1980年代に「暗黒時代」を迎えていたヒンディー語映画界が浮上するきっかけを作った最初の映画が、アーミル・カーン主演の「Qayamat Se Qayamat Tak」(1988年)だったが、もちろん、1本の映画だけで全てが一変したわけではない。その後も多くのヒット映画が積み重なり、1990年代のヒンディー語映画復活につながった。「Qayamat Se Qayamat Tak」と同じくらい重要な作品が、1989年12月29日公開の「Maine Pyar Kiya(私は恋をした)」である。1989年最大のヒット作になり、複数のフィルムフェア賞にも輝いた。
「Maine Pyar Kiya」は、「3カーン」の一人サルマーン・カーンの本格デビュー作として現在でもよく名の知られた映画だ。人気脚本家サリーム・カーンの長男サルマーンは、前年の「Biwi Ho To Aisi」(1988年)で脇役出演しデビューを飾っていたが、主演を務めたのはこの「Maine Pyar Kiya」が初めてだった。今観てもサルマーンはかっこいい。21世紀の俳優でいえば、アルジュン・ラームパールに比肩するくらいのハンサムさだ。おそらく当時としては異次元にハンサムな若い男優の登場だったはずである。
また、監督のスーラジ・バルジャーティヤーにとってはこれがデビュー作だった。祖父ターラーチャンド・バルジャーティヤーがプロデューサーを務めており、バルジャーティヤー姓を持つ者が多数スタッフとして参加している。バルジャーティヤー家のホームプロダクションといっていい。バルジャーティヤー監督はこの後にも「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)や「Prem Ratan Dhan Payo」(2015年/邦題:プレーム兄貴、王になる)など、サルマーンとタッグを組んで大ヒット作を送り出したが、既にこの第1作から彼の作風がかなり確立しているのが観察される。
「Maine Pyar Kiya」のヒロイン、バーギャシュリーにとってもこの作品は映画デビュー作だった。彼女は、マハーラーシュトラ州南部サーングリー藩王国元藩王の娘であり、TVドラマへの出演経験はあったが、この「Maine Pyar Kiya」でヒンディー語映画史に名を残すことになった。1990年に早々と結婚をし、家族を優先して映画出演を抑制したため、代表作といえる作品は多くない。彼女の息子アビマンニュ・ダーサーニーが「Mard Ko Dard Nahi Hota」(2019年/邦題:燃えよスーリヤ!!)で男優としてデビューし、現在活躍中である。
サルマーン・カーンとバーギャシュリーの他には、アーローク・ナート、ラージーヴ・ヴァルマー、リーマー・ラーグー、アジート・ヴァーチャーニー、モホニーシュ・ベヘル、ラクシュミーカーント・ベールデー、ハリーシュ・パテール、パルヴィーン・ダストゥールなどが出演している。
2022年9月11日に鑑賞した。
カラン・パトワルダン(アーローク・ナート)とキシャン・クマール・チャウダリー(ラージーヴ・ヴァルマー)は同郷の幼馴染みであった。カランは故郷に留まってメカニックをし、キシャンは街に出て成功した。カランはドバイへ出稼ぎに行くついでにキシャンを訪ね、娘のスマン(バーギャシュリー)を預ける。キシャンの息子プレーム(サルマーン・カーン)は米国留学していたが、ちょうど帰って来るところだった。キシャンの会社で重役として働くランジート・サーニー(アジート・ヴァーチャーニー)は、キシャンの資産を狙っており、自分の娘スィーマー(パルヴィーン・ダストゥール)をプレームと結婚させようと画策していた。また、ランジートの甥ジーヴァン・アーフージャー(モホニーシュ・ベヘル)もキシャンの会社で働いていたが、彼はプレームを敵視するようになる。 プレームとスマンは恋に落ち、プレームの母親カウシャリヤー(リーマー・ラーグー)も二人の仲を認めるが、父親のキシャンは、貧しいカランの娘と息子が結婚することを拒絶した。ドバイから帰って来たカランは、友情を裏切り自分を侮辱したキシャンと絶交し、娘を連れて村に戻る。プレームは父親と対立し、全てを捨ててスマンを追う。 カランはプレームに、1ヶ月以内に2千ルピーを稼げば娘との結婚を認めると言う。プレームは危険な採石場で働き金を稼ぐ。ランジートとジーヴァンはキシャンから不正を糾弾され、彼に復讐をしようと思い立つ。ランジートはカランのところへ行くが、追い返される。プレームは何とか2千ルピーを稼ぐが、ジーヴァンたちに妨害され、川に突き落とされる。プレームは死んだと思われていたが生きており、カランのところへ2千ルピーを届ける。だが、金は水に濡れてボロボロになっていた。最初は拒絶したカランであったが、スマンへの真摯な愛に感銘し、二人の結婚を認める。 ランジートからプレームが殺されたと聞いたキシャンはカランを訪れるが、プレームは無事だった。ランジートはカランやプレームを攻撃し、ジーヴァンはスマンを誘拐して逃亡する。プレームはジーヴァンを追い掛け、スマンを救出するが、ジーヴァンは崖から落ちて死んでしまう。こうしてカランとキシャンは仲直りし、プレームとスマンは結婚した。
