本日(2007年4月13日)より公開の新作ヒングリッシュ映画「Bheja Fry」を鑑賞した。「Bheja Fry」とは直訳すると「脳みそのフライ」。転じて、イライラすることや、イライラさせる人のことを指すスラングになっている。そのスラングを冠した本作は、イライラ感がコメディーになっているという割と新感覚の都会派映画に仕上がっていた。
監督:サーガル・ベーラーリー
制作:スニール・ドーシー
音楽:サーガル・デーサーイー
出演:サーリカー、ラジャト・カプール、ヴィナイ・パータク、ランヴィール・シャウリー、ミリンド・ソーマン、バイラヴィー・ゴースワーミー(新人)、トム・アルターなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
音楽会社を経営するランジート・ターダーニー(ラジャト・カプール)は、毎週金曜日夕方、友人たちと会食するのを楽しみにしていた。彼らはそれぞれ毎回夕食におかしな人間を招待してからかって遊んでいた。ランジートは、次回の夕食会のために絶妙な人物を発見した。税務署に務めるアマチュア音楽家バーラト・ブーシャン(ヴィナイ・パータク)である。早速ランジートはバーラト・ブーシャンを自宅に呼んで、夕食会へ連れて行く前にまずはテストをすることにした。 ところがその日、ランジートは背中を負傷して歩くのもままならない状態となっていた。また、妻のシータル(サーリカー)はランジートの悪趣味な遊びを快く思っておらず、勝手に家を出て行ってしまう。そんなごたごたの中、バーラト・ブーシャンが家にやって来る。 バーラト・ブーシャンは天然ボケの人物で、ランジートの生活を必殺のボケでどんどんかき回す。まずは医者に電話しようとしてランジートの愛人スマン・ラーオ(バイラヴィー・ゴースワーミー)に電話をかけてしまう。ランジートが怪我をしたことを知ってスマンは彼の家にやって来ようとする。ランジートは、スマンが来たら追い返すように言いつけてベッドに横になる。ところがまずやって来たのは妻のシータルであった。バーラト・ブーシャンはシータルのことをスマンと勘違いしていろいろしゃべってしまう。シータルはランジートに愛人がいることを知って激怒し、本当に家を出て行ってしまう。 次にやって来たのはアナント・ゴーシャル(ミリンド・ソーマン)であった。アナントも音楽関係者であったが、ランジートとは仲が良くなかった。なぜなら二人の間には、ランジートがアナントからシータルを奪ったという過去があったからである。しかし、アナントはそれほど怒っておらず、ランジートのことを今でも友人と思っていた。シータルが家を出てしまったことを知り、心配してやって来たのである。ランジートは、シータルはアナントのところへ行ったとばかり思っていたが、そうではなかった。 では一体シータルはどこへ行ったのか?可能性として浮上したのが、これまた音楽関係者のケーヴァル・アローラーであった。偶然、バーラト・ブーシャンの同僚の税金監査人アースィフ・マーチャント(ランヴィール・シャウリー)が、ケーヴァルの脱税問題を調査しており、彼の住所や電話番号を把握していた。バーラト・ブーシャンはアースィフをランジートの家に呼ぶ。アースィフはケーヴァルに電話をする。すると、ケーヴァルと一緒にいたのは、シータルではなくてアースィフの妻であった。怒ったアースィフはランジートの家を出て行く。爆笑のアナントも家に帰る。 そのとき、病院からシータルが交通事故に遭って入院しているとの電話を受ける。シータルは怒っており、ランジートは病院に来るなと言われる。だが、バーラト・ブーシャンの必死の説得によりシータルも考え直す。こうして、一人の天然ボケの人間が突然生活の中にやって来たことにより、ランジートの人生のもつれは急にほぐれたのであった。
ほとんど密室の中で展開される、舞台劇風のコメディー映画。上位中産階級のインド人のこんがらがった人間関係をベースにして、一人の天然ボケ男が繰り広げる奇想天外な行動に大いに腹を抱える爆笑映画に仕上がっていた。
ラジャト・カプールとランヴィール・シャウリーの二人は、インド映画界にモダンでメトロポリタンな新しい笑いの嵐を呼び込んでいる要注目の俳優たちである。その二人のコンビに、ヴィナイ・パータクという爆弾型コメディアンが投下されたことにより、空前絶後の爆笑ケミストリーが完成した。
あらすじを読んだだけではこの映画の面白さは分からないだろう。言葉ではうまく説明できない。「あっちゃー、言っちゃったよ/やっちゃったよ」系の笑いが多いと言えば少しは分かるだろうか?やはり笑いの中心はヴィナイ・パータク演じるバーラト・ブーシャンとなっている。税務署に務めるバーラト・ブーシャンは、幼少の頃より父親から音楽を習い、自身の歌の才能に自信を持っていた。彼は常に自分の「歌アルバム」を持ち歩いており、少し仲良くなった人に見せていた。しかも強烈な天然ボケキャラで、周囲の人々の頭を「ベージャー・フライ」していた。だが、本人には悪気はなく、むしろ善意からいろいろな騒動を起こしているのでさらに手に負えない。友人たちとの夕食会に招く「タレント」を常に探していたランジートの目に留まるのも時間の問題であった。だが、バーラト・ブーシャンの登場により、ランジートの人生は大いにかき回され、一晩にして今まで抱えていた問題が全て噴出してしまう。しかし、バーラト・ブーシャンの天然の善意が功を奏し、最後には全て丸く収まるのである。
注目はやはりヴィナイ・パータク。彼の引き起こす騒動に観客は抱腹絶倒すること間違いないし。それでいて憎めないところがいい。傲慢かつセルフィッシュな典型的上位中産階級のインド人を演じたラジャト・カプールもヴィナイ・パータクの面白さをうまく引き出していた。ミリンド・ソーマンは久し振りにスクリーンで見た気がするが、長髪とヒゲの男になっており驚いた。昔はもっとクリーンなイメージで売り出していたと思うのだが、一体どうしてしまったのだろうか?超曲者男優ランヴィール・シャウリーは、やり過ぎなくらいに曲者度を発揮していた。彼は確信犯であろう。長年のブランクを経て銀幕復帰した女優サーリカーもうまく演技をこなしていた。スマン・ラーオを演じたバイラヴィー・ゴースワーミーは新人女優である。
言語は英語とヒンディー語の心地よいミックス。上位中産階級インド人の自然な言語である。
「Bheja Fry」は、まるで渋谷の単館の深夜ショーなんかでよく上映されているちょっと気取った映画と言った感じである。このような映画がインドで作られるようになったのは最近のことだ。だが、インドではまだ新しすぎるように思える。もし受けるとしたら、都市部のマルチプレックスのみであろう。また、あまりにモダンな雰囲気の映画であるため、インドっぽさが皆無で、逆に海外に売り込みにくいという欠点もあるのではないかと思う。しかし、「Bheja Fry」のような新感覚ヒングリッシュ映画は、インド映画で今最も急速に成長しているセグメントであり、注目しなくてはならない。