「Jodhaa Akbar」以来、しばらく新作ヒンディー語映画が公開されずにいたが、2008年3月7日、ひとつ傑作が公開された。「Black & White」。公開直後からタックスフリーになっており、質の高さが十分伺われた。
監督:スバーシュ・ガイー
制作:スバーシュ・ガイー
音楽:スクヴィンダル・スィン
作詞:イブラーヒーム・アシュク
出演:アニル・カプール、アヌラーグ・スィナー(新人)、アディティー・シャルマー、シェーファーリー・シャー、ハビーブ・タンヴィール、スクヴィンダル・スィン(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
8月1日にデリーにやって来たヌマイル・カーズィー(アヌラーグ・スィナー)は、実はアフガニスタンでイスラーム原理主義の教育を受けた自爆テロリストだった。8月15日のインド独立記念日にラール・キラーで行われる首相演説で自爆テロを起こすために送り込まれていた。ヌマイルは地元のイスラーム教徒たちの助けを借り、ウルドゥー詩人ガッファール・ミヤーン(ハビーブ・タンヴィール)の家に居候し始める。 ヌマイルは、デリー大学ザーキル・フサイン・カレッジでウルドゥー文学を教えるラージャン・マートゥル教授と知り合う。ラージャンはチャーンドニー・チョークで生まれ育ったヒンドゥー教徒で、皆から尊敬を集めていた。妻のローマー(シェーファーリー・シャー)は活動家で、やはりチャーンドニー・チョークで一目置かれる存在だった。また、ガッファールの近所に住む女の子シャグフター(アディティー・シャルマー)はヌマイルに一目惚れし、彼に近付こうとするが、ヌマイルはあまり相手にしなかった。 ヌマイルは8月15日までの期間デリーで生活する内に、いろいろなものを目にする。一方で彼は、インドのイスラーム教徒が酒を飲み、政治家を買収し、ヒンドゥー教徒の巡礼ツアーのビジネスをしていることを知って、その堕落に憤慨する。他方、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和のために全力を傾けるマートゥル夫妻の行動を見る。彼の考えに、白と黒ではない、いろいろな色が混じって来た。 一方、中央情報局(CBI)や警察は独立記念日を前にテロリスト対策を強化していた。その中でテロの首謀者の一人の逮捕状を発行する。彼はヌマイルに独立記念日式典へのエントリーパスを調達する役目を負っていた。だが、警察に逮捕される前に首謀者は拳銃自殺をしてしまう。一気に自爆テロ計画は中止に危機に追い込まれるが、ヌマイルはマートゥル夫妻に気に入られ、何とかエントリーパスを発行してもらうことに成功する。 独立記念日には、ガッファールが作詞した国民融和の詩が演奏される予定になっていた。だが、ガッファールはその日を待たずに他界してしまう。死因は心臓発作であった。だが、その本当の理由は誰も知らなかった。実はガッファールは、かわいがっていたヌマイルが自爆テロリストであることを偶然知ってしまい、ショックのあまり心臓発作を起こしたのであった。また、8月14日の夜には、自爆テロ計画の要員によってローマーが殺害されてしまう。ラージャンは、ローマーが近所のイスラーム教徒に殺されたと考え、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の抗争を避けるため、独立記念日式典が終わるまでローマーの死を伏せることにした。 8月15日。ヌマイルはラージャンと共にラール・キラーのVIP席に座った。ヌマイルはペン型の爆弾を所有していた。そして時間が来たら爆弾を爆発させようとしたが、短い間デリーで体験した事柄が頭をよぎり、何もすることができなかった。一方、CBIはヌマイルが自爆テロリストであることを突き止め、警察を動員する。ヌマイルは逃亡する。ラージャンは何が起こったか理解できずにいたが、ヌマイルに自爆テロ未遂の容疑がかけられていることを知ると、彼をかばう。ラージャンのおかげでヌマイルは逃亡に成功するが、ラージャンはテロリスト幇助の容疑で逮捕されてしまう。 ラージャンの裁判が行われようとしていた。近所の人々やラージャンの教え子たちは皆ラージャンを擁護する。そこへヌマイルからCBIへ手紙が届く。ヌマイルは、ラージャンと出会ったことが自爆テロを思い留まらせたとつづっていた。
映画の冒頭でお決まりの「この映画はフィクションです・・・」の断り書きがナレーション付きで表示されたが、明らかにこの映画は2001年12月13日の国会議事堂テロとそれに付随するアブドゥル・レヘマーン・ギーラーニー教授(デリー大学ザーキル・フサイン・カレッジ)逮捕という実際に起こった事件をベースにしている。だが、「Black Friday」(2004年)や「Shootout At Lokhandwala」(2007年)のように、事件の真相に迫るドキュメンタリータッチの映画ではなく、自爆テロリストの心理の変化を中心に据えて、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和の重要性が主張されていた。今まで娯楽映画メーカーのイメージが強かったスバーシュ・ガイー監督がシリアスな映画に挑戦したことも大きな見所だ。
主人公のヌメイル・カーズィーは、アフガニスタンで戦火を潜り抜けて生きて来た青年であった。幼い頃からイスラーム教原理主義を叩き込まれており、インド独立記念日に自爆テロをして殉死することに誇りを感じていた。グジャラート暴動で両親を失った不幸な若者として、彼はデリーに送り込まれる。彼の世界は黒と白のみで塗り分けられていた。彼にとってイスラーム教のみが絶対の真理であった。だが、自爆テロ決行の8月15日までの2週間、デリーのチャーンドニー・チョークで様々な人間模様を目の当たりにすることで、彼は次第に黒と白以外にも色があることに気付き始める。最終的に彼は自爆テロを思い留まる。
