ヒンディー語映画界において、結婚式の一部始終を追うスタイルの映画は人気で、「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)など、数々の作品が作られてきた。今でもその種の映画は作られ続け、新たな可能性が開拓され続けている。それほど結婚式はインド人にとって物語の源泉なのである。それに対し、人生において結婚式に匹敵する重要な冠婚葬祭行事である葬式は、今までヒンディー語映画でそれほど主題になって来なかった。もちろん、登場人物が死ねば葬儀のシーンがあることは少なくないが、サラリと描写されるだけで終わるのが一般的である。ただ、最近になって葬式の映画というのも徐々に作られるようになって来た。「Pagglait」(2021年)や「Ramprasad Ki Tehrvi」(2021年)などである。
2022年10月7日公開の「Goodbye」も、上記の映画に続く葬式映画である。プロデューサーはエークター・カプールなど、監督は「Queen」(2014年/邦題:クイーン 旅立つわたしのハネムーン)や「Super 30」(2019年/邦題:スーパー30 アーナンド先生の教室)のヴィカース・ベヘル。音楽監督はアミト・トリヴェーディー。
主演はアミターブ・バッチャン。他に、ニーナー・グプター、ラシュミカー・マンダーナー、スニール・グローヴァー、パヴァイル・グラーティー、アビシェーク・カーン、サーヒル・メヘター、シヴィン・ナーラング、エリ・アヴラム、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、ニールー・コーリーなどが出演している。この中でヒロイン扱いは南インド映画界で活躍するラシュミカーで、彼女にとっては本作がヒンディー語デビュー作になる。
舞台はチャンディーガル。気難しい老人ハリーシュ・バッラー(アミターブ・バッチャン)の妻ガーヤトリー(ニーナー・グプター)が心臓発作で亡くなった。ハリーシュとガーヤトリーの間には、長男カラン(パヴァイル・グラーティー)、次男ナクル(アビシェーク・カーン)、長女ターラー(ラシュミカー・マンダーナー)、そして養子のアンガド(サーヒル・メヘター)の4人の子供がいた。彼らの居場所はバラバラで、カランはサンフランシスコで白人の妻デイジー(エリ・アヴラム)と共に暮らしており、ナクルは登山に出掛けていた。ターラーはベンガルールで弁護士をし、DJのムダッサル(シヴィン・ナーラング)と同棲していた。アンガドはドバイに住んでいた。 チャンディーガルの家に彼らは集う。だが、ハリーシュの目には、子供たちが母親の死をちっとも悲しんでいないように映った。ハリーシュの気難しい性格は、子供たちを遠ざけることになり、親子の仲は決して良くなかった。ただ、天真爛漫なガーヤトリーの存在がこの家族の潤滑油になっていたのだった。 葬儀は伝統的なヒンドゥー教の方式で執り行われた。迷信を信じないターラーは、古臭い葬儀にいちいち反発する。ガーヤトリーの火葬が行われ、ガンガー河に遺灰が流される。長男は浄化のために頭を丸めなければならなかったが、カランはそれを拒否する。 様々な出来事を通して家族は絆を取り戻して行く。チャンディーガルに戻ると、ハリーシュの誕生日のためにガーヤトリーが手配したサプライズのダンスが待っていた。ハリーシュはガーヤトリーが最後に一家の団らんという素晴らしい贈り物を贈ってくれたことを知る。カランとナクルは頭を丸め、ターラーは迷信を少し信じてみるようになる。
人の死は悲しいものだが、必ずしもよくヒンディー語映画で描かれるような、悲痛と慟哭に沈む葬儀ばかりというわけでもなく、特にある程度天寿を全うした年配の人の葬儀では、もう少し雰囲気は明るくなるものだ。「Goodbye」は、不協和音が響く一家において、持ち前の明るさにより、バラバラな方向へ向かっていた家族を何とかまとめていた愛すべき母親ガーヤトリーの死をきっかけに、一連の葬儀の様子を通して、各登場人物の心情に変化が訪れていく様子を追った作品である。そこには確かに悲しみの表現もあるのだが、どちらかというとブラックコメディー映画であり、クスッと笑えるようなシーンが随所に散りばめられていた。そして、思わず生死や家族などについて想いを巡らせることになる。
