Hum Aapke Hain Koun..!

5.0
Hum Aapke Hain Koun..!

 1994年8月5日公開の「Hum Aapke Hain Koun..!(私はあなたの何?)」は、1990年代のヒンディー語映画でもっとも重要な作品のひとつだ。インド映画史に残るブロックバスターヒットになっただけでなく、その後のヒンディー語映画の方向性を決定づけた一本でもある。思うところあって、2022年1月29日に鑑賞し直し、この記事を書いている。

 「Hum Aapke Hain Koun..!」の監督はスーラジ・バルジャーティヤー。主演はサルマーン・カーンとマードゥリー・ディークシト。それ以前にバルジャーティヤー監督はデビュー作「Maine Pyar Kiya」(1989年)でサルマーンを主演に起用しており、二人がタッグを組むのは2作目となる。

 「Hum Aapke Hain Koun..!」の大ヒットによってサルマーンはヒンディー語映画界を代表するスターとしての地位を確固たるものとし、「3カーン」の一角を占めるようになる。相手役のマードゥリーはサルマーンよりデビューが早く、既にこの頃には押しも押されぬスターであった。タイトルクレジットでもマードゥリーの名前の方が先に出て来る。

 他には、モホニーシュ・ベヘル、レーヌカー・シャハーネー、アヌパム・ケール、リーマー・ラグー、アーローク・ナート、サティーシュ・シャー、ヒマーニー・シヴプリーなどが出演している。

 ラージェーシュ(モホニーシュ・ベヘル)とプレーム(サルマーン・カーン)は幼い頃に両親を亡くし、叔父のカイラーシュ・ナート(アーローク・ナート)の家で育てられた。ラージェーシュは家業を継いで仕事に精を出しており、プレームはMBAを取得したところだった。

 カイラーシュはラージェーシュの結婚相手に、大学時代の友人スィッダールト・チャウダリー(アヌパム・ケール)の娘プージャー(レーヌカー・シャハーネー)を選ぶ。二人の結婚式はトントン拍子に進む。その間、プレームはプージャーの妹ニシャー(マードゥリー・ディークシト)と恋仲になるが、二人は関係を使用人のラッルー・プラサード以外には明かさなかった。

 やがてプージャーは妊娠し、男の子が生まれる。プージャーは一度子供を連れて実家に帰ることになり、プレームが連れて行く。その道中、プレームはプージャーに、ニシャーのことが好きだと明かす。それを聞いてニシャーは喜ぶ。だが、ニシャーは階段から足を踏み外し、頭を打って死んでしまう。

 プージャーを失ったラージェーシュは悲しみに沈む。残された子供のことも考えなければならなかった。両家は相談の上、ニシャーをラージェーシュと結婚させることにする。それを聞いたプレームはショックを受けるが、尊敬する兄のため、そして家族のために、自分の恋心を犠牲にする決意をする。

 一方、ニシャーはナート家からの縁談を、プレームとの結婚と勘違いし、受け入れてしまう。結婚式の準備が進んでしまった後で勘違いに気付くが、もう引き返せなかった。ラージェーシュとニシャーの結婚式の日、プレームの飼い犬タフィーが大活躍し、ニシャーはプレームを愛していることがラージェーシュに伝わる。ラージェーシュはニシャーをプレームに譲り、二人を結婚させる。

 3時間20分ある映画だが、最初の約3時間は何の不幸も起こらず、ラージェーシュとプージャーの結婚と新婚生活の幸せそうな様子と、プレームとニシャーが恋を育んでいく様子が、あちこちに寄り道しながら延々と描写される。この時代のインドはまだまだ皆が貧しかった時代であろうが、映画でスポットライトが当てられているナート家とチャウダリー家は共に何不自由ない生活を送る裕福な家庭であり、老いと病と苦しみに満ちた外界とは全く隔離された、涙の全く流れない地上の楽園で物語が展開しているかのように見える。また、登場人物にも悪役らしい悪役がいない。映画に限らず物語というのは、何か事件がなければ成立しないはずだが、とにかくこのような幸せの連鎖をこれでもか、これでもかと畳みかけるだけでもちゃんと成立するということを証明しただけでも、「Hum Aapke Hain Koun..!」には価値がある。

