2004年9月24日公開の「Madhoshi(狂気)」は、ジョン・アブラハムとビパーシャー・バスが共演のサスペンス映画である。「Jism」(2003年)で共演して以来、ジョンとビパーシャーは付き合っており、彼らの映画はヒットもしていた。この「Madhoshi」は彼らの共演作としては3作目になる。ジョンとビパーシャーのケミストリーや、当時セックスシンボルとして人気を博していたビパーシャーのセクシーシーンを売りに作られた映画に見えるが、もっと語るべき点のある映画だ。2022年8月26日に鑑賞した。
監督は新人のタンヴィール・カーン。主演は前述の通りジョン・アブラハムとビパーシャー・バス。他に、プリヤーンシュ・チャタルジー、シュエーター・ティワーリー、ヴィクラム・ゴーカレー、ムラリー・シャルマーなど。
舞台はムンバイー。アヌパマー・カウル(ビパーシャー・バス)の姉は、結婚してニューヨークに住んでいたが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件によって命を落としてしまう。 それから2年後。アヌパマーは大学で美術の勉強をしていた。両親は彼女を、親友の息子アルピト(プリヤーンシュ・チャタルジー)と引き合わせる。アルピトはアヌパマーを気に入り、彼女にプロポーズする。アヌパマーは結婚に乗り気ではなかったが、アルピトの熱意に負け、婚約をする。 あるとき、アヌパマーは銃を持って男性たちを追うアマン(ジョン・アブラハム)と出会う。彼は秘密裏に結成された対テロ部隊の一員であり、日夜テロリストと戦っていた。アヌパマーはアマンに激しく恋をし、彼のことばかりを考えるようになる。そして、アルピトとの結婚を断る。 しかし、アヌパマーは2年前の9/11事件のトラウマから統合失調症になっており、妄想の中でアマンというキャラクターを作り上げていた。家族が、アマンは存在しないと言うと、アヌパマーは自殺未遂をする。アヌパマーは入院し、医者は精神病院に入れなければならないかもしれないと言う。アヌパマーの精神を安定させるためには、アマンの存在を周囲が認めなければならなかった。 アヌパマーを愛するアルピトは、アマンに似た人物を見つけ出し、彼にアマンを演じさせる。アヌパマーはアマンが現れたことで落ち着く。アヌパマーとアルピトの両親は、アヌパマーをアマンと結婚させようとする。しかし、アマンは実は米国で整形手術を受けたアルピトだった。彼はアヌパマーのためにアマンの顔になって彼女の前に現れたが、彼女を騙し続けて結婚することはできなかった。それを聞いたアヌパマーはアルピトを責めるが、アマンは実在しない証拠を突き付けられ、ショックを受ける。 半年後。アヌパマーは完全に回復し、アルピトにプロポーズをする。
まず、9/11事件をストーリーに組み込んだヒンディー語映画としてはもっとも早い例となる。「Yun Hota Toh Kya Hota」(2006年)よりも早い。しかしながら、「Madhoshi」の中の9/11事件はあくまでトラウマを演出するための小道具であり、それが9/11事件でなければストーリーが成立しないということはなかった。また、その後に公開された、「New York」(2009年)や「My Name Is Khan」(2010年)では、9/11事件後の米国で蔓延したイスラーム教徒差別が主題になっていたが、そのような深みもなく、ただ単に言及されただけであった。
妄想の中で創り出した人に恋してしまうという展開は、アーナンド・L・ラーイ監督の「Atrangi Re」(2021年)と共通している。しかも「Madhoshi」で巧かったのは、妄想の人アマンが対テロ部隊として極秘任務を遂行していたことになっていたことだ。アマンの存在は様々な角度から否定されるが、もしかしたら証拠を残していないだけかもしれない。主人公アヌパマーが統合失調症と診断された後も、しばらくの間は、実はアマンは存在するというどんでん返しがある可能性が残っており、それがサスペンスになっていた。
アマンは実在したということにして結末に持って行くという選択肢もあったはずである。だが、この映画はとんでもないギミックを用意していた。それは整形である。アマンの存在を否定されて自殺未遂をしたアヌパマーを救うため、彼女の前にアマンそっくりの人物を登場させる。彼は劇団員であり、アマンのことを研究して、アヌパマーの前ではアマンの演技をしていた。しかし、この人物の正体はなかなか明かされない。そして最後の最後で彼が、アヌパマーの婚約者であるアルピトが整形した姿であることが分かる。この唐突な急展開には思わずのけぞってしまった。
ジョン・アブラハムが妄想の中の人を演じ、出番が限られていたため、ビパーシャー・バスの演技が目立つ映画であった。当時、セックスシンボルとしてもてはやされていたビパーシャーだが、彼女自身はその称号を嫌がっており、演技派女優としての脱皮を模索していた。「Madhoshi」にはジョン・アブラハムとの絡みのシーンがあるのだが、それ以上に彼女の演技力が問われる映画になっていた。何しろ妄想の中の人と愛し合うのである。ただ、彼女の演技は終始オーバーアクティングで、肩の力が入りすぎていた。元々はモデルであり、女優として演技の研鑽を積んだわけではないので仕方がないのだが、ビパーシャーの頑張りと頑張り過ぎがよく見える映画であった。
音楽監督はループ・クマール・ラートール。要所要所でダンスシーンやソングシーンが挿入されており、中にはいい曲もあった。「おお神よ、あなたはなぜ愛を作ったのか」という歌い出しから始まる「Aye Khuda」などは名曲だった。
「Madhoshi」は、2004年公開の映画であり、21世紀にデビューした若手の俳優たちを起用しているが、作りは1990年代を引きずっており、ストーリー展開もかなり強引だ。もっと良くすることもできたのではないかと勝手に思ってしまう内容で、惜しい点もあった。多くを期待して観るべき映画ではないが、最後には意表を突かれること間違いなしである。