Disco Dancer

3.0
Disco Dancer
「Disco Dancer」

 史上もっともヒットしたインド映画は何か、という問いは、シンプルなだけあって逆に答えるのが難しい。その問いに答える前にまず、国内興行収入のみを見るか、それとも海外の興行収入を含めた全体で見るか、前提条件を決める必要がある。インドでは、「コレクション」と呼ばれる国内興行収入を重視する傾向が強く、海外での興行収入は参考値扱いにしかされないことがしばしばある。また、時代が異なると物価が異なるため、換算をして比較する必要も出て来るが、正確な換算にはどうしても限界がある。

 数ある大ヒット映画の中で、どうも世界的な興行収入では長らくトップだったのではないかと思われる作品が、ミトゥン・チャクラボルティー主演のヒンディー語映画「Disco Dancer」である。1982年12月17日に公開されたこの映画は、題名の通りディスコダンサーを主人公にしており、映画の中にはバッピー・ラーヒリー作曲の、数々のディスコミュージックが使われている。これは当時としては最先端の音楽だった。

 この映画はインド国内でもそれなりにヒットしたのだが、南アジア、旧ソ連圏、中国、アフリカなど、世界中の国々で大ヒットになり、世界中の興行収入を合計すると、初めて10億ルピーに達したともされている。この記録は「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)に破られるまで10年以上保持された。また、映画のサントラも世界中で大ヒットし、各国でディスコ音楽ブームを巻き起こしたともされている。

 監督はバッバル・スバーシュ。1980年代に活躍した監督で、ミトゥン・チャクラボルティーを主演に起用して多くのヒット映画を撮っている。代表作はこの「Disco Dancer」になるが、他にもダンス主体の娯楽映画をいくつか作っている。アーミル・カーン主演の「Love Love Love」(1989年)の監督も彼だ。

 主演はミトゥン・チャクラボルティーで、ヒロインはキム。他に、オーム・プリー、オーム・シヴプリー、ギーター・スィッダールト、カラン・ラーズダーン、ユースフ・カーン、カルパナー・アイヤルなどが出演している。また、当時スーパースターだったラージェーシュ・カンナーが特別出演している。

 2022年11月22日に鑑賞した。

 ボンベイのスラム街で生まれ育った少年アニルは、叔父マスター・ラージュー(ラージェーシュ・カンナー)と共に路上で歌って日銭を稼いでいた。ラージューがいなくなってからは、母親のラーダー(ギーター・スィッダールト)と共に歌を歌って生活していた。だが、ある日、アニルとラーダーは、大富豪PNオーベローイから泥棒の濡れ衣を着せられる。近所の人々からも泥棒扱いされるようになり、耐えられなくなった二人はゴアへ流れて行く。

 18年後、アニル(ミトゥン・チャクラボルティー)は依然として歌で生計を立てるストリートシンガーをしていた。この頃、オーベローイの息子サム(カラン・ラーズダーン)はシンガーとして有名になっていたが、傲慢になり、マネージャーのデーヴィッド・ブラウン(オーム・プリー)と対立した。ブラウンはサムを見限り、道端で発見したアニルの才能を見出して、彼のマネージャーになる。ブラウンはアニルの芸名を「ジミー」とし、大々的に売り出す。ジミーは瞬く間にトップシンガー兼ダンサーとなる。

 サムはジミーの成功に嫉妬し、オーベローイもジミーを追い落とそうとする。だが、オーベローイの娘リタ(キム)はジミーに恋をし、家を出てジミーの家に暮らし始める。オーベローイはヴァスコ(ユースフ・カーン)やロシア人殺し屋を雇い、ジミーを殺そうとする。ヴァスコはギターに高圧電流を流し、ジミーを感電死させようとするが、ジミーを守ろうとしたラーダーがギターに触れ、感電死してしまう。

 母親を失ったジミーはひどく落ち込み、歌を歌えなくなる。また、ヴァスコはジミーの足を折る。もうすぐ国際ダンス競技会が開催される予定で、ジミーの出演が危ぶまれた。何とか身体は回復するが、ジミーの心は折れたままだった。リタは何とかジミーを復活させようとするが叶わない。そこへブラウンがマスター・ラージューを連れてやって来る。ジミーは気力を取り戻し、ステージでパフォーマンスを再開する。だが、ヴァスコやロシア人殺し屋によって射殺されそうになる。身を挺してジミーを守ったラージューは絶命する。

