アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー(1924-2018年)はインド人民党(BJP)の政治家として初めて首相に就任した人物である。1996年に成立した第一次ヴァージペーイー政権は16日の短命に終わってしまったが、1998年に再び首相に返り咲き、2004年まで政権を運営した。ヴァージペーイー元首相はBJPの中でも穏健派の政治家であり、優れた演説家でもあって、さらに詩人としても有名だった。ヴァージペーイー政権時代、インドは核実験(ポーカランⅡ)、ラホール宣言、カールギル戦争、インディアン航空814便ハイジャック事件、アーグラー首脳会議、国会議事堂襲撃事件、グジャラート暴動など、歴史のターニングポイントとなる重大な出来事をいくつも経験した。現在の強国インドの礎を築いた政治家だといえる。
2024年1月19日公開の「Main Atal Hoon(私はアタルです)」は、ヴァージペーイー元首相の伝記映画である。ジャーナリストのサーラング・ダルシャネーがマラーティー語で書いたヴァージペーイー元首相の伝記「Atalji: Kavihridayachye Rashtranetyachi Charitkahani(詩人の心を持った政治家の伝記)」(2017年)を原作としている。
ただし、下院総選挙の数ヶ月前にBJPの元首相の伝記映画が公開されることの意味が分からない有権者はいないだろう。完全にBJPのプロパガンダ映画である。5年前の下院総選挙のときは、投票日の直前にナレーンドラ・モーディー首相の伝記映画「PM Narendra Modi」(2019年)が公開されようとしたが、これはさすがにあからさますぎるプロパガンダ映画であり、当然のことながら選挙管理委員会からストップが掛かった。今回はその反省を活かし、投票日の数ヶ月前と余裕をもって、BJPが輩出した偉大な政治家アタル・ビハーリー・ヴァージペーイーの伝記映画を公開することにしたのだろう。
この映画の中でヴァージペーイー首相を演じたのは、「Super 30」(2019年/邦題:スーパー30)などに出演の曲者俳優パンカジ・トリパーティーである。抜群の演技力を持った俳優であり、ヴァージペーイーのマンネリズムをよく模倣して、彼になりきっていた。
ただ、「Main Atal Hoon」で描かれたヴァージペーイーにはモーディー現首相のエッセンスもかなり含まれていると感じた。モーディー首相はヴァージペーイーを非常に尊敬しており、元首相が達成できなかった憲法第370条廃止(参照)やラーム生誕地寺院建立(参照)を実現させた。ヴァージペーイーから大いに影響を受けたとも考えられるのだが、むしろ、ヴァージペーイー元首相にモーディー現首相を投影していると考えた方がよさそうだ。特に演説での間の置き方はモーディー首相にそっくりだった。よって、この映画はヴァージペーイー元首相の伝記映画だと思わせて、やはりモーディー首相の神格化を目指したプロパガンダ映画だといえる。
さらに面白いことに、BJPや国民会議派(INC)の政治家たちが実名で登場している。ヴァージペーイー元首相の右腕LKアードヴァーニーをはじめ、アルン・ジェートリー、プラモード・マハージャン、スシュマー・スワラージなどが映画に登場していたBJPの政治家たちである。さらに、BJPの支持母体である民族義勇軍(RSS)や、BJPの前身である全インド人民会議(BJS)や人民党(JP)のイデオローグおよび政治家として、KBヘードゲーワール、ディーンダヤール・ウパーディヤーイ、MSゴールワルカル、シャーマプラサード・ムカルジーなども顔を出していた。さらにINCの政治家として、ジャワーハルラール・ネルー元首相、ラールバハードゥル・シャーストリー元首相、インディラー・ガーンディー元首相、ソニア・ガーンディーなども出ていたし、BJPでもINCでもないジャヤプラカーシュ・ナーラーヤンやモーラールジー・デーサーイー元首相、それにアブドゥル・カラーム元大統領にも出番があった。当然、何となく似ている俳優たちがキャスティングされており、それらをひとつひとつ確かめる楽しみがあった。