ヌメイルの考え方にもっとも大きな影響を与えたのは、老齢のウルドゥー詩人ガファール・ミヤーンとマートゥル夫妻であった。三人ともチャーンドニー・チョークで生まれ育ち、地域の人々から多大な尊敬を集める人物であった。ガッファールは昔ながらの詩人で、色鮮やかな現代の文壇の中では次第に忘れ去られつつある存在だったが、最後の力を振り絞って、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和を謳い上げた詩をインドに捧げる。だが、皮肉なことに、彼の孫には、祖父のヒンドゥー教徒に対する融和の態度が弱腰の態度に映り、自爆テロの幇助に手を染めることになってしまう。
ラージャン・マートゥル教授は、大学でウルドゥー文学を教えるヒンドゥー教徒である。多くの人々は、ヒンディー語・ヒンディー文学=ヒンドゥー教徒、ウルドゥー語・ウルドゥー文学=イスラーム教徒という図式で理解してしまうが、実際にはそのようなことはない。ヒンドゥー教徒でもウルドゥー文学者はいるし、イスラーム教徒もヒンディー語でものを書く人がいる。特に19世紀からウルドゥー語を使いこなして来たヒンドゥー教徒コミュニティーとして、カーヤスト、カシュミーリー・ブラーフマン、パンジャービー・カトリーの3種が挙げられる。マートゥルという名字はカーヤストのものである。彼の存在自体が宗教融和の象徴であった。
ラージャンの妻ローマーも、チャーンドニー・チョークにおいてヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間に芽生えつつあるコミュナルな感情に危機感を感じる社会活動家である。彼女は人々に、「チャーンドニー・チョークでは人をヒンドゥー教徒とかイスラーム教徒と言って呼んだりはしない。相手の名前で呼ぶのよ」と言って説得する。
一方で、政治が宗教を利用するインドの病巣も描き出されていた。チャーンドニー・チョークにはヒンドゥー教徒多住地域とイスラーム教徒多住地域があり、それぞれにリーダーがいて、お互いにいがみ合っているように見えるが、実は「同じ酒屋で酒を飲む」仲間であった。地元の政治家の都合に合わせて彼らはコミュナルな対立を煽り、報酬を得ているのであった。
しばしばインドは「多様性の中の統一」と表現される。インド人全てが必ずしも多様性を受け入れている訳ではなく、時々コミュニティー間の対立や暴動が発生する。だが、そんな中にも融和を諦めない人々がおり、その人たちのおかげでインドがインドとして成り立っていることが映画の中で強く主張されていた。ラージャン・マートゥル教授は最後、シャグフターに対し、ヌメイル・カーズィーの逃亡を助けたことについて、こんなことを語っていた。「イスラーム原理主義者たちは自分たちの考えを世界に知らしめるためのメッセンジャーとして我々に自爆テロリストを送り込んだ。それなら我々も彼らにメッセンジャーを送り込もうではないか。ヌメイルは我々と共に生活し、新しい考えを得たはずだ。彼がきっと、彼らに我々の考えを伝えるメッセンジャーとなってくれるだろう。」
ストーリーも素晴らしかったが、主演の俳優陣の演技も素晴らしかった。まず特筆すべきは、著名な演劇作家ハビーブ・タンヴィールがウルドゥー詩人役で出演していることである。彼が銀幕に登場するのは、「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)以来だ。既に老齢のため、所々台詞が聴き取りにくかったが、その存在感は映画の核として十分であった。
ラージャン・マートゥル教授役を演じたアニル・カプールも、朗らかかつ情熱のある人柄をうまく演技で表現していた。ここ数年でベストの演技と言える。妻ローマーを演じたシェーファーリー・シャーは、「Monsoon Wedding」(2001年)や「Gandhi, My Father」(2006年)に出演していた女優である。多少オーバーアクティング気味のときもあるが、迫力のある演技ができる女優だ。
主人公ヌメイル・カーズィーを演じたアヌラーグ・スィナーは、本作がデビュー作。目付きが悪いが、その暗い表情が自爆テロリストにピッタリであった。スバーシュ・ガイーは人材発掘屋としても有名なので、これから注目を集める男優になって行くかもしれない。
映画の大部分がデリーで撮影されているだけでなく、デリーに住む人々の調和と団結が巧みに描き出されており、デリー市民には嬉しい作品である。ラール・キラー、チャーンドニー・チョーク、ジャーマー・マスジド、インド門、大統領官邸、国会議事堂、クトゥブ・ミーナールなど、デリーのメジャーな見所の多くが網羅されていた。最近デリー・ロケの映画が急激に増えて来たが、ムンバイーで撮影された一般のヒンディー語映画とは違った味が出るのがいい。
ヌメイルはアフガニスタンから送り込まれたという設定になっているため、パシュトー語と思われる台詞がいくつかあった。その部分は英語字幕付きだった。登場人物の多くはチャーンドニー・チョークで暮らす人々であり、ウルドゥー語、ヒンディー語、パンジャービー語など、多岐に渡った言語が使用されていた。
「Black & White」は、黒と白、善と悪、イスラームと非イスラームという二元的な見方しかできなかった自爆テロリストが、「色彩の国」インドで様々な色を体験することで、多元的な考え方に影響されて行く過程を追った、考えさせられる映画である。昨年12月に公開された「Taare Zameen Par」(2007年)、今年1月に公開された「Halla Bol」(2008年)に続く、質の高いクロスオーバー映画だと言える。