インドの村には「パンチャーヤト」と呼ばれる村落議会がある。「パンチ」と呼ばれる5人の議員と、その中のリーダーである「サルパンチ」が村の広場などで議会を開き、村の細々とした事項を決定する。インドの農村を舞台にした映画には必ずといっていいほど登場する。2016年6月17日公開の「Bhouri」は、ウッタル・プラデーシュ州のとある村で悪徳パンチたちが村の女性たちを性的に搾取する様子を描いた作品である。
監督はジャスビール・バーティー。基本的にはTVドラマの監督で、人気ドラマ「Kyunki Saas Bhi Kabhi Bahu Thi」(2000-2008年)や「Ek Vivah Aisa Bhi」(2017年)などを撮っている。キャストは、マーシャ・ポール、ラグビール・ヤーダヴ、クニカー、アーディティヤ・パンチョーリー、シャクティ・カプール、ムケーシュ・ティワーリー、モーハン・ジョーシー、アルン・ナーガル、マノージ・ジョーシー、スィーターラーム・パンチャール、ヴィクラーント・ラーイなどである。
23歳のブーリー(マーシャー・ポール)は、レンガ工場で労働者をする45歳のダヌワー(ラグビール・ヤーダヴ)に嫁ぐ。この村は、チャウダリー(モーハン・ジョーシー)、ドクター(シャクティ・カプール)、パンディト(スィーターラーム・パンチャール)、マネージャー(ムケーシュ・ティワーリー)、ラーラー(マノージ・ジョーシー)のパンチによって支配されていた。彼らは村の女性たちを性的に搾取していた。彼らの視線はブーリーに注がれることになった。 チャウダリーとレンガ工場のマネージャーは早速ダヌワーに命じ、夜にブーリーをよこすように言う。ダヌワーはそれを拒否し、クビになる。7日分の給料が未払いだったため、ダヌワーはそれを取り返しに行くが、口論になり暴行を受ける。ドクターはダヌワーの血液検査をする。 なかなかダヌワーがブーリーをよこさなかったため、パンチは強硬手段に出る。ドクターはダヌワーの血液検査のレポートを偽造し、パンチャーヤトの場で彼がAIDSであると嘘を付く。ダヌワーは村から追い出され、川向こうの空き地に掘っ立て小屋を建ててブーリーと叔母(クニカー)と共に住み始める。 レンガ工場のドキュメンタリーを撮るため、村にムンバイーからシェーカル(ヴィクラーント・ラーイ)がやって来る。シェーカルはダヌワーの家に居候した。彼が払ってくれた家賃や食事代で何とかダヌワーは生計を立てることができた。シェーカルは村での撮影を終え、ムンバイーに戻ろうとするが、その道中、見送ってくれたブーリーと抱き合ってしまい、そのままセックスをしてしまう。それを村人に目撃され、シェーカルは暴行を受けた上で村から追い出される。また、ブーリーもパンチャーヤトに掛けられる。 ダヌワーに見捨てられたブーリーは身体を売って生計を立て始める。ラーラー、チャウダリー、ドクターなど、村の男性たちが夜な夜なブーリーの家を訪れ、彼女の身体をむさぼった。チャウダリーは、息子たちがレイプした女性が実は自分の娘だったことを知り、ショックを受けて突然死する。 それから4年後。村で相次いで人が死んでいくようになる。医療団が来て調べてみると、村人たちのほとんどがAIDSになっていた。ダヌワーが原因だとされるが、彼の血液検査をしてみたところ、AIDSではなかった。ドクターの嘘がばれ、パンディト、マネージャー、ラーラーと共に村人たちから暴行を受ける。ダヌワーがブーリーの家を覗いてみると、彼女は死んでいた。ブーリーを起点に村にAIDSが広まったのだった。一人で村を一変させたブーリーの葬儀は丁重に行われた。
舞台となっている村に名前は付いていない。人々はその村を「レンガ工場の村」と呼んでいた。村にレンガ工場があるからである。架空の村であるが、ウッタル・プラデーシュ州のどこかにあることだけは分かっている。登場人物がしゃべっていた方言から、ブンデールカンド地方なのではないかと予想される。
村人の多くはそのレンガ工場で労働をして生計を立てているようだった。ダヌワーも例外ではない。そのため、レンガ工場のオーナーであるチャウダリー、そして現場監督であるマネージャーが村で力を持っていた。それに加えて村の医療を一手に引き受けているドクター、村の寺院を管理するパンディト、そして村の商店を経営するラーラーがパンチに就任し、村を支配していた。
