最近どうもヒンディー語映画に元気がない。期待作が期待ほどの興行成績を上げず、駄作の洪水となっている。今日もひとつ、駄作を観てしまった。2007年5月18日公開の「Raqeeb(ライバル)」である。
監督:アヌラーグ・スィン(新人)
制作:ラージ・カンワル
音楽:プリータム
作詞:サミール
出演:ラーフル・カンナー、ジミー・シェールギル、シャルマン・ジョーシー、タヌシュリー・ダッターなど
備考:PVRベンガルール・ヨーロッパで鑑賞。
IT企業を経営するレモ(ラーフル・カンナー)は、14年前のトラウマからうまく対人関係を築けないでいた。14年前、彼は両親を事故で失ってしまっていた。レモの会社で働くスィッダールト(シャルマン・ジョーシー)だけが彼の友人であった。スィッダールトはある日、悪戯心からレモをチャット相手の女性と引き合わせる。それがソフィー(タヌシュリー・ダッター)であった。レモはソフィーに惹かれ、やがて二人は結婚する。 だが、ソフィーにはサニー(ジミー・シェールギル)という恋人がいた。サニーは売れない舞台俳優であった。ソフィーはサニーに、レモと結婚したのはただの財産目当てであり、レモを殺すようにけしかける。躊躇するサニーに、ソフィーは完璧な殺人計画を吹き込む。レモは喘息に悩まされており、薬を摂取しなければならない身体であった。それを利用し、空の銃でレモを威嚇してショック死させることを提案する。その通りにしたサニーであったが、銃にはなぜか実弾が込められていた。撃たれたレモは死んでしまう。しかも、サニーは殺人犯として逮捕されてしまう。 レモの死後、ソフィーは気分転換のためにバカンスへ出掛ける。そこで待っていたのはスィッダールトであった。実は全てスィッダールトとソフィーが仕組んだことであった。スィッダールトは、レモの会社を売り払って巨額の金を手に入れようとしていた。だが、彼は金のために全てを計画したわけではなかった。実は、スィッダールトは、レモの異父兄弟であった。スィッダールトの父親は、別の金持ちの女性と結婚し、家庭を持っていた。その子供がレモであった。ある日それを知ったスィッダールトの母親は夫を銃で撃つと同時に、ショックから植物人間となってしまう。しかも病院へ搬送される途中に事故に遭い、スィッダールトとレモの父とレモの母親は死んでしまう。スィッダールトはレモに復讐するために全てを仕組んだのであった。 全ての計画は完璧に進んだかのように見えた。ところが、スィッダールトとソフィーは、死んだはずのレモを見たり、牢屋にいるはずのサニーを見たりして、恐怖に怯えるようになる。レモの墓を掘り起こしてみると、棺桶にレモはいなかった。教会の中ではレモが待っていた。レモは事前に二人の計画を察知し、サニーと協力してスィッダールトとソフィーをはめたのであった。乱闘の末にスィッダールトとソフィーは死んでしまう。
スリルとサスペンスが主題の映画ではあるが、同じような展開のサスペンス映画はハリウッドでもヒンディー語映画でも腐るほど作られて来た。どんでん返しとそのまたどんでん返しも、どこかで見たな、ぐらいの感想でしかない。しかも、細かいところを見ていくと不整合な点が多い。後はタヌシュリー・ダッターの色気頼みであるが、彼女も醜く太ってしまっており、下層の庶民に人気の出そうな女優になってしまっていた。
大きな見所だったのは、「ボディー・ダブルか本物か」であった。タヌシュリー・ダッターは公開直前になって、「私の了解なしに監督が濡れ場シーンを『ボディー・ダブル(代役)』を使って撮影し、映画のプロモーションに利用している」と主張し、制作サイドを糾弾し始めた。一方、プロデューサーのラージ・カンワルは、「最初タヌシュリーがためらっていたのは事実だが、最終的に彼女自身が濡れ場を演じた」と彼女の主張を全面否定した。本当にそんな問題の濡れ場シーンがあるのかどうか、興味津々だったのだが、ほとんどそのようなシーンはなかった。シャルマン・ジョーシーとタヌシュリー・ダッターが一緒にバスタブに浸かっているシーンが最もエロチックだったが、ちゃんとタヌシュリーの顔も映っており、ボディー・ダブルとは思えなかった。結局、一連の騒動は客寄せのために行われているのではないかと思われた。
ラーフル・カンナー、ジミー・シェールギル、シャルマン・ジョーシーという、全くキャリアの異なる男優三人の異色の取り合わせは新鮮であった。ラーフル・カンナーは、往年の名優ヴィノード・カンナーの息子で、アクシャイ・カンナーの兄である。ただし、アクシャイよりも映画デビューは遅く、出演作も多くない。顔がお坊ちゃま過ぎるためか、使いにくい俳優となっているように思える。弟が演技派としての基盤を築き出しているのに比べ、低迷していると言わざるをえない。ジミー・シェールギルは「Mohabbatein」(2000年)に登場した三人衆の一人で、「Munna Bhai」シリーズのおかげか病的なイメージがつきまとう俳優になってしまった。「Raqeeb」でも精神的に異常がありそうな演技をしていたが、俳優としては徐々に成功の階段を登っていると言っていい。ただ、まだ一人立ちできるだけの力量はない。シャルマン・ジョーシーは「Style」(2001年)できっかけを掴み、「Rang De Basanti」(2006年)でブレイクした男優だ。この三人の中では最も将来性がある。「Life In A… Metro」(2007年)でも好演していた。「Raqeeb」では、あんな純朴そうな顔をしておいて実は悪役という、なかなか憎い役をもらっていた。
ジャールカンド州ジャムシェードプル生まれのベンガル人で、2004年のミス・インディアとなったタヌシュリー・ダッターは、「Aashiq Banaya Aapne」(2005年)で「シリアルキサー(連続キス魔)」の異名を持つイムラーン・ハーシュミーの相手役を務め、ホットなデビューを果たした。「Bhagam Bhag」(2006年)でゲスト出演した際には自慢のムチムチボディーを活かしたダンスを踊っていたのだが、ここに来てムチムチが度を越えて来たように思える。踊りも全然踊れていなかった。ボージプリー語映画界ではまだ需要があるかもしれないが、モデル体型の女優が幅を利かせている最近のヒンディー語映画界でタヌシュリーがヒロイン女優として活躍するのはかなり難しい。グラマー女優として覚醒するか、それとも必死にダイエットすべきであろう。
舞台は無国籍であったが、一応インドなのだろう。だが、ロケの大部分はタイで行われたと思われる。プーケット島周辺の美しい島々やビーチが頻繁に背景に登場した。
音楽はプリータムだが、取り上げる価値のある曲はなかった。ミュージカルシーンへの移行の仕方も不自然な部分が多く、一昔前の映画のようであった。
「Raqeeb」は、よくある筋のサスペンス映画である。俳優や音楽も魅力に欠けるため、結果的にほとんど取り得のない駄作となってしまっている。わざわざ観る必要はない。