インド人は世界の中でももっとも家族を大事にするイメージがあるのだが、この「Goodbye」を観る限り、若い世代の中で個人主義が浸透し、家族を二の次を考える価値観が主流になって来ている様子が推察される。既に「Baghban」(2003年)で、老いた両親の面倒を子供たちが見ようとしない、「姥捨山」的な問題が取り上げられていたが、「Goodbye」では、葬儀にも大した関心を払わなくなっている現状が示唆されていた。
北インドの葬式は「テーラーヴィーン」と呼ばれ、13日間にわたって行われる。「Goodbye」は比較的丁寧にテーラーヴィーンの儀式を追っており、インドにおいてどのような手順で葬儀が進行していくのか観察できるのが外国人にとっては興味深い。登場人物の中にインド文化に疎い白人女性がおり、彼女の好奇心に満ちた視点からもユニークなインドの葬儀が映し出される。一見すると何のためにやっているのか分からないことにも一応の説明が加えられている。インドの葬儀を追体験するためには絶好の映画である。
テーラーヴィーンを通してガーヤトリーの子供たちそれぞれに人間的な成長があったわけだが、もっとも印象深かったのはターラーだ。弁護士のターラーは物事を理論的に考えなければ気が済まないタイプで、ヒンドゥー教式の葬儀やそれにまつわる信条も迷信と切り捨てていた。だが、彼女はガンガー河で出会ったパンディトジー(僧侶)から様々な知恵を授かり、次第に視野が広がっていく。全てを科学で説明することはできる。だが、それでは退屈だ。パンディトジーは、人々の心に残るのは科学的な説明ではなく、物語だと言う。そして確かにターラーは、亡くなったガーヤトリーのことを、彼女と過ごした日々に起こった無数の小さなエピソードと共に覚えているのだった。また、理解できないことが全て間違っているわけでもない、ということも教え諭される。葬儀が終わる頃には、彼女は明らかにそこに意義を見出していた。
アミターブ・バッチャンは既に80歳に達しているが、未だに主演作が途切れない。そして驚くべきことにその演技がますます研ぎ澄まされている。「Goodbye」での彼の演技はキャリアベストのひとつなのではないかと思われるほどだ。感極まってモゴモゴしゃべっているシーンは正直何を言っているのか分からなかったのだが、鼻水を垂らしてまで感情を表現しており、今までにないアミターブの迫真の演技であった。また、ハリーシュとガーヤトリーの馴れそめが語られる「Kanni Re Kanni」ではアニメが使われるのだが、そこでは若かりし頃のアミターブの顔が使われていた。
映画の中に悪役らしきキャラはいない。登場人物の間で不協和音はあるものの、どの家族にもあるような程度の不仲である。序盤から中盤にかけて大きな出来事があるわけでもなく、退屈な時間帯が長く続いた。また、葬儀が終わってから映画が終わるまで若干の時間があり、間延びしていたと感じた。インテリ層向けの上品な映画ではあるが、欠点がないわけではない。
音楽監督アミト・トリヴェーディーはこの「Goodbye」で再び多くの名曲を送り出した。いかにもトリヴェーディーらしい音使いで、作詞家スワーナンド・キルキレーによる歌詞も美しい。「Goodbye」の音楽は高く評価したい。
「Goodbye」は、心地よい娯楽映画を作ることに長けたヴィカース・ベヘル監督が葬式を主題に作った映画である。バラバラだった家族が葬式をきっかけに絆を取り戻していくという筋書きで、その中に含蓄ある台詞がいくつか散りばめられている。悪くはない作品なのだが、興行収入はいまいちだったようである。