超弩級の期待作だった「My Name Is Khan」(2010年)が先週公開された影響で、その前後の週は同作との競合を避ける形で新作公開が控え目となった。今週公開のヒンディー語映画は2本だが、どちらもメジャーな作品ではなく、普通に考えたら、このような不利なタイミングでしか公開できなかった訳あり作品ということになる。ただ、こういうときに隠れた名作が公開されることもあり、油断できない。
2010年2月19日公開の新作映画「Toh Baat Pakki」は、限りなく地雷に近い雰囲気の映画ではあったものの、最近ご無沙汰となっていたタブーが出演していることで目を引かれた。しっとりとした演技に定評のある女優で、彼女が出ているならつまらないことはないだろうと思わせられるだけのオーラを持っている。タブーのみを信頼してこの映画を観に行った。
監督:ケーダール・シンデー
制作:ラメーシュ・S・タウラーニー
音楽:プリータム
歌詞:マユール・プリー、サイード・カードリー、シャッビール・アハマド
出演:タブー、シャルマン・ジョーシー、ユヴィカー・チャウダリー、ヴァトサル・シェート、アユーブ・カーン、シャラト・サクセーナー、ヒマーニー・シヴプリー、スハースィニー・ムレー、ウパースナー・スィン
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
ラージェーシュワリー・サクセーナー(タブー)は、夫のヴィナイ(アユーブ・カーン)と共にパーランプルに住んでいた。彼女の最近の心配は、妹ニシャー(ユヴィカー・チャウダリー)の結婚相手であった。 ラージェーシュワリーは町で偶然ラーフル(シャルマン・ジョーシー)という工学科の学生と出会う。ラーフルは同じカーストに属しており、ハンサムでもあった。ラージェーシュワリーは、下宿先を追い出されたラーフルを自分の家に住まわせることにし、ニシャーとも出会わせる。ラーフルとニシャーは恋に落ち、自然と2人の縁談がまとまる。 ところがそんなとき、夫の友人の息子ユヴラージ(ヴァトサル・シェート)が家を訪ねて来る。実は元々彼を家に下宿させる予定であった。だが、ラージェーシュワリーはユヴラージが既に大手企業に勤めており、経済的にラーフルよりも安定していると考え、ニシャーの結婚相手をユヴラージに決めてしまう。ラーフルは家から追い出される。しかし、ニシャーは既にラーフルに恋しており、ユヴラージとの結婚は認められなかった。 ラーフルは何とかニシャーを手に入れるため、ニシャーとユヴラージの結婚を手助けする振りをして、結婚を破談にさせるための策略を練る。しかし、お世話になったラージェーシュワリーら夫妻の恥にならない方法を考えなければならなかった。そこでラーフルは結婚式でユヴラージを誘拐させることにする。ユヴラージもニシャーとの結婚に乗り気ではなくなっており、その計画に乗る。だが、ユヴラージはそのことをニシャーに説明する機会を作れなかった。 結婚式当日、着々と式が進行する中、ニシャーはユヴラージに手紙を書き、実はラーフルと相思相愛の仲でこの結婚はできないということを伝える。その手紙を読んだユヴラージはラーフルに裏切られたと知って憤慨し、それを皆の前で公表して、否が応でもニシャーと結婚することを決める。ユヴラージを誘拐しに入った男たちは、代わりにニシャーを誘拐して逃げて行く。 ラーフルは誘拐犯を追いかけニシャーを取り戻し、式場に連れ帰る。だが、このときまでにラージェーシュワリーらはラーフルの方がニシャーにふさわしいと考えるようになっており、ユヴラージではなくラーフルと結婚させる。ユヴラージの怒りも収まっており、それを祝福する。
どんなに暇があっても是非観ないで欲しい作品。陳腐なストーリー、使い古されたエンディング、舞台劇のようなカメラワーク、テンポの悪い台詞回し、外しまくりのギャグ、いらいらする音楽、トンチンカンなロケーション、何も取り柄がない。信頼していたタブーすら全く共感できない役でどうしようもない。せっかくヒンディー語映画がダイナミックな進化を遂げつつある中、時代錯誤もいいところである。
タブーは一体どうしてしまったのだろうか?こんな下らない映画に出演するほど落ちぶれてしまったのだろうか?さらに救えないのは、彼女が演じたラージェーシュワリーがこの映画でもっとも弱いキャラクターであることである。妹の結婚相手を手先の利益に従ってコロコロと変える様は何人も共感できないだろう。
シャルマン・ジョーシーは、「Rang De Basanti」(2006年)や「3 Idiots」(2009年)で見事な脇役を演じた男優である。今回は主役だった訳だが、彼は脇役としての方が断然生きる個性を持っている。ましてや典型的なロマンチックヒーローなどは演じるべきではない。無理にかっこつけた主演を演じるとキャリアの傷になるだろう。ただ、後半はラーフル役にとって可哀想な展開となっており、情けなさ全開で非常に彼のキャラクターに似合っていた。「Toh Baat Pakki」のヒットは到底望めない駄作だが、彼の演技については並程度の評価ができる。
準ヒロインを演じたユヴィカー・チャウダリーは「Om Shanti Om」(2007年)でディーピカー・パードゥコーンの影武者としてデビューした女優である。デビュー当初からディーピカーのようなトップスターのオーラを持った女優に押しつぶされて不幸だったとしか言いようがないが、その後も何とか女優として望みをつないでおり、いくつかの映画に出演している。「Toh Baat Pakki」ではほとんど主体性のない役で、これまた可哀想な役だったのだが、時々キラリと光るものがあり、今後作品に恵まれればもう少し上を目指せるかもしれないと感じた。
準ヒーローのヴァトサル・シェートは、「Taarzan」(2004年)で大々的に主演デビューしておきながらその後鳴かず飛ばずの男優である。「Toh Bat Pakki」も彼のキャリアに何ももたらさないだろう。目の色が美しく、一度見たら忘れない顔をしているので、やはり今後良作に恵まれるのを待つしかなさそうだ。
音楽はプリータムだが、全く手抜きの曲ばかり。映画自体がダメなので、音楽だけ頑張っても仕方ないと判断したのだろうか。
映画の舞台はウッタル・プラデーシュ州のパーランプルということになっていたが、インドをある程度旅行したことのある人ならすぐに看破できるように、全くもってウッタル・プラデーシュ州の風景ではなかった。ロケは主にタミル・ナードゥ州のウータカマンド(愛称ウーティー)とゴア州で撮影されている。ロケーションに説得力がなかったことも、この映画の弱さを一層際立たせていた。
ちなみに、登場人物のほとんどはサクセーナー姓であったが、これはカーヤスト・カーストに典型的な姓である。ラージェーシュワリーは、妹の花婿のために、サクセーナー姓の若者を探していたのだった。他にインドには血筋を表すゴートラというものもあり、同一ゴートラの男女は近親者ということになって結婚できないことになっている。よって、念のために出身地も聞いていたのだった。
「Toh Baat Pakki」は絶対に観てはいけない、観せてはいけない作品である。タブーに期待しても無駄。ドブに捨ててもいい時間があったとしても、昼寝をした方がまだ、休憩にもなるし、もしかしたら面白い夢が見られるかもしれないので、マシだろう。