 しかしながら、これだけ幸せな時間が長く続くと、この後に一体どんな不幸が待ち構えているのか、怖くもなってくるものだ。観客はこの幸福の3時間に慣れ切ってしまい、いつしか、ラージェーシュ、プレーム、プージャー、そしてニシャーたちがこのまま終幕まで幸せいっぱいでいて欲しいと願ってしまう。そしてそう強く願えば願うほど、残りの上映時間が短くなればなるほど、言い知れない恐怖も感じるようになる。

 「Hum Aapke Hain Koun..!」の「転」は、プージャーの突然の死という形で降ってくる。その直前には、プレームとニシャーは自分たちの関係をプージャーに明かしており、彼女から祝福も得ていた。だが、プージャーがそれを誰かに伝える前に死んでしまったため、全ての歯車が狂ってしまう。ニシャーはプレームとではなく兄のラージェーシュと結婚することになる。インドでは、妻が死んだ場合、その妹と再婚するということはよくある。だが、プレームとニシャーの気持ちを知っている観客はそれを認めたくない。最初の3時間があるために、全ての観客の気持ちを指先ひとつで容易にひとつの方向に持って行くことができている。この観客の心情のコントロールは、優れたインド娯楽映画が共通して持っている特徴である。

 ただ、古さを感じさせるのは、プレームとニシャーが両親に全く抵抗しないことである。二人とも、自分の気持ちよりも家族を優先しており、恋心を犠牲にしてまで、家族の決定に従おうとする。インドの伝統的なロマンス映画では、「愛する人のためなら何でもする」と豪語する割には、家族が割って入ってくると、途端に身を引いてしまう傾向にある。プレームもニシャーも、古き良きインドの道徳を遵守する若者であり、それが余計に観客の同情を買う。

 「Hum Aapke Hain Koun..!」の最大の功績は、映画館に家族客を呼び戻したことだ。1980年代、TVとビデオの普及によって映画館が大打撃を受けた。TVとビデオが買える経済的余裕のある家庭が映画館で映画を観なくなったことで、映画館には無教養な低所得者層のみが集うことになった。映画メーカーも大衆向け映画を作らざるをえなくなり、暴力とエロが支配することになって、ますます家族客が映画館から離反してしまった。その負の流れを変えたのが、「Hum Aapke Hain Koun..!」に代表されるファミリーエンターテイメント映画であった。

 プレームとニシャーは家族を最優先に考える理想の若者であり、家族客も安心して鑑賞できる内容となっている。また、二人は恋愛結婚を家族の許可の下に実現しようとしていた。通常は恋愛結婚の障害となるのは家族なのだが、恋愛結婚を家族制度と矛盾しない形で提示したのも功を奏したと思われる。

 ただし、あまりに家族を尊重しすぎており、「Hum Aapke Hain Koun..!」をロマンス映画の範疇に入れていいかは疑問である。自己の恋愛の成就のために何の努力もしない主人公をロマンスのヒーローとして扱うことはできない。あくまで「Hum Aapke Hain Koun..!」は家族映画だといえる。

 もうひとつ時代を感じさせるのは、神様に祈ることで物事が解決する展開だ。プレームとニシャーの仲を唯一知っていた使用人のラッルーは、ラージェーシュとニシャーの結婚式の日、クリシュナ神に、何とかしてくれと祈る。すると、犬のタフィーにクリシュナ神が乗り移ったようになり、ニシャーがプレームに宛てて書いた手紙をラージェーシュに届けてしまう。それがきっかけでラージェーシュはニシャーをプレームに譲ることになるのだった。神様の存在の肯定と、その御利益の描写も、家族向け映画としてはプラスに働く要素である。

 インドの結婚式などの流れがひとつひとつ丁寧に描かれており、資料としても価値がある映画である。婚約式、サンギート、メヘンディー、ペーレー、ヴィダーイーなどの婚姻関係の儀式が描かれている他、子供が生まれたときのお祝いシーンもある。出産後にヒジュラー(両性具有者)の集団が訪ねてくるところもインド文化をそのまま映し出している。ヒジュラーは生殖を司っており、子供が生まれた家庭にお捻りと引き換えに祝福を与えにやって来る習慣になっている。

 「Hum Aapke Hain Koun..!」は、ヒンディー語映画ファンならば必ず押さえておかなければならない傑作の一本である。また、インド文化の様々な側面を垣間見ることもできるので、インド好きの外国人にも是非お勧めしたい。サルマーン・カーンの出世作であるし、ヒンディー語映画が家族向けのエンターテイメントに舵を切ったきっかけとなった重要な作品でもある。今観ると古さも感じるが、悪い古さではない。必見の映画である。