BJPを持ち上げると同時にINCを下げる映画でもあった。いわゆるアンチINCの映画である。ネルー元首相やインディラー・ガーンディー元首相の失政が批判気味に描かれていたし、国益のために邁進するヴァージペーイー元首相の足を引っ張る邪魔者扱いもされていた。
監督は「Banjo」(2016年)などのラヴィ・ジャーダヴ。元々マラーティー語映画を撮ってきた人物であるが、ヒンディー語映画やヒンディー語ドラマも作っている。パンカジ・トリパーティーの他には、エークター・カウル、ピーユーシュ・ミシュラー、ラージャー・ラメーシュクマール、ダヤーシャンカル・パーンデーイ、プラモード・パータク、パーヤル・ナーイル、ラージェーシュ・カトリー、ハルシャド・クマール、ハレーシュ・カトリー、ポーラ・マクグリン、ガウリー・スクタンカル、サリーム・ムッラー、アジャイ・プルカルなどが出演している。
題名の「Main Atal Hoon」は何となく、2011年の汚職撲滅運動を主導した社会活動家アンナー・ハザーレーを思わせるものだ。その運動では、支持者の間で「Main Anna Hoon(私はアンナーです)」と書かれた帽子をかぶるのがトレンドになった。ちなみにヒンディー語の「अटल」は「不動の」という意味の形容詞であり、映画の中では信念を貫いた政治家ヴァージペーイー元首相を象徴するキーワードとして多用されていた。
ウッタル・プラデーシュ州バテーシュワル出身のアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー(パンカジ・トリパーティー)は、カーンプルで学んだ後、グワーリヤルの大学で法学を学ぶ。そこでラージクマーリー・カウル(エークター・カウル)と出会うが、彼女はデリーに引っ越してしまう。 民族義勇軍(RSS)に加入したアタルは詩才を認められてナーグプルに呼ばれ、RSSの偉大な指導者たちと親交を深める。彼はディーンダヤール・ウパーディヤーイ(ダヤーシャンカル・パーンデーイ)の発行するヒンディー語紙「ラーシュトラダルマ(国の法)」を手伝い始める。1947年のインド独立後、マハートマー・ガーンディーが暗殺されると、暗殺者がRSS関係者だったことからラーシュトラダルマ紙の事務所は襲撃を受けるが、アタルは事務所を再建し、新聞の発行を続ける。 シャーマプラサード・ムカルジー(プラモード・パータク)が全インド人民会議(BJS)を立ち上げるとアタルは彼の秘書となる。ジャンムー&カシュミール州でムカルジーが逮捕の後に獄死し、ウパーディヤーイも変死を遂げると、アタルはBJSのリーダーになる。彼は1957年の下院総選挙に立候補し、バルラームプル選挙区で当選する。こうしてアタルは国会議員になった。ジャワーハルラール・ネルー首相(ハレーシュ・カトリー)は彼の演説スキルに感服し、将来首相になると予言した。 1962年の中印戦争の後にネルー首相は死去し、その後のラールバハードゥル・シャーストリー首相も第二次印パ戦争の講和条約を結ぶために訪れたタシュケントで客死した。インディラー・ガーンディー(パーヤル・ナーイル)が首相に就任したが、アタルは首相職が世襲化することを危惧した。ガーンディー首相は選挙の不正で窮地に立たされると1975年に非常事態宣言を発令し、アタルも逮捕された。1977年に非常事態宣言が解除されると、アタルは他の野党と合流し、人民党(JP)を立ち上げた。SPは1977年の総選挙で勝利し、インド独立以来初めて国民会議派(INC)以外の政権が樹立し、アタルは外務大臣に就任したが、野合したJPはすぐに崩壊し、アタルは新たにインド人民党(BJP)を立ち上げた。 1984年にインディラー・ガーンディー首相が暗殺されると、同情票がINCに集まり、再びINCが圧倒的な議席数を獲得する。その頃、ラーム生誕地寺院建立の気運が高まっており、LKアードヴァーニー(ラージャー・ラメーシュクマール)はラトヤートラー(山車巡業)を開始する。アヨーディヤーに集まったカールセーヴァク(建設労働者)たちが発砲され死者が出る。その後、バーブリー・マスジドが破壊され、アタルは大いに心を痛める。アタルは政界を引退したが、アードヴァーニーに首相候補として引っ張り出され、再び政界に返り咲く。アタルは1998年に首相に就任し、核実験をしてインドを核保有国にする。また、パーキスターンとの親善にも力を入れ、バスでラホールを訪れて、ナワーズ・シャリーフ首相とラホール宣言を出す。ところがその直後にカールギル紛争が起こる。アタルは一歩も引かず、パーキスターン軍を押し戻す。
