99

3.0
99
「99」

 かつてこれほどの枯渇感を味わったことがあるだろうか・・・?酷暑期のことを言っているのではない。確かにデリーの今の季節、空気が極度に乾燥していて喉がやたらと渇き、水がアムリタ(霊薬)のごとく美味に感じられるが、この枯渇感は暑さから来るものではない。映画の欠乏から来る枯渇感だ。現在、ヒンディー語映画界では映画プロデューサーの組合と大手マルチプレックス・チェーンの間で興行収入の配分を巡って大規模な対立が起こっており、その影響で2009年4月3日以来、一本もまともな新作映画が公開されないという前代未聞の旱魃に見舞われているのだ。双方既に相当な損害を被っているのだが、未だに決着は付いていない。今後、「Kambhakht Ishq」や「New York」などの話題作が控えているのだが、このまま膠着状態が続けば、それらの公開も先延ばしになってしまう可能性がある。ちなみに、新作が供給されないために各映画館は過去の名作のリバイバル上映をしてその場凌ぎをしている。もし見逃した映画がある人は、チェックしてみるといいだろう。

 そんな旱魃の中、一滴の雨水がこぼれ落ちた。2009年4月3日の「8×10 Tasveer」公開以来、6週間振りにまともな新作ヒンディー語映画が公開されることになったのである。2009年5月15日に公開された映画の名は「99」。クナール・ケームー、ソーハー・アリー・カーン、ボーマン・イーラーニーなどが出演。キャストのレベルからしたら中程度であるが、久々の新作ヒンディー語映画ということで、オアシスに飛び込むような気持ちで映画館へ向かった。

 ちなみに、プロデューサーとマルチプレックスの対立が続いている中、「99」だけが公開と相成ったのは、この映画のプロダクションが、ピープル・ピクチャーズという新しい会社で、プロデューサーの組合としがらみがなかったからだと思われる。このままプロデューサー側にポツポツとこのような反乱分子が出て来ると、今回の対立はなし崩し的にマルチプレックス側の勝利に終わるかもしれない。

監督:ラージ・ニディモール、クリシュナDK
制作:アヌパム・ミッタル、アーディティヤ・シャーストリー
音楽:アシュ、ローシャン・マチャードー、シャミール・タンダン、マヘーシュ・シャンカル
歌詞:ヴァイバヴ・モーディー、アミターブ・バッターチャーリヤ、シャッビール・アハマド、チンタン・ガーンディー
出演:クナール・ケームー、ソーハー・アリー・カーン、ボーマン・イーラーニー、サイラス・ブローチャー、シモン・スィン、マヘーシュ・マーンジュレーカル、ヴィノード・カンナー、アミト・ミストリー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 1999年、ムンバイー。携帯電話の偽造SIMカードを作って小金を稼いでいたサチン(クナール・ケームー)とザラームド(サイラス・ブローチャー)は、警察から逃亡する最中に、クリケット賭博の元締めAGMのベンツを盗んで壊してしまう。AGMに捕まった二人は、被害を弁償するために彼の下で働くことになる。

 ところが、ちょうど2000年問題によってインドのIT産業は急成長を迎えた時期だった。ネットカフェを成功させたサチンとザラームドは、AGMのお気に入りの部下となる。そこでAGMは、クリケット賭博に200万ルピーを賭けて負け、そのまま金を支払っていない、デリー在住のラーフル(ボーマン・イーラーニー)から金を取り立てるため、二人を送り込むことにした。二人は嫌々ながらもデリーに降り立つ。

 両替商を営むラーフルは賭博癖があり、AGMの知り合いのクベール(アミト・ミストリー)から70万ルピーの借金をして首が回らない状態だった。妻のジャーンヴィー(シモン・スィン)とは別居状態にあり、人生のどん底にいた。当然、サチンとザラームドにも支払う金はなかった。彼は金曜日まで猶予をもらう。なぜなら金曜日には大きなクリケットの試合があり、そこでうまくすれば大金が手に入るからだった。

 ザラームドは金曜日まで待っているのが退屈だったが、サチンは宿泊中の5つ星ホテルに勤務するプージャー(ソーハー・アリー・カーン)と恋に落ちていた。サチンは彼女に、いつかコーヒーショップを開く夢を語る。

 ラーフルは、ロンドン在住のJC(ヴィノード・カンナー)とトランプ賭博をし、大金を獲得する。JCは、クリケットの八百長に関わっていると専らの噂であった。ラーフルはその金で携帯電話を2つ買い、ひとつを誕生日プレゼントとしてジャーンヴィーに贈る。だが、もうひとつの携帯は、借金の形としてクベールに取られてしまう。ラーフルはもう賭博はしないとジャーンヴィーに約束していたのだが、クベールと電話で会話をしたことでまた彼が賭博をしたことを知り、失望する。

