中国を抜いて世界一の人口を抱える大国になったとされるインドでは、若い人口も多く、その分、受験戦争も熾烈だ。インドの教育は伝統的にエリート教育に重きを置いており、国際的に活躍する優れた人材を多く輩出する一方で、国民全体の教育レベルの底上げには後れを取っており、社会の様々な部分に歪みを生んでいる。その問題を意識してか、インドの各映画界では教育を取り上げる映画も増えてきている。ヒンディー語映画では、「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)、「Aarakshan」(2011年)、「Chalk n Duster」(2016年)、「Super 30」(2019年/邦題:スーパー30 アーナンド先生の教室)、「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)などが代表例だ。
2023年2月17日公開の「Vaathi(先生)」も直球の教育映画だ。特に教育のビジネス化問題を扱っている。タミル語版とテルグ語版が同時に作られ公開されている。つまり、単なる吹替ではなく、どちらもオリジナル扱いできる。テルグ語版は「Sir」という題名である。登場人物の名前など細かい違いはあると思われるが、ストーリーは共通しているだろう。鑑賞したのはタミル語版「Vaathi」の方だ。
監督はヴェンキー・アトルーリ。元々テルグ語映画を撮ってきた人物で、タミル語映画を撮ったのはこれが初めてだ。主演はダヌシュ。現在、もっとも汎インド的に活躍する男優の一人であるが、本拠地としているのはタミル語映画界である。
他に、サムユクター、Pサーイー・クマール、タニケッラー・バラニ、サムディラカニ、ハイパー・アーディ、シャ・ラ、アードゥカラム・ナレーン、ラージェーンドラン、ハリーシュ・ペーラディ、バーラティラージャー、スマントなどが出演している。
ちなみに、下のあらすじの中に出て来るTNPCEEとは、「Tamil Nadu Professional Courses Entrance Examination」の略で、タミル・ナードゥ州において行われる共通入試の一種で、医学系および工学系の大学に進学したい生徒が受験する。現在は廃止され、12年生全国共通試験(Board Exam)に一本化されているが、映画の舞台となる1999年前後にはまだ実施されていた。また、映画に登場するのは「Higher Secondary School」だが、この学校で学ぶのは11年生と12年生で、日本の教育制度に置きかえると高校2年生と3年生にあたる。11年生の最後に進級テストがあり、12年生の最後に全国共通試験とTNPCEEがある。
2022年、3人の受験生は、潰れたレンタルビデオ屋からいくつものビデオカセットを見つける。再生してみると、一人の教師が数学を教えている様子を映したものだった。その教え方に感銘を受けた受験生たちは、「AMクマール」という名前を手掛かりにその教師を探す。 AMクマール(スマント)はチョーラヴァラム村の徴税官をしていた。三人はAMクマールと会うが、ビデオに映っていた男性と違った。三人がビデオのことを質問すると、AMクマールは自分の師であるバーラムルガン(ダヌシュ)について語り出した。 バーラムルガンは、1990年代末にチョーラヴァラム村の公立高校に赴任してきた数学教師だった。経済自由化以降、インドでは塾産業が勃興し、優秀な教師が高額の報酬で塾に引き抜かれ、公立学校が教師不足に陥って閉鎖を余儀なくされていた。ティルパティ塾の塾長で私立学校協会の会長シュリーニワース・ティルパティ(サムディラカニ)は、塾に対する規制強化を防ぐため、教師を公立学校に派遣すると約束する。だが、公立学校に送り込まれたのは三流教師だった。ただし、もし教えた生徒を全員TNCPEEに合格させることができたら昇進できるという条件も付いていた。 野心的な教師バーラムルガンは意気揚々とチョーラヴァラム村の公立学校で教え始めるが、生徒は誰も登校しなかった。生徒たちは家の仕事に従事しており、親たちは子供を学校に送ろうとしなかった。教師たちもそんな現状を甘受していた。唯一、生物教師ミーナークシー(サムユクター)だけはその状況を憂いていた。バーラムルガンはサムユクターに一目惚れする。 バーラムルガンは村人たちを説得して子供たちを学校に呼び込むことに成功し、たちまち卓越した教え方で生徒の心を掴む。また、上位カーストと下位カーストの生徒たちの間にあった壁も取り払う。途中で物理教師と化学教師が辞めてしまうが、彼はそれらも教える。おかげで45人の生徒たちは皆、1年目のテストでグレード1となる。 ところが、ティルパティはそれを面白く思わなかった。なぜなら彼の塾の合格率は75%だったからだ。これでは公立学校に生徒が流れてしまう。ティルパティはバーラムルガンを高給で自分の塾に引き抜こうとするが、教育をビジネス化するティルパティの考え方に反発したバーラムルガンはそれを拒否する。バーラムルガンはチョーラヴァラム村で引き続き教え続けようとするが、ティルパティからの妨害に遭い、村から追放される。 ボロボロになったバーラムルガンは故郷に戻り、細々と小さな個人塾で教えていたが、そこへミーナークシーが現れ、彼が去った後のチョーラヴァラム村の学校の惨状を伝える。