五人とも性欲が異常に強く、村人たちの弱みに付け込んでは女性たちを手込めにしていた。そんな村に住むダヌワーのところへ嫁いできたのがブーリーであった。
まだ23歳のブーリーが、二回りほど年上のダヌワーと結婚することになったのには訳があった。実はブーリーは過去に3回結婚をしていたが、3回とも夫を亡くしていた。そのため、ブーリーは不吉な女だとされ、もらい手がいなかったのである。ただ、ブーリーは色白で美しかった。パンチたちはブーリーをいつ手込めにしてやろうかと手ぐすねを引いて待つようになる。
前半の展開からは、美しいブーリーが村を支配するパンチたちの欲望をかき乱し、村の悪習が赤裸々に浮き彫りにされていく映画だと自然に受け止める。もしかしたら実話にもとづいたストーリーかもしれないという予想も頭をよぎる。
しかし、「Bhouri」は後半に驚くべき急転回を迎える。まず、夫にひたすら尽くしていたブーリーが、ムンバイーからやって来たドキュメンタリー監督のシェーカルと勢いでセックスをしてしまうのである。この出来事はすぐに村中に知れ渡り、ブーリーは公衆の面前で罵詈雑言を浴びる。ただでさえAIDSと偽の診断をされて村八分になっていたダヌワーはもはや彼女を妻として受け入れることができず、見捨ててしまう。こうしてブーリーは孤立するのだが、その後の彼女の夜は忙しかった。ブーリーは身体を売って生計を立てることを決意し、パンチから始めて、村中の男性たちと関係を持つことになる。ひとつ間違えばポルノ映画と見間違えてしまうほど、かなり極端な展開を迎える。
しかも、その幕切れはかなり唐突だ。ブーリーから村中にAIDSが広まってしまうのである。どうもブーリーはシェーカルからHIVウイルスをうつされたようだ。その彼女が村中の男性たちとセックスをしたことで、男性たちはAIDSになり、その男性と関係を持った女性たちにも感染した。このエピデミックの中、村八分になっていたダヌワーだけは感染を免れたのは何とも皮肉なことである。
HIVウイルスの感染拡大によって、村のモラルが地に墜ちていたことが発覚する。特に、今まで村を牛耳ってきたパンチたちの欺瞞が暴かれ、怒った村人たちからリンチに遭う。警察もそれを傍観するだけだった。ブーリーはAIDSで死んでしまうが、彼女のおかげで村の浄化ができたとされ、彼女の葬儀は丁重に行われた。
おそらく本来はもっと長い映画なのだろう。無理にカットをしたことで、所々ストーリーが飛んでいるように感じられた。例えばシェーカルがムンバイーに去る直前、なぜか足を引きずっていた。どうも犬に噛まれたか何かしたのだが、そんなシーンはどこにもなかった。
パンチは欲望の権化かつ女性を手込めにするためには手段を選ばない極悪非道のように描かれていたが、冷静に考えてみれば、ブーリーを無理矢理レイプするようなことはなかった。終盤で彼らは次々にブーリーとセックスをするが、対価を払っての行為であり、一応同意にもとづいている。そういう意味では最低限の秩序は保たれていたといっていいかもしれない。
チャウダリーの2人の息子が村の女性をレイプし殺害するシーンもあった。これは主筋ではなく、カットしても成立したエピソードであるが、監督はどうしても入れたかったようだ。息子たちは警察に逮捕され、チャウダリーは彼らを保釈させようと躍起になっていた。実はその女性の母親をかつてチャウダリーは手込めにしており、それによって妊娠し、生まれたのが、チャウダリーの息子にレイプされた女性だった。つまり、息子たちは妹をレイプしたことになる。それを初めて知ったチャウダリーはショックを受け、そのまま帰らぬ人となる。
低予算映画であろうが、起用されている俳優たちは演技力のある個性派俳優たちばかりだ。ラグビール・ヤーダヴ、シャクティ・カプール、ムケーシュ・ティワーリー、マノージ・ジョーシーなど、ヒンディー語映画でよく見る顔ぶれだ。
ブーリーを演じたマーシャ・ポールは英国人女優である。確かにインド人離れした肌の白さで、顔立ちもインド人ではなかった。なぜわざわざ英国人女優を起用したのかは分からない。インド人女優でも十分に成り立った映画である。
「Bhouri」は、悪徳パンチが支配する後進的な村を舞台にし、一人の不幸な女性が身体を売ることで村の浄化を果たすという、かなり極端な筋書きの映画である。社会派映画に見えて、派手なダンスシーンも挿入されていて、カテゴライズに困るところもある。名作と呼ぶためにはあと少し足りないが、観て損はない映画である。