2006年12月15日に、ヤシュラージ・フィルムスから野心的な映画がリリースされた。全編ポスト・ターリバーンのアフガニスタンで撮影された世界初の長編映画「Kabul Express」である。ヤシュラージ・フィルムスとデリーの大手シネコンの間ではまだイザコザが続いているようで、デリーではこの映画は限定された映画館のみでの公開となった。おかげで久し振りにパハールガンジにある老舗映画館シーラーまで足を運ぶことになった。
監督:カビール・カーン
制作:アーディティヤ・チョープラー
音楽:ラーガヴ・サーチャル
歌詞:アーディティヤ・ダール
出演:ジョン・アブラハム、アルシャド・ワールスィー、サルマーン・シャーヒド、ハニーフ・ハム・ガム、リンダ・アルセニオなど
備考:シーラーで鑑賞。
2001年11月。インド人ジャーナリストのスハイル・カーン(ジョン・アブラハム)は、カメラマンのジャイ・カプール(アルシャド・ワールスィー)と共にアフガニスタンに来ていた。彼らの目的はターリバーンのインタビューをすること。アフガニスタン人ドライバー兼ガイド(ハニーフ・ハム・ガム)と共に、カーブル・エクスプレスと名付けられたトヨタ製ランドクルーザーに乗り、カーブルで取材を行っていた。だが、逆に彼らはパーキスターン人ターリバーン兵のイムラーン・カーン・アフリーディー(サルマーン・シャーヒド)に捕まってしまい、彼をパーキスターンまで連れて行くことになってしまった。 道中、アメリカ人女性ジャーナリストのジェシカ・ベッカム(リンダ・アルセニオ)も一行に加わる。だが、スハイルとジャイは次第にイムラーン・カーンに同情して来る。イムラーン・カーンはパーキスターンに逃げる前に、嫁いだ娘に会いに行く。だが、そのときアフガニスタン軍に発見されてしまう。スハイルとジャイは協力してイムラーン・カーンを逃がす。だが、イムラーン・カーンは国境でパーキスターン兵に撃たれて死んでしまう。
この映画は、カビール・カーン監督自身の経験に基づいて作られたという。彼は911事件直後、アフガニスタンにドキュメンタリー映画を撮影しに行った。そのとき、捕虜となったターリバーン兵たちと話す機会があった。奇妙なことに、その中にはアフガニスタン人は一人もおらず、パーキスターン、イラク、イエメン、ミャンマー、中国から来た者ばかりだったと言う。カビール・カーン監督は、言葉が通じたことから、あるパーキスターン人捕虜と仲良くなった。彼は監督に、少しでいいから衛星電話を使わせてくれ、と頼んできた。監督も断れず、彼に電話を貸した。すると、彼はパーキスターンの故郷に電話をかけた。電話に娘が出ると、彼はその場で泣き出した。もう5年も連絡を取っておらず、家族は彼が死んだものと考えていたらしい。そのたった2分の電話から、監督はアフガニスタンを、そして世界を恐怖に陥れたターリバーン兵の中に、一人の父親の姿を見た。そのときの経験が、この映画の基礎となっているという。
何と言ってもまずはアフガニスタンの風景が素晴らしい。どこまでも続く荒野、雪を抱いた山々、そして戦乱によって無残にも崩壊した建物の残骸・・・。アフガニスタンが出て来る映画は、「Escape From Taliban」(2003年)や「Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero」(2005年)など、過去数年で何本かあったが、それらのロケはラダックなど、アフガニスタンと風景の似た場所で行われていた。だが、この「Kabul Express」で出て来るのは本物のアフガニスタンである。2005年10月~12月まで、合計45日間に渡るロケが敢行された。途中、ターリバーンから「撮影を中止しろ」と脅迫を受けたが、アフガニスタン政府の全面的協力のもと、撮影を無事終わらせたらしい。やはり本物に勝るものはない。アフガニスタンの広大な自然と戦火の爪痕を捉えた貴重な映像を大スクリーンで見られることは、それだけでも価値がある。アフガニスタンの国技であるブズカシー(馬を操って山羊の死体の奪い合いをする競技)の迫力ある映像や、有名なスーフィー歌手、サイヤド・アブドゥル・クドゥスの歌声とトランス状態の群集の映像も見物だ。
意外にも映画はターリバーンにも同情的に描かれていた。主人公たちと接触するのは、パーキスターン軍に所属していたパーキスターン人ターリバーン兵であった。軍の命令でターリバーンに協力していたのだが、911事件の後、状況は一変する。パーキスターン政府は今までの親ターリバーン政策を翻し、「アフガニスタンにはパーキスターン人は一人もいない」と宣言して米国に全面協力し始める。同時に、アフガニスタンから帰って来るパーキスターン兵士を国境で殺害する命令を出す。イムラーン・カーンも最後は国境を目前にして同胞に殺されてしまう。このプロットは、前述の監督自身の体験に基づいていることは明らかである。
主人公とイムラーン・カーンの間の会話も面白かった。インド映画の懐メロを一緒に歌ったり、「世界一のオールラウンダーはイムラーン・カーン(パーキスターンの選手)かカピル・デーヴ(インドのクリケット選手)か」を巡って議論をしたり、ターリバーン兵の人間性を醸し出す工夫がなされていた。イムラーン・カーンが娘に会いに行くシーンも非常に渋く、感動的だった。彼は娘と一言も話さず、ただお金だけを置いていく。主人公が「なぜ一言も話さないんだ?」と聞くと、彼は「私たちは幸運だ。君たちには一生分からないだろう」と答える。
しかし、アフガニスタンの一般人のターリバーンに対する憎悪の深さを描写することも忘れていなかった。ドライバーは事あるごとにターリバーンのした行為を非難していたし、2人のターリバーン兵が村人たちにリンチにあっているシーンは壮絶であった。また、これは現実なのであろうが、カーブルは女の乞食で溢れていた。ターリバーンは女性が働くことを禁じたため、男性の家族を全て失った女性たちは乞食にならざるをえなかったのである。
また、アフガニスタンでインド人の俳優が人気であることが示され、インドとアフガニスタンの緊密さも表現されていた。特にアミターブ・バッチャンやシャールク・カーンなどがアフガーン人の間で人気のようだ。
このように、決してアフガニスタンの現状を偏った見方で見ておらず、なるべく多角的に捉えよう努力がなされていた点で、ただ単にアフガニスタンでロケされた映画に終わっていなかった。結局、争い合っているのは同じ人間同士であり、それをけしかけているのは国家という得体の知れない存在であることが暗示されていた。米国に対する批判的メッセージだけは一貫していた。
主演はジョン・アブラハムとアルシャド・ワールスィー。ドキュメンタリー映画的特徴を持つ映画なので、二人とも自然体で演技をしていた。アフガニスタンの危険で荒廃し、かつ美しい雰囲気が、彼らをそれだけで本物のジャーナリストっぽくしていたと思う。パーキスターン人ターリバーン兵のイムラーン・カーンを演じたサルマーン・シャーヒドは本当のパーキスターン人で、かなりの演技派であった。アフガーン人ドライバーを演じたのも本当のアフガーン人。この二人の演技は非常に説得力があった。アメリカ人ジャーナリストを演じたリンダ・アルセルノも本当の米国人のようだが、彼女だけは少し蛇足のような気がした。
言語はヒンディー語、英語、ダリー語(アフガニスタンの公用語のひとつ)。ダリー語のセリフのときだけ英語字幕が付いた。
「Kabul Express」は、インド映画の新たな挑戦を垣間見ることのできる野心作である。アフガニスタンに興味のある人は必見であろう。