そこでバーラムルガンは、チョーラヴァラム村の潰れた映画館を借りて生徒たちを呼び、ビデオを使って彼らに教え始める。村の人々は、子供たちは映画を観ていると思っていた。 異変に気づいたティルパティは、バーラムルガンの教え子たちがTNPCEEを受けられないように妨害する。だが、バーラムルガンは暴漢たちを撃退し、彼らを何とか試験会場まで送り届ける。45人は医学系大学や工科系大学に合格する。しかも、彼らと一緒に勉強していたムトゥも合格していたことが分かる。彼こそがAMクマールであった。 ティルパティは、バーラムルガンが教えた46人の子供たちの親を買収し、ティルパティの塾で学んだと嘘を言わせる。それを知ったバーラムルガンは敢えて子供たちにそれを否定させず、ティルパティからのオファーを受け入れるように指示する。ただし、将来、貧しい子供たちにも教育を与えることを約束させた。今でもバーラムルガンはどこかで貧しい子供たちを教えていることだろう。
映画のストーリーは、ダヌシュが演じる主人公バーラムルガンが、固い信念と腕っ節の強さでもって恵まれない子供たちに最高の教育を施し、彼らの未来を切り拓く様がほぼ一本調子かつ楽観的なタッチで描かれたものだ。教育映画にはよくありがちな筋書きであり、ひとつひとつの展開は大体予想の範囲内だろう。
ただ、この映画が警鐘を鳴らしている問題は非常に深刻である。インドでは、教育の民営化が進むことで教育が巨額の利益を生み出すビジネスとなっており、裕福な家庭の子供しか質の高い教育を受けられず、受験戦争を生き残れないような不平等な社会になりつつある。それを是正するためには、志のある人々が立ち上がり、全ての子供に質の高い教育を与えるイニシアチブを取る必要がある。SDGsの4番目の目標「質の高い教育をみんなに」を地で行く映画であった。
ヒンディー語の教育を主題にした映画と比較するならば、「Super 30」と「Aarakshan」を合わせたような作品である。
教師が主人公のタミル語映画といえば、ヴィジャイ主演の「Master」(2021年/邦題:マスター 先生が来る!)が思い付く。だが、「Master」ははっきりいって大学や少年院を舞台にした抗争映画であり、教育を真面目に語った映画ではなかった。それに比べれば「Vaathi」はインドの教育産業が抱える問題に真っ正面から向き合った有意義な映画である。
しかしながら、ダヌシュのスーパースター振りが目立ちすぎており、この教育問題を解決するために市井の我々は何をすればいいのか、監督の主張がよく分からなかった。私立学校を全廃して教育は全て公立学校が担えばいいのか、私立学校の授業料まで無料にすればいいのか。経済力やカーストの分け隔てなく子供たちを教育するべきだということに異論を唱える人はいないだろうが、現実は映画のように全てがうまくいくわけでもない。「Super 30」のモデルになったアーナンド・クマール先生でも毎年100%の生徒をインド工科大学(IIT)に送り込めているわけではない。
「Vaathi」に登場する学校では、問答無用で理系の教科のみを教えているのも本当は問題だ。日本では高校で理系と文系の2つに分かれるが、インドでは、11年生から理科系、商科系、人文系の3つに分かれる。これらの中で一番人気は理科系だ。高給職であるエンジニアや医者への近道だからだ。その一方で一番人気がないのは人文系だ。稼げる進路につながらないからである。発展途上国の教育はどうしても手に職を付けることが一番の目的になってしまうが、今後は人文系の学問を含めた多様な学びに目を向けるような教育系映画が出て来る時期なのではないかと思う。
ロマンス映画としては完全に不合格だ。バーラムルガンとミーナークシーの恋愛はオマケに過ぎず、彼らがその後どうなったかについて語られることはない。一目惚れから始まり、なし崩し的にカップルが成立する流れには何の目新しさもない。
主な時間軸は2022年と1999年で、およそ四半世紀の差がある。そのギャップを端的に象徴していたのはビデオだ。2022年の若者が、潰れたレンタルビデオ屋で謎のVHSビデオを見つけ、物置からビデオデッキを引っ張り出して再生する。インドではとうの昔にビデオは絶滅している。ビデオの後、VCDがあり、DVDがあり、そしてブルーレイが来たと思ったら時代はストリーミングに移行した。スマホ世代の彼らがビデオカセットを見てすぐにビデオカセットだと認識できたことに若干の違和感を感じたものの、レンタルビデオ屋が潰れて久しいことなどからは時代の変遷を強く感じさせた。また、コロナ禍にはオンライン授業が一般化したが、1999年にはビデオを使って遠隔授業をしていたという設定も現代人の目には新鮮に映る。この辺りの時代の差をうまくストーリーにギミックとして組み込んでいる点は評価したい。
「Vaathi」は、教育のビジネス化を取り上げた映画で、ダヌシュが熱血教師を演じ、一刀両断で問題を解決に導く。これは重要な問題だが、あくまでスーパースターを中心に構成された娯楽映画であり、問題の本質への切り込みや解決案の提示などについては弱さを感じずにはいられなかった。基本的には娯楽映画として鑑賞すべきである。