 ラーフルのオフィスにお得意様の客がやって来て、両替のためにまとまった米ドル紙幣を置いて行く。だが、そこへしびれを切らしたサチンとザラームドがやって来て、その金を巻き上げて行ってしまう。だが、サチンとザラームドは悪徳タクシー運転手とその息のかかった子供たちの連携によって騙され、その金が入ったスーツケースを盗まれてしまう。ラーフルもサチンもザラームドも万事休すとなった。

 だが、三人は一発逆転を狙って大金を手に入れる計画を立てる。鍵は金曜日に行われるインド対南アフリカ共和国のクリケットの試合であった。ラーフルは、八百長の総元締めJCからどちらが勝つか情報を聞き出し、それに従って大金を賭ければ、全ての損失を取り戻せると提案した。ちょうどJCはサチンとザラームドと同じホテルに宿泊していた。サチンとザラームドは、プージャーの助けを借りてJCの携帯電話のSIMカードを写し、偽造SIMカードを作って盗聴する。だが、重要な情報は電話で話されなかった。

 また、賭博の資金をどこかから調達しなければならなかった。サチンとザラームド、それにラーフルは、AGMの借金取り立てリストを利用し、そこに載っている負債者から資金を集めることを決める。三人はとあるボージプリー俳優から、借金の半分を手に入れることに成功する。それでも十分な額であった。だが、目立った行動をしたせいで、彼らが勝手に借金の取り立てを行っていることがAGMに知れてしまう。また、ラーフルの家で金を数えているときにクベールがやって来たのだが、このときサチンはクベールとその片腕をコテンパンにやっつけて追い返す。おまけにラーフルの携帯電話も取り戻す。

 既に木曜日になっていた。ラーフルはJCと直接会って情報を集めることにする。JCは以前、ラーフルからの豆情報のおかげでギャンブルに勝ったことがあり、彼に恩義を感じていた。JCは金曜日のクリケット試合で南アフリカ共和国が勝つという情報を教える。

 2000年3月14日、インド対南アフリカ共和国の試合が行われる。ラーフルはクリケット賭博の人間に金を渡し、賭けに参加する。一方、サチンはクベールの逆襲に遭って捕まるが、首尾良く逃げ出すことに成功する。だが、試合はインドの勝利に終わった。サチン、ザラームド、プージャーは肩を落とす。だが、ラーフルは実はJCが嘘の情報を与えていることを見抜いており、インドに賭けていた。つまり、彼らは賭けに勝っていた。

 翌日、サチンはデリーのパーリカー・バーザールへ配当金の受け取りに行く。同時に、ザラームドとプージャーは警察へ行く。なぜならJCの盗聴テープに八百長の証拠が残っていたからである。だが、警察は八百長のことを既に察知しており、クリケット賭博業者一斉逮捕に踏み切ろうとしていた。ザラームドは急いでサチンに電話をする。幸い、サチンはラーフルの携帯電話を持っていた。危険を察知したサチンは金を受け取って逃げ出す。やはりその場には警察が張り込んでおり、サチンの後を追う。

 ホテルに戻ったサチンだったが、部屋ではAGMが待ち構えていた。サチンは賭けで勝った全ての金を差し出して命を許してもらう。だが、ホテルを出ようとしたAGMは警察に取り囲まれ、射殺されてしまう。

 全てが丸く収まろうとしていた。ラーフルはクベールに捕まってしまうが、銃の暴発で手を怪我したクベールはそのままラーフルの自動車をぶんどって病院へ向かう。だが、すぐに交通事故に遭って死んでしまう。ラーフルが家に戻ると、ジャーンヴィーが帰って来ていた。また、お得意様から預かった米ドルも、偶然スーツケースごと戻って来た。サチンとザラームドは、ムンバイーへ帰る途中にボージプリー語映画俳優に出会い、AGMへの残りの借金を受け取る。サチンはその資金を元手にコーヒーショップを開き、成功させる。

 1999年から2000年のムンバイーとデリーを舞台にした、脚本主体の佳作であった。この映画でもっとも面白かったのは、2000年3月14日のクリケット八百長疑惑事件という実際に起こった出来事を中心に、インターネットと携帯電話が世の中を変え始める時代の雰囲気をうまくストーリーに織り込んで、機知に富んだストーリーにまとめ上げていたことである。おまけに、インドのコーヒーブームまで織り込んであった。

