2022年4月13日公開の「Beast」は、タミル語映画界のスターの一人、ヴィジャイ主演のアクション映画である。タミル語の他にヒンディー語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語の吹替版も同時公開された。ヒンディー語版のタイトルは「Raw」に変更されている。「Raw」とはインドの対外諜報機関の名前だ。2022年5月13日からNetflixで一度に配信開始されたため、ヒンディー語版「Raw」を鑑賞した。
プロデューサーはサン・ピクチャーズのカラーニディ・マーラン。監督はネルソン。元々は「Ghajini」(2008年)などのARムルガダースが監督をする予定だったが報酬額で折り合わず降板し、代わりにネルソンが引き継いだ。
主演ヴィジャイの相手役はプージャー・ヘーグデー。他にセルヴァラーガヴァン、ヨーギー・バーブー、レディン・キングスレー、VTVガネーシュ、シャージー・チェーン、リリプット、アンクル・ヴィカルなどが出演している。また、監督のネルソン、音楽監督のアニルッド、コレオグラファーのジャーニー、歌手のビョルン・スラオがエンドクレジット前のダンスナンバー「Jolly O Gymkhana」にカメオ出演している。
ヴィーラ・ラーガヴァン(ヴィジャイ)は元RAWエージェントだったが、パーキスターン領カシュミール(POK)での作戦中に子供を犠牲にしてしまったことでRAWを辞め、精神科に通っていた。医者はヴィーラを結婚式に連れて行き、そこでプリーティ(プージャー・ヘーグデー)という女性と引き合わせる。プリーティは望まない結婚から逃れるためにヴィーラと結婚することを決め、彼を自分が勤める警備会社に誘う。社長のドミニク(VTVガネーシュ)はヴィーラとプリーティを連れてイーストコースト・モールへ行くが、そこでテロリスト、ウマル・サイフ(アンクル・ヴィカル)率いる武装集団の襲撃に遭遇する。多くの人質を取ったウマル・サイフの要求は、POKで捕まえたテロリストの首領ウマル・ファールーク(リリプット)の引き渡しだった。また、ウマル・サイフを裏で操っていたのは、州首相の座を狙う内相(シャージー・チェン)であった。 たまたまモールの中にいたヴィーラは単身テロリストに立ち向かう。モールの外では、かつてヴィーラの同僚だったアルターフ・フサイン(セルヴァラーガヴァン)が指揮を執っていた。ヴィーラはアルターフと連絡を取り合いながらウマル・サイフの作戦をことごとく無効化しようとする。しかしながら、一時ヴィーラは捕まってしまい、ウマル・ファールークの釈放が決まる。ウマル・ファールークは印パ国境まで移送され、パーキスターン側に引き渡される。だが、ヴィーラはテロリストを一網打尽にし、人質を救出する。 1ヵ月後、ヴィーラは再びPOKに潜入し、ウマル・ファールークを捕らえて戦闘機を奪って逃げ出す。ヴィーラはインド空軍の援護を受け、無事にウマル・ファールークをインドに連れ戻す。
元RAWエージェントの主人公が、たまたま訪れたモールでテロリストの襲撃に遭い、一人で事件を解決するという、「ダイ・ハード」(1988年)型の巻き込まれアクション映画だった。アクションシーンやダンスシーンに力が入っていたが、緊迫感を損なう不必要なシーンが多く差し挟まれ、スローペースで進む。最後の締めは「トップガン」(1986年)を思わせる空中戦で度肝を抜くが、全体的にまとまりに欠ける映画であった。
見事なまでにスターシステムが機能しており、ヴィジャイのヒーロー振りが最大限に強調される。敵の撃った銃弾は彼には決して当たらず、彼の繰り出すあらゆる攻撃は敵にクリーンヒットしていく。その強固なスターシステムの弊害としてヒロインにほとんどスポットライトが当たらず、「Mohenjo Daro」(2016年)などに出演のプージャー・ヘーグデーはほとんど使い捨ての状態であった。タミル語映画でよく見るコメディアン俳優たちも何人か見えたが、彼らのギャグは冴え渡っておらず、雰囲気を壊すだけだった。
近年の南インド映画に特徴的だが、地元を飛び出し、インド全土、そして世界を飛び回る映画が好んで作られている。ヒンディー語吹替版が作られていることからも分かるように、インド全土での上映とヒットを狙った、いわゆる汎インド映画である。主な舞台はタミル・ナードゥ州チェンナイにある架空のショッピングモールだが、映画の冒頭と最後ではパーキスターン領カシュミール(POK)が登場し、タミル語映画離れした雰囲気を醸し出している。ちなみに、POKのシーンはジョージアで撮影されたようである。
「Beast」は、タミル語映画界のスター、ヴィジャイ主演の巻き込まれ型アクション映画である。ヴィジャイのヒーロー振りを最大限に強調した典型的なスター映画であり、彼一人が映画の全てである。インド全土で公開されヒットとなっているが、その興行収入に見合うだけの内容があるかといえば、必ずしもそうとはいえない。