スポーツ映画は21世紀に入ってすっかりヒンディー語映画界に定着したジャンルだが、その中でも女子スポーツは割とよく取り上げられる。インドではただでさえ男子クリケットが一強状態にあるため、クリケット以外のスポーツは冷遇されており、特に女子スポーツともなるとさらに立場が弱くなる。そんな逆境の中で奮闘する女子スポーツ選手を描いた映画は盛り上がるというわけだ。
「Ghoomer」は、女子クリケット選手を主人公にした映画だ。2023年8月12日にメルボルン・インド映画祭でプレミア上映され、同年8月18日から劇場で公開された。この映画がユニークなのは、事故で片手を失ったクリケット選手が再起する感動物語である点だ。主人公を演じるのは、「Mirzya」(2016年)で主演をしていたサイヤミー・ケールだ。ちなみにサイヤミーには両腕がある。映画中では特殊効果によって片手がない姿になっていた。
監督は「Padman」(2018年/パッドマン 5億人の女性を救った男)のRバールキ。サイヤミー・ケールの他に、アビシェーク・バッチャン、シャバーナー・アーズミー、アンガド・ベーディー、イヴァーンカー・ダースなどが出演している。また、アミターブ・バッチャンが特別出演している。
この映画のキャスティングには詳しい解説が必要であろう。まず、Rバールキはアミターブ・バッチャンの大ファンとして知られており、彼が関わる映画には必ずといっていいほど彼が何らかの形で起用される。今回は特別出演扱いだったが、彼の息子アビシェーク・バッチャンが助演を務めている。サイヤミー・ケールとシャバーナー・アーズミーは親戚関係にある。また、映画中には元クリケット選手のビーシャン・スィン・ベーディーが一瞬だけ顔を見せるが、実は彼の息子がアンガドである。
音楽監督はアミト・トリヴェーディー、作詞はカウサル・ムニールとスワーナンド・キルキレーが担当している。
このような一見突拍子もないストーリーの映画は往々にして実話にもとづいているものだ。実はインドのクリケット史において片手のクリケット選手がインド代表に選ばれたことはない。よって、この映画は事実に忠実にもとづいた映画とはいえない。ただし、モデルになった人物はいる。それは、ハンガリーのカーロイ・タカーチュである。彼は世界的なピストル選手だったが、手榴弾の暴発事故に巻き込まれて利き腕の右腕を失った。しかし彼は左手でピストルをすることを決意し、見事オリンピック出場を勝ち取ったのみならず、1948年のロンドン五輪と1952年のヘルシンキ五輪において2度も金メダルを獲得している。彼の不屈の精神を参考にし、場所をインドに、スポーツをクリケットに変更して作られたのがこの「Ghoomer」というわけである。
ちなみに題名は「スピナー」という意味である。これはクリケット用語で「回転ボールを投げる投手」を意味する。
ムンバイー在住のアニーナー(サイヤミー・ケール)は子供の頃からクリケットに才能を発揮する少女だった。特に彼女のバッティングには光るものがあった。祖母(シャバーナー・アーズミー)や父親はアニーナー、そして幼馴染みのジート(アンガド・ベーディー)を応援していた。アニーナーの才能はスカウトにも見出され、トントン拍子にインド代表に選ばれる。 ところでクリケットクラブにはパダム・スィン・ソーディー(アビシェーク・バッチャン)という酔っ払いが居着いていた。パダムはかつて一回だけインド代表に選ばれたことがあったが、その後は選ばれず、やさぐれていた。パダムはアニーナーのバッティングを見て彼女をけなす。ショックを受けたアニーナーはクラブを飛び出し、ジートの自動車に乗って夜のムンバイーをかっとばす。そのとき事故に遭って、彼女は利き腕の右腕を失ってしまう。 夢が叶った瞬間に夢を絶たれ絶望の淵にいたアニーナーの目の前にパダムが現れ、投手に転向すればクリケットを続けられるとヒントを与える。アニーナーはパダムに師事するようになる。まずは左手で日常の雑事をこなすことができるようになるまで地味な仕事をさせられる。その後、左手でボールを投げる特訓を受ける。アニーナーは左スピナーとして目覚ましい成長を遂げる。 伝説的な左スピナーのビーシャン・スィン・ベーディーから推薦を受け、アニーナーはインド代表に投手として選考される。アニーナーは英国戦に出場し、大活躍する。
