2017年10月4日からYouTubeのLargeShortFilmsチャンネルで配信開始された短編映画「Anukul」は、「Kahaani」(2012年/邦題:女神は二度微笑む)で有名なスジョイ・ゴーシュ監督が、「Pather Panchali」(1955年/邦題:大地のうた)などで世界的に名を知られるサティヤジート・ラーイ(サタジット・レイ)監督の書いた同名短編小説を映画化したものだ。サティヤジート・ラーイ監督は「Pather Panchali」などがあまりにも有名になってしまったため、農村を舞台にしたリアリズム映画しか撮っていないように考えられがちだが、実は多種多様な作品を撮っており、小説も書いている多才な人物だった。「Anukul」も、ロボットが人間の仕事を脅かす近未来を描いたSF作品である。
キャストは、サウラブ・シュクラー、パラムブラタ・チャタルジー、カラージ・ムカルジーなどである。
コルカタ在住で、学校でヒンディー語文学を教えるニクンジ・チャトゥルヴェーディー(サウラブ・シュクラー)は、家事のためにアヌクール(パラムブラタ・チャタルジー)という名前のロボットを雇う。アヌクールは読書好きなロボットで、ニクンジと馬が合う。ところがアヌクールの従兄ラタン(カラージ・ムカルジー)は大のロボット嫌いだった。なぜならロボットに職を奪われ無職になってしまったからだ。ラタンはアイロンでアヌクールを殴り壊してしまう。アヌクールは修理されたものの、会社からは注意を受ける。ロボットは、自身を攻撃する者に対し電気ショックで反撃していいことになっていた。 その後、再びラタンがニクンジの家を訪れる。ラタンは、叔父が亡くなったニュースを知らせるが、同時に、彼の相続人になっているのは自分だけだと明かす。ニクンジが目を離した隙にラタンはアヌクールに電気ショックをされ死んでしまう。ちょうどそのとき近所に雷が落ちており、ラタンの死は心臓発作によるものだと診断される。ニクンジは叔父の遺産1億1,500万ルピーの唯一の相続人となった。
近未来の物語ではあるが、どれくらい未来の物語なのかは明示されない。コルカタの風景はあまり変わっていなかったが、人間以上の知能を持ち、人間そっくりの外観をしたロボットが実用化されるくらいの未来である。
ロボットの登場により、人間は大きな影響を受けていた。24時間365日仕事ができるロボットのおかげで生活は便利になったと思われたが、ロボットが人間の仕事を奪い始め、失業者が急増していた。主人公ニクンジの従兄ラタンがまず失業し、次にニクンジ自身もヒンディー語文学教師の仕事をロボットに奪われてしまった。当然、人間の間ではロボットに対する反感が生まれ、「人間使用人協会」はロボットの禁止を訴える活動を始めていた。
おそらく人間への対抗措置であろう、ロボットにも正当防衛の権利が与えられていた。ロボットは、誰かに攻撃されたら電気ショックで反撃していいことになっていたのである。
それだけの物語だったら、ロボットが人間を駆逐する恐ろしい未来に警鐘を鳴らす文明批判的なSF映画で終わっていたところだったが、この「Anukul」のメインテーマはそこにはない。むしろ、ロボットにないとされる「心」に重点を置いた作品になっていた。
ニクンジが雇ったロボットは「アヌクール」という名前であった。ヒンディー語で書くと「अनुकूल」になり、これは「ふさわしい」「好都合な」などの意味を持っている。その名前の通り、アヌクールは主人に忠実かつ従順なロボットであった。そして読書好きであり、ニクンジの家に来てからは彼の蔵書を読みあさっていた。
映画中、アヌクールとニクンジが「バガヴァドギーター」について会話をするシーンがある。アヌクールは、マハーバーラタ戦争の前にクリシュナがアルジュナに説いた教えについて疑問を持つ。アルジュナは敵軍に親族や恩師がいるのを見て戦意を喪失するが、クリシュナは戦場における戦士の義務は戦うことだと言い聞かせ、アルジュナの戦意を奮い起こす。そのクリシュナの教えをアヌクールは理解できなかったのだ。だが、ニクンジは、ダルマ(義務)という概念を教え、正義と悪の判断は心が行うと語る。
また、アヌクールはニクンジが嘘を付いているところも見ていた。それに対してもニクンジは、適切なタイミングで嘘を付くことも必要だと答え、そのタイミングはやはり心で見極めると語る。
これらのやり取りはラストの伏線になっている。ニクンジの従兄ラタンは叔父の遺産を独り占めしようとするが、アヌクールは彼を電気ショックで殺し、ニクンジに利益を供与する。アヌクールはロボットではあったが、誰に従うべきか、誰が正義なのかをよく学習して理解しており、適切なタイミングでロボットとしての義務を果たしたのだった。
「Anukul」は20分少々の短い映画ではあったが、優れた原作と脚本、そして無駄のないストーリーテーリングと俳優たちの好演によって、見応えのある作品になっていた。短編映画として完成されてはいたが、長編映画化したらまた違った面白さも出て来る気がした。小品ながら観る価値のある映画である。