2022年5月20日公開の「Chitrakut」は、ムンバイー在住の5人の男女が複雑に交錯するスローテンポのロマンス映画である。監督のヒマーンシュ・マリクは「Tum Bin…」(2001年)や「Khwahish」(2003年)に出演していた俳優で、今回初めて監督をする。お手並み拝見といったところだ。
起用されているのは無名の俳優ばかりである。アウリトラー・ゴーシュ、ヴィボーレー・マヤーンク、キラン・シュリーニヴァース、ナイナー・トリヴェーディー、シュルティ・バープナー、アーカーシュ・ダルなどだ。また、ヒマーンシュ・マリク監督自身もカメオ出演している。
題名になっている「チトラクート」とは「ラーマーヤナ」に登場する地名だ。王国を追放されたラーマ、スィーター、そしてラクシュマナが流れ着いた美しい土地で、ラーマとスィーターはここで平安な生活を送り、愛を育んだとされている。チトラクートという地名はウッタル・プラデーシュ州南部やマディヤ・プラデーシュ州北部に今でも存在する。ただし、この映画とは直接関係がない。「Chitrakut」はムンバイー及びマハーラーシュトラ州西部を舞台としている。
レストランでシェフ見習いをするデーブー(ヴィボーレー・マヤーンク)は、デザイナーショップで店員をするアリーシャー(ナイナー・トリヴェーディー)と出会い恋に落ちる。だが、アリーシャーには、商船隊員をする元恋人がおり、忘れられずにいた。デーブーはアリーシャーに振られてしまう。デーブーは職を辞する。 英国在住のダンサー、サローニー(アウリトラー・ゴーシュ)は、久しぶりに母国のインドに戻ってくる。そして、競馬の検査官をするシャーン(キラン・シュリーニヴァース)と再会する。シャーンは馬をこよなく愛していたが、手っ取り早く稼ぐために八百長にも関わっていた。あるときシャーンは馬をいたわって八百長を拒否する。 アリーシャーと別れたデーブーは旧知のキム(シュルティ・バープナー)と出会い、彼女にパン焼きを教えてもらう。あるときデーブーはキムの家で、彼女の友人でギャングのアシュウィン(アーカーシュ・ダル)と出会う。行き場を失っていたデーブーはアシュウィンのギャングに入団する。 八百長を断ったシャーンを痛めつける仕事をデーブーは請け負い、彼を袋だたきにする。シャーンはサローニーの家で看病を受ける。回復したシャーンはサローニーのパスポートを盗み出し、売り払おうとするが、警察に捕まる。サローニーはシャーンを引き取り、彼にゴアのホテルの仕事を紹介する。シャーンはゴアへ向かう。 アリーシャーはゴアで自分の店を持っていた。ゴアでシャーンはアリーシャーと出会う。また、サローニーとデーブーも一緒にゴアを訪れる。
序盤ではデーブーとアリーシャー、サローニーとシャーンの恋愛が別々に進展していく。そのテンポが非常に遅いため、多少のストレスを感じる。また、所々で話が飛んでおり、分かりにくさもある。わざと分かりにくくして高尚さを出そうとしている節もあるのだが、それは好みが分かれるだろう。
どこへ向かっている物語なのか、ようやく見えてくるのが中盤あたりだ。デーブーとサローニーが出会い、シャーンはギャングの一味になったデーブーにリンチされる。登場人物同士に接点が生まれ、今までバラバラに提示されてきた要素が相互につながり始める。
お人好しそうなデーブーが突然ギャングに入団してしまう辺りは斜め上の展開であったが、それを除けば極端な展開は抑えられており、基本的には等身大の出会い、恋愛、別れなどが映像中心に描かれ、次第にとても上品な映画だと感じるようになった。そして、登場人物たちによる一瞬一瞬の決断によって、彼らの人生に一定の方向付けが行われていく様子が静かに見守られていた。
映画の中で「チトラクート」は、愛と平安が得られる場所の象徴として使われている。デーブー、アリーシャー、サローニー、シャーンは、それぞれの悲しみや苦悩を乗り越え、ゴアにて「チトラクート」らしきものを得たということになっていた。
複数の若者の視点から語られるが、主人公を一人選ぶとしたらサローニーであろう。彼女は14歳までインドで育ち、その後英国に渡った。だが、インドのことは決して忘れておらず、今回、観光ヴィザでインドを訪れた。サローニーは競馬フィクサーのシャーンと再会し、幸せな時間を過ごすが、彼がギャングから襲撃されて重傷を負い、復讐に血をたぎらせている辺りから暗雲が立ちこめ始める。サローニーの英国パスポートはインドのブラックマーケットで高値が付くことを知ったシャーンは、一獲千金を狙って彼女のパスポートを盗み出し売り払おうとする。
通常ならばそんな恋人は願い下げというところだが、サローニーは彼を許し、再び家に招き入れる。そして、シャーンを守るため、敢えて彼をゴアに送り、仕事も紹介する。意外にもシャーンはそれをすんなり受け入れ、サローニーから借金をしてゴアへ向かう。そのときサローニーとデーブーの間で新たな関係が生じ始めていた。よく考えてみたら、このときのデーブーはギャングであり、シャーンよりもさらに危険な人物だ。サローニーがなぜわざわざそんな危険な香りのする男たちと好んで関係を持ってしまうのか分からないが、その辺りも深く突っ込まず、淡々と物語は進んでいく。
演技面でもサローニーを演じたアウリトラー・ゴーシュが飛び抜けていた。表情、セリフ、そして動きなど、引き付けるものがあり、魅力的な女優であった。今まで全くノーマークだった。シャーンを演じたキラン・シュリーニヴァースも渋い演技をしていた。
「Chitrakut」は、俳優としては大成しなかったヒマーンシュ・マリクが初めてメガホンを取って作ったロマンス映画だ。複数の若者が主人公で、恋愛を含むその人間関係が主題となるが、あまり深く掘り下げず、表層的になぞることで上品さを出している。スローテンポすぎるところが敬遠される可能性があるが、マリク監督が何か新しいロマンス映画の文法を作り出そうとしているようにも感じ、期待を抱かされた。今後につながる布石として捉えておきたい。