City of Gold

2.5
City of Gold
「City of Gold」

 現在インドの商都として知られるムンバイー(旧名ボンベイ)であるが、ムンバイーの発展を100年以上の長期間に渡って支えて来たのが繊維産業であった。19世紀後半よりムンバイーには繊維工場が相次いで建設され、多くの労働者が工場付近の団地に家族と共に集住し、日の出から日没まで安賃金で働いて産業を支えた。最大時には25万人もの労働者が働いていたとされる。ムンバイーが今、インドが世界に誇る商業都市となったのも、彼ら名もなき労働者に依るところが大きかったと言われる。だが、独立後、ムンバイーの繊維産業は斜陽の時代を迎え始める。それでも工場は稼働し続け、労働者は働き続けたのだが、1982年にムンバイーの繊維工場全体を巻き込んだ大規模なストライキが発生し、状況は一変する。工場主側は時代の変遷を感じ取り、工場を取り壊してその土地を高層マンションやショッピングモールに変えようと画策し始め、労働者のリストラに乗り出すのだが、それが労働者組合との対立を生み、大規模なストライキにつながったのだった。しかし、ストライキは長期に渡ったものの成功しなかった。結局、労働力を失った工場は朽ちるがままに放棄され、労働者は職を失って別の仕事を探さなければならなくなった。働き場所を失った25万人の労働者の中には、アンダーグランドの世界に流れる者も少なくなかった。現在ムンバイーが抱える様々な社会問題の多くは、この工場問題が尾を引いていると言われる。いくつかの工場エリアはショッピングモールなどに再開発されているが、現在でも工場跡が残っているエリアがあり、ムンバイーの歴史の暗部を無言のまま語り続けている。ヒンディー語映画には、よくマフィアが金の受け渡しなどに使ったりする廃工場が登場するが、それがこの繊維工場跡である。

 ムンバイーを本拠地とするヒンディー語映画では、ムンバイーの繊維工場やそこで働く労働者が直接的・間接的な題材になって来た。ヒンディー語・ウルドゥー語文学界の「小説の帝王」プレームチャンドが原作・脚本を担当した「Mazdoor」(1934年)をはじめ、「Dhanwan」(1937年)、「Rangila Mazdoor」(1938年)、ニティン・ボース監督「Mazdoor」(1945年)、「Paigham」(1959年)、「Aadmi Aur Insaan」(1969年)、「Saat Hindustani」(1969年)、「Ganwaar」(1970年)、「Namak Haraam」(1973年)、「Mazdoor Zindabad」(1976年)、「Kaalia」(1981年)、ラヴィ・チョープラー監督「Mazdoor」(1983年)などで、繊維工場と労働者に関するプロットやシーンが出て来る。だが、繊維工場が閉鎖されたことで、繊維工場や労働者がヒンディー語映画の主題となることはグッと減ってしまった。

 本日(2010年4月23日)より公開の「City of Gold」は、久し振りに繊維工場がテーマのヒンディー語映画である。しかも、1982年の繊維工場ストライキ事件を背景にした骨太のドラマである。監督はマヘーシュ・マーンジュレーカル。個性派俳優として知られるマヘーシュ・マーンジュレーカルであるが、時々映画も撮っている。「City of Gold」は舞台劇を原作としている。ジャヤント・パワールの「Aadhantar」である。映画化にあたってジャヤント・パーワル自身が脚本を書いている。ヒンディー語とマラーティー語の2言語で制作されており、俳優はマラーティー語演劇界・映画界の重鎮が多い。

監督:マヘーシュ・マーンジュレーカル
制作:アルン・ランガーチャーリー
原作:ジャヤント・パワール作「Aadhantar」
音楽:アジト・サミール
衣装:ラクシュマン・グラール
出演:シャシャーンク・シンデー、スィーマー・ビシュワース、アンクシュ・チャウダリー、ヴィニート・クマール、ヴィーナー・ジャームカル、カラン・パテール、スィッダールト・ジャーダヴ、サティーシュ・カウシク、カシュミーラー・シャー、サミール・ダルマーディカーリー、ガネーシュ・ヤーダヴ、サチン・ケーデーカル、アヌシャー・ダンデーカルなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 2010年ムンバイー。劇作家のバーバー・ドゥーリー(アンクシュ・チャウダリー)は恋人のマーンスィー(アヌシャー・ダンデーカル)に、自分の父親が繊維工場の労働者だったことを語り出す。

