ヨーギー・バーブーは独特の髪型と外観をしたタミル語映画界の人気コメディアン俳優である。近年の全てのタミル語映画に出演しているのではないかと錯覚するほど引っぱりダコで、「タミル語映画界でもっとも忙しい俳優」とも噂されるが、チョイ役で出演することがほとんどであるためにそれが可能となっている。やはりスポットでコメディーシーンを任されることがほとんどだが、時々主役を務めることもあり、基本的にどんな役柄でも演じられる実力派俳優だ。
「Mandela」はヨーギー・バーブー主演のタミル語映画である。公開に際してゴタゴタがあり、劇場一般公開ができず、2021年4月4日にTVで放映され、翌5日にNetflixで配信された。この映画のプロダクションであるYNOTスタジオが、コロナ禍により公開日が決まらずにいたダヌシュ主演の「Jagame Thandhiram」(2021年)をNetflixで配信すると決定したことに配給業者が反発し、「Mandela」の劇場一般公開を拒否したのである。コロナ禍における混乱によって翻弄された不幸な映画だといえる。
監督は新人のマドンネ・アシュウィン。主演ヨーギー・バーブーの他には、シーラー・ラージクマール、サンギリ・ムルガン、GMスンダル、カンナ・ラヴィなどが出演している。
Netflixで配信されているタミル語の「Mandela」を英語字幕と共に鑑賞した。
タミル・ナードゥ州のスーラングディ村では、カーストに従って南北に分断されていた。パンチャーヤト(村落議会)の議長を長年に渡って務めるペリヤ・アイヤー(サンギリ・ムルガン)は、それぞれのコミュニティーから妻を娶り、争いを収めようとしたが変化はなかった。北部人の妻から生まれたラトナム(GMスンダル)と南部人の妻から生まれたマティ(カンナ・ラヴィ)は事あるごとにいがみ合っていた。最近も、村にできたトイレを巡って一悶着があった。 ペリヤ・アイヤーが倒れ、次のパンチャーヤト選挙に立候補できなくなる。そこでラトナムとマティはそれぞれ立候補し、対立する。選挙に勝った暁にはスーラングディ村への工場建設を望む実業家から多額の賄賂が懐に転がり込む目算があった。両者は事前に得票数を数えるが、どうも同数で拮抗しそうだった。 スマイル(ヨーギー・バーブー)はスーラングディ村の床屋だった。上位カーストからこき使われ、差別を受けていた。スーラングディ村の郵便局に新しく赴任したテーンモリ(シーラー・ラージクマール)だけは彼に優しく接し、彼の口座開設を手伝う。スマイルは何もIDを持っていなかったため、彼の改名届を起点にアーダールカードや配給カードなどを作り、それらを使って口座を開設した。これを機に彼は「ネルソン・マンデラ」を名乗るようになる。 マンデラの有権者カードが届いたことで、スーラングディ村に新たに有権者が生まれる。それを知ったラトナムとマティは彼の一票を手に入れようと、彼に様々な貢ぎ物をする。気を良くしたマンデラは態度を保留し、さらなる厚遇を引き出そうとする。だが、相棒のキルダやテーンモリは傲慢になったマンデラに愛想を尽かす。 ラトナムとマティはマンデラの票を巡ってオークションを行うが、命の危険を感じたマンデラは逃げ出そうとして捕まる。マンデラはリンチに遭い、キルダも暴行を受ける。このときの怪我が原因でキルダは入院してしまう。もはやマンデラは村八分状態になってしまった。 自殺を考えたマンデラだったが、村の女性たちが、トイレがないために真夜中に外で用を足していることを知り、自分の一票を使って村を良くしようとする。マンデラはラトナムとマティに対して票と引き換えに村のインフラ整備などを要求する。おかげでトイレができ、水道に水が来て、ボロボロだった学校が修復される。 投票の日が来た。マンデラを含む村人たちは投票所で投票する。開票は翌日だった。マンデラは監視下に置かれ、開票作業が行われる。まだ結果が出る前に負けを感じ取ったマティは手下に命令を下してマンデラを殺そうとするが、回復したペリヤ・アイヤーや村人たちがマンデラに味方した。テーンモリもそこに駆けつけていた。おかげで誰もマンデラには手を出せなかった。
物語の設定はお伽話のようだ。舞台は、2つの対立するカースト・コミュニティーが南北に分かれて住むスーラングディ村。どのカーストか明示はなかったが、上位カーストであろう。パンチャーヤト(村落議会)の議長を務めるペリヤ・アイヤーのカーストも謎である。彼はその対立を収めるために、それぞれのコミュニティーから妻を娶ったが、争いは続いた。それぞれの妻から生まれた息子、ラトナムとマティがいがみ合うようになっただけだった。
