今でこそヒンディー語映画界では頻繁にホラー映画が制作されるようになったが、実はこれは最近の傾向であり、以前はヒンディー語映画界でホラー映画は受け入れられていなかった。それを変えたのはヴィクラム・バット監督の「Raaz」(2002年)のヒットである。ビパーシャー・バスの人気を決定的なものとしたこの映画は、今観れば未熟なホラー映画ではあるが、音楽が一級品だったこともあり、当時は大いに話題となった。よって、ヴィクラム・バットはインド製ホラーの先駆者と言える。しかしながら、今までインド製ホラーを牽引し、発展させて来たのは、むしろラーム・ゴーパール・ヴァルマーであった。「Bhoot」(2003年)、「Darna Mana Hai」(2003年)、「Vaastu Shastra」(2004年)、「Darna Zaroori Hai」(2006年)、「Phoonk」(2008年)など、数々のホラー映画を監督・プロデュースし、ヒンディー語映画界にホラー映画というジャンルを定着させた。一方、ヴィクラム・バット監督は「Raaz」以降、ホラー映画からは離れていた。しかし「Raaz」から6年の歳月を経て、遂にバット監督が再びホラーに挑戦した。それが2008年9月12日公開の「1920」である。
監督:ヴィクラム・バット
制作:スレーンドラ・シャルマー、アミター・ビシュノーイー、バーグワンティー・ガブラーニー
音楽:アドナーン・サーミー
衣装:ヴァイオレット・モニス
出演:ラジニーシュ・ドゥッガル、アダー・シャルマー、アンジョリー・アラグ、ラージ・ズトシー、ラーキー・サーワント(特別出演)など
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。満席。
時は1920年。父親の反対を押し切って、英国人とインド人のハーフ、リザ(アダー・シャルマー)と駆け落ち結婚したアルジュン・スィン・ラートール(ラジニーシュ・ドゥッガル)は、しばらくムンバイーで建築技師をして暮らしていたが、ヒマーラヤの山間の町パーラムプルに仕事を得て、リザと共に旅立つ。 アルジュンは、閑静な森林の中にある大邸宅を取り壊し、ホテルを建設する仕事を任せられた。邸宅に住み込んで仕事を始めるが、リザは屋敷の中で不気味な気配を感じる。また、屋敷には開かずの扉があったが、リザが触るとなぜか扉が開いた。中には大きな女性の絵とピアノが置かれていた。だが同時にリザはその部屋で、首を吊った人間のような物陰を一瞬目にする。 リザは近隣の教会の神父(ラージ・ズトシー)にお祓いをしてもらい、一応安心する。 ところが屋敷に取り憑く悪霊はそんなに弱いものではなかった。アルジュンがデリーに出張に行っている間に悪霊はリザに憑依してしまう。まずは医者がリザを治療しようと病院に入院させるが、医者の手に負えるものではなかった。悪霊は、4日後にリザをあの世へ連れて行くと宣言する。 アルジュンは、かつてこの邸宅に住んでいたラーダーという女性を訪ねる。ラーダーは、その屋敷に隠された秘密を語り出す。 時は1857年、インド大反乱のあった年。この屋敷の主はインド大反乱に参加して留守だった。娘のガーヤトリー(アンジョリー・アラグ)は、メイドとその娘と共に留守番をしていた。その娘がラーダーであった。ある日、屋敷に怪我をした一人の兵隊がやって来る。メイドはその男の手当てをした。ところがその男は英国人との密通者であった。それを知ってしまったメイドは男に殺されてしまう。ガーヤトリーは、ラーダーを叔父のもとに送り、救援を頼む。その間ガーヤトリーは男を屋敷に引き留めるため、彼に身体を捧げる。そうしている間に叔父が到着し、男を首吊りにする。だが、男は死ぬ前に、魂となってこの屋敷に住み続け、ガーヤトリーをあの世へ道連れにすると宣言する。それが地縛霊となって屋敷に取り憑いていたのだった。その後、ガーヤトリーは別の場所へ移されたが、一夜男に身体を許したばかりに結婚できず、独身のまま死んだ。一方、ラーダーはそのまま屋敷に住み続けたが、取り壊しが決まった後に引っ越したのだった。 パーラムプルに戻ったアルジュンは神父に助けを求める。神父は、リザを救うために悪魔払いの儀式を行うことを決める。だが神父は未熟で、その儀式の中で悪霊に殺されてしまう。後はアルジュンしか残っていなかった。だが、アルジュンはハヌマーン・チャーリーサーを唱えて悪霊を撃退する。