 1982年ボンベイ。ドゥーリー家の稼ぎ頭アンナー(シャシャーンク・シンデー)は繊維工場ケーターン・ミルスで働いていたが、工場主側から引退勧告を受けて引退していた。アンナーには妻アーイー(スィーマー・ビシュワース)との間に3人の息子と1人の娘がいた。バーバーは長男で、この頃から劇作家になることを夢見て脚本の構想を練る毎日を送っていた。次男のモーハン(ヴィニート・クマール)は商店で働いていたが、四六時中クリケットのラジオ中継に夢中だった。三男のナールー(カラン・パテール)は血気盛んな性格で、近所の若者たちの親分的存在であった。長女のマンジュー(ヴィーナー・ジャームカル)は美容院に勤めていたが、近所の雑貨屋の息子ジグネーシュと怪しい関係にあった。ドゥーリー一家の住む長屋ラクシュミー・コテージには工場労働者たちが集住していた。隣のマーマー(サティーシュ・カウシク)は初老の親父だったが、若いマーミー(カシュミーラー・シャー)を娶っていた。マーミーは子供ができないことを苦にしていた。

 労働組合を束ねるラーネー(サチン・ケーデーカル)は、若い工場主のマヘーンドラ(サミール・ダルマーディカーリー)やその父親ケーターン・セートと度重なる交渉をして来たが、進展がないため、ストライキを宣言する。暇になった労働者たちは家でトランプなどをして時間を潰す。ただでさえ半年間給料が滞っていた上にストライキに入ったために、労働者たちは収入がなくなってしまった。アーイーにとっても家計が最大の悩み事であった。だが、次から次へとドゥーリー家に事件が起こる。

 まずはモーハンがクリケット賭博に手を出して逮捕されてしまう。釈放のために2万5千ルピーが必要となるが、その金はバーバーが工面する。後で分かったことでは、バーバーは腎臓を売って金を工面していた。モーハンは仕事をクビになり、手持ちぶさたになってしまう。実はモーハンは隣のマーミーとできていた。マーミーは子供を熱望しており、夫に期待できないことが分かると、モーハンを誘惑する。お人好しのマーマーは、それを知っていながら黙認する。

 マンジューはジグネーシュと密会を繰り返していた。避妊なしの性交にも及んでおり、遂に彼女は妊娠してしまう。アーイーはいち早く娘の妊娠に気付く。マンジューは、妊娠したらジグネーシュは結婚してくれると信じていたが、実はジグネーシュは既婚であることを知る。マンジューは堕胎する。また、娘の妊娠を知ってアンナーは極度に憤慨し、脳卒中を起こして半身不随となってしまう。アンナーを見舞ったラーネーは、彼からマンジューのことを聞き、彼女と結婚することにする。

 ナールーは地元マフィアのパルシャー・バーイー(ガネーシュ・ヤーダヴ)に気に入られ、銃を与えられて手先となる。ナールーは親友のスピードブレーカー(スィッダールト・ジャーダヴ)と共に取り立てや暗殺などの仕事をこなして多額の報酬を手にするようになり、家族の稼ぎ頭となる。ところがとうとう警察に逮捕されてしまい、長いこと刑務所に入れられてしまう。

 マヘーンドラと労働組合の対立はますます深刻化する。とうとうラーネーの片腕ガネーシュがマヘーンドラを張り倒してしまう。マヘーンドラはパルシャー・バーイーにガネーシュの暗殺を60万ルピーで依頼し、30万ルピーを前金として支払う。パルシャー・バーイーはナールーを刑務所から釈放させ、その任務を任す。報酬は20万ルピーであった。ガネーシュは親友スピードブレーカーの父親だったが、それを知らされていなかったナールーは暗殺を実行してしまう。殺人事件はすぐに警察の知れるところとなり、ナールーは姿をくらます。また、スピードブレーカーは父親を殺したナールーに憎悪を燃やすようになる。

 パルシャー・バーイーはマヘーンドラが残金を払う意志がないのを確認すると、報復として父親のケーターンを暗殺する。ところが古い考え方の父親を目の上のたんこぶと考えていたマヘーンドラにとってそれは願ってもいないことで、その謝礼として残金の30万ルピーをパルシャー・バーイーに支払う。だが、その場にはナールーもやって来ていた。ナールーは未だに20万ルピーの報酬をもらっておらず、パルシャー・バーイーが自分を捨て駒にしたことにも憤っており、彼を殺す。

 ストライキが長期になりすぎ、組合員の中には生活に困窮して自殺する者も出て来た。マンジューも父親の薬代を工面できず、とうとう密かに売春の道に入る。ラーネーは賃金全額支払いを求めて断固対立の姿勢を貫いていたが、労働者たちは遂に工場主側の条件を飲み、もらえるだけの賃金をもらって退職することを決める。この裏切りにラーネーは絶望する。また、アンナーは退職金を受け取って息を引き取ってしまう。

 潜伏中だったナールーは、父親の葬式の儀式に密かに出席する。そこでスピードブレーカーはナールーを銃撃して殺す。だが、アーイーらの計らいでスピードブレーカーは罪に問われなかった。やがてバーバーの書いた脚本が上演されることになり、彼の名前が新聞にも載る。バーバーは初演に母親を呼ぼうとするが、アーイーは喜びの中に突然死してしまう。

