近年のヒンディー語映画を観ていて気になるワードが「कांड」だ。「काण्ड」とも書く。サンスクリット語読みなら「カーンダ」、ヒンディー語読みなら「カーンド」になる。
インドの文学に親しんでいる者なら、この単語を聞くと「ラーマーヤナ」を思い浮かべるだろう。「ラーマーヤナ」は以下の7つの章で構成されている。
- बाल कांड バーラ・カーンダ 少年の巻
- अयोध्या कांड アヨーディヤー・カーンダ アヨーディヤー都城の巻
- अरण्य कांड アランニャ・カーンダ 森林の巻
- किष्किंधा कांड キシュキンダー・カーンダ 猿の王国キシュキンダーの巻
- सुंदर कांड スンダラ・カーンダ 優美の巻
- युद्ध कांड ユッダ・カーンダ 戦争の巻
- उत्तर कांड ウッタラ・カーンダ 後続の巻
それぞれの章名の日本語訳は平凡社東洋文庫の「新訳ラーマーヤナ」(中村了昭訳)のものを採用した。これらからも分かるように、「ラーマーヤナ」における「कांड」は「章」「巻」などを意味する。今後はヒンディー語読みに合わせて「カーンド」と読む。
辞書を調べてみると、「कांड」の元々の意味は、竹の節から節までの間、つまり「節間」のことを指しているようだ。そこから転じて、「幹」「枝」「集団」「矢」などの意味が派生している。
しかしながら、現代のヒンディー語でこの単語が使われる際、それらのような元々の意味で使われることは稀である。それらは、ほぼ死語といっていい古風な用法だ。「章」という意味にしても、かろうじて「ラーマーヤナ」があるおかげで生き残っているが、それがなければとっくの昔に廃れてしまっていたことだろう。
代わりに、この単語は「悪い出来事」「スキャンダル」という意味で使われることがほとんどになっている。もっといえば、「(主に婚姻関係のない)男女がセックスをする」という意味で使われ、「婚前交渉」や「不倫」と等しい用例が多い。
この現代的な用法を初めて聞いたのは「Band Baaja Baaraat」(2010年)だったと記憶している。ランヴィール・スィン演じるビットゥーとアヌシュカー・シャルマー演じるシュルティが流れでセックスをするが、その後、ビットゥーはその行為のことを「कांड」と呼んでいた。
最近では、「Bhediya」(2022年)に「Jungle Mein Kaand」という曲があった。サビは「जंगल में कांड हो गया」で、「ジャングルでカーンドが起こった」ということだが、この「カーンド」とは、文脈から考えると、やはり「セックス」かそれに類する出来事だと捉えるべきである。
「Thank You for Coming」(2023年)では、ブーミ・ペードネーカル演じる主人公のカニカーが、ライバルの女子たちから「कांडू」と呼ばれていた。これは「カーンドをする者」という意味で、つまりは「トラブルメーカー」のことである。