英領時代の1920年を時代背景とし、キリスト教的な世界観の上に作られたホラー映画「1920」(2008年)は、まずまずの興行的成績を収め、続編が作られることになった。2012年11月2日公開の「1920: Evil Returns」である。前作ではヴィクラム・バットが監督だったが、今作ではヴィクラム・バットはプロデューサーに回り、監督はTVドラマ監督のブーシャン・パテールにバトンタッチしている。
主演はアーフターブ・シヴダーサーニーと「Haunted 3D」(2011年)のティア・バージペーイー。他に、ヴィディヤー・マールヴァデー、シャラド・ケールカル、ヴィッキー・アフージャーなどが出演している。
時は1920年。ヒマーラヤ山中の邸宅に住む著名な詩人ジャイデーヴ・ヴァルマー(アーフターブ・シヴダーサーニー)は、ある日、川辺に倒れている女性(ティア・バージペーイー)を見つける。彼女は記憶を喪失していたため、サンギーターと名付けられる。サンギーターはなぜかジャイデーヴの創った詩を暗唱していた。ジャイデーヴはサンギーターを家に住まわせるが、妹のカルナー(ヴィディヤー・マールヴァデー)はそれを好ましく思っていなかった。 夜になるとサンギーターは異様な声などに怯えるようになる。また、サンギーターは食事中に突然、釘などの異物を吐き出す。ジャイデーヴは彼女を病院に連れて行くが、彼女は何者かに完全に憑依されてしまった。 ジャイデーヴに助けを求められた墓守バンキムラール(ヴィッキー・アフージャー)は、サンギーターの過去を知る必要性があると助言する。ジャイデーヴは、憑依されたサンギーターが残した手掛かりから、彼女が、文通相手のスムリティであることに気付く。だが、スムリティは2年前に死んだはずだった。 ジャイデーヴはスムリティの家を訪れるが、その前にカルナーが来ていたことを知る。ジャイデーヴが家に戻るとカルナーは自殺していた。カルナーの遺書には、ジャイデーヴの親友アマル(シャラド・ケールカル)のことが綴られていた。 アマルはジャイデーヴの成功に嫉妬しており、何とかして彼を貶めようと考えていた。アマルはまずカルナーに近づいて恋仲になる。だが、ジャイデーヴが文通相手のスムリティと会おうとしていることを知ると、それを妨害しようとし、ジャイデーヴになりすましてスムリティに会いに行く。スムリティは彼がジャイデーヴでないことに気付くが、それを指摘されたアマルはスムリティを殺そうとする。取っ組み合いの中でアマルは死んでしまい、埋められるが、怨霊となってスムリティに憑依したのだった。 バンキムラールの助言に従い、ジャイデーヴはスムリティを連れて、アマルが埋められた場所まで行く。スムリティは目を覚まし反撃するが、ジャイデーヴはうまく彼女の身体に取り憑いた悪霊をアマルの身体に移し、撃退する。
結末まで観れば何とか話がまとまっていることが分かるが、それまでは何が起きているのかよく分からない、ストーリーテーリングがとても下手な映画だった。記憶喪失の女性が一体なぜ悪霊に狙われているのか、中盤に至るまで観客にはほとんど説明されない。なぜか一介の墓守が悪霊についてやたら詳しく、出しゃばってきて、主人公のジャイデーヴは彼の言うがままに行動する。終盤でようやく、女性の正体と、女性に取り憑いた悪霊の正体が分かる。だが、その悪霊はそもそもジャイデーヴに恨みがあるはずであり、なぜ女性に取り憑いた後、ジャイデーヴを襲わなかったのか、理屈が通らない。
さらに、ホラー映画として致命的だったのは、ホラーシーンに特筆すべきものがなかったことだ。インド製ホラー映画にありがちな、映像と音で観客を無理矢理驚かせるタイプの旧態依然のホラー映画であり、しかもホラーシーンの多くが滑稽なアクションを伴い、観ているとだんだん笑えてきてしまう。YouTubeで鑑賞したために、この映画が上映された映画館の様子は想像するしかないが、きっと大爆笑が起こっていたことだろう。ホラー映画としてではなく、コメディー映画としてなら存在価値のある作品だ。ヴィクラム・バット監督の「Haunted 3D」も同じようなホラー映画だったのを思い出す。
「Haunted 3D」でも熱演したティア・バージペーイーが、悪霊に憑依される記憶喪失の女性役をかなり体当たりの演技で演じていた。釘を吐き出したり、体液を主人公にぶっかけたりとやりたい放題だった。大人しめの演技に終始したアーフターブ・シヴダーサーニーよりも数倍目立っていた。
ロケ地はインドではなかった。おそらく英国かどこかであろう。英領時代の物語ということにして、馬車を登場させたりすることで時代を出そうとしていたが、「インドじゃない感」は否めなかった。いっそのこと、英国を舞台にした方が良かったのではなかろうか。
「1920: Evil Returns」は、2008年公開のホラー映画「1920」の続編だが、ストーリー上のつながりはない。共通点があるとしたら、英国風の大邸宅で起こる怪奇現象という点だけだ。ホラー映画としての完成度が低く、観るだけ時間の無駄である。