 以上のことを語り終えたバーバーは、マーンスィーをラクシュミー・コテージに案内する。彼の実家ではマンジューがラーネーと共に住んでいた。隣のマーマーとマーミーの家では男の子が生まれていた。その父親はおそらくモーハンであり、マーマーもそれを暗黙の内に認めていた。ジグネーシュは相変わらず長屋に住む女性を誘惑していた。スピードブレーカーはマフィアになっており、つい最近マヘーンドラを暗殺したところであった。

 ボンベイ繊維工場ストライキの展開を逐一追ったドキュメンタリー的作品ではなく、むしろストライキや工場の閉鎖が労働者やその一家の人生をどのように変えて行ったのかについて、人間のドラマを中心に紡ぎ出した作品であった。繊維工場を生計の柱としていた人々が、工場の稼働停止や組合によるストライキによって食うに困り、マフィア、強盗、売春などの非合法な世界に入り込んで行く様が示されていた。特に空腹の子供たちがズルズルと犯罪の道に引き込まれていく様子は迫力があった。この映画でもっとも怖いのは、人を殺すことを何とも思っていない「恐るべき子供たち」である。また、労働者団地の中で育まれた独特な文化にも焦点が当てられていた。劇中では、ガネーシャ生誕祭やサーイーバーバー関連の祭日を地区同士競い合って祝うシーンがあったし、住民の中から文学、演劇、映画などの芸能方面へ進む人々が輩出されたりした側面にも触れられていた。いくつかの映画で労働者を演じた「アングリー・ヤングマン」アミターブ・バッチャンの人気を再現するシーンもあったが、それを見ると、ヒンディー語映画や「ワンマン・インダストリー」と称されたアミターブ・バッチャンを下から支えていたのは工場労働者だったのかもしれないと感じた。

 つまり、ムンバイーが今ある姿の大部分は、陰陽ひっくるめて、元々この繊維工場労働者コミュニティーから生まれたことが示唆されていた。ムンバイーを舞台にした映画は今までたくさん観て来たし、アンダーワールドの実態に切り込んだ作品も多く観た。しかし、ムンバイーのこの陰部をここまで鮮明に描き出した映画は初めて観た。正直言ってこの映画を観るまで繊維工場やストライキの件についてほとんど知識がなかったが、その意味するところがこの映画によってだいぶ整理された気がする。ムンバイーという都市の発展に興味のある人には、「City of Gold」は、フィクション作品ではあるが、いいイントロダクションになるのではないかと思う。

 ところが映画としての出来は完璧なものではなかった。まず指摘したいのは、舞台劇と映画の違いである。舞台劇を映画化したヒンディー語映画は少なくないが、舞台劇の脚本に囚われすぎると映画は十中八九つまらないものになる。どうしても舞台劇っぽさが出てしまうのである。「City of Gold」も、俳優の演技、台詞回し、シーンの構成、シーンとシーンのつなぎ方などが極めて舞台劇的で、映画の文法に則ったものではなく、大きな違和感を感じた。

 およそ2時間半の映画であったが、いろいろなことを詰め込みすぎているきらいもあった。おかげで観客への説明が足りない部分が多く、台詞の端々を拾い集めてストーリーの行間を推測する必要に迫られる。例えばナールー逮捕のシーンがなく、マンジューの会話で彼がいつの間にか逮捕されて服役していることが知らされる。もちろん、敢えて細部を語らない手法もあるのだが、この映画の場合は時間が足りなくて編集の結果こうなってしまったような、変な感じを受けた。それと付随して、極端な出来事が多すぎるのも気になった。5分に1回はとんでもなく不幸な事件が起こっているような印象を受けた。そしてその度にアーイー役のスィーマー・ビシュワースが泣き叫び、近所の人々が駆けつけて来る。モーハンの逮捕、マンジューの妊娠、ナールーの指名手配、アンナーの死など・・・。極端な不幸が短い間にこう何度も繰り返されるとさすがに飽きてしまう。やはり元凶は詰め込みすぎであろう。もう少しだけスローテンポにしていれば、落ち着いて観られる映画になったのではないかと思う。

 キャストの多くはおそらく舞台をメインとしている俳優たちで、皆台詞の話し方に凄みがあった。ナールーを演じたカラン・パテール、スピードブレーカーを演じたスィッダールト・ジャーダヴ、ラーネーを演じたサチン・ケーデーカルなど、迫力のある演技が目立った。母親アーイーを演じたスィーマー・ビシュワースも迫真の演技ではあったが、脚本と演出のせいでオーバーに見えることもあった。

 言語はいわゆるタポーリー・バーシャー。ムンバイヤー・ヒンディーとも呼ばれる。登場人物の大半はかなり鈍ったヒンディー語を話すため、聴き取りは困難な部類に入るだろう。

 「City of Gold」は、ムンバイーの隠された秘密に迫った重厚なドラマ映画である。舞台劇っぽさが抜けておらず、極端な展開や演技も多いため、映画としての完成度は高くない。だが、30年前のムンバイーで何が起こり、それが現在のムンバイーにどんな影響を与えているのかを手っ取り早く知るにはいい作品である。