基本的には恋愛映画だが、劇中で何度も命題として提示されるのは「友情」であった。劇中には「友情のルール。『ありがとう』は言わない。『ごめんなさい』も言わない」というフレーズが何度か出て来るが、これは「Maine Pyar Kiya」を代表する名言として現在でも記憶されており、インド人の友情観の基盤になっている。インド人は、親しい間柄で感謝したり謝罪したりすることを友情に反する行為だと考えている。「親しき仲にも礼儀あり」という友情観を持つ日本人とは対極的である。
「Maine Pyar Kiya」では大まかに2つの友情が描かれる。ひとつめはカランとキシャンの友情である。同郷の幼馴染みだった二人は別々の人生を歩む。カランはかつて貧しかったキシャンの勉学を経済的に支援し、彼が街に出た後も変わらぬ友情をキシャンに感じていた。故郷でメカニックとして日銭を稼ぎ暮らしていた。一方、街に出て事業で成功したキシャンは、周囲から尊敬を受けるようになるが、次第に付き合う人間の地位や品格を気にするようになる。若い頃に多大な恩を受けたカランに対しても彼はそういう色眼鏡で見ており、貧しいカランの娘スマンが息子のプレームと結婚することを拒絶する。これがカランとキシャンの友情を破壊する。悪役ランジートやジーヴァンが暗躍したことで相対的にカランとキシャンは仲直りのきっかけを掴むが、親友に対するキシャンの恩知らずな行動は糾弾されて然るべきである。
また、「男女の間に友情は存在するか」という問いも「Maine Pyar Kiya」では投げ掛けられる。プレームとスマンはまず友達になるのだが、恋愛映画の常として、そこから恋愛に発展する。男女は友達ではいられず、関係は必ずその先に進んでしまうという説を補強する内容になっていた。
つまり、「Maine Pyar Kiya」では、これだけとやかく「友情」が語られる割には、意外にも完全な形での友情は映し出されない。青春時代の友情は、都会での生活や日々の仕事によってすり切れ忘れられるし、男女の友情は友情に留まっていられず、恋愛へと移行してしまう。
それだけでなく、21世紀の視点から観れば、粗が目立つ映画である。極端な展開が多いし、シーンとシーンのつながりもスムーズではない。アクションシーンも貧弱である。前半はソングシーンが次から次へと繰り出され、飽和気味だ。
それでも、恋をした相手と結婚するために、駆け落ちという手段を敢えて採らず、相手の父親から認めてもらうために、慣れない肉体労働をして自分に稼ぐ力があることを証明しようとする終盤のシーンは、インド神話によく登場する、神様から願いを叶えてもらうために苦行する聖仙のようであり、インドの伝統的な価値観にも収まるもので、カップルのみならず、家族客に歓迎されるプロットである。
低俗な映画の量産を続けて家族客を失ったヒンディー語映画界は、「Maine Pyar Kiya」の成功により、どういう映画を作れば家族客を呼び戻すことができるか、確かな手応えを掴んだことだろう。そういう意味で非常に意義深い映画の一本である。
「Maine Pyar Kiya」では、愛の告白がじっくりと描かれていたことでもユニークだ。まずプレームがスマンにラブレターを書き、「ハンサム」という名の白鳩に託してその手紙をスマンに届けさせる。その後、プレームはスマンに面と向かって愛の告白もする。次にスマンもプレームに返答として愛の告白をすることになるが、なかなかその機会が訪れない。ようやく、家族親戚が集まる場で余興として行われたアンタークシャリー(歌しりとり)を借りて、公衆の面前でプレームに「I Love You」と宣言する。スーラジ・バルジャーティヤー監督は、ここぞという場面で、冗長とも取れるような手法でじっくりと描き出すことを心掛けているようで、じれったくもあったが、序盤でもっとも盛り上がるシーンでもあった。
「Maine Pyar Kiya」の音楽はラームラクシュマンが手掛けている。映画と同様に大ヒットとなり、インド人に歌い継がれることになった。ただ、当時は著作権に対する意識が低く、洋楽のコピーが多いのが難点だ。例えば、オープニングのクレジットシーンで流れる「Aate Jaate Haste Gaate」は、スティービー・ワンダーの「I Just Called To Say I Love You」の完全なパクリである。それでも、「Kabootar Ja Ja Ja」、「Mere Rang Mein Rangne Wali」、「Dil Deewana」など、人気の曲が多い。
プレームは多くのステッカーが付いた革ジャンを着ている。これは、米映画「トップガン」(1986年)で主演トム・クルーズが着ていたものを参考にしている。スーラジ・バルジャーティヤー監督が「トップガン」の大ファンだったため、こういう演出がなされたようである。
「Maine Pyar Kiya」は、「3カーン」の一人サルマーン・カーンの出世作であり、1990年代のヒンディー語映画復興の道筋を付けた重要な作品の一本である。21世紀の視点で鑑賞すると古めかしいところも目立つが、神がかったサルマーンのハンサムさや、センセーショナルなデビューを果たしたバーギャシュリーの演技、そしてスーラジ・バルジャーティヤー監督の作風が既に第1作から確立している点など、注目すべき部分は多い。