ロケ地がインドっぽくないこと、セットが技術的に稚拙なこと、宗教観がごちゃ混ぜになっていること、音楽が無理に挿入されていることなど、いくつか弱点が見られたが、全体としては合格点を付けられるホラー映画となっていた。悪霊に取り憑かれたリザの動作や表情は、特にこの映画の恐怖を盛り上げていた。相変わらずインド人観客はホラーシーンでゲラゲラ笑っていたが、「Phoonk」のときよりは少し乾いた笑いになっていたと思う。乾いた笑い、つまり、けっこう本気で怖がりながら強がって笑っていたのではないかと思う。ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の「Phoonk」はホラー映画として見たら失格、コメディー映画として見たら合格というレベルであったが、「1920」はホラー映画として勝負できる怖さがある。
愛の力で恋人に取り憑いた悪霊を追い出す、みたいな陳腐な展開は蛇足であったが、ホラー映画の中に、「神様はいるかいないか」という古代からの伝統的な論争を盛り込んでいたのはなかなかよかった。主人公のアルジュンは、毎日ハヌマーン・チャーリーサーを唱えるほど信心深い若者であったが、その宗教が原因で自分の愛する女性リザとの結婚を反対されると、「もう神様は信じない」と宣言して駆け落ち宣言をしてしまう。だが、リザが悪霊に取り憑かれたことが分かってからは、彼は結局神様の力に頼る。最初はリザが信仰するキリスト教の方法で悪霊退散をしようとしたが、神父が殺されてしまい、孤軍奮闘しなければならなくなる。そこで彼は封印していたハヌマーン・チャーリーサーを唱え出す。これがなぜか悪霊に効果てきめんで、チャーリーサーを唱え終わると同時に悪霊はリザの身体から抜け出て消滅する。
この映画でもっとも怖いのは、悪霊に取り憑かれたリザである。リザを演じるアダー・シャルマーは、この映画がデビュー作の新人であるが、今後のキャリアを全く気にしていないのかというぐらい渾身のホラー顔を披露していた。神父の悪魔退散の儀式から逃げるために廊下を走り回るシーンは、怖おかしいという微妙な感情を与えてくれた。今まで使われていなかった心の部分を刺激された感じである。
主演のラジニーシュ・ドゥッガルも新人俳優である。元モデルだけあってハンサムだが、俳優として成功するかは今のところ未知数だ。
インド製ホラー映画の伝統的な欠点は、ダンスシーンやミュージカルシーンも無理に挿入してしまうことである。ホラー映画とダンスは基本的に相性がよくない。ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の映画では敢えてそういうシーンが全くないことが多いが、「1920」ではインド映画の伝統に忠実に則って途中で音楽が挿入されており、しかもそれが効果的ではなかったので、結果的に映画の質を落としていた。ただ唯一、ラーキー・サーワントがアイテムガール出演する「Bichua」だけはなかなか盛り上がっていた。
1920年という時代を考証したのか、台詞の中にはウルドゥー語寄りの語彙が多かった。馬車やヴィンテージカーを登場させたりして1920年という時代の雰囲気を出そうと頑張ってはいたが、いまいち時代劇という感じがしなかった。その一番の原因は、この映画の真の主人公と言える屋敷であろう。いかにもヨーロッパ風のこの屋敷は、英国ヨークシャーにあるもののようだ。お化け屋敷としてはいいチョイスだとは思うが、インド感は全く出ていなかった。
「1920」は、意外によくできたホラー映画である。ヒンディー語のホラー映画はどちらかというとコメディー映画に近いものが多いが、これはけっこう真剣に恐怖を提供してくれる作品である。