インドでは長らく映画が娯楽の王様として君臨して来た。テレビの普及やビデオの出現などによってその地位が脅かされたこともあったが、映画館で親しい人々と映画を観るという行為はいつの時代も娯楽の定番であり続け、最新作は人々の話題の中心であり続けた。インドは世界でもっとも庶民と映画が近い関係にある国であり、そういう国で毎週公開される新作映画を鑑賞するのは幸せなことである。だが、近年の衛星テレビの普及とテレビ番組の多様化は、インド人の娯楽と話題を映画から奪うに十分の勢いを持って来た。まだテレビは「スモールスクリーン」と呼ばれ、映画の子分扱いをされているが、人々に与える影響力はもはや映画を越えているかもしれない。それを反映してか、特定の形式のテレビ番組を題材にした映画が作られることも増えて来た。「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)はその好例だし、厳密にはインド映画ではないが、「Slumdog Millionaire」(2008年)もその一例である。映画の中でちょっとした小ネタとしてテレビ番組に関するシークエンスが出て来ることはさらに多い。
本日(2010年1月15日)より公開の新作ヒンディー語映画「Chance Pe Dance」も、基本的には世界中で人気のスター発掘番組(劇中では「スター・オブ・インディア」という番組名)を主軸にした映画である。監督は「Fida」(2004年)などのケン・ゴーシュ、主演はシャーヒド・カプールとジェネリア・デスーザである。
監督:ケン・ゴーシュ
制作:ロニー・スクリューワーラー
音楽:アドナーン・サーミー、サンディープ・シロードカル、プリータム、ケン・ゴーシュ
歌詞:クマール、イルファーン・スィッディーキー、アミターブ・バッチャーチャーリヤ
振付:アハマド・カーン、マーティー・クドレカ
出演:シャーヒド・カプール、ジェネリア・デスーザ、モホニーシュ・ベヘル、パリークシト・サーニーなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞、ほぼ満席。
3年以上前にデリーから俳優になるためムンバイーにやって来たサミール(シャーヒド・カプール)は、未だにチャンスを掴めずくすぶっていた。デリーでサーリー店を経営する父親(パリークシト・サーニー)は早く帰って来るように促すが、サミールは未だ手に入らぬチャンスを求めてムンバイーにしがみついていた。しかし、その生活は楽ではなく、もう何ヶ月も家賃を滞納していた。 サミールは、振付師の卵ティナ(ジェネリア・デスーザ)と出会い、意気投合する。サミールはちょっとしたきっかけから有名映画監督の目に留まり、次回作の主演を約束される。ちょうどその映画の振付師としてティナが採用されていた。二人はスター街道を夢見て撮影開始の日を待つ。 しかし、サミールの経済状態はそれまで待っていられなかった。バイト先をクビになり、下宿先を追い出され、今まで面倒を見て来た友人に裏切られ、車上生活を余儀なくされる。たまたま見つけた求人広告を頼りに、サミールはとある学校のダンス教師のバイトを始める。ダンスのクラスに来ていた子供の姉が偶然にもティナであった。 ところがそのとき、サミールが主演をする予定だった作品の主演が、スポンサーの意向で、オーディション番組によって選ばれることになってしまう。それを知って落ち込むサミールであったが、子供たちに励まされ、まずは彼らを学校対抗のダンス競技大会で優勝に導くことにする。また、サミールが降板させられたことでティナもやる気をなくしてしまい、その映画の振付を下りるが、同時にサミールに、オーディション番組に応募して主演を勝ち取るように説得する。サミールは悩んだ末に応募し、予選を勝ち進む。 サミールは決勝戦まで勝ち残るが、そのときデリーの父親の店が市局によって取り壊されたことを知り、急遽デリーに戻る。サミールはこのままデリーに留まろうと考えていたが、父親はオーディション番組「スター・オブ・インディア」において息子が夢を掴みかけていることを知り、ムンバイーへ送り返す。 サミールがオーディション会場に着いたときには既にオーディションは終わっていたが、サミールの必死の懇願によってチャンスを与えられる。見事サミールは優勝し、1年後、主演映画が公開される。とうとうサミールは夢を実現したのだった。
