをモデルにしていると思われる。高校卒業後に海外留学を目指す学生は、12年生テストとは別にこのようなテストを受験するようである。
この映画でもっとも弱かったのはニヤティのキャラだ。彼女は最初は友情のため、途中からは金のためにチャヴィたちのカンニングの手助けをするようになる。その金は自分のためではなく孤児院存続のために使っていた。よって、ニヤティに同情できる余地は残されていた。それでも、自分から巧妙なカンニングのシステムを提案するなど、積極的にカンニングを実行しているようなシーンもあり、彼女を完全に被害者とすることも難しかった。一度カンニングが先生にばれ、親代わりのイシュラトを失望させてしまうが、その直後にオーストラリアにまで行ってカンニングをするという大それた行動もする。罪悪感に苛まれ自分でイシュラトに罪を告白したものの、彼女を善なる主人公として受け止めることはできなかった。
アーカーシュのキャラも安定しなかった。ニヤティのカンニングを先生に告発したことから彼は正義感の強い人物だと感じられるのだが、やはり金のためにカンニングを手伝うようになり、キャラがガラッと変わってしまう。この映画の中でもっとも報われなかった人物である。アーカーシュによって何を観客に訴えたかったのか、よく分からなかった。
その一方で、富裕層の子供たちの堕落振りは気持ちいいくらいだった。チャヴィは常に自分のことしか考えておらず、父親に認められるためなら金に糸目を付けなかった。ニヤティの人生を狂わせてまで、彼女の頭脳を搾取することに専念していた。そのような極悪振りがごく自然に発せられており、ニヤティやアーカーシュよりもよほどか純粋だと感じた。
インドの高校が舞台の映画というのは意外に少なく、その実情が描かれていると我々外国人にとってはインドの教育が垣間見えて面白いのだが、「Farrey」はタイ映画を原作にしている上に、まるでインド人学生が皆カンニングをしているかのような極端な描写が成されているため、そのまま額面通りに受け止めるのは難しい。とにかくズルをすることだけしか考えていない高校生たちの姿を延々と見せられることになるため、気持ちのいいものではない。また、ストーリーが所々飛んでいるようにも感じられた。
ちなみに、この映画ではマークシートによる択一式テストばかりが登場したが、インドでは記述式のテストも重視されている。記述式テストでは、「Farrey」で実行されたようなカンニングのやり方は困難であろう。
「Farrey」は、サルマーン・カーンの姪アリーゼーをローンチするために作られた映画だといえる。アリーゼーを中心に回るが、彼女のキャラは安定せず、見方によったら単なるカンニング・カルテルの首謀者である。映画の作りも丁寧ではない。後味の良くない映画である。