 ジミーはオーベローイの家に乗り込み、悪漢たちを打ちのめす。そして最後にオーベローイを殺す。

 映画の出来自体は、1980年代の基準に照らし合わせてもお粗末だといえるのではなかろうか。物語は、貧しい主人公ジミーがディスコダンサーとして成功し、宿敵に復讐を果たすというもので、主人公がディスコダンサーという点を除けば、陳腐かつ一本筋である。登場人物の人間関係も奇妙奇天烈だ。例えば、ヒロインのリタは、父親や兄の宿敵であるジミーと恋仲になり、挙げ句の果てに家を出て行ってしまうのだが、その行動原理がよく分からない。編集も雑で、まるでその日の思い付きで撮ったシーンをつなぎ合わせて映画が構成されているかのように、話が飛び飛びである。お世辞にも傑作とは言えない。

 だが、全編に渡ってシンセサイザーを使って生み出された、機械っぽい音の羅列とでもいうべきギラギラにポップなディスコ音楽が盛り込まれており、しかもひとつひとつがとても長い。映画館で観客が踊り狂う様子が目に浮かぶ。この長さはおそらく意図的なもので、差し詰め映画館をディスコに変えようとでもしているのだろう。映画の大半は踊りで占められているが、踊っていないときは戦っている。また、劇中には、最愛の母親が主人公を守るために命を犠牲にする場面がある。母親大好きなインド人男性にとって、これは涙なくして観られない展開だ。総じて、「Disco Dancer」は庶民層から絶大な支持を受けるタイプの娯楽映画で、この単純さが国境を越えて世界中で受け入れられた要因だと推測される。

 ただ、「Disco Dancer」の成功は、音楽とダンスに依るところが大きいとも考えられる。もしかしたら、雑なストーリー部分はほとんど無視され、世界中の観客はダンスシーンを観るためだけに映画館に押し寄せたのかもしれない。特に世界中で人気の曲は「Jimmy Jimmy Jimmy Aaja」のようだ。スランプに陥ったジミーを、ヒロインのリタがステージに誘う内容の歌詞である。だが、インドで一番人気なのはタイトル曲の「I Am A Disco Dancer」とされている。「Jimmy Jimmy Jimmy Aaja」ではミトゥン・チャクラボルティーが踊っていないので、ミトゥンのダンスを楽しみたい観客にとっては、確かにジミー全盛期を飾る「I Am A Disco Dancer」のダンスシーンの方が魅力的かもしれない。

 ところで、マイケル・ジャクソンがアルバム「スリラー」をリリースしたのが1982年12月1日である。奇しくも「Disco Dancer」公開日とほとんど同時期だ。また、「スリラー」のミュージックビデオがMTVで放映されたのはさらに1年後になる。マイケル・ジャクソンは、歌と踊りを結びつけ、ストーリー性のあるミュージックビデオを生み出し、その新たな可能性を切り拓いた張本人だが、そうやって考えると、「Disco Dancer」でミトゥン・チャクラボルティーが見せている踊りは、マイケル・ジャクソンの影響を受けずに編み出されたものといっていいだろう。

 「Disco Dancer」以前にもインド映画に歌と踊りは欠かせなかったが、「Disco Dancer」の大ヒットは、インド映画がますます歌と踊りを不可欠な要素として物語の中に組み込んで行くきっかけになったことだろう。そして、ミトゥン・チャクラボルティーの踊りも、当時としてはかなりうまい方だったはずで、スーパースターにとってダンススキルは必須のスキルとして改めて認識されたことだろう。

 「Disco Dancer」は評価が難しい映画である。純粋に映画として評価した場合、大した作品ではない。現代の視点からなら尚更だが、当時の視点からであっても依然として厳しい評価になるだろう。しかしながら、ディスコ音楽を取り込んだ斬新な音楽性と主演ミトゥン・チャクラボルティーの見事な踊りがこの映画を世界的な大ヒットにまで押し上げており、「Sholay」(1975年)などと肩を並べる伝説的な映画の殿堂入りにつながっている。傑作というよりも事件と呼ぶべき作品なのかもしれない。