2023年12月26日からNetflixで配信開始された「Kho Gaye Hum Kahan(僕たちはどこで道に迷ったのか)」はZ世代の若者たちが様々な出来事を経て成長する物語である。もっと具体的にいうならば、SNSを介したコミュニケーションに慣れ親しんだスマホ・ネイティブ世代が抱える孤独を指摘し、真の人間関係の構築を促す内容になっている。
プロデューサーはファルハーン・アクタル、ゾーヤー・アクタル、リーマー・カーグティーなど。監督はアルジュン・ヴァライン・スィン。ミュージックビデオの監督経験があり、「Gully Boy」(2019年/邦題:ガリーボーイ)で助監督も務めたが、長編映画の監督は今回が初である。キャストは、スィッダーント・チャトゥルヴェーディー、アナンニャー・パーンデーイ、アーダルシュ・ゴウラヴ、カルキ・ケクラン、アンニャー・スィン、ローハン・グルバクサーニー、ヴィジャイ・マウリヤーなど。マラーイカー・アローラーが特別出演している。
日本語字幕付きで配信されており、邦題は「そして、見失ったのは」になっている。
イマード・アリー(スィッダーント・チャトゥルヴェーディー)、ニール・ペレイラ(アーダルシュ・ゴウラヴ)、アハーナー・スィン(アナンニャー・パーンデーイ)は学生時代からの仲良しで、ムンバイーに住んでいた。イマードとアハーナーはルームシェアをしていたがただの友人同士だった。イマードはスタンドアップコメディアンをしており、ニールはジムでトレーナーをしており、アハーナーは広告代理店に勤めていた。 イマードはTinderのヘビーユーザーで、毎日新しい女性と出会っては寝て、関係を絶っていた。父親は彼の行く末を心配し、セラピストを付けていた。ニールはジムの顧客でもあったインフルエンサーのララ(アンニャー・スィン)と付き合っており、いつか独立して自分のジムを持ちたいと考えていた。アハーナーはローハン(ローハン・グルバクサーニー)と付き合っていたが、最近、彼から「冷却期間」を置きたいと言われ、不安な毎日を送っていた。 イマードはTinderでスィムラン・コーリー(カルキ・ケクラン)という写真家と出会う。スィムランはTinderユーザーの写真を撮っていた。イマードはスィムランに惹かれ、彼女と何度もデートをするようになる。ニールはイマードの父親から投資を受け、MBAを持つアハーナーをマネージャーに雇って自分のジム「ジャングル・ジム」を始めることにする。ところがイマードは自分のショーで、ララと付き合っているニールのことをネタにする。怒ったニールはイマードに突っかかり、二人の仲は険悪になってしまう。「ジャングル・ジム」の計画は暗礁に乗り上げてしまう。 イマードはニールに、ララは彼との関係について真剣ではないと警告していた。ララは大手酒造会社の息子とよく時間を過ごすようになり、ある日ニールを振る。しかもララはジムに苦情を申し入れ、ニールは解雇されてしまう。怒ったニールはララのアカウントをハッキングし、彼女の真実を暴露する。イマードはスィムランとの関係を真剣に考えるようになった後もTinderを止めておらず、Tinderでマッチングした女性とのデートも繰り返していた。それがスィムランにばれ、彼女に振られてしまう。 アハーナーは、ローハンが自分との「冷却期間」にタニヤーという女性と付き合い出したことを知り、自分もタニヤーのようにセクシーな写真をSNSにアップロードするようになる。誕生日にローハンから連絡があり、彼女はローハンと会う。ローハンと一夜を過ごすが、翌朝彼は姿を消しており、アカウントもブロックされていた。アハーナーはローハンに会いに行き、絶交する。イマードは自分のショーで、10歳の頃に父親の友人から性的虐待を受けていたことを告白する。 イマード、ニール、アハーナーは再び一緒になり、「ジャングル・ジム」を始める。
主人公は3人の若者、イマード、ニール、アハーナーだ。彼らはそれぞれにスマートフォンにインストールされた現代的なコミュニケーションアプリを使い、そしてトラブルに巻き込まれる。
イマードは有名なデートアプリTinderを使って女性と一夜限りのデートを繰り返していた。彼が誰とも真剣な関係を避けていたのは、幼年時に父親の友人から受けていた性的虐待が原因だったことは終盤に分かるのだが、それでも彼が過去の何らかのトラウマから精神的に不安定な状態にあることは匂わされていた。それでも彼はTinderを通して運命の人と巡り会う。写真家のスィムランである。だが、イマードはTinder中毒になっており、スィムランと付き合うようになってからもTinderを止められなかった。それが原因でスィムランから振られてしまう。
ニールは、InstagramらしきSNSで100万人のフォロワーを持つインフルエンサーのララと付き合っていた。ララはフォロワーが離れるのを避けるため、彼との関係を秘密にしていた。ニールはララを真剣に愛していたが、ララはそうではないようにイマードには見えた。イマードからそれを指摘されるとニールは逆上し、二人の仲は険悪になってしまう。ところが後にやはりララはニールを恋人だとは考えていなかったことが分かる。ニールはイマードが正しかったことを思い知る。しかもニールは復讐のためララのアカウントをハッキングし、フォロワーに真実を暴露する。ララのアカウントは炎上してしまう。ただ、アハーナーにたしなめられたニールは、自分がララのアカウントをハッキングしたと名乗り出る。