とても弱い映画だった。終始奇妙なテンポで進むのだが、ユニークな味付けを狙ってやっているのかと思いきや、見ている内に、どうも緩急を見誤った結果こうなってしまったということが薄々感じられて来る。物語の転機となる重要な部分を端折り、無意味な部分を冗長かつ緩慢に見せており、ちぐはぐな映画になってしまっていたのである。特に主人公サミールとティナの恋愛はもっと丁寧に描くべきであったし、クライマックスのオーディション番組ももう少しドラマが欲しかった。そのくせ、冒頭のサミールの寝起きシーンをやたら引き延ばして映したり、ダンス教師として採用された後の最初の授業でずっと眠りこけてしまうシーンに不必要な時間を割いたりしていて、しかもそれらが何の伏線にもなっておらず、ガックリ来た。インターミッション直前にサミールは子供たちをダンス競技大会で優勝させるという明確な目標を持ち、それがその後のストーリーの主軸となるかと思わされるが、そのシークエンスもインターミッション後にすぐに終わってしまい、これまた特にストーリーの大筋に絡んで来ない。何もかも噛み合っていなかった。各キャラクターも非常に弱かった。サミール、ティナ、父親、監督、皆何を考えているのか訳が分からない。もっとも致命的だったのは最後のまとめ方である。主演作のプレミア上映に出席するためレッドカーペットを歩くサミールの姿を映して終わるのだが、その際に挿入されるティナのナレーションで、「一生懸命努力をすれば必ずチャンスが得られる」という台詞があった。しかし、映画のストーリーは必ずしもその言葉を支持していない。むしろ、実力があっても、やはりそれを積極的に売り込んでいくガッツと処世術と、それに生まれ持っての幸運が伴わないと成功は掴めないという考えを支持する内容となっており、それは、「Chance Pe Dance」と同様に、俳優を目指す若者の奮闘を描いた「Luck By Chance」(2009年)の方がストレートに表現できていた。
また、サミールが俳優になりたいのかダンサーになりたいのかいまいち分からないのだが、それは踊ってなんぼのインド映画スターを目指しているということで一応の言い訳が付くとしよう。だが、そう考えてみても、あまりにダンスの方に重点が置かれており、いっそのことダンサーを目指しているということにした方がスッキリしたと思う。そういう状況なので、さすがにダンスには力が入っていた。元々シャーヒド・カプールはダンスが得意な部類に入る男優である上に、米国の著名なコレオグラファー、マーティー・クドレカがいくつかのシーンで振付を担当しているため、映画の各所に散りばめられているダンスシーンはこの映画の数少ない見所となっている。しかし、劇中でコレオグラファーということになっているジェネリアの方があまり踊りを見せないのはアンバランスであった。もしかしてジェネリアは踊りがあまり得意ではないのかもしれない。
映画自体の出来は悪かったのだが、演技も踊りも笑いも泣きもそつなくこなすシャーヒド・カプールは、今回は俄然リラックスした振る舞いを見せており、とても良かった。しかしヒロインのジェネリアには多少疑問符が付く。ものすごく魅力的だと思えるシーンもあるのだが、オーバーアクティングに思える演技もあり、かなり微妙な線を行っている女優である。「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)のときはフレッシュな魅力に満ちていて高く評価していたのだが、前作「Life Partner」(2009年)と本作で相変わらず同じようなキャラを演じているのを見て、次第に違うことを感じるようになって来た。もしこれらの映画で見せている彼女のキャラクターが演技によって作り出されたものなら、彼女はこのままいい女優になれる可能性を秘めている。だが、これらが単なる地だったら、よっぽどのことがない限り、彼女はここ止まりではないかと感じる。初々しさが失せたら、使い所の難しい女優になって行ってしまう恐れがある。彼女の出演作はまだ控えているので、それらによって早々にこれらの懸念を見事に払拭してくれることを期待している。
音楽監督は基本的にアドナーン・サーミーであるが、いくつかの曲を別の人が担当している。映画の冒頭に流れる「Pe… Pe… Pepein…」でテーマ・メロディーとなっているシェヘナーイーのラインは、「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」(2009年)のプリータム作曲「Oh By God」のものと全く同じである。サントラCDでは明記されていないが、どうやら「Pe… Pe… Pepein…」はプリータムの作曲のようだ。他に、サミールが子供たちにダンスのすごさを教えるときに流れる「Just Do It」という曲は、ケン・ゴーシュ監督とサンディープ・シロードカルが作曲している。他は全てアドナーン・サーミー作曲になる。映像的に面白かったのは「Rishta Hai Mera」だ。ムンバイーの街の中を、ウルトラマンみたいに巨大化したシャーヒド・カプールとジェネリアが踊るという変わった映像効果が使われている。また、この曲のギターリフは何となくビートルズを連想させる。
「Chance Pe Dance」は、シャーヒド・カプールとジェネリア・デスーザという面白いカップリングだったが、残念ながら様々な要素が噛み合っておらず、まとまりに欠ける駄作に終わってしまっている。シャーヒド・カプールによるダンスのみが何とか鑑賞に耐えられる。だが、いずれにせよ無理に観る価値のある映画ではないだろう。