2023年9月29日にJioCinemaのオンライン映画祭で配信開始された「The Comedian」は、2023年3月9日に逝去した俳優サティーシュ・カウシクの遺作となった24分ほどの短編映画である。かつては売れっ子だったコメディアンが、老齢になり落ちぶれながらもプライドを捨て切れず苦悩するという筋である。
監督はカーティヤーヤン・シヴプリー。よくお母さん役などで出演している女優ヒマーニー・シヴプリーの息子であり、過去に何本か短編映画を撮っている。サティーシュ・カウシクの他に子役俳優グレース・ギルダルが出演している。
ハスムク・ラール(サティーシュ・カウシク)はかつて一世を風靡したコメディアン俳優で、「数千の顔を持つ男」と呼ばれていた。しかし現在では過去の人になっており、撮影中の映画は一本もなく、スタンドアップコメディアンをして生計を立てていた。 ハスムクの隣に若い夫妻が引っ越してくる。夫妻にはリヤー(グレース・ギルダル)という一人娘がいたが、どうも難病を抱えているようだった。それでもリヤーは天真爛漫な性格で、スマートフォンを使ってV-logを撮っていた。 当初、リヤーはハスムクを怖がるが、ハスムクは彼女と話している内に、別居中の娘クシーを思い出し、優しく接するようになる。二人は打ち解け、会話を交わす。ハスムクはリヤーと話している内に笑いを思い出してきた。 リヤーは死んでしまったが、ハスムクは彼女との約束を守り、オーディションを受けて、もう一度俳優として再起を目指す。
「The Comedian」という内容ながら、涙なしには観られない感動作だ。それでいてブラックユーモアも効いており、思わずクスッと笑ってしまう場面もいくつかある。短いながらもとても余韻の残る作品だ。多数のヒンディー語映画で個性的なキャラを演じてきたサティーシュ・カウシクの遺作ということを思うとさらに感慨深いものがある。
まず何とも可笑しいのが、「ハスムク(笑い顔)」という名前でありながら終始仏頂面のコメディアンが主人公であることだ。しかも彼は心の中で自分はコメディアンではなく俳優だと自負しており、周囲からコメディアン扱いされるのを嫌がっている。そんな彼の口から発せられるジョークはどれも不発だ。ニッチな笑いを追求しすぎて笑えなくなってしまっている。ハスムクは、過去の栄光にしがみついており、プライドも高く、怒鳴り散らしてばかりなので、次第に孤立していっていた。妻子もいたが、彼の暴言と暴力に耐えかねて出て行ってしまった。ますます彼の眉間には深いしわが刻まれることになった。
そんな彼の人生を一変させたのがリヤーとの出会いだった。リヤーは難病を抱えており、おそらく映画登場時には余命あと少しと宣告されていたものと思われる。それでも、もうすぐ死ぬ運命にあることなど微塵も感じさせないほど天真爛漫な性格で、気難しいハスムクともすぐに仲良くなる。ハスムクとリヤーがジョークを言い合うシーンがある。彼女の話すジョークは、「大臣が演説中にオナラをブーっとした」みたいなしょうもないものだったが、彼女は自分で自分のジョークにケラケラ笑っていた。そんな無邪気な姿を見て、ハスムクは笑いの原点を思い出し、ついつい口角を緩めてしまうのである。
リヤーの死はあっさりと描写される。だが、彼女との交流、そして彼女との約束は、残されたハスムクの人生を前向きにした。高いプライドからオーディションを受けるのを拒否していたハスムクであったが、彼はまた俳優として一からやり直す決心をし、オーディション会場に足を運ぶ。そこで映画は終わってしまうが、きっと彼にはもう一花咲かせるチャンスが巡ってくるだろう。
過去の栄光にしがみつく俳優の物語や、死を前にしても明るさを失わない登場人物の物語はヒンディー語映画界でも過去にいくつか作られてきた。前者ではオーム・プリー主演の「King of Bollywood」(2004年)、後者では「Anand」(1971年)が思い付く。その点では目新しさはないかもしれないが、サティーシュ・カウシクの名演技と、短編映画の中にコンパクトにまとめた構成力で、この映画は輝いている。もちろん、子役のグレース・ギルダルも素晴らしかった。
「The Comedian」は、その題名とは裏腹に、笑いよりも涙を催す感動作である。名優サティーシュ・カウシクの遺作としても特筆すべきだ。必要なエッセンスが無駄なく完璧に詰め込まれており、短編映画とはこうあるべきというお手本みたいな映画だ。観て損はない。