「Ghoomer」はいわゆるスポ根映画の範疇に入るだろう。成功の一歩手前で挫折を味わった失意の主人公が暗い過去を持った師匠と出会い、再起する。厳しい訓練を経て再び表舞台に立つことに成功し、大活躍する。全てが定型通りの展開で、手に取るように先の展開が読めてしまう。Rバールキ監督はヒンディー語映画界の中でも一目置かれた巨匠の一人だ。彼の作る映画からはそれ以上の「何か」をついつい求めてしまう。さすがにきれいにまとまった映画ではあったが、事前の期待に沿うような「何か」があった映画とまでは思えない。
ストーリーが定型的だったことに加えて、終盤のクライマックスにあたるクリケットの試合シーンも並程度の出来だった。音楽映画は音楽の質が映画の成否を決めるように、スポーツ映画は試合シーンの質が成否を決めるといっても過言ではないだろう。「Ghoomer」の終盤には、主人公アニーナーの夢が叶って、片手ながらインド代表に選ばれ、英国代表と戦うシーンが描かれている。そのシーンに緊迫感を醸し出す溜めがなく、一本調子で、しかもかなり駆け足で流れていってしまう。「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン クリケット風雲録)ほど試合を長引かせろとはいわないが、もう少し時間を掛けて丁寧に描いてもよかったのではないかと感じた。
女性が主人公の映画ということで、サイヤミー・ケール演じるアニーナーが強力なキャラであった一方、周囲を取り囲む男性キャラは、アビシェーク・バッチャン演じるパダムを除けば、単なる引き立て役に過ぎなかった。ジェンダーの逆転も起こっているように感じられた。たとえばアニーナーの家族は、祖母、父親、アニーナー、2人の兄弟という構成だったが、祖母とアニーナーがイニシアチブを取っていた一方で、父親と兄弟は全く目立たなかった。父親は料理をして家族にサーブまでしていたし、兄弟たちは一体何をしているのか分からない雑魚キャラであった。アニーナーの幼馴染みジートにしても、アニーナーがクリケットをする姿をじっと見ているだけのキャラだった。これは日本のスポ根漫画によくある、主人公に片思いするヒロインの役柄だ。近年のヒンディー語映画では男性の立場が非常に弱くなっていると感じるが、この「Ghoomer」では顕著だった。そういえば、Rバールキ監督の「Padman」でも、家事をする優しい父親が描かれていた。彼は意図的に新しい男性像を提示しようとしているのかもしれない。
女子スポーツを取り上げたヒンディー語映画では必ずといっていいほどインドにおいて女子スポーツがいかに冷遇されているかが訴えられる。不思議なことに「Ghoomer」からはそういうメッセージが全く発信されていなかった。インド代表として活躍したアニーナーは一躍スターになっていた。確かに以前に比べて女子クリケットの人気は上がってきているとはいえ、この映画で描かれているように、市井の人々から一斉に注目を浴びるところまで来ているとは到底思えない。
片手を失ったアニーナーが、その障害によって世間から差別されるようなシーンも皆無だった。確かに事故で片手を失った悲劇は非常に重く観客の心にのしかかるが、それ以上の苦痛は敢えて避けられていた。そのような想定されうるノイズをきれいに除去してしまったことで、無機質な映画になってしまっているようにも感じられた。
Rバールキ監督作にしてはパンチ力が足らなかったと感じたが、俳優たちの演技は素晴らしかった。特に、片手の女子クリケット選手を熱演したサイヤミー・ケールは素晴らしかった。この映画の撮影のために左手で投げる訓練をしたのかは分からないが、プロのスポーツ選手として遜色ない動きを見せていた。アビシェーク・バッチャンもつくづくいい俳優に育ったと感じる。飲んだくれの師匠を絶妙に演じていた。
「Ghoomer」は、片手の女子クリケット選手を主人公に据えた感動作である。Rバールキ監督の作品にしては定型にはまりすぎた作りで意外性に乏しかった。大方予想通りにストーリーが進んでいき、終盤の試合シーンにも緊迫感がない。それでも必要な要素はきちんと配置してあるので、感動はできる。Rバールキ作品だからといって大きな期待はせず鑑賞するとちょうどいいだろう。