 2000年3月14日のクリケット八百長疑惑事件とは、南アフリカ共和国クリケット代表の主将ハンジー・クロンジェらが関わり、デリー警察がその全貌を偶然暴いた八百長事件である。デリー警察は麻薬密輸などのネットワークを捜査する中で偶然、ロンドンを拠点としたクリケット八百長シンジケートの総元締め、サンジャイ・チャーウラーとハンジーが、3月14日にナーグプルで行われたインド対南アフリカ共和国の試合内容を事前に相談する会話を傍受し、4月に入ってからそれを公にした。ハンジー他、3人の南アフリカ共和国選手がこの八百長に関わっているとされた。彼らは当初否定したものの、後に八百長への関与を認めた。ハンジーは国を代表する選手であったが、この事件によってクリケットから永久に追放された。また、この事件は「紳士のスポーツ」と異名を持つクリケットにとって大きな汚名となった。クリケット八百長を題材にした映画としては、昨年公開された「Jannat」(2008年)が記憶に新しい。「Jannat」は南アフリカ共和国が舞台となっていたが、おそらくハンジー・クロンジェの事件を念頭に置いてのことであろう。

 クリケットでは、100という数字は特別な意味を持っている。試合の中で100ランを達成することを「センチュリー」と呼び、サッカーにおけるハットトリックや野球における満塁ホームランのように、偉業として記録される。映画の題名「99」には、1999年という意味も込められているだろうが、おそらく「センチュリー」まであと一歩、つまり成功の直前のもっとも危険な状態のことも示しているのだと推測される。

 また、1999年~2000年と言えば、携帯電話がインドで普及し始めた頃であった。映画中では、まだ携帯電話に使い慣れていない人々の言動が多く見られ、今から見るととてもおかしく思える。そうそう、あの頃はまだ受信コールにも課金されていたのだった。携帯電話がストーリーにもいろいろな形で関与して来るのも、憎い演出である。携帯電話が人体に悪影響を与えるという「都市伝説」も度々台詞の中で触れられ、最後にひとつのオチとして使われていた。

 これはオマケになるが、主人公のサチンはコーヒーショップを開くことを夢見ていた。これは明らかに、バリスタやカフェ・コーヒーデーなどが先導したインドのコーヒーブームの先駆けを示している。サチンは、インドでおいしいコーヒーが飲める場所がないと常々不満を漏らしており、自分がインド人に様々なバリエーションのコーヒーを飲める場所を提供すると夢を語る。ただ、調べてみたところ、バリスタの創業年は1997年、カフェ・コーヒーデーに至っては1996年であり、1999年~2000年を舞台とした「99」は少し時代が遅れている。それらの店が全国にチェーン展開をし始めたのは創業から少し後になるだろうし、実際に2000年前後がその転機になったと記憶しているので、完全に誤った時代考証とは言えないが。

 他にも、2000年3月のビル・クリントン米大統領(当時)のインド訪問を告げる看板や、2000年公開映画「Kaho Na… Pyaar Hai」の看板があったりして、当時の時代背景を演出するちょっとした小道具が用意されており、当時を知る人は思わずニンマリしてしまうだろう。ただし、突っ込み所もないわけではない。例えば、当時デリーを走っていたオートリクシャーは、今のように緑と黄色のツートンカラーではなく、黒と黄色のツートンカラーであった。だが、映画中では緑と黄色のツートンカラーのオートリクシャーが走っていた。

 クナール・ケームーは、チャラチャラしたチンピラ風情の役が非常に板に付いた若手男優であり、今回も十八番の演技と言っていい。徐々にヒンディー語映画界で定着して来ているので、今後新たなイメージを切り開くことが課題となるだろう。相棒のザラームドを演じたサイラス・ブローチャーはMTVのVJで、主にTV界で活躍しているが、「Little Zizou」(2008年)などの映画にも出演している。いわゆるデブキャラであり、巨体を活かしたコミカルな演技に徹していた。演技派のボーマン・イーラーニーはいつも通り優れた演技を見せていた。往年の名優ヴィノード・カンナーが出演していたのはレアであった。

 ヒロインはソーハー・アリー・カーンであるが、大きな見せ所はなかった。急速に劣化が進んでいるように思えるので注意が必要である。他にシモン・スィンが出演していたが、どちらかというと彼女の方が少ない出番の中でしっかりとした演技をしていた。

 音楽や歌詞は、ほとんど無名の人々による寄せ集めとなっている。悪くはなかったが、サントラCDを買いたいと思わせられるほどでもなかった。

 この映画はデリーとムンバイーを舞台にしており、いわゆるデリー対ムンバイーの論争も随所に反映されていた。端的に言えば、ムンバイーの人間はデリーを馬鹿にしており、デリーの人間はムンバイーを馬鹿にしているということだ。特に主人公はムンバイーの人間であるため、台詞の端々にデリーに対する偏見が見られた。面白かったのは、「デリーの女の子の名前はプージャーかネーハーしかない」というものだった。そして本当にサチンはプージャーという女の子と恋に落ちるのである。

 「99」は、新作渇望の中、天からこぼれ落ちた一滴の滴である。キャストに大きな観客吸引力はないが、脚本で魅せる映画であり、十分に楽しめる。僕のように映画に飢えた人々の心を捉えることができれば、エクストラの興行収入を上げることも可能だ。