アハーナーは、恋人のローハンから距離を置かれてしまっていた。WhatsAppでメッセージを送っても返信がなかった。どうやら彼は、SNSにセクシーな写真をアップロードしているタニヤーという女性と付き合い始めたようだった。彼を振り向かせるために、タニヤーに負けないようなセクシーな姿を自撮りしてSNSにアップロードしたりするようになっていた。しかも、デートを演出して彼を嫉妬させようとも画策した。おかげで誕生日にローハンから連絡があり、彼からアプローチも受ける。ほくそ笑んだアハーナーは彼と一夜を共にし、全てが元通りになったと思ったのも束の間、翌朝目を覚ますと彼は横におらず、SNSでもブロックされていた。彼は彼女と最後のセックスをするためだけに会いに来たのだった。
「Kyo Gaye Hum Kahan」に通底する主題は、「SNSでつながっているのに孤独な現代の若者たち」だ。誰の手にもスマートフォンが渡り、便利なSNSアプリが普及したことで、男女の出会いやコミュニケーションは容易になった。我々は毎日新しい人と出会うこともできるし、近しい人と常につながっていることもできる。ところが、それ故に我々は新たな孤独を感じるようになってしまった。気になる相手から既読が付いても返信がなければ不安になり、相手の行動を逐一チェックせざるを得なくなる。他人の幸せそうなポストが津波のように押し寄せ、自分の幸福度を相対的に低下させる。アカウントのハッキングやコメントによる罵倒など、陰湿な復讐手段も生まれた。SNSは、人間の負の感情も増幅させてしまっている。
ここでポイントになるのは、イマード、ニール、アハーナーがSNSを介していないリアルな友人同士であることだ。スマホ・ネイティブの彼らにとっても、リアルな友人はいるのである。もちろん、彼らの間には喧嘩もあった。だが、生の人間関係を構築している人々は、どんないざこざがあっても仲直りできる。SNS上でのつながりよりも、生のつながりを大事にし、人と幸福度の比較はせず、今あるものに満足する生き方が現代人にはより必要になっていることを、この三人の友情が示していた。
ヒンディー語映画にWhatsApp、Instagram、Tinderなどのアプリが登場するようになって久しい。もはや現代劇においてこれらのアプリを介したコミュニケーションは必須になっているといっても過言ではない。WhatsAppによるメッセージのやり取りなどは定型化さえしている。画面上に効果音と共に吹き出しが表示され、文字で会話がなされるのである。だが、「Kho Gaye Hum Kahan」はそれらアプリを介したコミュニケーションに対して批判的な立場を取っており、その点が目新しかった。もちろん、イマードとスィムランの出会いもTinderがきっかけであり、完全にそれらを悪者にしているわけでもなかったが、エンディングでスマートフォンを水に沈めるシーンがあったことからも分かるように、基本的にはそれらアプリに対するアンチテーゼを読み取るべきであろう。
2000年代には、「Salaam Namaste」(2005年)など、同棲を映画で描いただけでもニュースになったものだが、「Kho Gaye Hum Kahan」では恋人関係にない男女がルームシェアをすることを当然のように描いており、隔世の感がある。この辺りも現代の若者の感覚を象徴しているのだろうか。
物憂げな音楽も映画の雰囲気に遭っていた。「Gehraiyaan」(2022年)の音楽と似たものを感じたが、カビール・カトパリヤー(OAFF)とサヴェーラー・メヘターのコンビによる作曲が共通しており、彼らの作風に依るところが大きい。2020年代の若者映画を演出するのに、OAFF・サヴェーラーの音楽は欠かせなくなるかもしれない。
スィッダーント・チャトゥルヴェーディーは「Gully Boy」、「Gehraiyaan」と着実にキャリアアップしており、新世代の有望株になっている。アナンニャー・パーンデーイも今回はいい役をもらえた。馬鹿女役を任されることが多いが、しっかりした演技ができる女優だ。アーダルシュ・ゴウラヴは「The White Tiger」(2021年/邦題:ザ・ホワイトタイガー)で注目を浴びた男優だ。特別ハンサムというわけでもなく、身長も低いが、今回はジムトレーナー役ということできちんと体作りをしていた。カルキ・ケクランは今回、年下の若い男性と恋愛をする大人の女性を演じていた。
「Kho Gaye Hum Kahan」は、2020年代に作られるべきだった典型的な若者映画だ。スマホ・ネイティブ世代のライフスタイルや恋愛を批判的に描き、スマートフォンやSNSに頼らない人間関係の構築を提案している。インターネットがなかった時代を知っている者から見るとよく分かるのだが、現代の若者はこの映画をどう観るのだろうか。