アタル・ビハーリー・ヴァージペーイーが首相を務めたのは1998年から2004年までである。しかし、この「Main Atal Hoon」で主に描かれていたのは、彼がRSSのプラチャーラク(伝道師)から政治家になり、BJSからJPを経て誕生したBJPを与党にまで育て上げて首相に就任するまでと、首相に就任してからの数年間のみだ。1998年の核実験成功で盛り上げた後、1999年に勃発したカールギル紛争でのインドの勝利をもってエンディングを迎えていた。
1999年で物語を終えていた理由を考えてみると、カールギル紛争以降、あまり明るい話題がなかったからではないかと勘ぐりたくなってしまう。1999年にはインディアン航空814便ハイジャック事件が起き、人質の解放のためにインドの刑務所に収監されていたテロリストを釈放せざるをえなかった。2001年、印パ関係改善のため、カールギル紛争の首謀者で、クーデターによりパーキスターンの大統領に就任したパルヴェーズ・ムシャッラフをアタルはインドに招き、アーグラー首脳会議を行った。だが、ムシャッラフ大統領がカシュミールにこだわったため、大した成果が出ずに終わってしまった。2001年には国会議事堂襲撃事件も発生し、国の中枢がテロにさらされた。2002年にはグジャラート暴動が起きて宗教対立が深刻化した。
とはいっても、ヴァージペーイー元首相が偉大な政治家だったことには変わりない。映画では、彼の政治家人生における重要な出来事の数々が駆け足に映像化されていた。基本的には何年に何があったという描写の繰り返しだったため、お世辞にも上手なストーリーテーリングではなかったが、インドの現代史をBJP側の視点から概観する楽しみはあった。どうしてもインドの現代史はINC側から見る見方が中心になってしまうので、その裏側からどう見えるかを把握しておくことは重要だ。
ひとつ驚いたのは、ヴァージペーイー元首相と非常に近しい関係にあった女性について触れられていたことだ。一般にヴァージペーイー元首相は独身を貫いたことで知られているが、彼にも「家族」と呼べる存在があったようだ。
実はヴァージペーイー元首相とモーディー現首相にはいくつか共通点がある。両者ともRSSのプラチャーラク(伝道師)から政治家になったこと、事実上の独身を貫いてきたこと、そして演説の名手であることなどだ。ヴァージペーイー元首相の伝記映画はBJPの票集めに一定の効果があるかもしれないが、それよりも観客はヴァージペーイー元首相の中にモーディー首相を見て、彼個人への支持を強めることになるのではなかろうか。
ヴァージペーイー元首相はジャワーハルラール・ネルー元首相のことを尊敬していたとされる。アンチINC色の強い「Main Atal Hoon」であるが、その中でのネルー元首相の描写は複雑だった。ネルー元首相が中印戦争の後に失意の中で死去した場面などからネルー元首相の失政が強調されていたのだが、それと同時に、ヴァージペーイー元首相の演説を聞いて彼が将来首相になることを予言したエピソードも紹介されており、決して批判一辺倒ではないと感じた。むしろ彼の娘インディラー・ガーンディー元首相は終始目つきが悪く、完全な悪役として描写されていた。
「Main Atal Hoon」は、BJPをINCに対抗できる政党に育て上げた偉大な政治家アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー元首相の伝記映画である。ヴァージペーイー元首相のみならず、BJPの政治家たちが実名で登場している他、INCに対する批判めいた描写もあり、下院総選挙前のタイミングに合わせて公開されたプロパガンダ映画以外の何物でもない。それに、ヴァージペーイー元首相の人生を駆け足でなぞっただけで、映画としての完成度も決して高くない。ただ、パンカジ・トリパーティーの演技は素晴らしかったし、最初からプロパガンダ映画だと思って話半分で観れば話のネタにはなるくらいの面白さはある。取扱注意の上、鑑賞すべき作品である。