主人公はスーラングディ村で床屋をするスマイルである。床屋カーストは一般的にその他の後進階級(OBC)に分類されており、不可触民ではないものの、下位カーストに含まれる。幼少時に常に笑っているような顔をしていたため、そういう名前が付いたというが、死んだ父親は英語などできなかったので、それは本名ではないようだ。彼自身も教養がなく、字が読めなかった。彼の仕事場は村のバニヤン樹の木陰だった。インドでは露天の床屋は普通である。
彼はとにかく生計を立てることだけを考えていた。人々の髪や髭が早く伸びて自分に仕事が来るのを待ち望んでいた。だが、そんな彼にも父親の遺言と合わさった夢があった。それは、いつかはちゃんとした屋根のある床屋を持つことだ。そのために少しずつ貯金をしていた。彼は村人たちから露骨な差別を受けていたが、収入が絶たれることを恐れて決して言い返そうとせず、黙って従っていた。村にできたトイレの掃除も命令されれば進んでした。ちなみに、インドにおいてトイレ掃除は不可触民の仕事である。
スーラングディ村では長年に渡ってペリヤ・アイヤーがパンチャーヤトの議長を務めていた。だが、彼が体調を崩し、選挙に立候補しないことが決まったことで、南北対立が激化する。ペリヤ・アイヤーと北部カーストの妻との間にできたラトナムと、南部カーストの妻との間にできたマティが、村の支配権を握り、多額の賄賂を手にするため、対立候補として立候補したからである。
インドは「世界最大の民主主義」を標榜するが、その実態を目の当たりにして失望する人も多いだろう。まず、ラトナムもマティも選挙の意味を全く理解していなかった。ペリヤ・アイヤーから、選挙に勝ったら何をしたいかと聞かれ、「パーティーを開く」「お礼の金を配る」など、見当外れなことを堂々と答えてしまう。いざ選挙が始まると、村人たちを金品で買収し、票固めをしていく。
とはいっても、スーラングディ村は北と南で真っ二つに分かれており、各候補者が得られるであろう票数は容易に予想が付いた。彼らが数えてみると、どうやら拮抗しそうだった。さて、どうしたものかと思っていたところに、新たに1名、有権者が加わる。それがスマイルであった。もっとも、彼の正式な有権者カードでは、彼の名前は「ネルソン・マンデラ」になっていた。
「ネルソン・マンデラ」は南アフリカでアパルトヘイト撲滅のために戦った偉人である。タミル・ナードゥ州では時々ファンキーな名前が付けられる。例えば、2021年からタミル・ナードゥ州の州首相を務めるのはMKスターリンだ。実際にネルソン・マンデラという人がタミル・ナードゥ州にいたとしても驚かない。
今まで差別されてきたマンデラが、選挙の勝敗を握るキングメーカーになったことで一転して両陣営から至れり尽くせりの厚遇を受けるようになる様子は痛快だ。しかしながら、オークション以降の展開は収拾が付かなくなってしまったと見えて、グリップ力を失う。マンデラが村の発展のために自分の一票を利用してラトナムとマティを働かせるという終盤の流れも無理がある。何とかして、なぜかマンデラが選挙に勝利するという結末に持って行けるときれいだったが、結局誰もが選挙不正をしているので、100%丸く収まる結末を用意できずにいた。
トイレ問題は、明らかに2014年から中央で首相を務めるナレーンドラ・モーディーがイニシアチブを取って推進したスワッチ・インディア運動を意識しているだろう。モーディー首相はトイレの不足がインドの発展の大きな障害になっていると国民に訴え、各地で公衆トイレの建設を急ピッチで進めた。トイレ問題を扱ったヒンディー語映画としては、「Toilet: Ek Prem Katha」(2017年)がある。ただ、「Mandela」はトイレ問題だけに集中していたわけではなかった。
社会の底辺にいた人がとある事件をきっかけに急に世間の注目を集めるというプロットは、「Peepli Live」(2010年)や「Pied Piper」(2014年)などのヒンディー語映画と比較することも可能であろう。音楽監督はOorkaというロックバンドのバラト・シャンカル。タミル人であろうが、音遣いがどことなく北インドっぽかった。
「Mandela」は、インドが誇る「世界最大の民主主義」の実態を、村落レベルのミクロな視点から描き挙げた優れた風刺映画である。いつもは脇役で登場し場を和ませる人気コメディアン俳優ヨーギー・バーブーが主演を務め、ブラックコメディーながらもシリアスな演技を見せる。特に中盤までの流れは秀逸だ。必見の映画である。